インタビュー内容テキスト

何が息子に起こったかと言えば、あの日の朝、彼はリンカーンズ・イン・フィールドだったと思うけど、そこで開かれる発表会に行く途中だったのです。イズリントン(ロンドン北部地区)に住んでいたのでいつもなら乗らないはずの地下鉄に乗っていたのです。爆弾はラッセルスクエアで爆発しました。それが7月7日の爆弾のことです。不思議と、今でもとてもよく覚えています。私はロンドン東部のエクセルで開かれるキャリアに関する展示会に行くために、ストラットフォード駅のベンチに座っていました。周りには停電に関する連絡やアナウンスがたくさんあって、とても変な感じでした。だって何が起こっているのか誰も何も知らないようで、私もそのひとり、そのまま展示会へ行きました。ほんとに何かが起こっていたなんてお昼になるまで全く気付きませんでした。
実際には、携帯電話にいろいろな人から大丈夫か?とたくさんのメッセージが入っていました。事件当時、私は職場にはいなかったので。ジェームスがあの日に重要な発表があったことは知っていました。その発表のために彼はわざわざ前日プラハからやって来たのです。でも、私は何も知らず、私たちは彼がどこにいるのかも知らず、携帯のメールからでは何も分からなかったのです。もちろん、午後も夕方も彼の居場所を探すことに必死でした。でも、すぐに何かあったに違いないと思いました。ご存知でしょうけど、ヘルプラインなんかは全く役に立ちません。大勢の人が、本当にものすごい件数の電話をかけていて。でも、本当にすぐに何かあったと思いました。だってあの晩はうちに夕食に来るはずになっていたのに、彼は現れなかったので。全く連絡もつかなかったから、それで、とたんに分かったの、何かあったって。その時が一番辛かったです。あとで知った情報とかでなく、実際本当にすぐに分かったの。でも他の人はそうではありませんでした。もちろん、生きていてほしいという望みもありましたけど。ジェームスの友人たちはどこもかしこも病院を探し回っていました。この状況は本当に辛いものでした。だって、私はそんなことしても役に立たないと分かっていたし、心底無駄なことだと分かっていたのですから。
一連の出来事の中で、それが非常に辛いことのひとつでした。私は息子ととても親密でしたし、あんな時には人には言えないけれど、私には何かあったと分かっていました。特に最初はあの時が最悪でした。普通なら言えない事だと思うから、いらいらするような感じで。息子の妹や友人たちにはとても言えませんでした。はじめから敗北者みたいに聞こえたでしょうから。でも私にははっきり分かっていました。

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