投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

説明された抗がん剤治療の内容はガイドラインと同じだったので、迷いなくやることに決めた

抗がん剤の説明はEC療法が4クールとタキソテール、ハーセプチンが4クールと、ハーセプチン単独が1年という説明を先生から受けて、乳がんのガイドラインをインターネットとかいろんなところで見ていて、先生に言われたとおりのお薬が載っていたので、治療方針に対しては全く迷いもなく、うん、言われたとおりに進み、進むということで、あまり調べることもなく、その場で「やります」っていうことで決めました。

乳がんの語り

自己検診のやりかたをバイト先で教わり、偶然しこりを発見した

バイト先の更衣室で、おばさんたちが何人かで乳がんの自己チェックをしているっていう話を更衣室でしていて、結構、やり方が分からないとか、まあそういう話をしているところに、ちょうど、仕事が終わり更衣室に入っていきました。
で、最初そのおばさんたちから、乳がん(自己検診)の話を勧められていたんですけれど、なんか、そのときは若いから私は関係ないみたいな感じで、もう適当な感じだったんですけれど、「覚えといたら、お母さんとか、おばあちゃんにも教えてあげられることができるから、覚えといて損はないわよ」っていうことで、自己チェックの仕方を何か教えてもらいながら、まあ面白半分に、「あ、こうやってやるんだー」みたいな感じで、自分の胸を触りました。で、右胸を触ったときに何かに触れ、手が触れたんですけれど、そのときはもう下着のレースとか、そういうのだと思って、まあ、まさかしこりではないだろうなみたいな感じで、まあ楽しい雰囲気でもあったので、あまり気にせず、家に帰ってきました。
で、家に帰ってからもやっぱりちょっと気になったので、お風呂に、その日のお風呂入ったときに、石鹸を手に付けて、滑らせてもう一度自分の胸を触ってみたら、しっかりとしこりが2つあることを自分で発見して、そのときにちょっとそれでもまさかしこり、これは消えるだろうとか、いろいろやっぱり考えたんですけれど、不安だったので、2日ぐらいしてからと、メラノーマで診てもらっている病院の皮膚科に行きました。

乳がんの語り

周りの人たちに乳がんのことを隠してもしょうがないと思っているが、義父母が周りの目を気にするので、親戚や近所には話していない(テキストのみ)

私はどちらかというと、周りの人たちにも、「私は乳がんだよ」って話をしてるんですよね。ただ、一緒に暮らしてる義母は、すっごく周りの目を気にするタイプなので、義母が気にする範囲のところには一切、親せきとか、あとは町内会の近所の人たちとかには隠してますけども、それ以外は全部。私はもう、隠してもしょうがないっていうね。かえって話したほうが、いろいろなこと。話することによって、結構、皆さん、同じ病気の方が寄ってきて、いろんな話を聞きたがるんですよね。それで、お互い。
 やっぱり病院でも、同じ病名の方がね、一緒の病棟いますので、話をすることによって、ある意味、楽になるっていうのも、お互いにあると思うんですよね。これを参考に、皆さんね、恥ずかしがらないで検診に行ってほしいっていうのもあるんで。ただ、やはり義父母や子どもたちの周りは、義父母が傷付いても困るので、そこら辺は、隠してます。

乳がんの語り

娘が友だちに「がんならお母さん終わってるね」と言われ、つらい思いをさせた。息子は今、中1で「プロサッカー選手になるまで頑張って」と言ってくれている(音声のみ)

がんの告知を受けてから、家族に伝えて、その中で私が一つ、ちょっと心痛めたことは、小学校3年生の娘にも伝えましたよね。そして、その娘が学校帰りに、友達と一緒に帰ってきた、帰ってくる途中に、友達に「お母さん、入院するんだよね」って言ったんです。そしたら、その友達が「がんなら、終わってるよね」って。友達に言われたんですね。そう言われたら、もう娘は「何も言えなくなったさ」って言って、何かこう、つらそうな顔して帰ってきて、私に報告したんですよね。その言葉を聞いたとき、私も何か何も言えなくて。ああ、娘にもつらい思いさせてるんだなっていうことで。
 私はがんの告知受けた途端に、周りの友達や知り合いにこう「乳がんの告知を受けた」。それによって、周りの人たちはあわててがん検診行ったんですよね。「ああ、同じような年代だから、がん検診、今までね、恥ずかしがって行ってなかったけど、行かなくちゃいけない」っていうことで、何人かグループつくりながら、行って、「何ともなかったよ」っていう報告受けたので、それはそれで役に立ったかなあと思ったんですが、ああ、これは子どもたちの親関係にはまだ伝える時期ではないなと思って、学校で「ああ、何々ちゃんのお母さん、がんだったんだ」って、「がんなんだって?」みたいな言葉を投げられて、また子供は傷付く、まだ年齢かなあと思ったんですよね。それが何か、子供に悪いことしたかなあなんて、ちょっと思ったんですね。
 あと、うれしかったことは、つい最近っていうか、今、中1の息子なんですが、小学校6年生のとき、サッカーやってるんですが、そのサッカーの試合の帰りに、車の中で、「自分は大きくなったら、プロのサッカー選手になる」って。それで、「札幌にサッカーチームがあるんですが、そこに入れなかったら、お母さん、本州のほう、行ってもいいかい?」って言うから、「いいよ」って言った。そしたら、「お母さん、そうなったらお母さんに、飛行機のチケットと試合会場のチケットを送るから、それまで頑張って生きてね」って。うん……(涙)。言われたんですよ。うん、それ、車の中で聞いて、何かうれしかったなと思って。

乳がんの語り

手術後2年ほど経ってから、小学校低学年の息子と一緒にお風呂に入ったが、背中を向けて息子が傷から目をそらせていたので、子どもながらに気を遣っていると思った(音声のみ)

子どもとお風呂に入ったのは、多分、2年ぐらい経ってからだと思います。多分。ちょっとそこの記憶が定かじゃないんですけども、多分、私が2年間ぐらい隠してましたから、その間は。いや、一度だけ、その間に1回ぐらいは入ってるかもしれないんですけどね。そこがちょっと私も記憶が定かじゃないんですね。ただ、小学校低学年のときに、入ったと思うんですね。「しばらくぶりに一緒に入ろうか」みたいな感じで。
息子と一緒にお風呂に入ったら、息子が背中しか向けないんですよね。うん。こうやって、見ないよう。お風呂に、同じ湯船につかろうとしても、前だったら向かい合ってね、入れたのが、背中向けて、絶対、私の体、見ようとしないんですよ。うん、気遣ってたんですね。うん、見ないように。でも、やっぱり気になるんですよね。きっと子供ながらにね。だから、私がね、どこかでこう着替えてるときに、ちらっちらっとはのぞき見するような感じはするんですけど、お風呂に入ったら、「お母さんとお風呂入ったら疲れる」って言うんです(笑)。「ああ、そっか、そっか。気遣ってるんだね」って言って、まあ、それからは入らなくなったんですよ。そんな感じですね。

乳がんの語り

本人以上にショックで傷を見たくないと言った夫が、あるとき「傷を見たい」と言ったので、「これが私の体だよ」と見せた。それから病気のことも心底話せるようになった(音声のみ)

〈主人に)「私の手術した跡、見るかい?」って言ったことあったんですよね。したら、「見たくない」ってすっごい拒否してたんですよね。まあ、それはそれでいいんですけども。「あ、そっか。でも、私のつらさを分かってもらうために、うん、ちょっと話聞いてほしい」って言っても、「いや、聞きたくない。見たくない」って、何か胸を取られたことが、すっごい主人がショックだったんですよね、私以上に。そして、皮膚移植してる太もものところも、傷口がサラミみたいな状態だったんです。赤くて。それに塗り薬をやって、自分で、一人でガーゼを取り替えるんですが、それをやっぱり家族に見られたくなくて、一人で隠れてやってました。
ただ、あるときに、何かふっと主人のほうでね、「おまえの手術の跡、見てみたい」って言われたときあって、まあ、一度、見せたんですよね。そうしたら、何か、主人の思いも何か吹っ切れたんでしょうかね。うん、何か、それまで何らかの2人の間にいろいろな思いはあったんですけども、それをきっかけに、心底また何か話、お互いに気持ちを話できるような状態。その傷口を、私のこのあんまり見られたくない体を見てもらったことによって、お互いの、何ていうの、心の底から。それをきっかけに、娘の前でも、上半身(気にせずに洋服を)取り替えるような。それを主人に見られたことによって、それがきっかけで、また家族の前で自分の傷口をさらけ出すことに、抵抗がなくなった。それまでは、ずっと2年間くらい隠し続けて、見られないように、見られないようにっていう状態だったんですけど。「これが私の体だよ」っていって、「肋骨も出てるし。こんな状態だよ」って。でも、それによって、みんなでまた、乳がんに対してでも、いろんな話を心底できるようになったっていう感じです。

乳がんの語り

大きく乳房を切除した断面にがんがあり、リンパ節転移が8個あったので、放射線治療もすることになったが、副作用は軽くて済んだ (音声のみ)

放射線のほうは、回数的には25回ぐらいかそのくらいの回数なんですが、皮膚移植、こちらの左乳房を取ってるので、皮膚移植は、左足の太ももの皮膚を移植してるんですよね。それで、まず面積も大きめに切り取ってるその周りの、残ってる皮膚の周りもやるので、1回に2ヶ所、放射線治療をするんですけども。
そのころね、あの、周りで仲間っていうんですか、同じ病名の人たちを見てて、皆さん、結構、副作用がそれぞれ強いんですよね。抗がん剤の点滴受けた後、みんな、病室で吐いてる方とか、また放射線治療行って、最初、みんな軽い感じて帰ってくるんですが、その後、何回も治療続けるうちにのどが痛くなったりとか、あと、皮膚科のほうに回ったりとか、何か軽いやけどのような感じになったりしてて、皆さん、それぞれ苦しんでるのを見てて、「ああ、私もああなるのかな」みたいな感じだったんですけど、私はありがたいことに副作用ってないんです。髪の毛も抜けることもないし、それから、いまだに私、そのころの仲間の人が、退院後も皮膚科のほう通って、やけど、軽いやけどのような治療になってるんですね。で、私もちょっとやはり、2ヶ所やってるので、その2ヶ所が重なってる部分が、こちらの表側は何ともないんですが、背中がこう、放射線って通り抜けるんですね。で、後ろのほうも軽くこう黒くなったり。それで、ある1ヶ所、この、放射線と放射線、重なってる部分が、いまだにちょっとかゆみはあるんですけども。

乳がんの語り

リンパ浮腫になり、形成外科で包帯の巻き方を教わって自分で巻いていたが、年々腕が太くなってきたので、今は資格を持つ看護師にリンパマッサージを受けている (音声のみ)

最初のうちは、まだ細かったんです。腫れもそんなんじゃない。それで、私、ただこう、手でさするだけ だったんですけども、それで、まあ、半年に1回の検査のときに、先生にそれ相談したら、「形成行きなさい」って言われて、形成行ったんですよね。
そしたら、形成の…。そのころ、あのー、ちょうど新聞に、…リンパ浮腫のこう、腕、すごい腫れ、私と同じような状態で腕腫れてる方が、術後、ここの血管とリンパ、結び付ける手術をして、術後、どっちも同じ腕の太さになってたんですよね。それで、私、すごい興味持って、ついでにその形成の先生に話したら、「まだそこまでね、まあ、あれなので、包帯を巻いて、様子見ましょう」ってことで、包帯、そこで、形成でいただいて、包帯の巻き方を看護師さんに教えてもらって、それで巻いてたんですけども。
それで、まあ、何回か行っても、別にストッキングの説明するわけでもなく、ただ、腫れてるか腫れてないか、ただ包帯取って見るだけなんですよね。それで、結果的に行かなくなったんです。それで一人で包帯巻いてたんですけども。だんだん、年々、太くなってきてます。うん。
それで、今、また先生の定期検診のほうで行って、そしたら、その先生のほうから、「今、看護師さんで、こういうリンパマッサージの資格、取った人がいるんだけども、そちら、受けてみるかい?」って声掛けられたんですよね。「ああ、それで先生、あ、できるんなら行きたいです」ってことで、今、それのほうを、大体、うーんと、今年の7月ぐらいからですかね。あのー、2週間に1ぺんが、今、1週間に1回ぐらいで、リンパマッサージ受けてる最中なんですよね。

乳がんの語り

字を書いたり、手を振って歩いたりするだけでも腕がむくんだり、重く感じるようになったりする (音声のみ)

やっぱりその間(かん)、いろんな仕事をやってて、ちょっと、あのー、お金を数える仕事とかそういうのをやってて、ちょっと左手を、そんなふうにブレスレットで腫れたにもかかわらず、何か私、ちょっと左利きの部分があるんです(笑)。それで、左手を使いすぎちゃったんですよね。それで疲れちゃったのと、あとは、去年1年間、ちょっとものを書くことも多かったり、いろいろなちょっとPTAの役員とかやったりしてて。それで、ものを書くときにこの姿勢が、右手で字を書くんですけども、紙押さえてる、このこれだけの姿勢で、すごいむくむくなんですよね。疲れちゃう。あとはもう、去年あたりからは、買い物するのに手振りますよね。こう、歩くだけで、手振って歩くだけでもずんずんずんずん重くなってきて。今、それが悩みなんです。

乳がんの語り

5年間は時計もつけずに腕を締め付けないよう気をつけていたが、ブレスレット型の健康器具をつけたのがきっかけで、リンパ浮腫を発症したと思う (音声のみ)

約2年前の7月ですね。そのときに、主人からブレスレット、プレゼントされたんですよ。それも健康にいいっていうので、何か(笑)1本だけだったら右手にしたんですけど、両方にブレスレット、プレゼントされたんですよ。何か、健康器具だからってことで。
私は、退院するときに、「こっちの左手に、時計もしちゃ駄目だよ」とかって言われてたので、ずっとそれ、守ってきたんですよね。それで、あのー、手術後、左腕のひじだけ痛みが残ったんですよ。これだけね。それで、退院して先生に、「左ひじだけ冷たい風に当たったりすると痛みを感じる」って言ったんですよね。そしたら、「どこかそこかには後遺症は残る」って言われたんです。それで、下着のゴム、七分のゴムなども、ゴムついてたら、そこの跡が残るんですよね。それで、ゴムの、そでのゴムも全部、左側は切っちゃって。あと、そういうそでがついてるもの、上げ下げするだけですごい感じやすかったんですよ。だから、夏、服…半そでの服を着るときも、こうデパートとかああいう冷暖房の効いたとこに行くと、左腕が痛くなるんですよね。それで、半そでのTシャツは着るんだけど、左だけ、あのー、布製の、タオルのようなやつで、要するにここからここまでの、タオル地でこう、ここを、ここを防御してたんですね、風当たらないように。して、何も風の当たらないときはそれを外すとか、そういう形で、5年間、気使ってきたので、何ともなかったんですが。
やっぱりそのブレスレット、プレゼントされて、しないわけいかなく(笑)。まあ、大丈夫だろうと思って、したんですよね。そうして、2~3日ぐらいしてたのかな。したら、ブレスレット、こう動きますよね。したら、ここら辺で止まってたんですよ。それから腫れちゃったんです。元に戻らないんです。