投稿者「dipex-j」のアーカイブ

大腸がん検診の語り

進行がんで肝臓にも転移があると告げられたが、体調が辛いわけでもなく、人並みの生活を送っていたので、告知されても「そうですか」と思っただけで、危機感はなかった

わたしは、その、その、ま、病気をね、告げられたときに、動揺っていうのはなかったんですよね。ただ、ただ、そのいわゆるやっかいな病気になってしまったなあっていうのはありました。ですが、そのー、ま、かなり進行して、ま、リンパ節にも、えーと、そうですね、肝臓にも転移していましたから、ま、深刻なのかどうか分かりませんが、要するに告知を受けますよね。告知されて、「あなたがんですよ」って言われて、だけど、その日を境にして、わたしの体調がどうこうっていうことではなかったわけですよね。ですから、うーん、わたしとしては、ま、日常が、まあ、つらくもなく、まあ、人、人、人並みに食べて人並みに笑い人並みに話し、…ていましたね。ですから、うん、そんなに、うーん、危機感はなかったっていうのが、今になってみれば、ちょっと、ちょっと、ちょっとやばかったかなとは思いますけども、ええ。

―― で、あのー、内視鏡の、その、ま、映像といいますか、あのー、それもご覧になりました。

あ、見ました、見ました、はい、はい、はい。

―― そのときに、もう、それまでは、ほとんど自覚症状がなかったわけですよね。

そうですね。

―― 転移した腫瘍が、どんな。

ま、きれいに並んでいたなって。

―― きれいに並んでいた。

ええ、きれいに並んでいた。ええ、ま、行儀よく、ずいぶん丁寧に並んでいるもんだなあと。ええ、だから、そうですね、そういう一連の、そういう、証拠ですよね、証拠を突きつけられても、「そうですか」しか言えないですよね。「あ、そうですか」としか。で、これから、何が始まるのか分かりませんが、とりあえず、現実は、現在はこうなんだなということで、で、つらくもないから、うーん、その日を境に、わたしの事情は、状態が変わったとか事情が変わったとか、しん、いろいろ変わったとかっていうことはなかったですね、ええ。

大腸がん検診の語り

診断されたときは「ほんとにがんだったんだ」と少しショックだったが、「どうにかがんのまんま10年ぐらい生きられるぞ」と思った

―― 実際、がんってわかった時に、どんなお気持ちだったんですか。

まあちょっとはショックでしたね、やっぱりがんだって言われたら。ほんとに、やっぱりがんだったんだ、って思ったんですけどね。だけどまあ、しょうがないと思って、どうにかがんのまんま10年ぐらい生きられるぞ、なんて思ったんですけどね。

―― ご家族に話された時の反応とか、どうだったんですか。

家族も、まあ、わたしがそんなことですから、「ああ、そうなの?」ぐらいなもんで。もう主人なんか忘れてますね、わたしががんになったっていうこと。全然、冷たいのかな(笑)。そうですね。だから、あんまり、まあ娘はちょっと、がんかなってびっくりしてたみたいですけれども。あとは、ああそうだ、妹とかそういうのは、やはりみんな心配してたかもわかんないですね。わたし、あんまりちょっと記憶にないけれど。

大腸がん検診の語り

死の恐怖より、なんで自分がこんなことになるのかという思いの方が強かった。とにかく人と話したくなかった

―― 先ほどのお話だと、大腸がんになるとは思ってもみなかったということだったんですけども、実際に確定診断を受けられたときのお気持ちというんですかね。

うーんとね、やっぱり、ものを喋りたくなくなりましたし、世の中が一瞬変わりましたね。いつもそうなんですけどね、人と話したくなくなるし、うーん、なんと言ったらいいのかな、みんな、皆さん、いろいろ聞いてみると、結構そういう人が多いんだけども、隔絶したくなるというか、誰とも会いたくなくなるし。だから、私ももう、家族以外と喋ったことないです、ずっと、その間は。手術終わってあれするまでは、ほとんど。だから、他人にも知らせてないんで、「どうなった?どうなった?」、まあ、会社関係とかね、そういう人には、事情は話してあったんですけども。まあ、見舞とかそういうことも一切来てもらわないようにして。まあ、世の中が変わるというか、精神状態がつるっと変わりますんでね。なんか、一番最初の時もそうですけど、ホテルで一生懸命聖書読んだり、仏教の本を読んだりね、そんなことばっかりしてましたね。まあ、死ぬ恐怖というよりも、なんで自分がこんなふうになるんだろうというね。なんか自分が悪いことをしたんだろうかっていうふうに思う。なにか自分が悪いことをこの世の中でたくさんやったからこうなっちゃったのかな、とかね。そんな思いが強かったですね。で、あとは、ちっちゃな子どもを抱えて、俺が死んだらどうなるんだろう、とかね。そんな心配があったんで、まあ、他の他人とはほとんど話する気もしなかったですね。誰が救ってくれるわけじゃないですからね。まあ、お医者さんは別としても。

大腸がん検診の語り

内視鏡検査がとても怖かった。医者をやっている義理の娘から、「とっても上手な先生よ」と言われ、覚悟を決めて検査を受けた

わたしは、その内視鏡が怖かったんですよ。

―― そうですよね。

人から聞いていてね。

―― 何て聞いていました。内視鏡。

あのー、やっぱりね、わたしね、若いころに、あのー、胃、胃カメラっていうの、あのー、飲み、飲みますからって、その…検診だけでね、胃カメラを飲まされる状態があったんですよ。そんときに、逃げ出したことあるの(笑)。まだ、その銀行に、銀行になっていた、銀行マンだったんですけどわたしね、あの、OLのときは。それで、そんときに(笑)あの、胃カメラをまず、健康診断がありますんで、「飲んでください」って言われて…やられたときに、「できませーん」って逃げだして来たことあるの。

―― 受けずに。

そういう経験があるんです。それで、何ともなくて今まできたわけだから、絶対嫌と思っていたの。「もう死ぬときだわ、わたしが、胃カメラなんて飲むのは」とかね言っていたんですけど。そんな状態じゃないですもんね、今回の場合ね。あの、嫁さんがもう強く言ってくれて。ほいで、まあ、聞きましたら、「とっても上手な先生よ」ってこう言ってくださったりしたもんだから、行って、あの、先生もね、あのー、「あ、じゃ、嫁さんが、言うからやりましょう」なんて、わたしをなぐさめるような感じで、「大丈夫だから、そんなつらいもんじゃないから」みたいなこと言ってね、あの、内視鏡に臨んだんですよ、ええ。だから、内視鏡のときは、までは、ほんと決心がね、一番はそれだったですね、今回。

―― 内視鏡は、こう痛いっていう話とか、何かから、どなたから。

つらいっていうか、その若いころの体験ですよね。

―― あ、そう。

絶対わたしは飲めないわと思ったの。あれはぜったい飲めないわと。

―― 別にこう誰かから聞いたというよりも、ご自身のこう感性で。

え、自分のその若いころの感性がね、いまだに続いていた。あ、ごめんなさい。そんな感じで、それが一番の(笑)。でも、それを、こう克服してまでも今回は、上手だったし、やっぱり。だから、そんなにはつらい、あの、内視鏡はつらくないです。いや、わたしが想像した以上に、あのー、よりは。

大腸がん検診の語り

手術前に注腸X線検査を受けたが、既に血便が出ていることもあり、「これをやらないと、自分は死んじゃう」という思いで、医師の言われるままに受けた(音声のみ)

―― 手術する前に、その、ま、内視鏡ですね、あのー、肛門から入れる検査、それは。

はい、はい、一番最初、はい、はい、はい。

―― 一番最初の、そのときはどうでしたか、内視鏡がすごく痛いっていう方が、も、いらっしゃる。

あのね。

―― それどころじゃなかったですか。

手術、手術の前にはね。

―― ええ、どんな検査していましたかね。

内視鏡は、まだね、入れなかったじゃないかしら。

―― はあー。

まだ、その検査はね、できなかったんじゃないかと思うんですよ。

―― ああ。

あのー、そうですね、ちょっとね、そこら辺がね、わたしもね。

―― まあね、だいぶね、昔のお話なので、あれですけれども。

はい、まだね、そこまで、先生はね、おやりにならなかったんじゃないかと思うんですけどねえ。うーん。

―― じゃ、その前のところで、えー、写真を撮ったという写真は、それ、内視鏡入れた写真ですか、それとも違うのか。

え、内視鏡っていうよりね、あのー、あの頃はまだバリウムを入れての撮影でした。

―― あ、バリウム。

あ、その次はバリウムです。

―― 注腸検査ですね。

うん、うん、それです、まだ、そのころは。

―― どうでした、その検査は。

いや、もうね、あのー、自分が、その血液の塊が出ているから、あのー、よい、いいことはないですよ。ないけど、これをやらないと、自分は死んじゃうと思っているから、先生の言われるままに、あのー、動きましたから、はい。

大腸がん検診の語り

自覚症状は全くなく、「健康そのもの」と思っていた。たまたま受けた血液検査をきっかけに、がんが降ってわいたようにみつかった

―― こう、自分が何で大腸がんになったんだろうとかそういうこと考えられましたか。

うーん、それが、全くないんですね、前ぶれも全くないし、自覚症状は全くない。これは、ほんとに、わたしは降ってわいたような話、健康そのものと思っていましたから。だから、こういうふうにして発病するんじゃね、わたしは、ほんとに恐ろしいことだなっていうか、皆さんにね、もう、経験を語れないですよね。…そうですよね。こういうふうになると、心配よとかっていうことが言えないですから。だから、こんな、まあ、しいて言えるのは、…検査しないとこういうことは見つからないんですよっていうことですよね。そういうことですよね。わたしは、これ検査したから、血液検査したから、それも、降ってわいたように、自分から、あのー、行ってしたからなった、ねえ、分かったんで。こういうことっていうのは、恐ろしいですよね、逆に言うとね、皆さんにとってね。

―― 何かね。

ええ。

―― あのー、内視鏡が、通らなかったというのは。

ええ、はい。

―― もうかなりやっぱり大きい。

前からなんですから。

―― でも、便通は。

便通は普通にあって、もう、快眠、快、そういう話は自分で自慢していましたから。

―― ああ、なるほど。

はい、だから、こんなことで、発病しているのを知らずにね、こうやって5年近くになっていたのかしらって、それもまあほんとかどうかは、わたしは分かりませんけど。その、わたしを内視鏡で見た先生が、「ここまで大きいのは、もう5年はかかっているよ」ってこうおっしゃったのが、そういうわけなんですよ。だから、びっくりしちゃって、そんな自覚全くありません。

大腸がん検診の語り

自覚症状があり、がんを疑ったが、3年ほど放置していた。しかし、医者をやっている従兄から検査を受けるよう言われて受診したところ、大腸に腫瘍が見つかった

60歳だから今から16年前に、一番最初の大腸がん、まあ、あの、出血してたりしたのかな。出血したり下痢したり便秘したりしてたんですよね。それで、がんじゃないかって。吐きそうになったり、なんかいろいろしてたもんですからね。で、言われて。そしてお医者さんに紹介されて。…なんか近くの病院で検診したんですよね。

―― それはあの、自覚症状があって行かれたっていう。

そうです。自覚症状があって、うーん、あの、がんだろうとは思ってたんですけれども。がんは放っておこうかと思ってたんですけどね。あの、いとこがお医者さんなもんだから、「行け行け、行け行け」って紹介状書いてくれちゃったりしてね。しょうがなくって行くことにして。そしたらやっぱり、がんが3つほどあったみたいなんですね、大腸に。

―― なんか、あの、それまで自覚症状っていうんでしょうかね、そういうのっていうのは、あんまりなかったんですかね。

いや、ありましたね、やはり。3年ぐらいね、ちょっと便に出血、出血って鮮血じゃなかったんですけど、便が黒くなって、色がね。それから下痢したり便秘したり、便が細くなったりとか、そういうことがあって、あ、がんかなっていうふうに思える状態だったですね。知ってるから。そういう状態になるなっていうことはね、知ってたから、がんかもしれないとは思ってましたけども、3年ぐらいほったらかしてたんですね。だけども、あんまり進行しなかったのね。わりあいと初期だった。リンパまでいってなかったんですよね、切った時もね。

大腸がん検診の語り

検診キットについてきた問診票の症状が全部当たっていたので、ひょっとしたら、という気持ちがあり、陽性の結果が届いた日はお客さんの前で手が震えてくるような感じだった

あのー、アンケートというか、あー、質問項目が四つか五つあって、全部当たっていたのかな、あのー、症状が。で、これは、ひょっとしたらという気持ちは、その辺から、ちょっと、不満が、あ、不満や、不安が大きくなってはいましたけどね、はい。

―― じゃ、その、マラソン終わって、もう、すぐ出されたんですか。

そうですね。それ、あのー、終わってちょっとして、あのー、自分で検査して、郵送して。ほんなら、だら、2週間ぐらいかかったのかな、郵送で返ってきたら、あれ、2日間やるんですよ、検査をね。そうすると、2日とも、あのー、…陽性のほうで、あのー、再検査すぐにしなさいというて書いてあったんで、ほれで、その日もお店をしていたんですけども、ここの、お客さんの前で手が震えてくるような感じで。でも、その次の日には、もう近所のお医者さんへ、その用紙を持って行って……。

大腸がん検診の語り

痔はないのに血が出たため、人間ドックを受診した。マラソンのタイムが落ちたり、ときおり強い痛みを感じることはあったが、普段はまったくどうもなかった

自覚症状は、血が出たということと、後から思うと、いつもマラソンでレースをやってて、記録がずいぶん、5分、10分と、10キロ…フルマラソンとかやってたんですけど、10分、20分というぐらい、その…時間がかかっちゃう、余分に。(その)ぐらい遅くなってるんで、おかしいなとか。それから、月に1回ぐらい、すごい、一瞬ですけど、1秒か、うーん…一瞬ですから1秒ぐらいですかね、キーンとこう、すごい痛みが走る。で、すぐ治っちゃうんですね。どうってことない。「あれ?なんだろう、これは」と。ひねったからこんなになったのかな、と思ったぐらいで、それが3回ぐらいありましたかね。1ヶ月に1回ぐらい。で、今から思うと、それが自覚症状なのかなとは思ったんですが。まあ、普段はまったくどうもないですね。ビールも飲んでましたし、普通の食事もできてましたんで。ただ、ずっと私、ほとんど毎日ぐらい体重を計って見てましたら、普段あんまり変わらないんですけどね、2キロぐらい減りましたかね。2ヶ月…1ヶ月に1キロぐらい減ってましたかね。だから、それもよう考えると自覚症状っていうかなんか、症状なのかなとは思いましたけど。まあ、だけど走れないわけじゃないし食べられないわけじゃないし。食べるのは嗜好が変わったわけじゃないし、まったく、その、がんだとは思ってなかったですね。

―― なんか、そのマラソンの記録がちょっと落ちたりとか、体重が少し減ったりとかっていったときに、どなたか、例えばご家族の方とかに、ちょっとこういうことがあっておかしいなと思うんだけど、みたいなことはご相談にはならなかったですか。

うん、まったくしてないですね。ただ、血が出たときだけ、女房に、「痔の傾向は今までないのに血が出たよ。痔じゃないかな、どっかおかしいのかな」ということは言ったことがあるんですが。まあ、その前に人間ドックは予約してあったんで、そのときに分かるわな、という程度で。血が出てから2週間か3週間ぐらいで人間ドックに入りましたからね。

大腸がん検診の語り

下痢が40日続いたことがあり、かかりつけ医を受診したが何も検査は行われなかった。その後、黒い血の塊のような便が出たので受診をしたところ、初めて検査をしてもらった

それまでは、あのー、普通の、あのー、開業医にかかっておりまして、1年半という日にちが過ぎましたんですけれども、えー、あのー、…便通が、あまりにも、あったりなかったりということもあったんですけども。先生のところへ通ってからは、下痢が40日続いたことがあるんですね、1年半通っている間に。それでも、あのー、検便も何もしていただけなかったということと、下痢が止まらない、下痢止めをもらっても止まらないっていうことで、えー、少々、自分でも不安になりまして。で、まあ、それから、ちょっと考えまして、えー、体がずいぶん、衰弱していっているのを自分で分かりました。
で、まあ、それから、ちょっと考えまして、えー、体がずいぶん、衰弱していっているのを自分で分かりました。えー、夫と舅、姑がいるうちで、えー、普通のうちと違って、えー、いろんな人も出入りをするお仕事をしておりましたから、えー、このまま、自分の体が疲弊していくのは、あー、とてもたまらないと思いまして。えー、…A市(居住している市)内にある、うー、病院、検査だけをされるっていう病院を知りまして、そこへ参りました。
で、まあ、いろいろお話を聞いていただいて、えー、1カ月の間、あ、いろんなことを調べてくださったんですけども、検査というのはなさいませんで、それで「大丈夫だ、大丈夫だ」っておっしゃっているんですけども、私自体の体は、全然大丈夫じゃなくって、どんどん疲弊していくのが自分で分かりました。
と、ある夜、えー、もう便が出るような、状態でないのに、急にもよおしたので、えー、トイレットへ行きましたら、あー、まっ黒の血の塊がおりまして、えー、そうですね、親指ぐらいのが二つおりましたですね。それで、…もしやと思って、それを、紙にとって、えー、そして、ビニールに納めて(冷蔵庫に入れて)、翌日、朝、早くにお医者さまに持って行って調べてもらおうという気持ちになりましてね。結局、そのことが、わたしの命を救った元になったんだと今は思います。えー、先生もそれを見て、えー、「昨日から食べていないんだったら、すぐに検査をしてあげる」と言われまして。で、初めて、1カ月以上経っていたのに、初めて、腸の、大腸の検査を、していただいた。