インタビュー内容テキスト

そうですね、今でも鮮明に覚えています。もう14年も前だというのに。あれは1995年の7月31日、朝7時30分、月曜日の朝でした。ちょうど自分のオフィスに入ったところでした。7時を回った位に到着するのが私には当たり前で、あの時もそうでしたね。そうしたら電話が鳴ったのです。通常ではかかってこない早い時間帯の電話で、朝の7時30分でした。電話の主は私がよく知っている事故外科医で、病院からでした。彼が言うには、「ゴッドフリー、エイドリアンがちょっと事故に遭ったようだ」エイドリアンとは、私の死んだ息子です。最初はそれほど深く心配していませんでした。「そう、どこにいるの?怪我したの?」と聞くと、「いや、息子さんは今、集中治療室だよ」と。
その瞬間に、これはただ事ではないではないと思いました。私はそれ以上何も聞かずに「わかった、直ぐにそっちに向かう」と答えました。妻に電話しましたが、家にはおらず。朝のあの時間帯はいつもスイミングに行っているので家にいるはずがないということはわかっていました。これはもう自分ひとりで病院に直接行くしかないと決め、病院へ車を飛ばし10分ほどで到着しました。当時の交通量は今ほどではありませんでした。私が到着した時、息子はちょうど手術室に搬送されるところで、私はある画像を見せられました。息子は頭部に外傷を受けたため、頭部スキャンを見せられたのです。私が見たその画像は、専門家ではない私でもすぐにわかるほどの非常に深刻なダメージを映し出していて、息子が回復する見通しはおそらく極めて厳しいものになるであろうと思われました。
そう、健康でまだ若く、今まで一度として深刻な病気になったことのないような自分の息子が、ほぼ間違いなく死に向かっているという考えにまず慣れなければいけなかった。そして、いやそれはもう信じ難い程の苦しみでした。しかし、その数時間後には、はっきりしました。息子の状況を好転させるための対処法は何もないということが。
私は家に帰り、妻を連れて病院に戻り、24時間のほとんどを集中治療室にいる息子と過ごし、最終的には息子の命をつないでいる機械を止めるという決断を下さねばなりませんでした。その際、先ほどお話しした私の個人的な友人である外科医に非常に助けられました。人生は劇的に、その非常に短い時間の間で変わってしまったのです。

「語ってくれてありがとう!」と思ったらこちらをクリック →

あなたのひと言をどうぞ → ひと言