投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

乳房切除後、初めは風呂場の鏡に映る自分の姿をまともに見られなかった (音声のみ)

やっぱりですね、見れませんでしたね、傷口っていうのが。で、あの、すごい、胸帯っていうんですかね、胸を締め付けるので、しばらくこうガードしてたんですけども。いつごろからか、「お風呂に入っていいですよ」って言われたときに、お風呂場に大きな鏡があって、それに映る自分の姿を見るのが嫌でしたね。やっぱりまともに見れませんでした。うん、嫌だなあと思って。それがやっぱり、うーん、辛い…辛かったですね。あ、やっぱり胸がなくなってるっていうのもあるし、あのー、なんかその傷口っていうのがやっぱり。なんか「私もう人間じゃないみたい」じゃないですけど、そんなふうに思ったりして、やっぱり、しばらくはまともに…だから見れなくて、鏡に映らないように、あの、お腹から上がもう、映るぐらいの鏡があったので、なるべく映らないように、こうちょっと屈んでみたりですね。でもこうやってすれば自分で見えるからですね、見たくないけど見えてしまうので、それは仕方ないんですけど、鏡に映る姿っていうのは、やっぱり嫌ですね。まあ今…今でも嫌ですね。もう今では傷口見たりとかっていうのは、なんともないっていうかですね、もう私はこうだからっていうふうには思ってるんですけども、やっぱり鏡に映ったりするのはやっぱり嫌ですね。

乳がんの語り

どうしても言わなくてはならない1-2人にだけ言ってあとは病気のことは隠していた。子どもが周りに何か言われるとかわいそうだと思っていた

やっぱり、脱毛しててかつらを被っているので、白血球がすごく下がってたので、病気ももらえない。で、マスクをして、ちょっとそこまでもやっぱりマスクをして、主人と一緒っていう状態で、やっぱ近所の人から「どんなふうに見られてるんだろう?」っていうのもあって。子ども会の役員さんとかもしてたんだけど、やっぱりもう、「ちょっと出れないから」っていうことで、「『あの人出れない、出て来れないわよね…』みたいにきっと思われてるんだろうな」っていうのもあって。子どものお付き合いっていうのもありますよね。やっぱり地域の人ともあるし。なんかそんなのも一切出なく、出てた人がいっさい出なくなったから、噂が噂を呼んでじゃないけど、やっぱりそんなところも耳から入ってきたりして。信頼できる人にはやはり1人2人には言ってたんですよね。助けてもらわないといけないからですね。で、なんかこう…「どうしたの?」って聞かれるとか言って…、その人からも言われたりして。もう本当に言ってしまいたいって気持ちがすごくあったんですよ。「私はもう乳がんなの、大変なのって。だから協力して!」って。
 でも、それを言ってしまったら、「子どもがなんて言われるかな」っていうのがすごく私、頭にあって、子どもには「言わないで」って。「お母さんは自分の病気のことは自分で言うから、聞かれても、お母さんは具合が悪いから、って言ってて」って。「体調が悪い、って言ってて」って、言ったんですね。で、一応、なんとなくその出産後だったので、産後で具合が悪いっていう感じにしてもらってたんだけど、子どももいろいろ聞かれてたみたいだし。で、ねえ。やっぱりその、お母さんたちが話しているのをその子どもたちが聞いたら、子どもたちからそのうちの子に、やっぱり、子どもって悪気がないから、全然、やっぱりこう「お前のお母さん病気なんやろ、がんなんやろ」って、学校で言われたりする気持ちってどうなんだろうと思って。ある程度大きい子だったらそんな…こともないんだろうけど、微妙なお年頃だから、そのとき逆にね、傷つけてしまうのかなあと思うと言えないところもあって。なんか言わないほうがいいよっていう、こう、がんの体験者の人もいて。だから本当にまるっきり隠してるって人もいるし、言わないっていう人もいるし、自分には何が合ってるんだろうって、それもすごく悩んでて。何となくいろいろ悩んでいると外にも足が向かないし、なんか家にいましたね。

乳がんの語り

病気のことを伝えると、小学生の子はぽろぽろと涙を流して静かに泣いた。中学生の子は「死んじゃうの?」と聞いてきたので、「死なないように頑張るから」と答えた

あと子どもたちにも、ちゃんと言おうと思って、子どもたちにもちゃんと話をして、で、お兄ちゃんはそう、みたいな感じだったんですけど、小学生の子に話したときに、すごいなんかこう、静かに泣いたんですね。ぽろぽろぽろぽろって。あー、この子こんなふうに泣くんだーと思って、やっぱりすごいショックだったんだろうなって思って、で、ちょうど今流行ってます、『ホームレス中学生』を読んだすぐで、あれお母さんがちょうどがんで亡くなるんですよね(笑)。それがちょうど被さっちゃったのかな、「死んじゃうの?お母さん」って言われて、「死なないようには頑張るよ」みたいな感じで話はしたんですけど。「絶対死なないよ」とも言えないんですよね、これがなんか、私。なんでだろうと思いながらも、うーん。「絶対死なないから」とも言えなくて、「頑張るからお母さん」、とか言って、は言ったんですけど。ねえ、そうですね、家族にはそんなふうに伝えましたね、子ども、協力をしてもらわないといけないからですね、お兄ちゃんたちにも。でした。

乳がんの語り

女性として終りなんだという気持ちと彼と繋がっていたいという気持ちの間で揺れ動いたが、彼は女性として求めてくれたので、すごく嬉しかった

「もう浮気していいよ」って気分だったんですよね、私的には。「女性として私はもう終わりなんだ」って、「もう見られたくもないし、もうできないそんなこと」って思ったけど、でもどっかで「繋がっていたい」っていう気持ちもすごく、私はまだ女性なんだって。ちょうど39歳だったので、微妙なお年頃だったんですよね。で、生理もまだもちろんあって、で、妊娠をしてちょうど生理がなかった。で、やっと生理が戻ってきたと思ったら、手術…抗がん剤、もう生理が止まってしまう。すごいその女性としての、こう、なんだろう、いろんなものが崩れていって、でもどっかで踏ん張っときたいみたいな。私はまだ女性なんだっていうのがあったから。彼は求めてくれたんですよ、だからこんな私でも、こんな途中でも。そんなことできるのみたいな(笑)。でもそれがすごい嬉しかったんですよね。だからすごいそんな気分でもなかったっていうところもあるんだけど、一方で嬉しいっていう気持ちもあって、やっぱりそういうことありました、だから。
いろんな夫婦の形があって、もちろんそんなことがなくてもちゃんと夫婦であり続ける方もいらっしゃるだろうし、そこがないと夫婦じゃないという方もいらっしゃるだろうし。でもやっぱり気持ちがないと、っていうのがすごくありますよね。やっぱり気持ちにお互い応えたいし、でもやっぱり性的なことがないとやっぱり、ねえ、若いのにそういうことがないというのはちょっと。それは健康なことだろうと思うし。
そうですね。気持ちがあったから応えれたのかなっていう気はすごくしますね。気持ちがなかったら、たぶん、もしかしたら怒ってたかもしれません。「こんな私が、こんな大変なときに!」とか、思ってたかもしれないし、やっぱり感謝の気持ちがあったから応えれるのかもしれないですね。で、やっぱり嬉しい気持ちもあるし…。

乳がんの語り

たまたま入っていたがん保険で一時金が出て治療ができたが、今後のことを考えると通院特約を付けておけばよかったと思う

たまたまがん保険に入ってたんですよ。それも本当に若いときのお付き合い程度で、もう忘れてるぐらいの月々の少ない掛け金で掛けてたのが、一時金で大きいお金が入ったので、それで治療はできたんですけど。本当に出産後に見直そうと思ってたんですけどね。通院(特約)をつけてなかったので、通院をつけてればなあというのがすごく、今となっては後悔なんですけど。今だんだん医療は通院の方向に向いてるからですね。やっぱり通院でつくような保険に入ってたら良かったなというのがすごくありましたね。で、簡易的な保険しかあとは入ってなかったので。でも、健康にこれから働ければいいですけどねえ、これが外来通院でずっととかなると。今のところはその一時金がドンと入ったので、持ちこたえてますけど、やっぱりこれが長くなったりすると、やっぱりちょっと厳しいでしょうね。

乳がんの語り

自分の気持ちの整理ができて、受け止められるタイミングでセカンド・オピニオンを得られたのでよかった

やっぱり最初に、スタートの時点でセカンド(・オピニオン)を取ってなかったので、どっかで取りたいって気持ちはずっとあったんですよね。でもなんかこう、セカンド(・オピニオン)を取るタイミングっていうのも、なんだろう、自分の気持ちの整理も出来てないと、結局なんかこう難民じゃないけど、セカンドからサードとか、何人聞いてもなんか、自分の気持ちがちゃんとしてないと、こう話を受け止められないんじゃないかなって思いましたね。だから自分が取ろうと思ったタイミングで、その話を聞けたから、まあ受け止められてるのかもしれないですけどね。なんか私みたいに悩んでぐちゅぐちゅ、ぐちゅぐちゅする人は、やっぱり、悩みだすときりがなくて、次から次に聞いてみたくなるんじゃないかなと思いますね。だからもっと早い段階で取ってたら、もしかしたらあと1軒あと1軒とかってなってたかもしれないですね。

乳がんの語り

診断当初は心の余裕がなかったが、術後の病理検査についてセカンド・オピニオンを得られたので、納得して前に進めた

「セカンド・オピニオンも取りませんか?」っていうことで、最初の病院の先生も言ってくださったんですけど、なんか心に余裕がなかったっていうか、その頃は。「そんなにそんなことが大事なのか、そんなにいろいろ治療があるのか、この人が言ってくれるのがベストなんじゃない、ベストを言ってくれているんだろうし」っていうのがすごくあったんですね。自分にも余裕がなかったし、そのやっぱり子どももまた預けなきゃいけないとかいうのもあったりして、まあ(セカンド・オピニオンを)取っとけば良かったかなって、今になって思わなくはないですけど、でももうその先生を信頼し始めてたので。
で、実は(治療が始まってから)途中で(セカンド・オピニオンを)取ったんですね、1回。病理検査が出て、抗がん剤が終わって、放射線の間のときに、東京まで病理検査の、採った組織のセカンド・オピニオンっていうのがあって、それをしに行きました。それを自分の主治医に言ったときに、「そんなことまでせんでも」みたいな感じで、先生には言われたんですけど、東京の友だちにも会いに行きたかったし、うん。日帰りで朝行って、ちょっとお友だちと会って、そこの病院に行って、まあ病理検査のもう一度検体を預けてたので、それを見てもらって、そこではやっぱりもう「今の先生の治療がベストでしょう」というお返事をいただいて、自分なりにも納得できた返事だったので、それでまた新たな治療には進めれてよかったんですけど。

乳がんの語り

まさか私が、授乳期でおっぱいが詰まっているだけと思っていたのに、がんだと言われ、他人事に思えた。そして、涙があふれて止まらなかった

検査をしてるときは「おっぱいが詰まっているだけ…」(笑)って思っていたんですね。ずっと心のなかで「いやいや、これは絶対おっぱいが詰まっているだけ」っていうのが、何の根拠もないんですけど、ずっとあって、「まさか、私が」っていうのがすごくあったんですよね。で、でも先生が、だんだんだんだん、「いやー、これ、こういう結果が出るのはやばいよ」みたいな感じで、先生はもうだいたい踏んでたんだと思うんですけど、私の中ではもうずっと「またまた、先生」って気持ちがあって、だから最後の告知のときも、子どもを連れて、話すだけだからと思って、赤ちゃん抱っこして、先生に1人で聞きに行って。「いやー、あなたはやっぱがんだったよ」って言われて、「えっ?」って感じだったんですよね。なんかもうすごい他人事みたいな感じで、もう抱っこしながら「あらー、どうしよう」っていうのがすごくあって。で、先生が「もう1回見せて」って。「ちょっと温存できるかどうか見るから、ちょっと寝て」って言われて、看護師に赤ちゃん抱っこしてもらって、赤ちゃんあやしてもらいながら、おっぱい見せてるときにもう涙が止まらなくなって、「えーなんで?私はこれからどうなるんだろう、子どもこんなに小さいのに」って思って。で、もうそれからもうちょっとあんまり記憶がないような感じで。
とりあえず説明を受けて帰ってき、帰り、子どもを車に乗せて、チャイルドシートに乗せて運転して、で、道の途中に停めて主人に電話してるときに、また涙が止まらなくなって。すごいその、心の準備がなかったからかもしれないですけど、すごいなんかショックでしたねえ。うーん、なんか主人にはやっぱり助けてもらわないといけないから、すぐに「助けて」って感じで言えたんだけど、一番辛かったのはやっぱり両親に言うのが一番やっぱり辛かったですね。私、兄弟もいないし、すごいなんかこう心配をかけて(笑)、それまでも来てたので、やっぱりすごく両親に言うのがすごく辛かったですね。で、主人の両親に言うのももちろん辛かったし。うーん、ですね。

乳がんの語り

授乳中のマンモグラフィは、痛くて母乳が台に落ちてつらかった

で、診断をしてもらうのにも、なかなかやっぱり授乳中だったので、マンモグラフィを撮るときがすごい辛くて、痛いし、もうおっぱいがこうぼとぼと落ちてくるんですよ、挟むと。それが恥ずかしいのと、もうなんか悲しいのとで、なんかそのときの気持ちがすごく辛かったですね。で、どちらの病院か忘れたんですけど、「大丈夫ですよ」ってすごく声をかけてくださる技師さんが、「気にしないでください」って言ってくださる技師さんも…女性の方もいらっしゃったし、もうすごい機械的にゴシゴシっとか掃除される方もいて、なんかそれもなんかすごく辛くて、だからちょっとね、声をかけてもらったほうがすごいちょっと安心感があったんですけど。

乳がんの語り

マンモグラフィ検査を受けていたが、検診では発見されなかった

――前に検診とかそういうのはされてたんですか?

してました。実は昔の会社の先輩が乳がんになられて、もう10何年も昔の知り合いの方なんですけど、昔の手術なので結構大きな手術だったんですよね。もう乳房も全部落としてもうごっそり取るような手術で、それを見せてくださって、「こんなになるよ」って、「気を付けてね」っていうことで、その方が伝えてくださったので、私は結構若い頃からやってたんですね。30過ぎぐらいから、マンモグラフィが導入されたころからやってて、だからなんで?っていう気持ちもすごくあったりもするんですよね。乳がんってすごい長い期間で大きくなる。で、私はそのリスクファクターっていうか、その、なりにくい人だと思ってたんですよ。出産、子どもも3人いるし、別に、生理も早く来てたわけでもないし、太ってるわけでもないし、いろんなその書いてあることからすると私は全然当てはまらない。周りにもそんなに乳がんの人もいないし、と思ってたんで、すごくなんで?って気持ちはあるんですけど。もしかしたらあったのかもしれないですけど、わからなかったんでしょうね。

――そうすると検診は年に1回ぐらいずつはされていたってことですか?

してましたね。1年に1回ぐらいは。(時期が)開いても2年に1回はしてましたね。この出産前にも。でも医学は完全ではないっていうのを、自分が病気になってわかったし、治してくれるのはお医者さんでもないし。なんか、なんで?って気持ちもあるんだけど、人を恨んだり憎んだりはしたくないし。(検診を)受けていても絶対ではないんだなっていうのをすごく思います。でも受けないよりはいいですよね(笑)、受けてない方には。でも自分が一番自分の変化に気をつけないといけないんだなっていう気はすごくします。