投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

かつらのことは先輩の患者さんに教えてもらった。髪の毛が抜けると、こんなにも頭から皮脂が出るものだとびっくりした。毎日洗っていても皮脂で臭かった(音声のみ)

その方は、治療はどのくらい私より早かったのか分かりませんけれど、ま、全部、抗がん剤で髪の毛が抜けていたので、かつらを常に、あのー、用意していましたので、「こういうものがあるよ」と親切丁寧に教えていただきました。手術したらすぐに買わなくてはいけないなと。髪の毛の、と申しますか、髪の毛の抜けた時点ですぐに美容院へ行きまして、あの、注文してまいりました。
かつらはとても、もちろんみんなそうでしょうけど、暑いことと、私は非常に何かチクチクして耐えられなかったという記憶があります。それと、あのー、大変恐縮な話ですけれども、髪の毛が抜けて、言葉が悪いんですけれど、まあ、はげた頭になったわけで、こんなにもこの頭からは脂が出るんだなということを本当にびっくりいたしました。だから、あの、まあ、その皮脂が、毎日洗ってるつもりでもやっぱり臭い。それと、たまに帽子をかぶるんですけれども、その帽子のこのつばのところに、あのー、脂がついたときには、本当に、どうしようじゃなくて、すごい、皮脂ってすごいんだなあと改めてびっくりいたしました。男の人は大変なんだなと思いました。

乳がんの語り

苦しかった3日間は水だけが美味しく感じ、何も食べたくなかった。治療中は人間ではない動物のような嗅覚になり、自分の体のにおいでさえ臭く感じた(音声のみ)

抗がん剤は、本当に強い抗がん剤を4回したんですけれども、これはもう確実に個人差はあるものの、あのー、大変だということで、それが4回あったんですけれども、特に最初の1本目は、あのー、どういう状態になるか分からないということで、入院をいたしまして、最初の1回は抗がん剤をしました。抗がん剤は、そうですね、あのー、ほんとに3日間頑張れば楽になるというふうに、先生はおっしゃってたような気がします。で、私もテレビで見て、子どもが白血病か何かで闘って、ああ苦しいとか、吐き気があるというふうな、ドラマでしか見たことなくて、自分が本当に、あのー、こんな病気にかかるとは思わなかったので、抗がん剤をしてみて、まあ、確かに苦しいのは3日間でしたけれど、特に一番、今でもそうですけれども、あの、大変だったのは、におい、嗅覚が、あの、「人間ではない嗅覚」という、自分で、表現しているんですけれども、まるで何かそのー、動物的な嗅覚になりまして、もう、一番はその、においが駄目で、もう病院のにおい、食事のにおい、お茶のにおい、一切(笑)、この世からにおいがなくなればいいのにと思うぐらいにおいは敵でした。だから、その3日間は、一番おいしかったのはお水。お水は何もにおいがない。お茶はお茶の香りがする。そんなわけで、お水でした。食べ物は一切3日間というものは食べたくない状態でした。
それから、そのとき以来、嗅覚が本当に鋭くなって、自分の体、まずは、食べ物のにおいもそうですけど、自分の体のにおいが、お薬なのか何なのかは分からないんですけども、とにかく、もう、臭かったのを覚えてます。なので、自分の寝ているお布団とか、病院であれば自分のベッドの周り、何メートルぐらいでしょうか、廊下歩いてきても、「このにおいは何?」と思うと、自分のベッドだったということを記憶しております。臭かったです(笑)。

乳がんの語り

セカンド・オピニオンの医師の診断を信頼して、それからも診てもらっている。同じ意見だったら考えたと思う。勇気の要ることだがセカンド・オピニオンを聞いた方がよい(音声のみ)

私の場合は、もうほんとに、次に行った先生を、あの、ほんとに信頼して行っているので、それで納得しているから、安心ですけれども、あの、全然分からなくって、2番目のお医者さんも同じ意見であれば、うーん、どうしたかなと。やっぱり考えると思います。ただ、まあ、ほんとに周りの人がいろいろ教えてくださって、いや、うちもこうだよ、ああだよという話の中では、病院は疑問を持ったら変えるべきだよねという(笑)、最近はそんな話もできるようになりました。でも、本当に、勇気の要ることだと思います。

乳がんの語り

遠方ゆえに具合が悪くても受診日まで我慢してしまうことがある。別の病院に行くのはよほどでないと思い切れない。病院はよく調べて選ぶことが必要だと思う(音声のみ)

やっぱり、何か心配なときに、電話も受けてくださると先生に伺っては帰ってくるんですけれども、今のところ病気というものは何もないんですけれども、本当に私が困ったら、まあそれはまた別の話でしょうけども、あと1週間で病院だ、あと2週間で病院だっていうときになると、どこか悪くても絶対に今度の病院までもたせようと(笑)、倒れるならあそこへ行って倒れようと思うことは度々あります。結局、こちらで検査をしても、私の先生は違うところにいるので、また1から説明して1から検査をするのは誰しも嫌だなと思って。なかなか、それはどの病院であっても、例えば問診票を1から書かなきゃだめだよねっていうふうになると、やっぱり何か、よっぽど重要な場面でないと、あの、思い切れないんじゃないかなと思います。誰かの後押しって全体に必要なんだろうなとも思います。
じゃあ、地元のお医者さんは何であるのって、あの、突き詰めればそういうふうになるのかどうか私には分かりませんけれど、明らかに申し上げたいのは、先生でも、あの、学校でも子どもでもそうですけど、明らかにこの人は器用だよ、この人は器用じゃないけど運動ができるとか、それぞれの特色ってあると思うんで、それをよくやっぱり患者のほうが、調べたり、こうだと思って行かないと、これからの病気は私は治らないと思っています。

乳がんの語り

首の付け根に腫れを感じ、主治医に診せたが、説明に納得できず治療を受けるか悩んだ。違う病院で診てもらいたかったので、遠方だが親戚が紹介してくれた病院へ行ってみた(音声のみ)

あるとき、体を触れておりましたら、首のつけ根にごろごろするものがあると感じまして、これは先生がよく前からおっしゃってたんですけど、鎖骨(のリンパ節)に入れば人間は死ぬと。助けてあげることができないということを聞いてましたので、私はこのまま…危ないなと思いまして、すぐにまあ病院に行ったのですけれども。やっぱり先生は、がんを疑っていて、あのー、すぐに入院をして抗がん剤を、あの、使いましょうという先生の最初の説明だったように思いました。で、私は、その説明がとても、あのー、納得できなくて、そこで、ちょっと考えたというのが最初でした。
なぜ調べないですぐに先生はまあがんと言えるのだろうかとか、単純な疑問がなぜか私の頭に浮かんでまいりまして、それはどうしても、あのー、納得いかなかったことが事実です。
でも、先生は、ちょっと、ちょっと待ちましょうと。…で、抗がん剤も、「どんな抗がん剤ですか」と言ったら、前と同じっておっしゃったのか、まあ、強い薬を、あのー、使えば早く終わりますという説明だったように思いました。で、強い薬だとまた髪の毛が抜けるんだなというふうに、あのー、そのときは自分で、「じゃ、強いお薬をお願いします」と言って帰ってきたんですけれども、そこからどんどんと、どうしたらいいのかと自分で考えるようになりました。
どうしたら、まあ、雑誌でいう名医にかかれるかと。自分でも、このままでは私の生命が危ないんじゃないかと毎日悩むようになりまして、考えておりましたら、母親の…親戚に、医療に詳しい人がいるということが分かりまして、連絡をいたしまして、違う病院を紹介していただきました。病院はとても遠かったのですけれども、まあ、名医にかかれるのであればと思い、そちらのほうへ行くことに決心いたしました。
何時間もかけて遠方へ行くことになるので、多分、相談を受けた方も、本当に、来れるのかと最初は心配してくださってたように思います。でも、ほんとに、もし両方の先生が同じ意見であれば、それはそれでいいなと思い、違う病院へ行きたいなという気持ちのほうが自分では強かったです。

乳がんの語り

後悔していることは検診をもっと早く受けておけばよかったということだ。地域で子宮がん検診などの案内は目にしていたが乳がん検診というのは頭になかった(音声のみ)

自分の不注意で、乳がんというよりも、がんにかかってしまったということが、やっぱり非常に後悔いたしました。検査(検診)をもうちょっと、もう少し早目に受けていれば、食い止められたのかなとか、そういう後悔は非常にありました。

――それまでっていうのは何か、検査というのは受けてらしたこともあったんですか。全然ない?

全然なかったと申しますか、ま、ちょっとお勤めしてたんですけども、1年に一度の健康診断は簡単なものでしたので、もちろん、マンモとか、乳がんについての検査だとかは、項目に入っておりませんでしたので、そうですね、この病気にかかる前、一度だけ、あの、みんなでと申しますか、お友達5~6人で検査(検診)に行ったのが20年も前のお話で、ああ、そういえば1回だけ行ったなというような記憶しかないので、やっぱりその点が一番悔やまれました。

――参考のためにお伺いしたいんですけど、地域でも自治体みたいなのでも今、乳がん検診ってあるように思うんですが、そういう何かご案内とか何か来たりとか、何かお知らせというのはなかったんですか?

乳がんというよりも、まあ私が見落としているのかもしれませんが、乳がんというよりも、子宮がんの検診車が回りますとか、検診はこの病院でというふうな広告と申しますか、そういうものは目にしておりましたけれど、全く自分では、乳がん(検診がある)ということは頭になかったです。

乳がんの語り

病気の夫に心配をかけていると思うと涙が出た。入院中は嫁や孫が代わりに夫の世話をしてくれたが、退院後は自分で家事も介護もやらなくてはならなかった

1回手術してから、主人がね、心配しているから言うて、「元気、お母さんの元気な顔見せてあげる」言うて、嫁が一番下の孫と一緒に、主人を連れてきてくれたんです。ほんなら、私ね、自分のことより主人の顔見たらね、涙が出るんです。主人が苦しかったもんですから、そのころね。ほれで、「もうお父さん、私、こんな元気やから、もう大丈夫やから」言うてね、「もう家におって、もう来なくていいよ。安心しとって」言うてね。もう私、主人の顔見たらね、あのー、かわいそうで涙出てくるんですよ。えらい心配してるんだろうな思って。
ほんで、まあ、おかげで、予定どおりに、退院できまして。で、帰ってきましたけど。それからがね、帰ってから私ね、家の…。翌日からすぐね、あのー、当分、嫁に炊事はお願いするつもりやったんですけど、嫁も心配してたんでしょうね。やっぱり私がいない間に、主人がどないかなったら困るから。それで、気も使ったやろ思いますわ。それで、夜はね、主人1人やから、私、心配しよったら、あのー、孫がね、一番上の孫がね、「おばあちゃんのお部屋で私が、あのー、泊まって、おじいちゃん見る」いうて言うてくれたんで。ほしたら、孫やったら、高等学校でしたんで、遅くまで勉強してますし、トイレ行くの下りてきますしね。で、「おじいちゃん」いうて声かけてくれますしね。それで安心でしたけどね。
帰ってからはね、皆ね、私が帰ったらやれやれ思ってね、疲れ出してるんですよ(笑)。1日休みまして。私はね、そやけど、あのー、ほかに悪くないでしょう? ですから、皆もう元気や思ってるんですよ。元気そうにしてますからね。やっぱり主人のこと、心配やったから。そやけど、お鍋でもね、持って炊事するのもね、もうこんなに重いものか思って。両手ないと、片手やったらとてもできないんです。ほいで、ちょっとこう添えるのもね、何でしたしね。で、当分、嫁に、炊事もお願いするつもりやったんですけど、嫁もちょっとこう疲れ出したんかしらん、目がちょっとね、あのー、目やにが出た言うたりするもんですけん、「もう私が、いい私がする」言うてね、したんですけどね。主人と2人の洗濯やら、そんなして、無理したもんですからね、微熱が出て、私自身も、まだ養生しないといけないのに、そういういろんなことするでしょう? ほんなん、もうね、夜中になったら、主人が苦しくなる。ほいで起きてね、片手でこんなして、背中をなでるんですよ。ほんなら、そんなしてたりね、しましたんで。

乳がんの語り

がんと知らされたとき、病気の夫のことが頭をよぎり、泣けてきた。夫にはすぐに知らせず、入院4-5日前に乳がんで入院するけど大丈夫だからと伝えた

そしたら、先生が笑いながら、「丸が入ってるから、はっきり言いましょう、がんでした」いうておっしゃるんです。そしたら私、「えー、私、がんだったんですか」いうて、笑いもって、夫のことが頭に…、頭よぎりまして、ほれで、涙が…こぼれてね。それで、あのー、自分自身はどうもないんです。もうそれやったら、ああ、しゃあないな、切ってもらわんと仕方ないな思いましたんですけど、夫が帰った、退院したとこだったんで、やあー(状態が)悪いしね、どない思うやろ思ってね。
私もそのときに、それから方々(ほうぼう)、また血液検査とか、またもう一回、あのー、いろんな検査に回ったんです。それ行きながら、もう涙が止めどなく流れましてね、もう恥ずかしくって、看護師さんにも「いや、ごめんなさい。私、ちょっと主人が病気なもんですから」言うて、そういうもって回ったんですね。それで、家帰ってきても、夫には知らせませんでした。
最後まで私はもう、いろんなことをもう始末しといて、行きまして、(入院の)4~5日前になって一番最後に、主人にもう心の準備もしてもらわないといけないので、主人にあのー、言うたんです。そしたら、主人がびっくりして落ち込みましてね。それで、「いやー、お父さん、大丈夫やから」言うて、私がにこにこしとったから、まあ、安心したみたいなんでね。一番最初、私が結果聞きに行った折もね、主人が「どうだった?」って言うんですけどね、私、努めて明るく振る舞って、もう何も言わんと、言葉をテレビのほうへ、話題を変えたり、そうしてしてたんで。ほんで、嫁が「お母さんがくよくよせんと明るうしてくれとってやから、こちらも気が楽や」いって、最後まで言ってくれてました。

乳がんの語り

術後6年経ち、定期検診の間隔をあけてほしいと医師に話した。健康のため、体を動かし、よく噛んで食べ、明るい気持ちで嫌なこともいい方に解釈している

「6年過ぎましたからね、あのー、もう先生、6ヶ月に1回か、1年に1回かに、6ヶ月にせめてしていただけませんか」言ったらね、「いや、それはいけません。ここは3ヶ月の予約ですから」言うてね、おっしゃったんです。それで、まあ、諦めて、また行ってたんですけどね。もうやっぱり(送ってもらう)嫁にも気の毒やしね。先生にちゃんと「お世話になりました」言うてね、あのー、お礼言って、先生や看護師さんに、それからお別れしたかったもんですから。もうそやけど、このまま先生、来い来い言うてやるし、行かんとこか思いよったんですけど。ほんで先生がね、「方々(ほうぼう)調べさしてもらいましたけどね、どっこもね、悪くないです」、ほんで、「先生、私もね、努力してるんですよ」いうてね、言ったんですわ。もういいこと、全部してるんです。ほんなら、先生がね、「ああ、いいことや」いうて、「先生、せめて6ヶ月に1回か1年にしていただけませんか」いって言ったらね、先生もう最初、「悪いことを思いなさい。悪かったらどうするんですか」っておっしゃったんですけど、「いや、もう困るから」って言ったから、分かってくださったんですね。「先生、もう私ね、それでもし悪くなってもね、私もう、あのー、後悔しません」言うたんです。「もしね、先生が、あのー、検査に来るようにね、おっしゃってるのに来なくて、悪くなってもね、私、諦めます」って(笑)。それで先生も分かってくださったんです。

――健康に過ごすために何かされていることがあれば、じゃあ、教えていただけますか。

ウォーキングね。ウォーキングと、ほいで、ウォーキング中にね、あのー、私、時々、あのー、吐くほうがいい言うてね。吐く息を4回ほどして、ほいで、すーっと吸うとか、そういうことを繰り返したりね、思い出して。ほれで、腕を振って。それと、食べ物ね。食べ物、気い付けてます。たくさん食べる。それと、よく噛んで、咀嚼。30回噛むようにしてます。そうですね、食べるもの。それとあのー、気持ちを明るくね。もう正直、生きてるうちは、まあ、誰だってちょっとこう嫌なときがあっても、もう前向きに、いい方へ、いい方へ解釈する。そうしたら腹も立ちませんしね。ほれで、やっぱり健康でないとね、あのー、にこにこしていられませんのでね。やっぱり元気やないとね、いけない思いますわ(笑)。

乳がんの語り

雑草をいじって腫れたことがあり、また腫れないよう手術した方の手はなるべくかばって生活している。不自由だが仕方ない

私はね、ですけどね、まだありがたい思ってね、まだ感謝してるんですよ。20年ほど前にね、乳がん手術したおっしゃる方がね、指先まで腫れてるんですよ。それが右手ですのに。ほいでね、あのー、腫れてるから、その浮腫だけでね、病院へ入院したけど、治らなかった、おっしゃってました。そのこと思ったらね、私ね、肘のここはいつもちょっと腫れてますわ。ほいで、重苦しい感じして、ちょっと肩凝ったりしたらこうして、自分でこうする(揉む)んですけどね。この、ここから上がね。ここがいつも腫れてますね。ほんでね、右手でね、ちょっと、何かしたらね、ここまで、左手も腫れましたよ。左の手首。
ほれでね、あのー、先生に病院で言ったらね、「今ごろね、それが腫れる理由が分からへんって、何か心当たりないですか?」っておっしゃってね。去年ですわ。ほなね、私、雑草をね、根が深い雑草があるんですよ。そこ、花作ってるの、私が作ってるんですね。ほいで、そこのとこにね、根の深い草が生えてるから、一生懸命、片手でこうしたりね。ほしたらね、こちら(左腕)、響きますね、やっぱり。
こちら、重たいもんは、ですから、持てないからね、買い物に行ってもね、嫁や孫がいつも荷物は持ってくれます。ほんで、ちょっと重たいもん、こっちで持ってもね、こちらが痛くなりますね。それはもう仕方ないですわね。そのくらいの程度やったら、もう、あのー、我慢できますからね。もうそれと仲良く付き合い、付き合うようにしよう思ってますけどね。