インタビュー内容テキスト

そうなんです。兄はシンガポールで事務弁護士をしていました。バリには所属していたシンガポールクリケットクラブのラグビーチームの一員として出かけて行って、爆弾にあい亡くなりました。
テイモシーは僕より15ヶ月年上でしたから、生きていたら今49歳でしたね。タイ人の婚約者はシンガポールに残してバリには自分一人でチームメイトと一緒に行っていました。亡くなる前に、僕は3週間、両親と一緒にシンガポールで過ごしているので、テイモシーの婚約者にも会って知っていましたから、彼女からの電話で、テイモシーが行方不明だと言うことと、バリであった事件を知ったんです。僕自信も連絡を取ろうとしたのですが、できませんでした。それでシンガポールで会ったテイモシーの友達と連絡を取り、いったい何が起こったのかを把握しました。
テイモシーのシンガポールでの雇い主は銀行関係者で、バリの爆弾事件には直接的にも間接的にも大勢の同僚が巻き込まれたため、独自の救助隊を編成していました。僕は銀行と掛け合い、翌日両親をバリへ連れて行く手続きをしました。爆発は土曜日に起こりましたが、僕たちが知ったのは、日曜日の朝でした。月曜日、いや火曜日に僕たちはイギリスを発ったんです。銀行は要請を受けてサポートをしてくれましたが、外務省はほとんど何もしてくれませんでしたね。実際そのときには何が起こったのかを把握できていなかったのでしょう。
僕たちは外務省に連絡し、シンガポールに知り合いが居ること、兄の雇い主とも連絡を取ったこと、そして現地で何が起こっているかということを伝えました。兄は歯形から身元が判明するまで2週間ほど行方不明でした。
バリに到着してみると、自分と母と父だけしかいませんでした。ホテルでチェックイン後すぐに、僕は銀行の警備員と一緒に病院を回りました。そのときは兄が生きているのか死んでいるのか重症なのかそうでないのか、とにかく何の情報もありませんでしたから、あちこちの病院と遺体安置所を回ったんです。いろいろ見て歩きましたが、兄は見つかりませんでした。
僕たちは大きな病院を2、3回りました。インドネシアの人たちは被害者がこのように多数に上るような事故を予想だにしていなかったようで、遺体の収容場所がありませんでした。十分な医薬品も無く、病院や遺体安置所の片隅に氷のブロックが置かれ、遺体が廊下に無造作に放置されていたりしました。

それはひどいですね

それから3、4日して、外務省とインドネシア検死本部は、遺体の腐敗が進んでいるため、肉眼での遺体識別は許可しないと発表したんです。

「語ってくれてありがとう!」と思ったらこちらをクリック →

あなたのひと言をどうぞ → ひと言