投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

自治体からお知らせが来て、検診を受けたら乳がんが見つかった

実際に乳癌ってわかったのは、集団検診のほうでした。そのとき、もうデザイナーとして独立していたので、区のほうで、ある年齢に達したら、無料で受けられるという、その案内状っていいますか、そういうのをいただいたんです。会社にいるときはそういう健康診断があるから、まあ積極的にしていたんですけども、フリーになってからは全然ないので、ちょうど案内をいただいたので、このタイミングで、診てもらおうと、大丈夫だろうけど診てもらおうと、そういう軽いノリだったんですけれども。で、診ていただいてちょっと「要精密検査」っていうのがあって、精密検査って言われてもまだ大丈夫だろうって感じで、忙しいから、「精密検査受けなさい」って、報告をいただいても2カ月ぐらい後になってしまったという感じだったんですよね。忙しさがちょっと落ち着いて、それで、「あ、そう言えば精密検査が要るな。じゃあ、受けに行こう」って感じで、受けました。

乳がんの語り

しこりを見つけたが、どこで診てもらっていいかわからず、風邪のついでに内科の先生に診てもらったら、大丈夫だと言われた

胸のほうにやっぱりしこりを感じていたんですけども、お風呂入ったりとか、なんかしこりがあるんではないかなと思ってました。で、ずっと気になっていながら、具体的に、何でしょう、どこに診てもらったらいいかっていうのが全然わからなくて、例えば風邪引いたついでにちょっと、お医者さんに、「胸にしこりが気になるんですけど」って言ってみて、でもそれは内科のお医者さんで、ちょっとまあ胸を触ってみて、「大丈夫違うんか?」って、「乳腺腫れてるだけ違うんか?」っていうような感じで。で、本当に何も知らなかったもので、お医者さんが診て大丈夫じゃないかなっていう判断されたから、まあ大丈夫だろうという、本当になんか無知の一言だったんですけども。で、その内科のお医者さんが「それだったら外科だよ」とかっていう一言があれば、違ったかなと思うんですけれども。私自身も全然もうそれ以上学ぼうとせずに、お医者さんが「大丈夫だろう」って言ったから大丈夫かなという、もうすごく単純なことだったんですけども。でも実際に乳がんってわかったのは、集団検診のほうでした。

乳がんの語り

親しい人が病気になったとき、自分だったら、患者のことを思っているとはいえ、心の中にずかずか入っていくようなことはしたくないと思う

その人の中に入らないことですね。その人の心の中に、ずかずかと入っていかないこと。まずは玄関のチャイムを鳴らしてから、「どなたですか」って言ったら、「誰々だよ」って言って、「ああ、入りなさ~い」っていうふうに友達だったら言いますよね。それと同じで、必ず親しき仲にも礼儀ありで、チャイムを鳴らしてみてから話をする。チャイムを鳴らして、相手を見て、相手がつらかったら、「私もそういうことあったよ」って言ってあげられるか。それを言っても、その人が今、受け入れられる環境っていうか、そういう気持ちで、精神的なものがね、あるかどうかっていうことを見定める力が自分にあるかどうかっていうことも大事だと思います。ただ一方的に、相手のことを思ってるから、思ってるからっていって、土足で入っていくようなことはしたくありませんね。

乳がんの語り

体調が悪くて、当日、急にキャンセルすることもあり、友人付き合いがうまくいかなかった。「もう長くないみたい」というような言葉が、友人には重すぎたのかもしれない

今に思えば私にも非がありましたが、この病気で友人を失くしました。「それは、真の友人ではなかったからいなくなったんだよ」って友達には言われたことがありましたけれども、そうばかりは言えないなと。私にも非があった、と思っています。それでも、やはりこの病気になると、お天気屋の体になってしまうんです。今、例えば10時ぐらいに「今日、ランチに行こう」って誘っていただいたとしても、そのときはすごく調子がいいから「行くよ」って答えることできるんです。だけど、さあ、行こうと用意してるときに、体の調子がもう、砂袋を背負わされたような、ものすごい重たいものを体にずっしりと、水を含まされたものを乗せられたような苦しみに陥る…。

――予定通りに行けない。体調が崩れてって、それが一番の原因だったということなんでしょうか。

難しい質問ですけれども、それは年代的なものもあると思います。ただ遊び友達だった時代の友達をすごく大切にしすぎた。私が思い込みしすぎたという、そういうことだと思います。30代で知り合って、私が47で、発病して、そして友達だと思うから、「私、あんまり長くないみたい」みたいな感覚で、先生に「短命だ」って言われているものですから、そういうことをひょっと言ってしまった。それが、相手を引き下がらせる、1歩も2歩も、引いてしまわせた原因だと。それは、私が原因を作ったんだと思っています。
まあ、私みたいな特有なことは、そうそうないと思います。それはそれなりに、上手にお付き合いをしていく方はたくさんいらっしゃると思います。ただ私の付き合い方が下手だっただけだと思いますけれども。
でも、やはり、友人ががんだって知らされて、余命があまりない、短命だっていうことを知ったら、やはり…この人と今までと同じような付き合い方はできないなって、私もきっと思うと思いますし、どういうふうにこの人と、これから先、どういう話をする友達になっていけるだろうかっていう、そういうクエスチョンマークが心の中に出てくるし、そうなってくると面倒くさいなっていう…。そこまで考えて付き合う必要はないなあっていうことになりかねないかなっていうふうに思いますね。
それが逆に、それをそういう状態になったんだから、私がそばにいて、この人をなぐさめてあげようっていう、そういう心の深い、慈悲にあふれた心の持ち主が、私の友人の中に一人でもいたら、今、続いていたかもしれません。

乳がんの語り

食事のカロリーバランスを考えて野菜中心で、温野菜にしたり、サラダでも冷蔵庫で冷やさないようにしたりしている

食事のバランスですね。きつい薬を飲んでいるので、やはり、食事に対しては、極力考えて。あまりカロリーの高いもん食べると太りやすくなっていますし、だからといって、あまりカロリーの少ないものを食べると免疫力落ちて、今度、またこわい(*)…何かに取り憑かれたらって思う恐怖心もありますから、またそこで葛藤があるんですけれども。まずは食事が一番大事だと思っています。
野菜をね――主人もそう(がん)なんですけど、年齢的にやはり高齢ですから、あの、肉好きな主人なんですけど、だけど、まあ、エネルギーもやっぱり若いときと違って、そうそう体を動かす量が少ないのでね――やはり野菜を中心にした(食事)。野菜を多く取って、それも冷たい野菜じゃなくて温野菜とか。あと、サラダでも冷蔵庫では冷やさない。作る前の30分か1時間前に出しておいて、そして温泉行って帰ってきて、ちょうどよくなったころに切って、そしてテーブルに出すって、そういうやり方をしています。
*ここでの「こわい」とは、北海道の方言で、「疲れた、だるい、苦しい」などの意味です。

乳がんの語り

抗がん剤のあと、8時間くらいするともうろうとしてきた。つらかったのは3日間だけで、その間は母親のおなかの中にいるように丸まって眠り続けた

抗がん剤でつらかったのは、やはり強い薬からやり始めるそうなので、私は薬に大変敏感なほうらしいんです。それで、やり始めて8時間たつと、もう体にサインが来るんですね。吐き気とか熱とかっていう、まあ、熱は出ましたけれども、嘔吐とかっていう苦しみはないんですが、何ともいえないもうろうとしてきて。ティッシュペーパーの箱の周りに、レースのカバーをかけてたんですが、そのレースが波を打っているように見えたり、そのレースの縁取りに虫がはっているように見えたり、そういう状態が続き、それがとっても怖くて、もう鳥肌が立つぐらい、怖くて怖くてしょうがなかったことを思い出します。
あとは、抗がん剤やってたとき、とってもつらかったのは、3日間だけなんですね。3日間だけ丸まって、それこそ赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる、羊水にいるような形で丸まって、トイレに行くだけ、行くだけしか、動けない。それすらも苦痛なんですけど、行かないわけにはいかないから用を足しにいく。そしたら、また帰ってきて、もうとにかく眠り姫っていわれるぐらい、もう寝てばっかりいるんですけど、寝てはいないんです。眠っているように見えるんだけど、みんなの動き、全部解っているんです。ものすごい疲れなんです。

乳がんの語り

怪しいなと思っていたが、夫の療養と重なり3年間放っておいたら、胸が陥没してしまい、もう駄目だと思って病院に行った

私は、平成13年にがん告知を受けました。その前に、主人ががんにかかっていまして。もう、私のほうも、そのときにある程度、自分の中では怪しいなっていうものはありましたが、なかなか病院に行く勇気はなくて、それから3年間、放っておきました。それで、もう、4期だったんですね。

――どうして自分で病院に行ってみようっていうふうに思われたんですか?
それはやっぱり「ちょっと怪しい、これは行かなきゃ駄目だな」っていうふうに思われたんですか?

うーん、もうそのときには胸も陥没していましたし、痛くて痛くて膿が出て、もうどうしようもない状態になっていました。主人は退職をして、引越や何かをしなくちゃいけなかった時期だったし、そういう、やはり男の人は力仕事ですけど、女手じゃないと引越ってなかなかうまくいかないものですよね。もの片付けしたりしないといけないので。そうこうしているうちにやっぱり日にちがたって。で、どうしてももう我慢できなくなって。それでも一緒に暮らして、もう私は、もう駄目だって自分で思い込んでいたもんですから、主人との生活をこの部屋で2カ月間暮らして、もう私は死ぬんだなっていう、そんな気持ちで病院に行きました。

乳がんの語り

自分ががんになった意味を考えると、無駄にしたくないと思い、抗がん剤治療中も帽子でクラス会に出かけ、「乳がんのことは私に聞いて」と誰にでも病気のことを話した

今、私がこうやって話しする、まあ考えの基本としては、やっぱり自分が乳がんになったときに、何でなったのかっていうことを考えたんですね。「あんまり考えることないよ」とか、友達には言われたんですけれども、どうせなら無駄にしたくないなあっていうのがあって、普通みんなまあ隠す人もいるらしいんですが、私はもう即、友達からまあ家族から、職場の人から、全部公開しました。  たまたまクラス会、高校のクラス会があったときは抗がん剤やっている最中だったんですけれども、私は、かつら高いなっていうのがあって。ただ、別に、自分が良ければ帽子とバンダナでいいやというので、まあ帽子被っていったときに、いや、これこれこういうわけで、今、乳がんの治療中で結局、みんな同い年なので、「もうできるだけ早く異常に気が付いたら行ってください」って。で、「どういうのかが分かんない場合には、一応私も経験しているから、私に聞いて」って言って、言いました。まあでも、まあ1人か2人はやっぱり聞いてきてくれて、「いや、こうで、こうで普通外科行くんだよ」とかね、そういうのが言ってあげられたっていうことで、すごい私は良かったなあって思っています。

乳がんの語り

再発の不安は家族に心配をかけるので言えないと思っていたが、小出しに言ってもらった方が楽だという家族の人の話を聞けてよかった

よく、がん友達としゃべるんですけど、「やっぱり普段は忘れているけれども、いつ再発するかどうかっていうことはいっつも頭にあるよね。でも、その不安は家族にはなかなか言えないよね」って、やっぱり変な心配掛けるじゃないですか。「本人は絶対まだ再発じゃないっていうのが分かっているからいいけれども、家族は不安になるよね。本当に、話す相手がいて良かったね」ってお互いによく言うんですけれど。
 ただ、しゃべらない。私は本当に最初のうち心配掛けたくないっていうことで、最初の反応がすごい落ち込んでいたので、あんまり言えないなあって思ってたので、よっぽどのことじゃないと言わなかったんですよね。そうしたときに、逆にその知り合いの人が、まあ、要するにがん患者の家族の方としゃべってたときに、「でもね」って、「実はいっつもちょっとしたことでも、小出しに言っててもらったほうが家族は楽なんだよ」って言われたので。「え、何で?」って言ったときに、「全然平気だと思ってたのにね、突然、再発だよとか、すごい頭が痛いんだとか、症状の重たくなってから言われると家族はびっくりするから、できれば小出しに何か最近ね、目がかすむとか、ちょっと腰が痛いんだけどとか、起きづらいんだけどとか、だるいんだけどっていうことをね、ちょこちょこ言ってもらったほうが、家族としては、ん?って気にできるから、できるだけ、自分で、いつもと違うと思うことは言ったほうがいいよ」と言われてからは、本当に言うようになりました。
 やっぱりそうすると、家族も、ああ、今ちょっと調子悪いんだなとか、そういうのが分かってくれて、寝ててもあんまり気にしないでいてくれるみたいで。そういうところって、ああ、まあ患者じゃなく家族からの話も聞けたっていうことはすごい私は良かったなあって思いましたね。

乳がんの語り

自分の両親には、耳が遠いこともあり、電話でがんになったことだけ伝えて、無事1年過ぎて手紙を書いた

やはり、両親ともに耳が遠いので、で、母のほうは補聴器を使っているんですが、父はそういうのが嫌で、使ってなかったので、私がその、まあがんだということは、伝えたんですが。で、まあ入院中もお見舞いに来てくれて、退院してからの、その放射線治療や抗がん剤しているときに、まあ実家に行くことがありますよね。そういうときに、やはりまあ見れば分かりますよね、顔色が悪いとか、毛も抜けているから、まあ帽子かぶってっていうその説明はしているんですけれども、耳が遠いからところどころしか、きっと分かってないんだろうなって、ただ、私が行くたんびに、「あ、で、元気そうだね」っていうことは声を掛けてくれたんですね。だから、やっぱりああ、ああ、あの、気にしているんだなあということが分かったので、取りあえず1年後に、まあ無事1年過ぎたっていうことで、全部手紙に書きました。
どう発見して、どういう診察の経過で、治療方法はこうで、今、現在、この治療をしてて、主治医からはこう言われてということを全部、手紙に書いて父には渡しました。そしたら、やっぱりすごい安心したらしくて、後で、「ああ、良かったねえ」って。まあ結局その父も、去年亡くなったんですが、亡くなる、亡くなるちょっと前かな。秋に、うち、農家、兼業農家なので、私は田植え、稲刈り、手伝いに行くんですね。稲刈り手伝い行ってその帰りか何かのときに、わざわざ見送りに来てくれたんですよ。去年のときにね。
そしたらば、まあ何かあって再発したらばお金かかるということは分かるので、「家を取っている兄に言ってあるから」、やっぱり親は親なんだなと思ったんですが、「お金、どうしても困ったら言え」と、言ってくれたんで。いや、まあ主治医は「再発することはないんじゃないか」っていうことを1年、そうですね、治療をし始めて1年半ぐらいたったころに主治医から言ってもらってたので、まあどうしてかは、また、後で聞こうかなとか思いながら、まだ聞けずにいるんですが、「(先生がそう)言ってくれたから大丈夫だよ」って言ったらば、そうかって言って、安心してくれたので、やはり全部詳しく言っていいかどうかは分からないんですが、その知らないっていうことはすごい家族にとっては不安なんだなっていうことが分かったので、まあ手紙で、知らせたっていうことは、私は良かったんじゃないか(なあって思いましたね)。