投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

離島在住だったが、治療のため離島を離れて、実家で世話になった。最終的には夫と話し合い、引っ越すことにした

翌年の1月ぐらいまで、抗がん剤をずっと打って、その間は、実家のほうに行って、寝泊りさせてもらって。とにかく、子どもがまだ小さかったので、抱っこもできないんですよね、傷が痛いのもあって。抱っこもできないし、もちろんおっぱい飲ませることもできないので。だから、両親にちょっと負担をかけたんですけど、母にミルクをあげる係をしてもらって。で、主人とは、半年ぐらい離れて生活をしてたんですけど、自分の病理(検査)の結果が出たときに、治療が少し長くなるし、経過観察は、一生していかなきゃいけないということを言われたので、主人と話し合いをして、主人には、仕事を変わってもらって、自分の実家のほうに越してきてもらったんですね。もう、仕事を変わってもらって。で、一応、離島では、そのできないことはないんですけど、抗がん剤の治療もできるんですけど、やっぱり、その生活面での不安があるので、一緒に実家に帰ろうということで、一緒に実家のほうに帰って、で、新しい生活を始めてっていうことで、しました。はい。

乳がんの語り

医師が母親の方を見て告知したので、誰のことかと聞いてしまった。自分はびっくりしすぎてすぐには涙が出ず、母が先に泣いたので慰める方が先になった

先生が、まず、わたしの目を見てくれなくって、で、「結果どうだったんでしょうか」って聞いたら、わたしじゃなくて母のほうを見て、先生が「あの、残念ですが、悪いものでした」ということをおっしゃって、で、「かわいそうだけども、右のおっぱいを全部とることになります」っていう説明を受けたんです。ただ、まあ、そのときにも、ピンとこないっていうのが現実で、最初に先生に言ったせりふが「先生すみません、誰のこと言っているんでしょうか?」って聞き直したら、先生が、「残念ながら、あなたのことですよ」っておっしゃったんです。で、もう、ほんとにピンとこなくて、もう突然のことだったので、ただ、こう漠然と怖いっていうのは最初にあって。やっぱり、がんという響きがものすごく怖いものだったので、何か、今、すごく怖いことを言われたっていうのが感じて。でも、涙は出てこなかったんですね、びっくりしすぎて。で、じわじわとこう何かこう怖いなって感じていたら、わたしの前に母がわあっと泣き出してしまったもんですから、で、もう、どっちが患者さんだろうというぐらい。わたしは、もう、母をずっと慰めて、診察室では。「もう、しかたないよ、しかたないよ」って言って、母の肩をこう叩きながら、慰めたのが、一番最初の告知だったんですけど。
で、そのあとに、母は息子が泣き出したので、診察室の外に出て、初めて、先生もいなくなったので、1人に病室になって。そのときに、すごい恐怖がおそってきて、なんて説明していいか分からないんだけど。その手足がかたかた震えだして、涙はやっぱり出ないんですけども怖くて怖くって、もう手がすごく震えだしたのを覚えています。で、そうしていたら、看護師さんが入ってこられたので、少し、ほっとして。あ、看護師さんがきっと慰めてくれるんだろうと思って、期待して待っていたんですけど。「10日後に手術がもう決まりましたので、今から入院説明を始めます」っていう、「大丈夫ですか?」の一言もなく、ほんとに淡々と説明が始まったので、自分も「はい、はい」って聞いてはいたんですけど、全く頭に入らなくて。で、一通り説明が終わって、で、看護師さんがおっしゃったのが「今は、動揺しているでしょうから、あとで、この紙、読んどいてください」って置いていかれて、そのまま、またいなくなられて。で、「あれー?」って、「慰めてくれるもんじゃないんだな」とそのときすごく感じたのを覚えています。

乳がんの語り

夫が右胸のピンポン玉のようなしこりに気づいたが、まさか20代で乳がんになるとは思わなかった

一番最初は、ちょうど誕生日の日に、主人が、「自分の、右の胸のあたりを触ってごらん」って突然主人が言ったもんですから。で、触ってみたら、ほんとに、ピンポン玉のこう玉のような少し柔らかめのやつがあって、手に触れて、で、びっくりしたんですけど。で、主人に、「これ、いつからあった?」って聞いたら「だいぶ、前からあったんだけど、自分は全然気にしていなくって」って。「だけど、まあ、なかなかその言うタイミングもなかったから、ほっていたんだけど、最近、大きくなってきたよ」って言われたんですね。
で、自分でも、こう授乳中だったもんですから、息子に。その胸を触るといっても、おっぱいマッサージをしたりとか、授乳のときに触るぐらいで、自己検診とかもしたことがなかったので、全くそのしこりに1回も気づくことがなかったんですね。で、主人に言われて触ってみたら、明らかに何かできているので、最初、びっくりしたんですけど。ただ、まあ、すぐに乳がんだとは思わなくて、授乳中だったので、乳腺症とか何か繊維がかたまった何かができるとかよく聞いていたので、それは、良性のできものだろうと、まあ、簡単にほんと考えて。で、そのままほっとくかなとも思ったんですけど、幸いそのときは、離島のほうに住んでいて、ほんとに暇な生活を送っていたので、まあ、暇つぶし程度に病院にでも行ってみるかっていうような、ほんとに軽い気持ちで、病院に行こうと思いました。

乳がんの語り

手術したらもう治ったと思われて、わかってもらえず辛かった。「乳がんに気を付けてね」と言っても、友だちも20代で若いので自分のこととして捉えてくれないのが悲しい

――友だちには乳がんだっていうのはどんな形でお伝えになったんですか?

それは、ストレートに乳がんっていうことは言ったんですけれど、結構なんか手術したら、もう治ったみたいな感じのイメージの友達が多くて、手術する前とか、「本当に頑張ってね」とか、「手術終わったら、どこどこ行こうね」とか、本当にメールしてくれたんですけれど、手術終わって治療に入ったって、「え、治ったんじゃないの?」とか、治療も最初のEC(*)の4クール目ぐらいのときまでは、「頑張れ」とか言ってたんですけれど、タキソ(テール)とかに入ってきたぐらいから、「え、まだ、あの、治療しているの?」って、「もう治ったんじゃないの?」とかいう感じで、あんまりこう何だろう、手術イコールもう治ったみたいな感じで長期的な病気だっていう意識がやっぱないのと、何か接しているとやはり私がそのメラノーマと乳がん、多重がんであるっていうところから、何か特別みたいな意識が多くて、結構友達に「乳がんの自己チェックとかしたほうがいいよ」とか言っても、「私、若いから、そんな大丈夫、大丈夫」みたいな感じで、あまりこう、私を見て、「あ、ちょっと気を付けなきゃ」っていう、友達あまりいないのがちょっと残念です。

――友達に、最初に話したときはびっくりされていました?

もうメラノーマがあったので、「あらあら」っていう感じだったのと、あと、メラノーマのときは、本当に高校生だったので、ホームルームの時間に担任の先生が、みんなの前で、「○ちゃんはがんで」って、「で、これから治療で入院するから長期で休みます」みたいな、で、そのときに「みんなで協力して支えていこうね」みたいな話をしたので、自分からメラノーマは伝えてなかったのと、やっぱ「あれ?」みたいな、「あれは治ったの?」みたいな、で、「また別の病気になっちゃったの?」みたいな感じで、あんまりその病気を持っている子っていう意識があったので、突然のことにびっくりはなかった。

*ECとは抗がん剤の多剤併用療法で、ファルモルビシンの一般名塩酸エピルビシン(E)とエンドキサンの一般名シクロホスファミド(C)の頭文字をとった略称です。

乳がんの語り

乳がんとわかり、彼氏に別れを告げられた。これから自分の病気をちゃんと受け入れてくれる人が現れるのか不安になる

乳がんになる前から付き合っていた彼がいて、その彼に乳がんっていう告知を受けたっていうことを話をしたら、それまでは頻繁にメールとか、電話とか来ていたのに、パッタリと連絡が来なくなって、やっと連絡が取れたと思ったら、彼から「女性にとって、大切な部分に傷が付く人と俺は付き合わない」って言われて、で、その時点で別れて、すごいそのときはつらかったんですけれど、今、思うと、彼は私の中身を好きだったんじゃなくて、私の外見だけが好きだったんだなって思って、うん、本当に私の病気をちゃんと受け入れてくれて、それでも好きって言ってくれる、そういう相手じゃないともう絶対無理だなってすごく思って、今は本当にそういう人が現れるのかなあと、そこまでその器の大きい人がいるのかなあという、ちょっと不安はあります。

乳がんの語り

退院後、おしゃれをしている同世代の友人と会ったり、テレビで女優を見ると、自分との差を感じて、生きているのが辛く、自分の殻に閉じこもっていた

入院中は病院という閉ざされた社会、非現実的な社会にいるので、周りはがん患者さんか、がんの疑いがある人が入院していて、抗がん剤治療もしていて、乳房ない人もたくさんいて、自分ががんであることも普通のことだし、乳房がないことも、なんか普通のこと、隣のベッドの人もないし、隣の部屋の人もないし、乳房がない私も別に普通かなあみたいな感じで、何だかすべてが普通の感覚になっていたので、前向きに絶対乳がんには負けないっていう、私も頑張って闘って勝たなきゃみたいな感じで結構前向きに考えていたんですけれど、退院して自宅に戻ってみて、23歳っていう年齢はやっぱり世の中では、ちょうど就職して、1年目、2年目っていう感じで、結構仕事に一生懸命だったりとか、あとは自分で稼いだお金で学生のときとは違うので、もっと遊び、いろんな遊びをして、いっぱいおしゃれもして…。
元気な年齢層なので、やっぱそういうところに戻ったときに、「私、乳がんなの」っていう環境じゃないなって。周りも胸が片胸ないっていう人もいなかったり、がん患者さんだっていう人もいなくて、すごくもう友達との、接触もすごくつらかったし、やっぱテレビとか付けて、同年代の女優さんとか、俳優さんとかの姿を見るとすごくつらくなってしまったりとかして、退院してから、ほとんどの時間はもうつらい、生きていくのにすごくつらくて、ああ、こんな状態になってまでして、私はもう生きたくないとか、すごくもうどんどんどんどん悪い方向に考えて、暗く落ち込んで自分の殻に閉じこもることが多かったです。
ちょうど春、冬から春にかけてだったので、服装ももう胸を隠すダボッとしたもうトレーナー類みたいな感じで、もう常に、胸を隠す、隠して、外に出るみたいな感じで、そうするとそこまでして外に出ても街中歩いたときに、こう同年代の子のファッションとか見ると、もうつらくなって、もう外にも出たくないみたいな感じで、もう外出も、病院通院以外はしなくなっていました。

乳がんの語り

医療職に就きたいと思って資格もとったが、面接を受けに行って病名を伝えると、断られることが多い

学校へ行って資格を取って、医療職を探していたんですけれど、医療職だからか、すごく社会の目がすごく厳しくて、このころから徐々に社会復帰に対しての不安が、不安や悩みが出てきました。
面接を受けに行って、学校も卒業していて、で、資格も持っていて、「いいじゃない」っていうことで、「来週から働ける?」とか、「制服はMサイズでいいよね?」とか、「靴は何サイズ?」とか、そういうことを聞かれて結構手応えありみたいな感じで思って、でも、最後、最後のほうに「健康状態はどう?」っていう感じで聞かれたときに、メラノーマと乳がんのことを話すと「申し訳ないけど、ちょっと…」みたいな感じで、「この話はなかったことにしてほしい」とか、「やっぱ雇用問題上ちょっとね」みたいな感じで、やっぱちょっと採用されないことが、断られることがすごく多くて。うん。
社会の目はやっぱり「がんイコール死」だったりとか、あと、「がん」って言うと、今落ち着いていても、再発とか転移とかって言われるシナリオを考えられちゃって、やっぱそうなったときに…みたいな感じで、やっぱり、採用すると会社側に、その責任問題があるから、早番とか、遅番とか、残業とかさせて、で、もし再発とか、転移とかしたら、やっぱりこんだけ働かせたから、こうなったんだみたいな感じになると、後々…みたいに、命にかかわってくるみたいな感じでやっぱり採用するほうが怖いみたいな感じだったり。
どうして、こう働きたいっていう意欲よりも、その病名っていうものを、どうしても自分の努力では消せないようなものばかりが尊重されるのかなとか、すごくやっぱ悩んでいて、何かその悩みは今もまだちょっと残っています。

乳がんの語り

髪の毛が抜けたあと、毛糸の帽子だとチクチクして痛かったり、バンダナも結び目があたったりしてよくなかった。病院で買った綿素材で、縫い目の少ない帽子がよかった

最初のうちはそれでも、髪の毛ちょっと薄くなったね、ぐらいだったので良かったんですけれど、もうほぼ抜け始めてきたら、その状態では過ごせないので、帽子を被らなければと。で、ちょうどあったのが毛糸の帽子だったので、それを被ってみたら、チクチクと、毛根にチクチク当たり痛いし、あとはもうゴールデンウィークの付近だったので、毛糸の帽子だと暑いのと、やっぱりいくら病気だとはいえ、やっぱこの時期にその帽子をかぶっている人は変みたいな感じで、毛糸の帽子は無理だなと。
で、テレビとかでよくバンダナをしている姿を見ていたので、バンダナだ!と思って、次にバンダナをしてみたんですけれど、結び目が直接毛根、頭皮に当たるので、その結び目のところの頭皮がすごく痛くなってきて、で、結び目が頭皮に当たらないようにどう被るのか一生懸命考えたんですけれど、やっぱりどうしても結び目がどこかに当たってしまって、バンダナもちょっと無理だなっていうことで、もうどうしよう、どうしようってなったときに、ちょうど病院の売店に行ったら、脱毛の人用の帽子が売っていて、綿素材で結構汗とかも吸収してくれて、で、なるべくその縫い目が少ないような形になっていて、頭皮に当たっても痛くないようなすごく考えられている帽子が売っていたので、もうそれを1枚購入してかぶってみたら、すごく良かったので、その形の色違いを何枚も買って、その帽子を使用していました。

乳がんの語り

抗がん剤のあと、ハーセプチンだけの点滴になり1年間の予定で治療をはじめた。アレルギー症状で発熱や頭痛が続いたが、1年間続けることができた

次の治療がハーセプチン単独で1年間ということで、今までは数かぞえて、半分達したとかいう感じで結構自分の中で、頑張る意欲があったんですけれど、漠然と1年となると、ちょっともう長過ぎて、うん、気持ちが頑張るぞっていう、今までとはちょっとそこまでいかない感じで、スタートしました。
 (ハーセプチン)単独でスタートして、1ヶ月後に24歳の誕生日を迎えて、おいしいケーキではなくて、つらいケーキを食べることになってしまって、すごく複雑な気持ちで、また1日を過ごしました。もうそのときに、「来年こそはおいしいケーキを食べたい」という気持ちで絶対治療を1年頑張るっていう気持ちを新たにした1日でもありました。
漠然と、毎週、ハーセプチン投与で病院に行って、で、ハーセプチンはえっと副作用がないと聞いていたんですけれど、逆にアレルギー症状っていうものがあって、アレルギーが怖いっていうことをいろんなそのハーセプチンに対しての説明書きとか、あと先生からの説明も聞いていて、やっぱそのアレルギー症状のほうで、頭痛と、あと微熱がやっぱ症状として出ていたのと、あとはやはりだるさがやっぱ続いていて、もう投与した日の夜中ぐらいからは、もう次の日も1日動けない状態で、副作用じゃなくて、アレルギーに逆に今度はちょっと苦しみ始めていました。

乳がんの語り

タキソテール2クール目から手足がしびれてきて、物を落としたり、こんにゃくの上を歩いているような感じがしたりして、点字ブロックに足を取られて転んだこともあった

2クール目の途中で急に、朝起きたら手足がピリピリとしびれてきて、感覚が何だかおかしくなってきて、熱いものを触っても熱く感じないし、冷たいものを触っても冷たいと感じないし、何かペンを取ろうとしてもうまくつかめなくて落としてしまったりっていう感覚、手足の感覚異常が出てきて、EC(*)のときにはなかった副作用でもう慌ててしまって、次回の投与のときに先生に聞いたら、説明の用紙の隅っこに感覚障害って書いてあって、「これです」みたいな感じで言われて。もう副作用だから、どうしようもないっていうことで、「その感覚障害に慣れるしかない」っていうことを言われました。
で、足も手足がどんどんひどくなっていき、歩いていてもコンニャクの上を歩いているみたいな感じで、しっかりと地面を蹴って歩けないというか、そんな感じだったので、何にもないところで突然転んだりとか。あと、街なんかだと、点字ブロックのボコボコに足が付いていかなくて、点字ブロックの上で転んでしまって、あのボコボコにすごく痛い思いをしたりとか。あと、階段は結構上り口と下り口に必ず点字ブロックがあって、最近ステップというか、階段のステップのところにも、点字ブロックみたいなものがやっぱ付いている、滑り止めみたいなのが付いていて、やっぱそういうのに足を取られてしまう感じで階段を上るとき、上りのときもつまずくし、下りのときは結構階段から落っこちてしまう危険性があったので、もう常に手すりをつかまって階段の上り下りをしたりとか。あとはエスカレーターとか、エレベーターがあるところはそういうところを利用するとか、していて、無意識に階段を見ると歩く速度が遅くなっていき、点字ブロックをまたいで階段を上ったりとか、結構自分の中でこう、し始めていると、人通りの多い駅なんかだと、「若いのでとっとと歩けよ」みたいな感じで結構舌打ちされたりとか、何かにらまれたりとかっていう、すごく嫌な思いをしながらも、でも、もう副作用でそれに合わせて歩いたら、自分が怪我してしまうので、もう気にしないようにして、歩いてました。

*ECとは抗がん剤の多剤併用療法で、ファルモルビシンの一般名塩酸エピルビシン(E)とエンドキサンの一般名シクロホスファミド(C)の頭文字をとった略称です。