投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

以前、乳がん検診で異常がなく、また行かなくてはと頭にあったが、子どもの世話などで忙しく、行けなかった(手話・通訳付)

十何年前になります。1回だけ、今思うと恥ずかしいことなんですけど、マンモグラフィを1回だけ受けたことがあるんですね。その時は、「問題ない」って言われたんです。じゃあ、わたし大丈夫なんだわ、と思ってたんですけれども、やっぱり、一応、「検査してください」とは言われたんです。それは覚えてたんですけれども、いつもの生活、毎日の生活が忙しいし、子どもの世話もあるし。やっぱり忙しかったんですよね、いつも、いつも。ほんとに、バタバタ、バタバタした生活でした。

で、自分の体を改めて考えるというようなことがなかった。今思えば、それは後悔してるんですけれども、年に1回でいいから、月に、1ヶ月に1回でもいいから(自己検診をしたり)、なんか検査に行けばよかったな、と思ったんですけど(※)、もう、ほんとに、とにかく、一日を、一日、一日をどうにか、あの、過ごしていくっていう感じで、ほんとに忙しかったので、検査に行かなかったんですね。

※検診の頻度:専門家で構成される「がん検診に関する検討会(厚生労働省)」において、乳がん検診の受診間隔について検討した結果、2年に1度とすることが適切であるとされています(国立がん研究センターがん情報サービス乳がん検診Q&Aより)。ただし、しこりなどの自覚症状がある、遺伝的なリスクがあるなどといった場合、状況によって頻度が変わります。

乳がんの語り

無治療の間は常に再発転移の心配がある。友人に勧められた気功や食事療法をやるか迷い、インターネットで情報を得たが、判断に困ってやめることにした(手話・通訳付)

無治療法の間は、やっぱり、転移の心配はありますよね。いつもあります。なんだろう。すぐ考えてしまうけど、忘れなきゃ、そんなふうに思ってもしょうがない、という感じで、とにかく転移の心配は、やっぱりあります。不安は常にありますね。だんだん大きくなるんですね。その時に、どうしたらいいんだろうと思った時に、意外な方法なんですけど、気功。「気功はどうかしら」って、ある友達から言われたんですね。うーん、迷ったんです。信じられるのか、信用できるのかしらと思ったんですが、ヨガとか、食事療法とか、玄米を食べたほうがいいとか、いろいろみんなに言われるんですけれども、いろんな情報をみんなに言われるんで、逆に混乱してしまったんですよね。自分で判断できなくなってしまったんです。

で、これも、やっぱり自分で勉強しなきゃいけない。どれがいいのか。どういう方法がいいのかっていうのをきちんと勉強して、これは怪しいとか、これがいいとか、そういう情報を、やはりインターネットで調べようとしたら、かなりのものすごい量なんですね。いや、どれがいいのか、どういう方法がいいのか、どれが信用できるのか、やはり、インターネットでも判断できないんですね。もう、とにかく、もうやめよう。もうそういうの、もう見ない。もうやらないっていうふうに決めました。

乳がんの語り

レベル3(※)のリンパ節転移があり、乳房切除後に放射線治療を行った。手話通訳なしで毎日通院したが、看護師と簡単な手話で会話するのが嬉しかった(手話・通訳付)

手術が終わったあと、1ヶ月後に退院しました。そのあと、手術の結果、病理の結果的に放射線療法が必要だというふうに言われました。それから、抗がん剤を飲む、服用するというふうに言われました。うーん、どうして放射線なのか、全部取ったのに放射線なのかしら、って、一応聞いたんですね、お医者さんに。で、やっぱりリンパですね。一応、レベル(※)が、レベルが3つあるんですけど、3までだったので、でも、やはり、もしかしたら鎖骨のほうにいってるかもしれない。それを止めるために、やっぱり放射線は必要だというんですね。また、胸の胸壁のところまで、もしかしたらいっているかもしれないということで、そこも放射線で集中的に治療したほうがいいというようなお医者さんの話だったので、その時に、まあ、ちょっと、うーん、迷ったんですね。どうしようかなって思ったんですけど、やはり、うーん、その時に、家族のことを考えて、やらなければならないというふうに思って放射線治療を受けることにしました。

25回ですね。数は25回通って、あと、鎖骨のところ、5回、合わせて30回(※映像の50回は言い間違え)ですね、全部で。通いました。毎日、毎日です。その時は、放射線室の看護師さんと技術者の人たち、前もってろう者が来るっていうっていうふうにはわかってたということなので、筆談で。で、「何回目です」とか、なんか書いたりとか、「時間が何分です」まあ、短いですけれども、細かく、こうこう流れを説明して書いてくれました。で、それを見て理解することができました。資料もきちんと準備してくださいましたし、その間は通訳はいりませんでした。毎日、同じことの繰り返しですから、通訳は頼まなくても自分一人で行くことができました。

「耳が聞こえません」って身振りと、まあ、これは「これ」、なんて簡単な手話、「痛くない?」とか「疲れた?」とか「大丈夫?」みたいな手話、簡単な手話。毎日会ってるとね、向うも覚えてくれて、簡単な手話で話すこともできました。毎日通うのは大変だったんですけど、そこで、簡単な手話でも、会話することがすごく嬉しかったですね。頑張ろう、手話覚えてくれたんだ、頑張ろう、という気持ちで通いました。

で、終わったあと、「お疲れさまでした」って言うと、思わず、終わったあと泣いちゃったんですよね。ほんとに。「もう二度と来ないで」なんて、「来ちゃだめよ」なんて言われたんですね。「なんで。寂しいよ」なんて言ったら、「もう元気なんだから、また悪くなって戻るよりは、転移なんかして来ないで」って言われて。「会わないほうがいいっていうことなのね。でも、やっぱり寂しかったけれども、頑張ります。遊びに来てもいい?」って言ったら「ううん、それもだめ。それもだめよ。来ちゃだめよ」って。「もう終わり。これは終わりなんだから」って。「これから前を向いて、ここじゃなくて、病気のことじゃなくて前を向いて生きてってください」って言われて、もう、それで、本当に頑張ろうというふうに思いました。

乳がんの語り

治療を繰り返すうちに副作用のサイクルがわかり、生活のコツをつかめた。副作用の少ない元気な時期は活動的になって貯まった家事をこなした(手話・通訳付)

そうですね。副作用と言っても、ずっと副作用が続いているわけではないので。薬を入れたあと吐き気があって、1週間ぐらい続いたあと落ち着くっていうような感じですかね。すると、また元気になっていく。ご飯も食べられるようになる。最初の時は、(抗がん剤治療は)3週間に1回ですね。3週間に1回という感じで4回やったんですね。ですから、だいたい(次の治療まで)1ヶ月ぐらい空くわけ。(治療が)1ヶ月に1回ぐらいの計算ですから、1/4は、つらい思いをしなくちゃ、吐き気を我慢する。そのあとは、残りが元気になったって感じですかね。

免疫力が、やはり低下してるから、マスクもしなければない、手洗いもきちんとしなければいけない、食べ物も、あれはだめ、これはだめというような、厳しく、そういう食事指導もあったので、注意するように言われてたので、それを守っていた面では、ちょっと大変だったですけれども。特に、夏の時は、マスクしなきゃいけないのは、本当に暑かったんですけど、我慢しなきゃいけなかったですよね。外出する時はマスク。あと、うがいをしなければいけない。うがい、手洗いですね。主人も娘も、帰って来たら必ず手を洗ってちょうだい、うがいしてちょうだい、っていうような感じで言ってやって、2人も協力してくれました。うん、そうですね。それでなんとか、感染はなかったんです。それで、まあ、どうにか乗り越えられていったと思います。

そんな繰り返しで、なんか、コツっていうんですかね。生活のコツっていうのを少しずつわかったあと、こうすればどうなんだ、こういうものは食べられる、これの時はこういうふうにできる、みたいな。例えば、冷たいものも、食べる、食べやすい、なんとか、栄養のために食べるというような方法も、いろいろ、ちょっとコツですね。そういうのを自分で考えてやりくりできるようになったんですね。ただ、薬は、あんまり効果がなかったんですけど、やっぱり飲まなきゃいけないということで飲んでいましたけれども。

やっぱり、1週間たったあとぐらいに、やはり楽になりましたね。副作用がだんだん少なくなってくると元気になってくる。その間は、もう、いろいろ活動的になって、たまったものを、こう、何かこう、家事をこなしたりとかやりましたけど、また次の準備、治療のために準備してきちんとしきゃいけない、なんて感じで、あの、この回し方っていうのを、自分でもコツを覚えました。そんな感じの1年でした。

乳がんの語り

術前抗がん剤治療で効果がなかったので、先に手術すればよかったと思うこともあった。しかし、今、元気なのは目に見えない効果があったと思っている(手話・通訳付)

まあ、その時は、(抗がん剤の)効果がなかったので、先に手術すれば良かったかな、と、確かに思うこともありました。でも、今思うと、今、元気だというのは、もしかしたら、ま、わたし個人的な考え方ですよ。個人的な考え方ですけども、この抗がん剤を受けた時に、体全身に回りますよね、それは。見えないところで、何かがんが、見えないがんっていうのは消えてたんじゃないか。その効果が、そういう効果はあったんじゃないかなっていうふうに自分で思ってるんですね。だから、今、これだけ元気なんだっていうことですね。転移もなく。

この体なのは、確かに、腫瘍(しゅよう)、ここだけ、腫瘍の部分だけは効果がなかったかもしれないけども、それは手術で取ったんですね。で、放射線の効果もあった。見えるところは、とにかく手術で取った、と。ただ、転移、見えないところは、手術の前の抗がん剤が、その効果があったんじゃないかなーって、いいほうにいいほうに、自分としては、そういうふうに思うようにしてます。思っています。だから、今思えば、それをやって良かったな、と思っています。

乳がんの語り

術前抗がん剤治療の副作用で吐き気や疲れで辛く、家で寝ていることが多かった。治療が延期し1年かかったが、家族の協力があって乗り越えられた(手話・通訳付)

前もって主治医に、「副作用はこんなのがあるのよ」というような、主治医に、「こんなのがあるのよ」っていうのを、いろいろもらって、資料もコピーしてもらって。たぶん、準備してくれたんだと思いますけど、細かい資料もいただいて、それを自分で読んで、「またわからなければ、今度、次の時までに質問を準備してください」っていうようなかたちで、前もって、受ける前にいろいろ自分で読むことができました。こういう副作用があるんだ、っていう。だから、そういったことで心構えはあって、それから受けました。

で、抗がん剤治療は7ヶ月間ですね、の、予定だったんです。でも、やっぱり副作用がひどくて、やはり、延期、延期、延期というようなかたちで、結果、1年間ですね。まあ、副作用は本当につらかったですね。まず、吐き気がひどくて。あと、髪の毛が抜けましたし。それは、もうわかってたんですけれども、心の準備がありました。だから、かつらをいろいろ準備したりとかしました。

それと、でも、やっぱり副作用、その吐き気ですね。これは、もう、ほんとに耐え難かったですね。あと、疲れですかね。家の中にいても、ただずっと寝てるようなことが多かったですね。娘は、もうその時、中学生だったので、お弁当を作らなければならないんですが、そのお弁当も作れないぐらいなんですね。「ごめんね。買っていって」っていうような感じで、娘も理解してくれて。

また、主人も、体、ほんとに気持ちが悪いから、ってことで、洗濯とかいろいろできない。主人にお願いしても、主人も「いいよ」という感じでやってくれました。ほんとに、その時の家族の理解と協力ですね。どこまで理解してくれたかわかりませんが、とにかく、その協力してくださった、くれたということは、本当にありがたいと思います。それがあったからこそ、乗り越えられたんだと思います。そんな感じでしたかね。

乳がんの語り

女性として乳房切除はショックなことだが、命が優先。年齢を考えても、結婚して子どもがいて、服を着れば隠れるし、再建しなくていいかなと思った(手話・通訳付)

実際に、女性としては、乳房を奪われるというのは、最初はショックという面はありましたけれども、うーん。命ですね。命を考えれば、命が優先ですよね。命のほうが大切です。娘もまだ中学生だし、主人とかね、家族のこと考えたら、体の一部を取ったとしても、なくなったとしても、元気で生きられればいいというふうに考え方を変えました。だから、もう、取ってもいい。それは仕方がない。命が大切、生きることが大切なんだと思って、で、取ることを決めました。

で、実は、病院の中で、乳房を取ったのは、主治医の先生ですよ。でも、お腹から皮膚をとって植皮(※)するのは別の先生なんですね。そういう専門の先生です。その先生も言った、再建、「乳房再建はどうですか」と、一応言われたんです。そういう方法もできると言われたんですけれども、その時、手術の時はまず取ってしまいますよね。で、しばらくしたあと、また、再建の方法があるっていうようなかたちを言われたんですけれども、また手術をしなければならない、また入院をしなければならないっていうのは、ちょっと、わたしとしては、もういいな、いいやと思って。

とにかく、とにかく生きること。命を考えれば、元気になるんであれば、そのあといくらでも再建できるっていうふうに。あ、「できますか」って聞いたんですね、お医者さんに。そしたら「大丈夫ですよ。そのあとできます」ということで、まず、手術の時、一緒に乳房再建はやらないということをまず決めて、まず、とにかくがんを取る。そのあと、植皮するというかたち。そういう手術でお願いします、というふうに言いました。

結婚してるし、子どももいるし、年齢的に考えても、もう洋服着れば見えないし、プールに行くわけでもないし、裸を見せるわけでもない、胸を見せるわけではないので、ま、いいか、いいわ、と思って、他のことを考え、そういうことを気にするよりも、とにかく。ま、ショックもちょっとだけありましたけれども、そのあとは、とにかく命が大切、生きることが大切と思って、ま、(乳房を)取ることを決めました。

主人も、「うん、わかった」ということで言ってくれたので。再建してほしかったらしいです、主人は。夫、男性はそういうふうに思うんでしょうけれども、その時は、とにかく、わたしは大切なのは命、命というふうに思ってたので、そういうふうに主人に言いましたら、「うん。自分の思う通りにやったほうがいいよ」というふうに言ってくれて、自分で決めました。

※植皮:からだの他の部分から皮膚を採取して、皮膚が欠損している部分に移植すること

乳がんの語り

体が疲れやすく変だと思っていたら、左脇の下のしこりを見つけたが、ちょうど父ががんになり、看病で自分のことは後回しとなった(手話・通訳付)

2ヶ月ぐらい前から、なんか、ちょっと体が疲れやすいっていうふうに思ってたんで、どうも変だな、って思ってたんですね。なんか、今までとは違うんですよね。ま、年かな、とか思ったんですけど、どうも疲れやすい。なかなか、こう、治らない。一晩寝ても疲れが残ってるような感じで、ちょっとおかしいな、と思ってたんですね。

まあ、健康、食べるのも、ちゃんと、きちんと食べられてるし睡眠も取れてるし、大丈夫だと思ってたんです。ただ、変だな、疲れやすいのが変だな、と思ったんです。今思えば、それも関係あったかな、と思います。もう、あとからになっちゃうとわかりませんけれども。ま、休憩すれば、休めば、また元気には多少なったんですけれども、でも、やっぱり疲れは残っている。おかしいな、なんか、体の中が変なのかな、なんて思ったんですけども、やっぱり忙しかったので病院には行きませんでした。

そんなことがあって、たまたまお風呂に入って、のんびりとお風呂に入っていた時に、胸を触った時に、あれ、なんかおかしい。しこりですか。しこりみたいなのがわかったんですね。左の、ちょうど、こう脇の下あたりぐらいですね。胸の横ですね。いつもは、まあ、上のほうは触ったりするんですけど、下のほうは、あんまり触ったりしたことがなかったんです。胸の。で、その脇の下のほうになんかあるって気が付いたんですね。これは、もしかしたら、まあ、なるべく信じたくないけど、どうもって気にはなったんです。

で、たまたま、わたしの父なんですけれども、胃がんが見つかった時だったんですね。ま、母から、父ががんが見つかったっていう連絡を受けたんです。で、わたしも、もうびっくりしてしまって。父ががん。わたし、自分のこと、ま、とにかく父の看病をしなくちゃいけない。父のことが心配になってしまって、自分のことは後回しにして。父は、がんとはっきりわかったので、病院へ連れて行って手術など、準備など、自分のことはあと、あと、っていうこと、まず父のことを思って、父の看病をしたんですね。母と一緒にやりました。

それが1年以上かかりましたかね。とにかく、自分のこと、あと、あとと言ってたんですけど、お風呂に入るたびに気になるんですよね。いや、おかしいな。でも、とにかく自分のことは、あと、あと。とにかく、父が落ち着いた時に、やっぱり、まず、病院をどこに行けばいいかということで困ってしまったんですね。乳がんといっても婦人科かしら、どこなん、婦人科じゃないな、がんだから、どこなんだろう、というふうな感じだったんです。

乳がんの語り

かつらのことは先輩の患者さんに教えてもらった。髪の毛が抜けると、こんなにも頭から皮脂が出るものだとびっくりした。毎日洗っていても皮脂で臭かった(音声のみ)

その方は、治療はどのくらい私より早かったのか分かりませんけれど、ま、全部、抗がん剤で髪の毛が抜けていたので、かつらを常に、あのー、用意していましたので、「こういうものがあるよ」と親切丁寧に教えていただきました。手術したらすぐに買わなくてはいけないなと。髪の毛の、と申しますか、髪の毛の抜けた時点ですぐに美容院へ行きまして、あの、注文してまいりました。
かつらはとても、もちろんみんなそうでしょうけど、暑いことと、私は非常に何かチクチクして耐えられなかったという記憶があります。それと、あのー、大変恐縮な話ですけれども、髪の毛が抜けて、言葉が悪いんですけれど、まあ、はげた頭になったわけで、こんなにもこの頭からは脂が出るんだなということを本当にびっくりいたしました。だから、あの、まあ、その皮脂が、毎日洗ってるつもりでもやっぱり臭い。それと、たまに帽子をかぶるんですけれども、その帽子のこのつばのところに、あのー、脂がついたときには、本当に、どうしようじゃなくて、すごい、皮脂ってすごいんだなあと改めてびっくりいたしました。男の人は大変なんだなと思いました。

乳がんの語り

苦しかった3日間は水だけが美味しく感じ、何も食べたくなかった。治療中は人間ではない動物のような嗅覚になり、自分の体のにおいでさえ臭く感じた(音声のみ)

抗がん剤は、本当に強い抗がん剤を4回したんですけれども、これはもう確実に個人差はあるものの、あのー、大変だということで、それが4回あったんですけれども、特に最初の1本目は、あのー、どういう状態になるか分からないということで、入院をいたしまして、最初の1回は抗がん剤をしました。抗がん剤は、そうですね、あのー、ほんとに3日間頑張れば楽になるというふうに、先生はおっしゃってたような気がします。で、私もテレビで見て、子どもが白血病か何かで闘って、ああ苦しいとか、吐き気があるというふうな、ドラマでしか見たことなくて、自分が本当に、あのー、こんな病気にかかるとは思わなかったので、抗がん剤をしてみて、まあ、確かに苦しいのは3日間でしたけれど、特に一番、今でもそうですけれども、あの、大変だったのは、におい、嗅覚が、あの、「人間ではない嗅覚」という、自分で、表現しているんですけれども、まるで何かそのー、動物的な嗅覚になりまして、もう、一番はその、においが駄目で、もう病院のにおい、食事のにおい、お茶のにおい、一切(笑)、この世からにおいがなくなればいいのにと思うぐらいにおいは敵でした。だから、その3日間は、一番おいしかったのはお水。お水は何もにおいがない。お茶はお茶の香りがする。そんなわけで、お水でした。食べ物は一切3日間というものは食べたくない状態でした。
それから、そのとき以来、嗅覚が本当に鋭くなって、自分の体、まずは、食べ物のにおいもそうですけど、自分の体のにおいが、お薬なのか何なのかは分からないんですけども、とにかく、もう、臭かったのを覚えてます。なので、自分の寝ているお布団とか、病院であれば自分のベッドの周り、何メートルぐらいでしょうか、廊下歩いてきても、「このにおいは何?」と思うと、自分のベッドだったということを記憶しております。臭かったです(笑)。