投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

(インド出身の女性)自分の感情のスイッチを切って、信仰に頼った

何も感じませんでした。本当に何も感じませんでした。ただ全てを神の手に委ねました。苦しみを与え、それを取り除くことができるのは唯一神だけなのです。ですから、今現在もこのことをモットーに生き続けています。どのような状況でも神の定めた運命は変えられない、というのが私の信条なのです。心配したって仕方がない。ただ神を信じること。それで十分なのです。

英国人の乳がんの語り

診断される前の自分には絶対に戻れないということがはっきりするにつれて、次第にうつ状態になっていった

がんとわかった時、最初は大丈夫だった、と思う。他の人たちに対して、とても、本当に、ポジティブでいられた。他の人たちは、私が死ぬって思っていたから。わかるでしょう?そしてがんになったことを、夫は彼のお母さんを肝臓がんで亡くしたのだけど、私はこのように言っていた。「私は本当にラッキーだわ」「私は大丈夫よ」「とても早いうちに見つけたの」なんて、いろいろ言っていたの。そうしてそれからよ、2ヶ月ほど前だったかしら、私は大丈夫じゃないことに気づいたの。そう、私は今、抗うつ薬を飲んでいるの。本当に、どうしようもなく、うつ状態に陥ってしまったの。まったく元気がなくなって、イライラして、眠れなかった。
それから私は夫と話すことをやめてしまった。何をするのもすべてがとても骨の折れることになってしまったの。私は、どんな病気も寄せ付けたことがない人間で、病気なんてまったくかかったこともなかったのに。それが、自分の死と真正面から向き合うことになるなんて、おそろしいことよ。生きることに対する感じ方も変ってしまったわ、片時もガンを忘れることができないんだもの。毎朝、私はこの薬を飲まなくちゃいけないの。すべてがなくなって、まるで何事もなかったように振舞えればいいのだけど、でも、実際には起こっているのよね。だから、本当に自分ができる精一杯のやりかたで向き合って行かなくちゃいけないの。

英国人の乳がんの語り

疎外感と未来がもたらすものに対する恐怖について語っている

問題は、がんを抱えることで、とても孤独になるってこと。一日の終わりの時にどうしてもそのことを考えてしまう。
それはまた自分がいつか確実に死ぬという現実と向きあわされるってこと。
初めて自分がガンだって聞かされたとき遅かれ早かれ自分は死ぬんだって思う。
自分をそんな風に思ったのは自分でも驚きだけど
もしも治る見込みがあるのならずっと気が楽になるんだけど、死に対する恐怖はそれを覆す問題なのよ。それとこの先どうなるかわからない恐怖、これからしなければならないことへの恐れ、どんなに苦しまなければならないか体調を崩すか、などの恐れね。そんな考えを頭から取り去れれば かなり楽な気持ちで向き合えるかもしれないけど。

英国人の乳がんの語り

病気についてどのように話したらいいのかわからなくて、自分を避ける人たちがいた

そうね、私ががんだってことに対して、まわりの人たちの反応は、「マー、嫌ねー」だったのよ。みんなは、そう世間一般のほとんどの人たちは、その言葉、つまりがんという言葉を話に出すのが嫌なのよ。まあ、私の担当医もそうだったのよ。それに、私を避ける人たちがいることを時々感じるようになったわ、その人たちは私に何と話しかければいいのか分からなかったんじゃないかしら。私を避ける人たちがいるってこと考えるのは、本当に耐え難かった。
私のことを避けることなく接してくれた人たちもいたんだけど、そうでない人たちもいたの。でも、だからといって私を援助するのは嫌だというわけではなかった、何て話しかければいいのか分からなかっただけなの。ただ私に話しかけるのを避けただけなの。だから私を避けたの、難しい問題だったわ。このことは若い人であれば、さらに難しいと思うわ。世間の人たちのがんに対する態度のせいで、もっと心が傷つくわよ。

英国人の乳がんの語り

自分が受けた診断についてあまり人に話さなかった

私はほんとに淡々としていたと思います。そのときは衝撃らしいものもなかった。それが悪性腫瘍で治療が必要だと告げられたときも、泣きもしなかったと思います。
それから家に帰らなければならなくなって、落ち込みはじめました。心配になってきたのかもしれません。夫に話さなければならなかったのですけど、非常に詳しくは話しませんでした。手術のずっとあとになって夫が癌だったのかと尋ねたくらいですから。
夫を心配させまいとしたのだと思います。あまり多くの人には話さないのが私の流儀でした。だから私が乳癌だったと知ってみんなは驚いたんです。
いつもそうでしたね、自分が病気だとかなんて、他人に知られたくなかったんです。知られたら、皆変わってしまうでしょうから。皆に話さないおかげで、過敏になったり、親切を受けたりすることもないのですけど、でも「乳癌になって可哀そうね」なんて言われるよりは、「元気そうで嬉しいわ」って言われるほうがいいんです。

英国人の乳がんの語り

子どもたちの成長を見届けられないことに対する感情と不安を抑え込んでいた

毎日ずっと、ただぼうっとしていました。あの頃は、ふさぎ込んで誰にも自分の気持ちを話しませんでした。私は頑張っていましたし、周囲の人たちも私が何とかその状況を乗り切ろうとしていると思っていました。でも、それはうわべだけのことで、心の中では苦しんでいたんです。夜、床についても、子供が成長した姿は見られないのだろうなと思いながら眠れませんでした。娘は1981年に生まれて、私にしこりが見つかった時は離乳をしていた1才くらいのころでしたから。そして、その頃、息子は2年と6ヶ月で、手術を受けたのは3歳になる頃でした。
すべてを封じ込めてしまったって言いましたけど、自分の感情までも押さえ込んでいたのです。誰にも助けをもとめませんでしたし、どんなに自分が混乱しているかも話しませんでした。主人にさえ話しませんでした。夜は眠れないまま横になっていました。
母親を思い出せないくらいの幼い年で、子供達が母親を失うのだという思いにおびえていました。私は子供のときに片親をなくす経験をしたので、自分の子供たちには同じ思いをさせたくなかったのです。

英国人の乳がんの語り

不信感、喪失感、徐々に診断を受け入れていったことについて語っている

私はそろそろ74歳になろうとしています。何ごとも終わってみれば賢くなるものです。2週間前だったら(診断を受けた当初)、どう感じたかを説明してほしいと言われても、答えられなかったでしょうね。もっとよく分かっているべきだったと、自分に怒りを感じています。2週間前を思い返してみると、家族と死別したあとのような感じに似てますね。いつも通りの日々を送りながら、それでいて全てが違ってみえるように。
ほんとうに、自分自身に腹をたてていました。それから次の段階では“こんなこと信じられない”と思うようになりました。毎日のふだんの行為に没頭すれば、きっとどうにかしてガンは消えてしまうと思ったんです。
さらに馬鹿げたことですけど、自分で手を(乳房に触れて)消えたかもねと考えてもいました。実際は無くなっていないとわかっているのですけれどそうしてしまうのですね。今は、何が起こっているかを正しく認識する段階に入って、落ち着きました。これがようやく最初の段階だと分かっています。非常に沢山の人たちがこの病気にかかっているけれども、自分ではどうしようもないことなのだってよく分かっています。でも、私の病気のためにやれることは何でもやると確信しており、そう思うことで、ほんとに気持ちが落ち着くのです。

英国人の乳がんの語り

がんと診断されたときの考えや思いについて語っている

(乳がんと診断されることを)まったく予期していなかった事だったので、すごくショックでした。私はただ死んだように固まって、どうしたら良いか分からずにいました。私はひとりぼっちで、医師達は私を小さな部屋に一人残してオフィスに行ってしまいました。そのとき初めて泣き崩れてしまいました。現実が私を襲った瞬間だったのです。
それからは、色々な思いが頭をめぐりました、発症してどのくらい経っているのだろう、それが最初の疑問でした。もう末期なのだろうか。どのくらいの希望が残されているのだろう。そういう事ばかり考えていました。
皆たぶん、そういう風に考えると思います、私にとってはそれがすごくショックな事だったのです、まだ若いし、ずっと健康だったのですから。家族の中で喫煙している人は私だけではありません。お酒を週末には楽しむけど浴びるように飲んだ事はありません。食生活だって大方健康的に食べていたし、体型も維持していました。それなのになぜ私が、なぜ私ががんにならなければいけないの?私が何をしたって言うの?
“過去に何かちょっと悪いことをしたに違いない、きっとそうよ“と考えました。本当に誰かを責めることができればと思いましたが、誰を責める事もできませんでした。だって、だれもそんなことをしていないんですから。

英国人の乳がんの語り

自分ががんだと聞いても、信じられなかった

医師達が私にガンがあると言った時、私は本当に子供のように泣いてしまいました。そして思ったのです、「なぜ私なの?私は関節炎を患っているし、血圧のことだってあるのに。どうして乳がんまで背負わなければならないの?なぜ・・・?」と、泣いてしまった。
医師達は私に言いました。「泣かないで、必ずあなたの命を救いますよ」と、そう言ったのは○○先生、私が診てもらっている専門医でした。「必ず助けてあげますから」と言って、「乳房を全部とってしまいましょう」って言うんです。「なんですって?!」驚いてまた、その日1日中私は泣き通しました。私が医師に話したのは、私自身、あなた方の事をまだ信用しきれていません。だから、医師として、患者の疑いを消すためにもっと何かするべきです、私が納得できるまで継続してほしいと言ったのです。
医師達は「他の検査をしてみましょう」と言い、それから3日間、私は注射を2度、3度と繰り返し打たれました。
そして、それから医師達は私に言ったのです、「○○さん、あなたは自分がガンであるという事実を受け入れなければいけません」、そう言うのです。他に何ができるでしょう。だから、私にはもうガンを受け入れるしかありませんでした。

英国人の乳がんの語り

診断の結果を聞いてそれを無視してしまった

全く妙な感じでした。窓際の隅っこに座っているような気分で、幽体離脱したような感じでした。我に返って、というか、現実に戻って、自分を元の椅子に戻そうとするのですが、その度に窓際に戻ってしまうんです。みんなは、私が自分をよくコントロールしており、ちゃんと受けとめていると思ったでしょうね。その時、私は完全にスイッチを切っていました、ですから、友人がこの時も一緒にいてくれたのは幸いでした。お医者さんに診てもらっていると悪いニュースには耳を塞いでしまうものだって、よく聞かされていました。私も同じだったことに、実際は気づかなかったんですが、先生からの一言を伺って私の頭はほんとに真っ白になってしまいました。