インタビュー内容テキスト

葬式のとき、軽い気持ちから、私が閉鎖的になるだろうと言ったり、そのようなことをほのめかした人たちがいました。なんて異常なことなんでしょう、ほんとに異常ですよ。
葬式こそが、私たちを閉鎖的な気持ちにするのです。おかしいですよ・・・、おかしいと言えば、世の中の何もかもが狂ってしまったかのように思えます。私から見れば、人々の反応や、何ごともなかったように、いつも通りの生活をする人たちのほうが、おかしく感じられます。
皆が幸せそうに暮らし、天気の話をしながら、買い物を続けていて、なぜこの世の中が止まらないのかが分からないのです。なぜ皆が喪服を着て通りを埋め尽くし、泣き叫んでいるなんて光景を見ないのか、私の記憶では、この国には嘆きの儀式がないのです。そのことが、本当に残念です。私たちは、喪服を着たり、家に閉じこもったり、嘆き叫ぶことをしません。このような伝統は何一つないのです。私は玄関のドアや窓を真っ黒な布で覆い、世界に向かって、「私の息子は死んでしまったのよ」と叫びたい思いでいっぱいでした。でも、こんなことできる訳がありません。このようなことは非常識で、全く受け入れられません。全てが順調で良好だという印象から外れた振る舞いは、禁じられていると言うメッセージが、私たちには日々、一貫して与えられているのだと思います。ですから、このメッセージが常に強化されて、怒りも悲しみも強引に押さえ込まれて、表現することも許されていない、悪いことなのだと・・・。

このような考えはどこから来たのでしょう?パットさんがいつもこのように感じるようになったのはなぜですか。

そうですね。きっと私たちの幼少期に両親や家族に迷惑がかかるから、怒りを表現してはいけない、と言われたところから始まったのでないかしら。怒りは日常の一部として受け入れられていません。怒りは邪魔者としか見られていないのです。人々が精神的に病み、精神病院に収容されていた時代はそう遠くありませんよね。社会的行動が取れない、とそういう判断をされてしまったからなのです。そして、その辺りの暗黙の了解が今でもあるのではないか、と思います。
いつかは私たちが、怒りを素直に表現し、人々がそのまま受け入れてくれる、そんな日がくるならば、それはすばらしい日となるでしょう。

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