インタビュー内容テキスト

6月、そうそれは2001年の6月3日のことです。夫のニコラスは、日曜日の午後、母親のところに顔を出しに行っていましたが、小さな田舎道で亡くなりました。私は、そのときは、忙しかったので、家にいました。駅への途中、ニコラスと母の車が、細い田舎道に入ったとき、田舎道ですよ。一台の車が近づいてきました。その車は、停まってターンし、道路に車がないかを確認していました、道路に車が走っていないかをですよ。この車が近づいてきたんです。車の運転をしたことがないドライバーでした。ニコラスの車の前にぶつかったので車はグルッとまわり、スピンしました。ニコラスは首の骨を折って死にました。
思いたくありません。誰かに責任があるなんて思ってもいません。お母さんもあのドライバーもです。こんな交通事故は、いつかは起こるものだと思います。ものすごくショックでした。夫が9時に戻ってこなかったとき、何か起きたのかしらなんて、全く思いませんでした。家で集まりを催していて、それが終わったので洗い物をしていたときもです。警官が来たときも何も考えていませんでした。そう警官が2人家に来たんです。11時半だったと思います。誰かに何か起こったのだと思いました。警官は、家に入ったまま、無言でした。「何かあったんですか、息子に?」と聞くと、そうではないと言う。というのも、当時、息子が一人ドイツで働いていたからです。私もドイツ出身なのです。それで「夫に何かあったのでしょうか?」と尋ねると、警官がうなずきました。
 そのころ夫と私は、一緒に自然死センターを立ち上げていました。自然死センターは、1991年に設立されたんですが、センターに関わっているうちに、夫と私は樹木葬という家族で取り扱う葬儀の専門家になっていました。それは、ある種の心理療法家が持っている死の観念です、つまり、死は人生の一部であると受け止めること、それは、言ってみれば日々の信念でした。よりよく生きること、精一杯生きること。ちょうどあの事故が起きた日にも、朝方ベッドに横になって、私は今ここで、夫とともにベッドにいるんだと考えていました。ある日、思ったんです。わかるでしょう。おかしな考えなんかではありません。ある日、夫は死ぬだろう。でもここでは、私たちは生きているんだと。私を見てちょうだい、夫は見てくれました。でも夫は、こちらが期待したようにきちんと見てはくれなかったのです。夫は、遠くをみるように、まっすぐ見つめていました。そのとき、思ったのです。「そう、夫に何が起きるかなんてわからない」と。夫と私たちの間には、しっくりこないものがありました。議論もしました。変わるべき時がきたと思いました。このことを重く受け止ないようにしよう、私は邪魔をしないで、これからどうなるのか夫に尋ねようと。
その日、二人は互いにかけがいのないものでした。本当に面白かった。その日、夫が母の元を訪れるために、家を出るとき、私は仕事にとりかかろうとしていました。キスしながら夫に言ったんです。さよなら、「気をつけて戻ってきてね」って言ったら、どう思うかしらって。今までそんなことを言ったことはありませんでした。そして夫は戻って来ませんでした。戻ってこなかったのです。その夜、警官は、なにか恐ろしいことを感じていたんでしょうね。警官が夫は交通事故で亡くなったと話した時、頭が真っ白になりました。

「語ってくれてありがとう!」と思ったらこちらをクリック →

あなたのひと言をどうぞ → ひと言