インタビュー内容テキスト

私の妻は娘の学校のロリポップレディ(通学路の安全を守るために交通整理などを行う雇員)をやってました。彼女は二つ仕事を持っていて、ロリポップレディの方はほんのお小遣い程度の給料だったのですが、とても楽しんでいました。いくばくかの自由を楽しみながら、家計の支えにもなるちょっとした仕事だったのです。彼女は35歳でした。娘は当時5歳でした。だから、妻にとってロリップレディは好都合だったのです。娘は、私が仕事に行っている間に学校が終わると、交差点で母親と一緒に、ボタン押しなどを手伝いながら仕事が終わるのを待つのが常でしたから。
そして2006年の9月でした、バスがコントロールを失い、中央分離帯を乗り越えて舗道に乗り上げ、そこにいた私の妻、ステフにぶつかったのです。フルサイズの一階建てバスでしたが、即死でした。その週は仕事が休みだったのでその日も娘を迎えに行く途中でした。私はその時、ステフのいた所から100ヤードほど離れた角の向こう側に立っていたんです。だから横断歩道はまだ見えていない時でした。でも、バーンという物凄い衝突音がしたので、走って現場まで駆けつけました。私が一番早く現場にかけつけたと思います。

ひどいですね、本当に心が痛みます。

どんな光景を目にしたかは想像がつきますよね。
私はもうヒステリーを起こして、叫んで、悪態をついて・・、忘れられません、今もちょっとしたフラッシュバックが起きているんです、2年も、2年たった今も、細かなことまで覚えています。その時の太陽の光と、「俺の妻だ!俺の妻だ!」と叫んでいたこと。そして人々の顔に現れた恐怖の表情、毎日のように顔を合わせていた保護者の方々が顔を覆っていたり、叫んだり・・・。私は学校の壁に崩れるようにもたれかかって、ステフの所へ歩み寄ることができませんでした。直感的に分かっていました、説明はしにくいんですが、ただ、もう結果は分かっていたので、できなかったんです。ぼんやりとですが、バスの運転手がバスの下を覗いていたことは覚えています。そして、すぐに警察と救急隊がやってきてくれました。本当にすぐでしたね、みごとなくらい迅速でした。
次の数分間は何が起こったのか覚えていません。ただ、救急隊員の方にステフが大丈夫か尋ねたことだけは覚えています。彼は私を壁にもたれかけるように座らせて、ただそこにじっとしているようにと言い続けました。そのことが、はじめに直感的に感じた妻の死を、さらにまた強く認識させたのです。しばらくして、救急隊員の方に、「ステフはもういないのですか」と聞くと、「えぇ、残念ながら」という答えでした。そして、その瞬間、無数のことが心をよぎりました。そう、その時は泣けませんでした。ショックがあまりにも大きかったことか私の性格だったのかもしれません。今日や明日の心配ではなく、これから漠然とたちはだかる絶望をひしひしと感じていました。 その時になぜ、そんなことを考えたのかは分かりませんが、とにかく俺の人生はもう終わったんだ、と感じました。その時のことは今でも鮮明に記憶に残っています。もうステフはいないんだ、という悲しみと俺の一生が変わってしまったという実感。とても充実した結婚生活だったんですよ。だから、いつまでも続けたかった。でも、本当の悲痛は数時間後に来ました。

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