投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

看護師の姉の勧めで、乳腺専門クリニックに行った。患者同志の交流がしやすいのがメリット。手術などは別の病院に行く必要があり、馴染みのないスタッフだと不安になることもある

当時、私は東京から地元に戻ったばっかりだったので、病院の状況とかよく分からなかったんですね。で、うちの姉が、看護師をやってたので、姉に相談をしたら「専門の病院にすぐ行ったほうがいい」っていうことで、もう、すぐ行きました。2日後ぐらいに。ちょっとやっぱ怖かったんですけど、そのままこう放置をするのはもっと怖いので、すぐ行きましたね。

――乳腺専門の病院だと、そこで手術とかも全部するわけですよね?

そうですね。今、こう、かかってる病院はクリニックなので、手術はそこではできないんですね。で、手術になると、また別の総合病院で、先生が週に1回とかそこに行って手術するって形で。

――じゃあ、入院する病院は別の病院?

そうですね。うん。でも、退院したらまたここ(クリニック)に戻ってくるって形。

――じゃあ、放射線やるときは別の病院?

そうですね。放射線も別の病院で。

――そういう仕組みで、治療受けてきたことのメリットとデメリットというのが、もしあれば。

メリットはですね、乳腺専門(クリニック)なので、外来に来る患者さんっていうのは、大体、乳がん。あと、(乳がん)検診とかでいらっしゃる、そういう関係の方たちですよね。なので、声を掛けやすいっていうんですか。掛けられやすい。交流がしやすい、知らない人でも。一般病院のところだと、やっぱこう待合室で待つときも、誰が乳がん患者か分からないじゃないですか。なので、交流がしづらいっていうのがあるらしいんですね。その辺、交流しやすいっていうのが一つあると思うんですけど。
で、あとは、やっぱりいろいろな病院で、この治療はここ、これはここってなってしまうと、何て言うんですか。例えば手術はこっちってなったときに、慣れてないじゃないですか、そこのスタッフの方たちと。だから、その辺ではちょっとやっぱり心配だったりとか。うん。ちょっと不安だったりとかありますけどね。大丈夫かな、って感じで(笑)。

乳がんの語り

あまりにあっさりと告知されたので、びっくりしたが、深刻に切りだされるよりよかったのかもしれない

まあ、先生にとってみれば、別に、別にっていうか、専門だと、まあ、相手がね、みんながん患者じゃないですか。だから、まあ、告知なんていうのは普通でしょうけども、何か本当にあっさりと簡単に言われたもので、すごいびっくりでしたね。確か、あまり記憶が定かではないんですけども、確か、こう私が座ったら先生が前にいて、ここに、まあ、マンモグラフィとかの、エコーとかの画像があって。で、先生は「ああ」ってこう、見に行くわけですよ、画像を。こうやって近くに。なので、「ああ、これは乳がんだね」って、何かこの辺から(背後から)声がしましたよ(笑)。で、私も「えっ?」と思って。別に、まあ、先生は何か、それが何て言うのか、特別・・・(ではないかもしれないけど)。私にとってみれば、すごく衝撃だし、そんな、「えー、どこから…えっ? 今、何て言ったの?」みたいな感じでしたけど(笑)びっくりでした(笑)。もういとも簡単に言われてしまったので。
まあ、それが意外と、後々よかったのかなと思いますけどね。あまり深刻に、こう切り出されるよりも、「ああ、乳がんだよ。でも、切ったら大丈夫だから」っていうふうに言われちゃったほうが。まあ、最初の衝撃は大きいですけど、後々いいのかなあと思ったりはしますけど。はい。

乳がんの語り

乳房切除はもう役目が終わっているし、病気だから仕方ないと思う。胸があったときは女性として恥らいがあったが、今は平気で傷を見せられるのは、女らしさがなくなったのだろうか

もう67歳だからね、もう役目終わってるの。うん。だから、まあ、軽くなってもいいかなっていう感じですね。これはもうね、しようがないです、病気ですから。で、先生は、お腹から今度整形(再建手術)の説明に入るわけですよ。「お腹からおっぱいをつくるだけのお肉を取ってここにくっつけましょう。元の形に戻しませんか?」ということで説明ありましたよ。でも、私はね、もうね、傷はできるだけ小さいほうがいいという考え方ね。ここを切るとここも傷ですよ。負担はできるだけ小さくがいい。今度はこう考えるわけよ。さっきは「(がんがあるところは)大きく切ってください」と言ったけどね、ここを切ってまでおっぱい作る必要はない。「もうお役目終わったから、いいですよ、先生」って、「軽いほうがいい」って言った。そう言いました。
おっぱいが両方あったときには、やっぱりここは絶対人に見せてはいけないという女らしい恥じらいもあったけど、今ないからね、恥ずかしくない(笑)。逆になってますよ。男になったのかなあと思うけどね。うん。前はあるときは絶対駄目でしたよ。うん。「今。ないから、見る?」ってね(笑)。「ないんだけど見る?」(笑) 平気になってますよ。何だろう、この気持ち?というぐらいね、女らしさがなくなってしまったのかな。もう女じゃないやという開き直りなのか、変わりました。前は絶対嫌でした、これは。今は本当に平気になっちゃってるから、この違いは一体何だろうって思うもん。自分でも分からないです。心理学者に聞いて(笑)。

乳がんの語り

1回笑うと3分長生きするという話を聞いたので、他の人にも笑うことを勧めている

あまりね、こせこせしませんね。いつも笑ってます。ええ。一度笑うとね、3分間長生きするっていうね、自分が入院しているときに、笑い学会の先生のお話を何気なく聞いちゃったの。それで、「あらっ、あはは」って、1回笑ったら3分長生きするんだ。10回笑ったら30分だね。じゃ、これはきりがないわ、私はっていうことでね。すごくこれはいい言葉聞いたなと思いましたよ。で、それを今も、こちらに来られる方々によく話します。笑いましょうって。うん。笑わなければ、くちゅくちゅして(くすぐって)でも、笑わんと駄目よ。笑うのが苦手な人、布団かぶってでも笑いましょうっていうことでね、お笑いを勧めてます。
で、実際に、面白いお話(民話)もいっぱいあるのでね、みんなに、これを語って笑ってもらう。落語より面白いねって何回も言われてますよ。そういうふうに、昔話はじめ、言葉、しりとり遊びとかね、なぞなぞとか、そういうこといっぱい知ってるということが、まあ、私をすごく元気にしてくれたもとですね。
そのほかも孫たちとね、やっぱり限られた時間しか生きられないので、元気であってもね。だから、孫たちを仲良く大事に、8人いますから、ここに泊めたり、よく来てもらったり、遊んでます。あるいはもう、お話(民話語り)、出前でね、あちこち行きますので、お話にですね。で、それも、重なっていても時間をずらして走っていくように楽しく過ごしてますね。うん。

乳がんの語り

農薬が使われていない草(薬草)やぬるぬるの食品、黒い食品、根菜類などをとるようにして、薬には頼らない

食事も、まず、草を食べましょうということで、要するに野生的になりましょうということですよね。うん。農薬をまかない、草を食べましょう。そして、ぬるぬるの食品、フコイダンの多いね。えーっと、山芋みたいな、あるいは、とろろ芋のことですよね、とろろ芋だとかオクラとか。それから、モズクね。コンブ。うーん、そして、えーっとね、こういう類(たぐい)な、ぬるぬる食品いっぱいあります、野菜にはね。そういうものもいっぱい取るし、今度は「黒」。黒いのをベースね。黒米、黒豆、えーっと、黒そば。で、えーっと、そして、もっと黒は何があるかなあ。あるいはまた紫とかね、色の濃いもの。そういうものをね、必ず取るということね。
ヨーグルトはじめね、いっぱい取るということね。それと、根のもの、ゴボウみたいなね。ニンジン、ダイコンみたいな、根のものを多く取って体を温めましょうと。
やっぱ今まで健康食品の仕事をしてるから、そういう知識を十分持ってますのでね。どうすればどうなるっていうこと分かってるわけなんですよ。だから、人間の体は、免疫を高めればね、がんも怖くないということをもう分かってますから。薬を飲めば飲むほど免疫はたたかれる(免疫力が落ちる)ということが私の今までの勉強結果。(あくまで)私のよ。だから、薬は一切要りません、体に。そういうふうに今も続けてます。

乳がんの語り

術後は、すぐにあちこちの病室へ出かけて民話の語りに行き、退院2日後には店を開けて20名の予約客を迎えられるほど元気だった

あの、集中治療室で、ほら、酸素吸入やる前、とても苦しかったです。もうね、本当に大変つらかったですね。これが一番苦しかった。で、後は、酸素吸入していただいてどのぐらい寝たか分かりません。で、それが終わったときには非常にさわやかな気分でしたので、もう部屋にいません。(点滴の)ポールを持ったまま、あちこちのお部屋に行ってお話しに、民話の語りに。もう、だから、その日からもう笑ってます。で、初めて見る人は、「お宅もがんなんですか?」って言うから、「今、切ってきたの」っていうぐらいにね、えー、元気です。はい。だから、えっと、リハビリもそれほどやってない。あの、自分で、ほら、目盛りのところに手を上げるぐらいのことをやってますけどね、
それで、うーん、手術して帰ってきて、2日後は、20名の予約のお客さんが以前からありましたので、その準備のために帰ってきたら、もういっぱい、あの、葉っぱが落っこちて、草が生えてますから、それを掃除して、買い出しして、仕込みして、その日を迎えたけど、誰も(退院してきたばかりとは)感じません。そのぐらい元気です。1年経ちました。はい。

乳がんの語り

乳首の下に小さいかさぶたができ、岩盤浴に行ってもよくならないので、病院に行ったらパジェット病だとわかった

私はね、皮膚病と思ってました。左のね、おっぱいを皮膚病と思って。ちっちゃな、あせもみたいなちっちゃな、瘡蓋(かさぶた)が最初できましてね、乳首の下のほうに。で、それがどんどんどんどん広がって広がって、体液が出てくるわけですよ。
で、それは別に一向によくならない。それで、不思議に思って、まずは皮膚病の専門の病院に行った。痛くもかゆくもないから全く気にしませんでした。それがどんどん広がって、ブラジャーを取るときに、くっついてしまうから、はがすときに、チクッと痛いわけですよ。で、それがどんどんどんどん大きくなってきて、ますます、この、ブラジャーがもう、大きく、こう破けていく、中のほうの柔らかいの(布)がね。それでも気にしませんでしたね。で、それで、そのころは、岩盤浴に行けば治るかなー、皮膚病だからと、自分で決めてましたので。
岩盤浴に行っても一向によくならない。それで、不思議に思って、まずは皮膚病の専門の病院に行ってみようということで診てもらったんです。で、そのときに体液を取ってくださったのね。で、検査の結果、この病院でできないから、病院紹介しましょうということで、ある大きな病院を紹介されて、まあ、そこで皮膚科の先生の説明で、ここではできない、外科に回すということで、外科に今度は移ったわけですね。で、外科の先生が、これはもう珍しい乳がんで、非常に進行が速いから、早くしましょうと、手術を。だから、2ヶ所で、2ヶ所の大きな病院に機械が空いてるところを利用してですね、2カ所でいろんな検査をするようになりました。で、検査結果からもう1ヶ月ぐらい後にもう手術始まりましたね。

乳がんの語り

定期的に医師の往診があり、看護師やヘルパーも訪問してくれているので、痛みの治療と精神面や生活のサポートを受けることができて快適に過ごしている (テキストのみ)

今、賃貸のワンルームに住んでるんですけど、緩和ケアをしている先生に2週間に一遍往診に来ていただいて、訪問看護ステーションの看護婦さんは1週間に一遍、訪問して、マッサージとかしてくださって。で、あと細かく、例えば、私は、今、痛み止めのモルヒネは使っているんですけど、モルヒネの副作用で、便秘と下痢を繰り返すような状況になっているんですね。そういうことに関しても細かく聞いていただいたり、あと精神的にちょっとバランスを崩しそうになったときとかも相談したりできるので、先生だけじゃなくって、看護婦さんが来てくださるというのはもっと気楽に話ができるというような部分もあってとてもいいです。あとヘルパーさんも、ここ数ヶ月前から、お願いするようにしていて来てもらっています。だから、何て言ったらいいのかな。病院とは違って、自分の自宅なので、病院でないけど、自宅であっても、往診や看護師さんやヘルパーさんの訪問などのサービスが受けられているので、とても快適に過ごせていて、環境的にもいいですし、心にとってもすごくいいことだなと思っているんです。

乳がんの語り

骨と肺に転移が見つかる前、普通の生活をしていても、とにかく疲れやすくておかしいと思い、検査に行った (テキストのみ)

 ちょうど、おととしに(1年4ヶ月前に)骨転移がわかったんですね。それは、痛いし、何しろね、すごくね、疲れるようになったんですよ。今までと同じ生活をしているとやたらに疲れるので、これは絶対おかしいから、検査してというふうに主治医のところに行って、骨シンチをしたら、全身にもう転移、骨転移をしていたので、で、あんまり、その一部分痛いところがあるので、じゃあ、放射線を当てて痛みを取るかなというようなことになって、初めて、放射線をやりますかというような話になってCTを撮ったんですけど。そしたら、あろうことか、反対側の肺に転移が見つかってしまって、先生も青天の霹靂みたいな感じだったみたいですが、あちゃっという感じの顔をしてましたから。で、そのときに、肺に転移が1個と、それから胸膜炎も起こしていることが分かったし、胸水も貯まってることが分かったんですね。

乳がんの語り

無治療を選択するとき、友人に相談したが、命にかかわる決定であり、大きな試練だった (テキストのみ)

私は、そのときに(無治療を選択するにあたって)自分一人で決めるということができないなというふうに思って、私の年齢は、今、50歳なんですけれど、ですから、両親は、それなりに高齢なわけで、それぞれ年相応に病気も持っているので、両親に話すのはあまりにもかわいそう、というか、両親のほうが先に死ぬかもしれないから、そしたら言わずに済むという気持ちもあって、両親には相談すまいと思っていて。で、その当時、妹ともそれほど、深い話をする間柄ではなかったので。
そうなるとやっぱり友達が頼りで、そのとき、私がとても信頼している友達が3人くらいいたので、結局、治療法を決めるに当たっては、その友人たちの意見が、かなり大きく影響したと思うんですけれど、私は、今まで何でも自分のやることは自分一人で決めてきたんですけど、今回ばかりは自分で決められないって思うぐらい、実はやっぱり大きな出来事だったんですね。自分にとっては。
というのは、がんというのは、死ぬ病気だというふうに、思っていたので、とても大きな命にかかわる、初めての試練みたいに思いましたね。