投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

ハーセプチンの副作用は、テスには見られなかった。テスはその治療の手順をとてもわかりやすい と感じ、手順を説明してくれた。

ただ、化学療法用の病室で、2時間ほど点滴を受けるだけでした。他の化学治療とは違い、なにか変な気分になったり、数日間寝込んだりしなくてはならないということはありませんでした。ただひとつ複雑なこととして心臓の検査をしなくてはならず、私はその点滴中に2回心臓の検査をしました。

全ての副作用の出現を確認するためですか。

はいそうです。治療が順調であることを確認するために検査を受けます。しかし、私には、ハーセプチンの副作用はみられませんでした。これが普通なのではないでしょうか。

化学療法の病室に2時間いたのですか?

はい。

看護師もいっしょにいましたか。それとも?

はい。友達を連れて行っても良いし、本を読んだり、何かしたりすることも出来ます。
小さな赤ちゃんが治療中に側にいてくれるのも良いかなと思って、実際、赤ちゃんを2回連れて行ったこともあります。その時は、とても穏やかな時であったと記憶しています。いづれにせよ小さな赤ちゃんがいるときはじっと座ってリラックスしていなければならないので、その時の治療はそれほど悪くなかったです。

英国人の乳がんの語り

テスは、タモキシフェンを5年間服用し、化学療法後1年間、ハーセプチンを使用しなければならなかった。 彼女は、自分のためになるのであればどのような治療でも喜んで受けた。

新しい薬であるハーセプチンを使用するためには精密検査を受けなくてはなりませんでした。最初のテストではHER2という遺伝子を持っているようではなかったのでFISH (Flourescence in situ hybridisation) というテストをしてみたところHER2陽性であることがわかりました。化学療法を受けたばかりで、もう一年治療を受けなくてはならないことになりましたが、治癒に役立つのならばどのような事でも悪い気分にはなりませんでした。最初に受けたテストの結果もホルモンセンシティブだったのでタモキシフェンを服用しています。ホルモン陽性だったということは、ハーセプチンの効果があるので、治療にポジティブなことだと思いました。

英国人の乳がんの語り

テスは、午前中に、両方の卵巣摘出の手術を受け、その日のうちに退院している。手術はとても簡単であった。仕事を2週間休み、その後の経過も良好であった。

卵巣を摘出するのは腹腔鏡手術で、内視鏡で行われました。午前中に手術を受け、午後にはベッドで休んでいました。午後3時には退院しても良いと言われました。気分はとても良かったのですが、子供達を寝かしつける気力は無かったので、子供達が寝静まる19.30頃に旦那に迎えに来てもらいました。その日は美しく天気の良い夕方で、今まで受けてきた治療のハイライトという感じでした。手術は本当に簡単で、副作用も全くありませんでした。

普通の生活に戻るまでどのくらいの期間を要しましたか?

2週間仕事を休み、それで十分でした。

どちらかというと麻酔から回復するのに時間がかかりました。麻酔の後2,3日は一種のとても気分がよくなるような感覚になり、その後、急に落ち込みます。全ての気力が吸い取られるような感じで、それは麻酔による影響だと思います。手術自体は簡単で、傷跡もほんとうに小さなものです。おへその上とその下に、1,5cmほどの傷があります。卵巣を摘出したけれど、手術自体はとても簡単で、気分が悪くなるようなものではありませんでした。

英国人の乳がんの語り

ペニーさんは、病院で卵巣を摘出した時のことを詳しく語ってくれました。少し痛みと不快感がありましたが、翌日には退院しました。

卵巣を摘出するため、朝ドクターの元を訪ねました。その時は主人も一緒に中に入り、隣に座っていました。そしたら、手術は午後に行うと言われ、まどろっこしいなと思いました。彼らは、私のおへその下に一つ、それから、右か左かの寛骨のそばにも切り口をもう一つ作ると説明しました。そして、その鍵穴ほどの穴からカメラを入れ、卵巣を摘出するというのです。その後ドレインを入れるかどうかは、手術の結果と外科医の判断次第とのことでした。「たぶん痛みを感じることもあると思います。ですが、それはずっと続くわけではありませんから。おそらく、その日か次の日にはドレインは外せますからね。」

結局手術は午後遅くまで行われなかったので、手術が終わったのは夕方の6時か7時頃でした。私はかなり早くに意識を取り戻したように記憶しています。乳房切除の時の比ではありませんでした。意識も早くにははっきりしていました。私が覚えているのは、術後回復室で目を覚ました時のことです。先生方は私の意識を戻しながら、「ご気分はいかがですか?」と仰いました。その時痛みがあったので、看護婦さんが一度病室を出て、痛み止めを下さいました。

私が病室に戻ると、両親と主人が来てくれました。とりあえず覚えているのは、ベットに横になっていたことです。ですが、身体を動かすたびにかなりの痛みを感じていました。その痛みはかなり強く、腹痛と生理痛を併せたようなひどさでした。私はただ「ああ、いやだわ、いつまで痛いのかしら?」と問い続けていました。看護婦さんが来て、「大丈夫ですか?」と尋ねてくださったので、「とにかく痛いのです。」と訴えました。しかし、既に私はある程度の量の鎮痛剤を手術室で打たれていたので、唯一できることは、えーっと、あの名前(Suppository座薬)、きちんと言えたことがないわ。Depositaryではなくって、、、なんだったかしら。とにかくおしりから挿し入れる薬しかなかったのです。私は我慢して「いいえ、結構です。なんとか痛いのは我慢します。ありがとうございます。」と言って、笑いました。みんなも笑ってしまったようでした。

それからのことはすべて覚えています。その後の訪問者たちも、動こうとした時のことも覚えています。私にはドレインが入っていました。「やれやれ」と思いましたが、理由があってドレインが淹れられているのです。それから、看護婦さんがやって来て、「起きて動けるようなら、頑張って歩いてください。そうしたら明日、お家へ帰れますよ。」と仰ったのです。この言葉で私はやる気が出ました。「わかりました。まず、何をすればいいですか?」

手術の後で、脚が利きませんでした。ベッドの横に脚を置き、起きて、そして歩く、ということは私にとってかなり負担のかかることになっていましたが、とにかく、歩き回って、ベッドに戻りました。それから、夜のことです。トイレに行きたくなり、そこまで歩かなければなりませんでした。私はナースコールをし、トイレに行きたい旨を伝えました。すると、「ご希望であれば簡易トイレをご用意しますよ。」と仰いました。「いいえ、大丈夫です。歩きますから。」というのも、その時の私は、歩けば歩くほど、(早く退院できる)と考えていたからでした。ええ、それから私はよろよろとですが、歩いていきました。そして、苦労して進み、自力で戻りました。

次の日の朝、先生方が来てくれました。私が一晩中起きて歩き回っていたのはよかったようで、回診の際そのことを聞いた先生方はとても喜んでくれました。私のドレインは異常なく、もうほとんどドレインの排液はないようだというわけで、午後には家に帰れることになったのです。

その後、主人に電話して、服も持って来るように連絡して頂きました。私はお腹がひどく腫れていて、とても痛かったし、手術前はうかつにもジーンズで病院にいっていたのです。でも、退院の時はゆったりとした服でなければいけなかったのです。このゆったりとした服はとてもよかったですね。この服は、偶然母が持ってきていた彼女の服だったのですが、その時の私には丁度よく、とても助かりました。その後、病室を出る前に、先生方はドレインをとってくれました。

英国人の乳がんの語り

2度目の乳房切除手術と両方の卵巣を摘出したことは、テスは、彼女自身の未来のためにしたことと感じている。

2回目の乳房切除術と両方の卵巣を摘出したことは、1回目の癌を持った乳房切除術とは違い、予防措置でした。自分自身で決めたことで、すでに癌に侵されている部位を取り除くというわけではなく、自分自身の未来のために行う手術であり、恐くはありませんでした。

それらの手術にそれほどおそれを持たなかったのは、実際にあるがん細胞ではなく、癌になるかもしれないという可能性に対処しているようなものであったからだと思います。

英国人の乳がんの語り

ペニーさんは、乳がん再発の可能性を少しでも低減するために、卵巣摘出という選択をしました。彼女とご主人は、既に子供を持たないことを決断していたそうです。

医者が決めた治療法は、放射線療法と5年間のタモキシフェンの服用でした。その時点で、医者が説明できたことはそれだけでした。ああ、でも、腫瘍専門医は、その治療がどのように作用していくのか、より詳しく説明してくださいました。そして、私のエストロゲン受容体が陽性なので、予防策として卵巣の摘出も行いたいと仰いました。「ええ、効果のあることなら、どのようなことでもなさってください」と、私はすぐにお答えしました。今になって思うのは、私はその時、恵まれた状況にいた、ということです。というのは、私達には子供はおりませんでしたが、夫婦で既に子供は持たないことに決めておりましたので。ですから、卵巣を失うことは、幸い私達にとってそれほど大きな問題ではありませんでした。他の多くの人達にとっては、きっと重大な問題だったでしょうから。

「それで、手術はいつになるのでしょうか?」と尋ねたところ、「来週の月曜日にもう一度来て頂く時にしましょうか。」と仰ったので、「わかりました。」とお答えしました。「あら?その週の金曜日は確か9月の最終日でしたよね?実は、テネリフェへ2週間ほど休暇に出かける予定なのですが、行っても構いませんでしょうか?」先生は、「全く問題ありませんよ。行けない理由なんてなにもありませんからね。」と仰いました。「でも、卵巣を取ったら、縫合傷ができますよね?戻って来なければならないでしょうか?」「いいえ、手術のため病院に来られた時に、コンサルタントや医者に縫合手術をしないよう再確認してくださいね。鍵穴ほどの小さな穴を通して手術をしますから。安心して休暇をとられて下さい。」「わかりました。」

英国人の乳がんの語り

ジャネットはタモキシフェンを5年間服用後、フェマーラを処方された。関節痛があったが、それがフェマーラによるものかどうかは確かではなかった。

レトロゾールを服用していると言っていましたが…?

レトロゾールですか。はい。そうですね、私は腫瘍専門医のところで年に一回の検診を受けています。定期的な検診が終わった後、腫瘍医は「年に一回、診ることにしましょう」と言いました。こうして、最初は腫瘍医と外科医に交互に診てもらっていました。ここ数年は、腫瘍医が私を診てくれています。

5年たってタモキシフェンの服用期間が終わりになると先生はこう言いました。「やっとタモキシフェンをやめることができます。」しかし、こうも言いました。「他に服用できる薬もあります。」先生はそれについて大きな期待を持っているようには見えませんでした。「もしあなたが望めば、ありますよ。でも、そうでなければ、タモキシフェンを続けてもいい。心配しないで、飲んでそのままにしておくだけだから。」私はやってみようと思いました。

先生はこうも言いました。「うずきや痛みを感じるかもしれません。たくさんの人が関節に痛みやうずきを感じています。」しかし、私にはすでにうずきや痛みがありました。それが他の薬のせいかどうか分かりません。いずれにしても、私はこの薬の服用を始めました。ええ、今のところ大丈夫です。それが良いのか悪いのかわかりませんが、やってみる価値はあります。

「レトロゾールが原因だわ。もう服用したくない。」と思わせるようなひどいうずきや痛みはないのですね?

こりの症状はたくさんあります。でも、それが年齢のせいなのか、レトロゾールのせいなのか、他に原因があるのか、他の病気で飲んでいるスタチン(抗脂質異常薬)のせいかもわかりません。痛みはうれしくないけれど、このために自分がやりたいことをやめたくありません。何かをやりたかったら、精いっぱいやりたいのです。

それで、どのくらい服用を続けているのですか?

だいたい1年以上レトロゾールを飲んでいると思います。もう1年だけ飲んでやめます。その後には何があるのか、私にはわかりません。

英国人の乳がんの語り

ベリテは、副作用の治療に役立てようと、フランスやドイツで様々な治療を受けた

イギリスで、民間の医療機関で治療を受けたとおっしゃいました。

はい。

そして、フランスで治療を受けた。それと、以前、治療を受けたとおっしゃったのは…。

ドイツです。

ドイツですね。どんな治療をどこで受けたのか、ひととおりお話しして頂けますか。そして、どのような違いがありますか。

はい。ロンドンで診ていただいた腫瘍医からは、タモキシフェンのせいで視力障害が起こったとは考えられないと言われ、病院牧師からは、いや、タモキシフェンのせいだと言われました。それで、私は牧師様とお話をして、あるフランス人眼科医○○先生の存在を知りました。先生はスローンスクエアで開業されていて、そこは私の家からそう遠くありません。そこで、私は彼に電話をし、病状を説明しました。彼は、「わかりました。その病状のことは詳しく分かりますよ」と言ってくれました。

それで、私はその先生に診察してもらいました。彼は、今まで見たこともないようなすばらしい機械で、私の目を1時間半ほど検査してくれました。まるでスターウォーズのようでした。検査後、彼が椅子にもたれて、「よかったです。これはタモキシフェン中毒ではありません」とおっしゃったことを思い出します。どうやら、百万人に1人はタモキシフェンで失明するらしいのです。でも、ありがたいことに、私のはそうじゃなかった。彼は、「これはそのうち治るでしょう。これはタモキシフェン服用の結果です。2か月以内に治りますよ」と言いました。その後、私の症状は消えました。両目がまだ少し涙が出やすいので、彼は、症状を和らげるすばらしい点眼薬を処方してくれました。それがタモキシフェンの話です。

それから、次は皮膚障害のことです。その分野ではイギリス一と聞いていた皮膚科医から「お年のせいですね」と言われたとき、私は、それは違うと分かっていました。私はこう考えました。「いいえ、今こそ賢明になって、フランスへ行かなくては。向こうではもっとよい治療をしてくれるはずだもの」と。それで、あれこれと周囲に尋ね始めました。その結果、臨床試験中のすばらしいスキンケア製品があると聞きました。その製品はフランスの病院で開発中でした。だから、フランスは私が行くべき理想の地のように思いました。そこでは、300年間も皮膚病患者を治療しているのです。

それで、そこに行かれたのですね。

はい。

どれくらい、そこに滞在しましたか。

3日間くらいいました。もっと長く滞在しなければならないものと思い込んでいましたが、実際は、午後1時30分に最初の先生の診察を受け、5時30分には全てが片づきました。全ての検査が行われたのです。

私は、がんを治すのに運動がとても役立つと知りました。それから、○○と呼ばれるすばらしい女性に出会いました。彼女の家族はドイツ中にクリニックを所有しています。そして、△△先生はバート・ズルツァという場所にクリニックを持っていました。彼女はこう言いました。「私たち、そこに500床のリハビリテーション・クリニックを所有しているのよ。ぜひ私たちのところにいらっしゃい」と。私はそうしました。

英国人の乳がんの語り

ベリテは、タモキシフェン、アリミデックス、そして、アロマシンを処方された。彼女はこれらの3つの薬剤すべてで副作用を起こした。

私は2年間、タモキシフェンを飲みました。それから、最新治療はもうタモキシフェンからアリミデックスに切り替えることだと聞かされ、そのようにしました。

それから、私の腫瘍医の○○教授はとても有名な方です。彼がアメリカのサンアントニオ会議から戻ってきたのですが、それは大きな学会で、彼は「さて、今度は君にアロマシンを投与していこう」と言いました。それで、私はアロマシンを飲み始めました。でも、3つの薬全部で副作用が出ました。まさかと思ったのは手根管症候群になったことで、これは反復運動損傷(RSI)と考えられています。私は仕事をするのを止めました。コンピューターが使えなかったのです。その後、手根管症候群は私が服用していた薬のうちの一つによる副作用であると分かりました。注射をしてもらい、症状はなくなりました。

それから、心臓に問題があったため、有名な専門医の○○先生の診察を受けました。彼は「あなたには7時間の心臓手術が必要です」と言いました。それで私は、「抗がん剤のせいでしょうか」と尋ねました。「いや、違いますよ」と言われましたが、約6か月後、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学から、そしてダナ・ファーバー癌研究所からも、情報を入手しました。世界の二大研究機関です。両者とも、これらの抗がん剤を服用している患者の25パーセントが心臓疾患を併発する、と述べていました。私は今、薬の副作用で骨粗鬆症になりました。そして目下、骨粗鬆症の治療薬による副作用に苦しんでいます。

でも、いいんです。もしも副作用があると聞かされていたなら、完全にそれを受け入れていたことでしょう。それは私の選択でしたから。けれど、腫瘍医の誰ひとりとして、「そうですね、これらは副作用と考えられますね」とは言ってくれなかったのです。医師たちは、副作用を無視しようとしていただけでした。

どの薬でどんな副作用が出たのか、おわかりですか…?

視力障害はタモキシフェンによるもの、と理解しています。そして、皮膚病変もタモキシフェンによるものと承知しています。でも今は、皮膚病変の前兆が分かるようになりました。前兆としては、皮膚が信じられないほどカサカサになり、ノミがいるかのように痒くなります。それから、さらなる皮膚病変が起こっていくのです。この病変はアリミデックスとアロマシンの両方で起こりました。ですが、ラ・ロッシュ・ポゼの薬のおかげで、その薬を1日に2、3回塗るだけで、皮膚はいくらか落ちつきます。

タモキシフェンを2年間、飲んでいるとおっしゃいましたね。

はい。今では、アロマシンが手根管症候群を引き起こしたと思っています。そしてそれ……いえ、間違えました……アリミデックスが手根管症候群を引き起こしたと思っています。心臓疾患を招いたのは、アロマシンだったかもしれないし、アリミデックスだったかもしれません。ジョンズ・ホプキンス大学から得た研究情報を思いだそうとしているのですが、そこには心臓疾患をもたらすすべての抗がん剤のリストが載っていたと思います。それで、二つのうちのどちらかではなかったかと。

アロマシンに移行する前に、どのくらいの期間アリミデックスを服用しましたか。

アリミデックスは2年間、飲んだと思います。それから、アロマシンが1年間です。医師たちは、約5年間、患者にホルモン療法を続けます。5年後には全てのがん細胞をやっつけられるはずだと、考えているのです。でも、特定のがんの場合、タモキシフェンをずっと……場合によって永遠に……飲み続ける患者もいるのです。がんのタイプにもよりますけれどね。

あなたは今、アロマシンを飲んでいますか。

いいえ、もうアロマシンは飲んでいません。腫瘍医によると、私の乳がんのタイプでは、これ以上アロマシンを飲む必要がないそうです。ありがたいことに。

英国人の乳がんの語り

ペニーは、自分の症状が更年期によるものか、タモキシフェンやアリミデックスの副作用によるものか彼女自身分かりませんでした。次の診察の時に、アリミデックスの服用を止められるかどうかが分かるというのです。

タモキシフェンの服用に関して、私はおそらくかなりの身体の倦怠感を感じていました。おそらく、と申し上げたのは、私自身、更年期の症状が出始める年齢だったこともあり、それが更年期による身体のほてりなのか、タモキシフェンによるものなのか、よく分からなかったのです。もしくは、更年期症状と副作用のダブルパンチだったのかもしれません。しかし、実際にほてりはありましたし、その症状はまだ続いています。もちろん、卵巣の摘出を行うことで更に身体のほてりなどの更年期症状がでるだろうとの説明は受けていました。本当にすぐ、その症状は出てきました。それから他には、骨の痛みや、腕や脚の痛みもその時感じていた症状です。こういった症状のことが少し心配だったので、いくつか検査を受けてみましたが、特に異常は見当たりませんでした。

アリミデックスについてですが、私個人の意見としては、こちらの薬の方がよかったと思います。ええ、身体のほてりはあるのですが、これは更年期の症状のようです。更年期症状にみられる膣の乾燥がありますが、これもまた、アリミデックスによる副作用なのか、更年期によるものなのか、はっきりとは言えません。しかし、全体的に言えば、私には目立った副作用は見られませんでしたので、恵まれているほうなのだと思います。私の友人には、ひどい頭痛に悩まされたり、ほんとうにひどい症状の方がいらっしゃいます。私に関しては、そのようなひどい症状なんかは思い当たりませんから。私の場合は、身体のほてりや体型、体重の増加ぐらいですから。
乳癌だと診断された当時、私はとても痩せていて、10サイズを着用していましたが、今では、トップスが14サイズ、ボトムスは12サイズを着るようになりました。お腹とお尻を動かすのが、とても困難です。これもまた、副作用と言えるかもしれません。ですが、私自身は副作用と更年期によるものだと思っています。だから、アリミデックスの服用を止めたら、どのように感じるのか、とても興味深く思っているのです。

それで、来週分かるのですね?

ええ、来週です。

アリミデックスの服用を止めることについて、どのように感じていらっしゃいますか?

とても興味深いと思いませんか? 約二年前、私が服用を止めようとしていた時、そのことが正しい判断なのか、自信がありませんでした。アリミデックスは、私の命綱のようなものだと思っていたので。しかし、私は、今まで考え抜き、そして自分自身との葛藤を乗り越えて、現実と向き合ってきました。10年間という月日は、自分自身にとって、とても大切な軌跡です。そして、もし何か間違っていたのなら、これまでにうまくいかなくなっていたことでしょう。私達は、アリミデックスが良い効果をもたらすのか、そうでないのか、そのことはまだ分からないと思います。もしかしたら、私の症状が悪化するかもしれませんが、今の段階では何とも申し上げられないのです。
今は、服用を止めることが良いニュースであったらいいなと、運命に身をゆだねたような気持ちです。それから、少しでも体重が落ちたらいいなと思っています。どうなるか分かりませんけどね。身体のほてりも緩和されるかもしれませんね。もしかしたら、私自身、何の変化も感じられないかもしれません。ですが、今、私はとても前向きな気持ちでいるんです。私は自分自身で乗り越えてきましたから。ええ、10年間もです。だから、これは私の人生の軌跡のようなものかもしれませんね。