インタビュー内容テキスト

ロレンは演劇に秀でていて、演劇、歌謡、ダンスなどパーフォーマンス全体を楽しんでいました。2005年には選考審査に通って、“シェイクスピアの夕べ”という特別なイベントに向けて準備をしていました。事故の起こったのは2005年の6月21日でしたが、ロレンの通っていた学校の教師の引率のもと、彼女を街で行われていた“シェイクスピアの夕べ”のリハーサルに連れて行ってくれていました。リハーサルは一日中行われ、また予定よりも1時間半ほど長引いたので、私が思うには、ロレンは乗り継ぎのバスに乗り遅れるのではないかと心配して、引率の先生にあそこで降ろしてもらえるように頼んだのでしょう。あそこからなら予定の場所で降りるよりは少し早く家に着いたでしょうから。そして、その場所はハイウェイの閉鎖された側にありました。引率の先生がバスの運転手にロレンの途中下車の旨を伝え、運転手とロレンの間に何かしらの会話があったと思うのですが、バスは道路脇に停車し、ロレンはバスを降りたんです。そしてバスは発車し、ロレンは、片側4車線だったと思いますが、ハイウェイを反対側へ横切り、4車線目を渡ろうとしていたところを時速50から60マイルで走ってきた大型トラックにはねられました。その後の検視報告によれば、ロレンは瞬時に意識不明となり、その直後に死に至っただろうということでした。
私はその日の午後6時頃、給油するために職場の近くのガソリンスタンドへ乗り入れたところ、ラジオで、ハイウェイがロレンの家の近くで大きな事故のために閉鎖されていると聞いたんです。娘が事故の前に無事帰宅したかどうか確かめるために家へ電話をいれました。するとロレンの母親が電話に出て、家に警察官が来ているのだけれど、そのうちの一人が私と話をしたいと言っていると言いました。それでその警察官が電話にでて、ロレンが事故に巻き込まれたので、速やかにしかも安全に病院へ向かうように言いました。私が、“わかりました。今すぐ家へ向かいます。”と言いますと、“病院へ向かってください。ロレンは病院にいるでしょうから。”と言ったんです。そうですね、病院へは20分くらい運転して行ったのですが、そのときにはもっと長くかかったように思いました。

お辛かったでしょうね。

ええ、つらかったですね。その間、アドレナリンが体中を巡っているのを感じました。
私はかなり速い速度で運転していたと思ったのですが、病院について駐車し、救急治療室の方へ走って行った時に、私の父親と息子がもう先に来ていて、ドアのところに立っているのに気がつきました。私が、どうなっているのか聞こうと二人の方へ行きかけると、警察官の一人が私を脇に引き寄せて、こう言いました。“こうお伝えしなければならないのはとてもつらいのですが。” それで私はとっさに、これは最悪の事態だろうと判断して、“ロレンは死んだのですか。”と問い返したんです。警察官は、“ええ、そうなんです。”と答えました。覚えているのは、私がこの時最初に思ったのは、父がこのことを知ったら、死んでしまうのではないかと言うことでした。高齢でしたから。でも既に知らされていたのでしょう、この時父はロレンが死亡したことをもうわかっていました。

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