投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

しこりを見つけ、市の検診の機会に診てもらったが、「様子を見て大きくなったら来てください」と言われた

ある日、右胸に小さなしこりがあるのがわかって、ちょっと、なんだろう?と思ったんですね。で、まさか自分が乳がんだなんて思わないんですよ。家族で乳がんにかかった人間もいなかったし、周りにそういう人がまったくいなかったので。で、自分が、それになるなんてこう思ってもみなかったんで、全然その見当がつかなかったんですね。ただこう、しこりがある、なんだろう?っていうことで、一度、以前入院した病院の検査に、乳がん検診に、行ったんですね。確か市の検査だったと思うんです。安い市の検査が、年齢的に、そういう市の検診の葉書が送られてきて、ちょっと気になってたんで、受けてみようと思って、いいきっかけだと思って、(以前、別の病気で)入院してたところの病院に行って検査をして。で、そのときは、特に何も言われなかったんですね。良性、良性だったのかな、確か。それで、「あ、そうですか」、で、「しばらく様子をみましょう」とか、「また、もう少し大きくなってから来てください」みたいなことを言われたと、言われたはずと思うんですよ。で、「えっ?」と思って。ずっと振り返ってみると、あのときにこうしてればっていうのがたくさんあるんですが、そのときは、何も、どうしていいのかわからず、先生の言うことにそのまま従ったほうがいいと思って。この良性の、腫瘍についての、知識とか、悪性の腫瘍はどういうものかとか、深く先生に追求をまったくしなかったんですね。で、良性の腫瘍でも取れる、取れれば、それはそれで、先生に取りたいですって言えばよかったっていうことは、今では知ってるんですが、その時は何も知らなかったんで、良性だから、しばらく見ていて、大きくなったら、また行けばいいんだっていう感覚しかなかったんですね。

乳がんの語り

再発したとき、母親に病状をわかってほしくて、診察に連れていった。自分から母親に話すと元気そうに見えて理解が難しかったようだが、医師から聞いて納得したと思う(音声のみ)

母が診察に来たのはその1回だけです。で、「1回、じゃあ、先生の話をお母さんも聞いてみる?」って言って、連れていったので、もうその後は今日に至るまで1人で行っています。
 

――そのときは、どうしてお母さまに声を掛けてみようと思われたんですか?

もう記憶がないんですけれども、多分その再発したんだっていう話をしたときに、「お母さんも話、聞いてみる?」っていうふうに自然に言ったんだと思うんですね。それと、やはり病気を理解するっていうのがすごく、今もそうなんですけれど難しいんですね。どれだけ話しても姿かたちが元気なので信じきれないんですね。なので、私がどういう状況なのかってことを、まあドクターから聞いたら、ちょっと納得するかなっていうふうにも思ったと思うんですね、自分が。なので、一緒に行ったんだと思います。

――それは良かったかなというふうに思われます?

そうですね。どちらでもないんですけど(笑)、それで行って何か変わったとかっていうこともないですし、それは母自体がどう受け止めたかは分からないんですが、ただ、少なからずそこで、ああもう治らないんだなっていうことは、母も理解ができたのかなとは思います。

乳がんの語り

自分の体力を考えて仕事の量を減らしたりすると、治療費の負担もあって赤字になってしまう。検査結果ぐらいはメールで知らせるか、土曜診療にしてほしい(音声のみ)

やはりまあ私は一人暮らしになっているので、今は――実家にいてもですけれども――やっぱりひと月に、ひと月1万円だったらばそんなに負担は感じないんですけれども、やっぱり今のように、2万、3万、4万になってくると、まあ非常に負担が大きいかなあというふうに思います。で、その自分のストレスとか、体力とか、そういう体のことを考えてお仕事の量を減らしたりとかすると、どうしても赤字になってしまっていて。で、そこを両親に補ってもらったりっていうような形にはしているんですけれども、非常に働きながら治療をするっていうことに関しては、すごく厳しいですね。やっぱりこれだけ患者さんが多いのに、働きながら治療が何でできないんだろうっていうふうに。まあ診療所じゃないから、夜の診察がないとか、そういうこともあるかもしれないけど、せめて検査結果だけぐらいだったら、何かメールとか、土曜日とか、何か、なにか手を打ってほしいなっていうふうにはすごく思います。

乳がんの語り

保険で診断一時金が出たので、1年間働かないで治療に専念でき、気持ちを切り替えて新しい人生を考えることができた(音声のみ)

私は幸い生命保険のお金が…まあ特約とか、そういったがん保険とかっていうのが2つ入っていたので――まあ1つは両親が、あのう、まあ私が知らないうちに、まあお付き合いで入れてたものなんですけれども――そういったものがありましたので、かなり働かなくても、ほとんど困らずに何でも好きなことができるぐらいのお金を、頂くことが幸いできたので、それは本当に助かりましたし、今もまだ助かっています(笑)、はい。
この話は初発のときにも、患者さん同士でもよく話していたんですね。「保険に入っておけば良かったー」って、本当に言っていて。で、まあ本当に簡単な保険の人とかだと、「これしか出ないんだよねえ」って言ってたりとかして。
入院と手術のお金だけでも随分違う、違いますし。で、プラス一時金が入ると、それだけで本当に1年間働かなくても暮らしていくことがやはりできるので、そうやって休める時間があったから、気持ちを切り替えることができた。
で、もし、仕事を続けていたら、そんな、今みたいにそんなふうにやっぱり気持ちを切り替えて、新しい人生を、とか思わなかったと思うんですね。だから、その経済的なお金のことを考えないで治療に専念できた期間っていうのは、すごく大事だったし、自分自身を休ませてあげるっていう時間を持てたので――そのお金には本当に、まあ自分が払ってたものなんですけど、今も払い続けてますけれども――本当に役に立ちました。

乳がんの語り

再再発の化学療法でも、飲み薬の間は派遣で月~金のフルタイムの仕事をしていたが、点滴の薬になると平日に休みを取らないといけないので、いったん仕事を辞めた(音声のみ)

で、ゼローダまでは飲み薬なので、抗がん剤でも、まあ、特に不都合のない人であれば、月に1回とかの通院で済むんですけれども、どうしても点滴の注射になると、まあ3週間に1回の点滴の注射もありますけれども、私が今やっているナベルビンに関しては、ほとんどウイークリーと変わらないので、どうしてもお休みを取らないといけないという形になって。もちろん遅刻・早退でも可能なんですけれども、自分が無理っていうのがあって、本当はそんな甘いことじゃいけないなと思うんですけれども。あと、ただ、時間どおりにはやはりいかないですね、病院は。ですから、やっぱり診察で1時間待ったり、注射で、注射もそこにあるアンプルですぐ打つわけではないので、一人一人に合わせて調剤してから、送られてくるので、その時間っていうのもあるので、どうしても待ち時間とか合わせると、なかなかそういう思い通りにはいかないので、だったら休みにしちゃったほうが…(会社に)戻らなくてもいいし。例えば遅刻で「何時って言ったのに何時に行けない」って言ってイライラすることもないので、もうお休みにしたほうがいいなと思ったときに、やはり月曜日から金曜日の契約で入っている以上は、あ、もうこの会社はとりあえず1回辞めなければというふうに思いまして、1回辞めまして。
で、今ナベルビンが少し軌道に乗ってきているので、これから少しずつ、社会復帰を考えていきたいなとは思っているんですけれども、やはりどうしても病院は月曜日から金曜日までなんですよね。もうそれが本当に病気になって初めて、自分の受けたい科が月曜から金曜日にしかないというのがものすごく不便で。
で、土曜日やっているところもあるんです、ありますけれども、私が行っている病院は月曜日から金曜日しかないので、何かお医者さんもシフト制にしてほしいっていうふうに(笑)、ものすごく思います。
まあ平日のお休みを取れるところにして、働く日にちを少し減らしたりとかっていうような工夫を今、考えているところなので、どうしても月曜から金曜日までのフルタイムのお仕事はもう無理かなあと思って…いるんですね。

乳がんの語り

やりたいことを優先して、副作用の強い抗がん剤は一時休薬して、三線ライブを行うことができた(音声のみ)

6月に私がその習っている三線という楽器と、あと歌と合わせてライブをやることになっていたので、ライブ活動というのを、プロとしてではなくて、ボランティアライブだったり、そういったことの活動を少しずつしているんですね。今回は役者さんのお友達と一緒に朗読を合わせてやるライブを計画していたので、「とにかくそのときに何かあったら困る」っていう話を、先生に一応お話しして。で、先生も、非常にそういったことを覚えていてくださって、「もうそれに合わせてそのときが大丈夫なようにしようね」という話をしてくれて、1番はその私のやりたいことを優先、2番目が治療というような選択肢で、一応動いていました。
そして、お薬としては、もうその後、もう抗がん剤しかないので、やはり髪の毛の抜けないお薬をというふうに相談をして、で、今現在もやっているんですけれども、ナベルビンというお薬で治療を再開しました。ただ、始めたときの最初の1回目がものすごく副作用がひどくて、吐き気があまりないらしいんですけど、ものすごい吐き気があったんですね。で、まあ一応副作用止めでナウゼリンというお薬を頂いたんですけれども、全然それが効かなくて、もう2日間、食べれなかったんですね。で、2日間で2キロ近くやせてしまって、まあやせることはいいことなんですけど(笑)。やはり、「いや、ちょっと体力がもうちょっと無理」っていう感じになってしまったので、そこでまた先生に相談をして、「ライブが近いので、この状況だと無理だから、ライブが終わるまでもうやらない」っていう話をして、また休薬にしました。

乳がんの語り

再発治療では脱毛しない抗がん剤を選んだが、自分の場合はその薬で下痢がひどかった。飲み薬だったので、点滴と違って副作用出現が予測できず、仕事中の突然の下痢に苦しんだ(音声のみ)

そのゼローダに関しては、1日3回お薬を飲むだけなんですが、髪の毛は抜けないんですね。ただ、やはり飲み薬なので消化器系にものすごくダメージを受けてしまって、それを改善するためにビオフェルミンとか、そういったもの、整腸剤を処方してもらったんですけど、もう全然効かなくって。当時ももちろんお仕事はしていたので、それが、普通に下痢とかだったら、ちょっとおなかが痛くなってきて、「あ!」って思うじゃないですか。でも、そうではないので、もう急に「来た!!!」っていう感じになってしまうので、何か席を離れて帰ってきたら、また席を立つみたいな、そういった感じになってしまうので、もうお昼も怖くて食べられないので、サンドイッチとか、本当にちょっとだけ、で、あんまり飲み物とかも飲まないようにしたりとか、でも、おうちに帰ってきてしまうと安心なので。それがずうっと続くわけではないから、読めないんですね。点滴の副作用と違って、点滴を打ってから何日間か吐き気があるとか、まあ点滴の場合だと、だんだんこう薄まってくるので、次に投与するまでの間に。でも、飲み薬は常にあって、それを肝臓が解毒する…ということがありますから、いつ、それがこう体に回っているかっていうのが分からないので、どうしても読めなくてすごくつらかったんですね、その下痢の副作用が。で、人によっては便秘になったりするらしいんですけれども、私は下痢がすっごいひどかったので、もうその副作用が本当に苦しかったですね。

乳がんの語り

術前抗がん剤は何回で終わるという目標があったが、再発治療はずっと抜けたままになるのが嫌で、脱毛しない抗がん剤を選択した(音声のみ)

2007年の10月には腫瘍マーカーの上昇と、肝臓の転移が、やはり抑えられていたものが大きくなって、で、もうその段階でホルモン剤の選択肢がなくなってしまったんですね。で、そうなってしまったので、後は抗がん剤…という選択肢しか残されていないということで。で、私はとにかく術前(抗がん剤)で大きな副作用というのは経験してないんですけれども、やはり髪の毛が抜けるのは本当に嫌で、それは何でかっていうと、初発のときというのは何回っていう目標があるので、抜けてもそれが終われば、また生えてくる。でも、私のように転移をしてしまった人というのは、もう延命治療なので死ぬまでずぅっと続くんですね。で、やっぱり髪の毛(が抜ける)っていうのが平気な人は平気かもしれないんだけれども、また、ドクターとかは、「また生えてくるからね」って言うんですけど、でも、生えてきたときに生きているか分からないじゃんって、やはり言いたくなってしまう、それがやっぱり延命治療だと思うんですよ。で、やはり母に、もうその姿を見せられないっていうふうに初発のときに思ったので、もし、自分がその髪の毛がない状態で死んじゃったら、やっぱりお母さんがかわいそうっていうのを一番に思いましたね。そして、「とにかく髪が抜けるのは困る」っていうことを先生に言って、そしたら、抜けないお薬も今はあって、で、まあ飲み薬で一番最初に選択したのがゼローダというお薬なんですけれども。

乳がんの語り

「治ることは難しいが、生きたいように生きられるようお手伝いします」という告知で、これから先の人生を考えようと思えた。そして自分から余命について聞いた (音声のみ)

再発とか転移の告知と、初発の告知はもう全然違うので、再発と転移のときに関しては、「もう治ることは難しいです」っていうこともはっきり言われて、「これから、あなたがどう生きたいか教えてください。その生きたいように生きられるように、私たちもお手伝いをします」っていうふうに先生に言われました。でも、私はそういうふうにはっきり言われたことによって、自分の病気を受け入れることができたので、そういうふうに言ってもらえた告知で良かったなと思っているんですね。
だからこそ、もう悔いがないように治療することだけに専念するっていう人生もありだと思うんですけど、治療をするために何かを我慢するっていうことではなくて、その折り合いをうまくつけながら、最終的に何で死ぬかは誰にも分からないので、それが、がんなのか、まあ事故だったり、別の病気だったり、それは誰にも分からないから、ただ、今はできる治療を少しずつ、まあ普通の生活ができる限りできるような状態でやっていければいいなと思ったので、そのときは受け入れることができて、それは先生のやっぱりそういった明確な告知によって、ただ、人によっては分からないですけど、私の性格にはすごく合っている告知だったんですね。
で、そのときに参考余命というのも聞いて、「私みたいな人の場合はどのぐらい生きられるんですか? 私は抗がん剤をやりたくないんです」って、その時には言ったんですよね。「3年」って言われました。で、まあもう3年、今、過ぎてますけれども、でも、それはもちろんそれ以上生きる人もいるし、そこまで生きられない人もいるっていう全部を含めた上でのあくまでも平均的な数値ということで伺ったんですけれども。まああまりそのときの話は覚えてないんですけれども、私自身の気持ちとしては、まあはっきり聞きたかったっていうのが一番だと思います。で、それによって、これから先の自分の人生を考えようっていうふうに思いましたし、そこで、イコール死っていうことは全く考えなかったので、まあ今現在もそうですけど、動けて、しゃべれて、食べられて、何不自由なく暮らせていることに変わりはないので、ただ、この現状を維持するために何が必要かっていうことを知りたかったので、はっきりとそこでは聞きました。

乳がんの語り

腫瘍マーカーが上昇し、腹部エコーで肝転移と、同時期に皮膚転移も見つかって、リュープリン注射が始まった (音声のみ)

(初期)治療をして、まあ大体1年ぐらい、2002年、2003年。で、まあ少しずつ社会復帰とか、そういったこととかを、考えるようになってきました。そして、2004年に入って、ちょうど腫瘍マーカーの上昇っていうのが、2004年の入ってすぐ、1月に上昇してしまって。そして腹部エコーで肝臓への転移が分かりまして、あと、同側の切ったところの皮膚の転移っていうのもちょうど見つかりました。で、アリミデックス(*)だけだと、やはり難しいというのもありましたし。あと、どうしてもまあ年齢的なこともありますけれども、もう特に(生理を)止めていないので、やはりホルモンの数値が上がって、まあ生理が戻ってきてしまっていて、やはりホルモン陽性(のがん)ですから、そういったこともありましたので、リュープリンという、(生理を)止めるお薬の注射をプラスして、で、一応ホルモン療法は、そのまま続けて、それは少し効きまして、肝臓と皮膚と(転移は小さくなり)、腫瘍マーカーも一応、下がりました。

*アリミデックスは、通常、生理が完全に止まった人に使われます。