投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

いくつかの選択肢から近さだけを理由に病院を選んでしまい、夫が心配したが、結果は医師との相性もよく、恵まれたと思っている

(医師が診察すると)「「やっぱりこれは大きい病院を紹介するから、どこがいいですか?」と言われ、心当たりがあったのは、近くに大きい病院が、1つあるのと、ちょっと離れたところですが、大学病院と、あと、都内なんですけれども、知っている先生がいるということで、そちらっていう、この3つの選択肢があって。でも、私は近いほうが、後で、やっぱり家族が、入院したときに来やすい場所というのと。あと、まさかこんなに5年もね、かかると思わなかったんですけど、自分が通うのに、楽な場所がやっぱりいいだろうということで、近くの、病院を紹介していただきました。
そのとき(主人に)言ったときに、「本当に近さだけで選んでいいのか?」と、主人のほうからは言われました。
 うん。でも、まあねえ、やっぱり自分の中では、近いほうが楽だわっていうのがあって、まあ結果は大丈夫だったんですけどね。主治医にも、みんなすごい恵まれたので、良かったんですが、まあでも私の場合はそこで、選べる病院が近くにあったから良かったかなあと思います。後で、やっぱり自分ががんになっていろんなそのがんの仲間とかと知り合うようになったときに、やっぱり病院を探すのが、自分に合った病院を探すのが大変だっていう人の話とかも聞いてたので、ああ、私はすごい恵まれてたなあっていうことは今でも感じています。

乳がんの語り

以前は検診を受けていたが、忙しくてしばらく行っていなかった

今、私、年齢49歳なんですが、38歳のときに専門学校に入って、学校に行くまでは、まあ定期的に婦人科通ってましたので、年齢的にも、乳がん検診はしなきゃいけないなと思って、乳がん検診と子宮がん検診を1年に1回受けてたんですね。だけど、その学校の忙しさと、まあ大丈夫かなと、自分の家族にがん患者がいなかったので、私がなるわけないと、勝手に思い込んでいまして(笑)。それで、私は3年ぐらい行ってなかったかな?とか思ったんですけど、行ったときに、結局6年ぶりだったんですね、検診が。

乳がんの語り

術後4ヶ月以上経ってから38度以上の熱が1週間以上続き、のちに「放射線肺炎」と診断された

手術を9月8日にしまして、その…、4ヶ月以上たったときに、熱が出たんですね。で、それが1月の末だったので、冬だし、風邪だと思って、風邪だったら病院に行かないし、いつも今までが健康だったので、ただ寝ていたんですけれども。1週間たっても熱が引かなくて、38度以上の熱が1週間以上続いたのでおかしいと思って。で、近くの、病院でレントゲンを撮ってもらったところ、真四角な影があったんですね。で、それを診た、その個人医院のお医者さまが、「これは普通の肺炎ではない」ということで、私の手術をしてくださった先生のところに電話をしてくださって、「おかしいです」と。「こんな影が出ています」ということで連絡してくださったら、その先生が「すぐにいらっしゃい」と言って。で、また、ちょっと遠いんですけれども、夫の転勤先の病院まで38度以上の熱が、あるのに行きまして、で、診てもらったら、「これは放射線肺炎だよ」と。
で、放射線肺炎というのは、乳がんの術後に放射線治療をすると、その後の放射線が肺にかかって放射線肺炎という、まあ間質性肺炎(*)なんですけども、それにかかってしまうということなんですが。あの、放射線治療を受けるときにはですね、「今の放射線治療というのは非常に進んでいるから、ほとんど副作用はありません」ということで説明をされるんです。だから、分からないんですね。だから、もともと予備知識があれば熱が出たときに、もしかしたら「そうかな?」という疑いを持って早めに手当できたかもしれないのに、全く知らなかったから、風邪だろうと思ってずっと寝込んで苦しい思いをしたという…。それもですね、あの、おかしいと思ったんですね。普通、風邪だったら、夕方から夜にかけて熱が高くなって、朝方は低くなるというパターンを取るのに、あの、朝方高くて、夕方になると少し良くなるという、そういう風邪…熱だったのでおかしいと思ったんですが、それがやはりその間質性肺炎の特徴といいますか、時間が、風邪とは全く違う熱の出方がするんですね。

*細菌感染によって気管支または肺胞内部に炎症が起きる通常の肺炎とは違って、放射線や薬剤、膠原病などの影響で肺胞を支える壁などに起きる炎症をさします。

乳がんの語り

退院時に「家事も普通にしていい」といわれたので、そのとおりにしたらわきの下がパンパンに腫れてしまった

まあ、手術が上手だったのか、入院期間も5日間くらい、5日か6日くらいでさっさと退院できて、それは楽だったんですけれども、退院するときに、あの、「何か気を付けたほうがいいことありますか?」と先生に尋ねましたら、「いや、別に普通にしていいですよ」とおっしゃったんですね。で、「家事も普通にしていいんです」とおっしゃったんですけども、そう言われて、うちに帰って、いろんな家事をしたり、拭き掃除をしたりしましたら、リンパが腫れまして大変だったんですね。
で、後から考えたところ、要するに男のお医者さんっていうのは、あの、主婦が家でどのぐらい家事をしているか分からないので、よっぽど家事が楽だと思っておっしゃったのかなと(笑)、思うんですけれども。あの、主婦の仕事って結構腕を使ったりいろいろするので、やっぱりあまり使っちゃいけないっていうふうに言わないと、本当に真に受けて、先生の言うことを真に受けて、普通に家事をやってしまったら、パンパンに腫れて、しばらく大変だったので、あの、やはり手術したほうの腕は大切にしたほうがいいっていうのは、ちゃんと伝えたほうがいいと思いますね。
じっとしていてはいけないだろうけども、あまり使いすぎちゃいけないということだろうと思います。で、腫れ上がってしまって痛くてたまらないということで、後の診察のときに、その主治医の先生、そうですね、あのう、同じ、そうですね、家に帰ったときに、「普段どおりにしていいですよ」とおっしゃったのは、若い先生だったんですけれども。主治医はお年の先生で、その先生に、「あの、脇のところが突っ張って苦しいんです」って言ったら、マッサージしてくださってだいぶ楽になったんですけども。そのときに、その先生がおっしゃるのは、「あまり使わないほうがいいよ」と(笑)、おっしゃったんですね。だから、それは若い先生にはちゃんとそういうのを教えておいていただきたいし、主婦は結構家で動くというのをある程度認識していただいたほうがいいかなと思います。

乳がんの語り

部分麻酔で摘出生検を受け、悪性とわかったので、引き続き乳房部分切除とリンパ節郭清を受けた。希望して最後まで部分麻酔で受けたので、リンパ節切除はかなり苦しかった

手術も分からない段階でやったので、「生検をして調べて、乳がんだと分かったら、乳がんの手術に切り替えましょう」という手術だったんですが。それで、あの、まあ乳がんなので、部分麻酔で意識があるままに手術を受けまして。で、結構、検査結果が出るまでに時間があって、それを待っている間に、まあいろいろ何か先生たちと和やかな雰囲気で話をしていて。で、あの、結果が出まして、「小葉がんです」と言われまして。
あの、小葉がんというのは、日本人だと、10%未満という、すごい少ないがんなんですけれども、その、がんだということが、でも、手術してくださった先生は、私の乳房を触っただけで、「多分、これは小葉がんか硬がんでしょう」とおっしゃったので、ああ、先生のおっしゃったとおりだなあと思いながら手術を受けました。
で、その、乳がんのこの部分を切り取る…ときには何も苦痛はなかったんですけれども、リンパを取るときっていうのは、かなり、痛い、痛いっていうか、苦しくって。ああ、途中で麻酔、やっぱりかけてもらえば良かったなと思いましたけれども、結局は麻酔をかけずにずっと意識があるままで手術をやってもらって。だから、すごい、りンパを取るというのが結構大変なことで、それも何か普通は20個取るんだけれども、そこの病院は20個じゃなくて、4個だけ、あのう、近いほうの4個だけを取るっていう方法で、何か傷が小さくなるようにこうえぐるような感じで取ったらしいので、後のことを考えるとあれなんですけども、麻酔をちゃんとかけずにやったほうとしては、かなり苦しかったかなっていうのはあります。でもまあ、その、4個だけで取ったというのがどういうことなのかよく分からないんですけれども、そのおかげで別に、手は、腕は普通に今でも使えますし、大丈夫ですね。

乳がんの語り

再発予防のための治療が間質性肺炎(※)の誘因になったのかもしれないと思うと、情報を前もって知った上で、自分で治療を受けるかどうか選べたらよかった

私は結局薬をやめても肺炎は治らなくて、まあ普通だったら薬剤性肺炎なので、薬をやめれば、治るはずだと言われたんですけども、結局治らずに、今でもステロイドは飲み続けています。で、もしかしたら、私自身に、そういう要素があって、副作用がきっかけでその病気が出たのかもしれないし、もうそこの原因は全く分からないんですけれども…、でも、とにかく誘発原因になったことは確かなので、乳がんの治療ではなく、予防のための治療のために、ほかの病気を、ほかのもっと重大な病気を引き起こしてしまうというのは、やはり良くないことだと思います。 で、乳がんの再発を、抑制するといっても、10%ぐらいの抑制のために、ほかの病気を起こしてステロイドを飲み続けなければいけなくなるような体になってしまうということはやはりおかしいんじゃないかと思うので、…患者はもっとその選択権を持っていいといいますか、情報をちゃんと教えてもらって、どちらの危険性を取るかというのをですね、ちゃんと自分で選べるようにしたほうがいいと思うんですね。

乳がんの語り

夫の単身赴任先を療養場所に選んだのは、実家が近くて、両親や友人のサポートが受けられるという理由もあった

病院を探そうということになったんですけれども、そのときに、夫が転勤して単身赴任で、家にいなかったので、手術を受けるんだったら、夫の転勤先でしようかなと、夫のそばでしようと思って、病院を探して、そちらのほうに紹介状を書いていただいて、手術を受けました。
たまたま夫の赴任先が私の故郷と言いますか、実家のあるところだったんですね。で、まあ昔からの友達もいますし、それで、まあ一番大きな要因というのは、夫がいるところっていうのでしたけれども、実家があるので、まあ親のそばだし、友達からの情報も得られるということでそこにしました。夫が6月に転勤しまして、同じ年の8月に私の乳がんが見つかったんですが、不思議なことに、その2ヶ月ぐらいの間に、数年前に乳がんになった友達に会ったり、新しくできたがんセンターの見学に行ったりと、なぜか私の乳がんの準備のための催しがいろいろ行われましたので、結局そこを選んだっていうことですね。だから、病院を選ぶときにも、その友達からの情報を考えて、選びました。

乳がんの語り

告知に同席した父親は強いショックを受けたようだった。2週間あまりして脳梗塞で交通事故を起こしたのはそのせいかもしれないと思う

で「あなた1人で抱えられる問題ではないでしょう。誰かおうちの方がいらしていないの?」って。「あの、父がロビーのほうで待っていますけど」って。「すぐ連れてきなさい」って言われて。お父さんをわざわざ連れてきて「申し訳ないんだけどね、娘さんの両方の乳房から悪いものが出てきてしまいました。あの、話によると奥さんも同じ病気で亡くされたそうね」、「そうです」って、うちの父ももう頭がぽかーんとして、右から左へ何を聞いているのか分かんないくらいびっくりしていたんですね。
父に「両方とも、手術、全摘しなきゃいけないみたいだ」って。そしたら、父が「そうか…」って。でも、そのとき、12月に入ってから5日のとき、決定的なことがおこったんですね。うちの父が交通事故を起こしたんです。心配して、かけてしまったんではないかと、私、ものすごく今でも、ほんとに、もうほーんとに悔やんでも悔やみきれなかった。あのとき、言わないほうがよかったんじゃないかって今、思うくらいだったんですけれども。もう、脳梗塞ってそのとき言われて、手術は延期じゃないかって、私も思ったんですよ。

乳がんの語り

独身女性の自分にとって乳房のないのは死活問題だと思う一方、乳房を取ったことで本当の運命の人に出会えるかもしれないとも思う

乳房がなくなるっていうことは、女性にとっては死活問題なんですね。特に、結婚前の女性、若い女性だったら、もう、絶望的になっちゃうんじゃないかなて思うんです。今は、20代でもがんに、私のいとこを見ても20代でがんになるのがもう、女性が女性であるかぎり誰がなってもおかしくない時代なんですから。この20代の30代の独身女性に、ほんとに取ってしまうってことは、ものすごく死活問題だと思うんです。だけれども、再発して、無理して温存をするよりも、一旦取って、きれいに再建したほうがいいんだっていうことをどうにかして伝えたいなって思うですね。
そして、乳房をとったら、乳房をとってしまったら、じゃ、結婚できないのかというと、私は、こう考えました。乳房を取っ…全部取ったことによって、本物の運命の人に出会えるんじゃないかって私は考えました。と申しますのも、口では、きれいごと、口では、「乳房をとったって関係ないよ」っていう男性もいれば、「乳房をとった女なんか女じゃない」って言う人もいるんですね。私も、結構、男性の友達が、おりまして。年上から年下までいるんですけれども、乳房を取って、無理して、あとはまあ、どう言ったらいいのか分かんないんですけど、乳房をとって初めて男性の本質が見えてくるって言えないだろうかって私は思うんです。

乳がんの語り

父も脳梗塞で入院してしまったので、知人に入院時保証人になってもらって手術を受けた。しばらく働けないので、この先の治療や生活を考えて医療扶助(※)を受けることにした

私には頼れる、頼れる親戚もいなくて、1人ぼっちに個室におかれてしまったんですね。で、大変、もうそのとき、お金はお父さんが持っているし、3000円しか持っていなくて、これはどうしょうと思って(笑)。もう、個室にたまたま電話があったもんですから、友達と知り合いに電話して、付き添いとあと手術の前の日の説明を一緒に聞いてくれないかということを頼んで。そして、何とか、友達に付き添いを頼んで、知り合いには、手術前の説明を一緒に聞いてもらって。ついでにって言っちゃなんですけど、先生に「ちょっと今、私、お金、今持ち合わせがないものですから、手術前に用意できるものが、あの、明日になりますけど」って先生にお話してから、帰ってきたんですが。「結構ですよ」って。「看護婦さんと、あの、相談してくださいね」っていうことで。そして、そのときに、知人に1万円お金をお借りして、胸帯だのT字帯だの手術に必要なものを買い揃えて。そして、それから、友達が付き添ってくれたんですよ。普通は、親戚とか、身内が付き添うものなのにって、情けない話だけど、でも、ほんとに、ありがたかったですよねー。
そのとき、言われたのが、「医療の扶助を受けなさい」って言われたんです。屈辱的だな。でも、退院して、この先の生活を考えたら、抗がん剤もしなくちゃいけないわけだし。お父さんも脳梗塞なものだから、しばらく働けないだろうなっていうことで。福祉のお世話になることに決めたんですね。そして、何とか、抗がん剤始めてから受理されまして、今に至るまで、ほんとにお世話になっている状態です。