投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

病気のことを伝えると、小学生の子はぽろぽろと涙を流して静かに泣いた。中学生の子は「死んじゃうの?」と聞いてきたので、「死なないように頑張るから」と答えた

あと子どもたちにも、ちゃんと言おうと思って、子どもたちにもちゃんと話をして、で、お兄ちゃんはそう、みたいな感じだったんですけど、小学生の子に話したときに、すごいなんかこう、静かに泣いたんですね。ぽろぽろぽろぽろって。あー、この子こんなふうに泣くんだーと思って、やっぱりすごいショックだったんだろうなって思って、で、ちょうど今流行ってます、『ホームレス中学生』を読んだすぐで、あれお母さんがちょうどがんで亡くなるんですよね(笑)。それがちょうど被さっちゃったのかな、「死んじゃうの?お母さん」って言われて、「死なないようには頑張るよ」みたいな感じで話はしたんですけど。「絶対死なないよ」とも言えないんですよね、これがなんか、私。なんでだろうと思いながらも、うーん。「絶対死なないから」とも言えなくて、「頑張るからお母さん」、とか言って、は言ったんですけど。ねえ、そうですね、家族にはそんなふうに伝えましたね、子ども、協力をしてもらわないといけないからですね、お兄ちゃんたちにも。でした。

乳がんの語り

女性として終りなんだという気持ちと彼と繋がっていたいという気持ちの間で揺れ動いたが、彼は女性として求めてくれたので、すごく嬉しかった

「もう浮気していいよ」って気分だったんですよね、私的には。「女性として私はもう終わりなんだ」って、「もう見られたくもないし、もうできないそんなこと」って思ったけど、でもどっかで「繋がっていたい」っていう気持ちもすごく、私はまだ女性なんだって。ちょうど39歳だったので、微妙なお年頃だったんですよね。で、生理もまだもちろんあって、で、妊娠をしてちょうど生理がなかった。で、やっと生理が戻ってきたと思ったら、手術…抗がん剤、もう生理が止まってしまう。すごいその女性としての、こう、なんだろう、いろんなものが崩れていって、でもどっかで踏ん張っときたいみたいな。私はまだ女性なんだっていうのがあったから。彼は求めてくれたんですよ、だからこんな私でも、こんな途中でも。そんなことできるのみたいな(笑)。でもそれがすごい嬉しかったんですよね。だからすごいそんな気分でもなかったっていうところもあるんだけど、一方で嬉しいっていう気持ちもあって、やっぱりそういうことありました、だから。
いろんな夫婦の形があって、もちろんそんなことがなくてもちゃんと夫婦であり続ける方もいらっしゃるだろうし、そこがないと夫婦じゃないという方もいらっしゃるだろうし。でもやっぱり気持ちがないと、っていうのがすごくありますよね。やっぱり気持ちにお互い応えたいし、でもやっぱり性的なことがないとやっぱり、ねえ、若いのにそういうことがないというのはちょっと。それは健康なことだろうと思うし。
そうですね。気持ちがあったから応えれたのかなっていう気はすごくしますね。気持ちがなかったら、たぶん、もしかしたら怒ってたかもしれません。「こんな私が、こんな大変なときに!」とか、思ってたかもしれないし、やっぱり感謝の気持ちがあったから応えれるのかもしれないですね。で、やっぱり嬉しい気持ちもあるし…。

乳がんの語り

たまたま入っていたがん保険で一時金が出て治療ができたが、今後のことを考えると通院特約を付けておけばよかったと思う

たまたまがん保険に入ってたんですよ。それも本当に若いときのお付き合い程度で、もう忘れてるぐらいの月々の少ない掛け金で掛けてたのが、一時金で大きいお金が入ったので、それで治療はできたんですけど。本当に出産後に見直そうと思ってたんですけどね。通院(特約)をつけてなかったので、通院をつけてればなあというのがすごく、今となっては後悔なんですけど。今だんだん医療は通院の方向に向いてるからですね。やっぱり通院でつくような保険に入ってたら良かったなというのがすごくありましたね。で、簡易的な保険しかあとは入ってなかったので。でも、健康にこれから働ければいいですけどねえ、これが外来通院でずっととかなると。今のところはその一時金がドンと入ったので、持ちこたえてますけど、やっぱりこれが長くなったりすると、やっぱりちょっと厳しいでしょうね。

乳がんの語り

自分の気持ちの整理ができて、受け止められるタイミングでセカンド・オピニオンを得られたのでよかった

やっぱり最初に、スタートの時点でセカンド(・オピニオン)を取ってなかったので、どっかで取りたいって気持ちはずっとあったんですよね。でもなんかこう、セカンド(・オピニオン)を取るタイミングっていうのも、なんだろう、自分の気持ちの整理も出来てないと、結局なんかこう難民じゃないけど、セカンドからサードとか、何人聞いてもなんか、自分の気持ちがちゃんとしてないと、こう話を受け止められないんじゃないかなって思いましたね。だから自分が取ろうと思ったタイミングで、その話を聞けたから、まあ受け止められてるのかもしれないですけどね。なんか私みたいに悩んでぐちゅぐちゅ、ぐちゅぐちゅする人は、やっぱり、悩みだすときりがなくて、次から次に聞いてみたくなるんじゃないかなと思いますね。だからもっと早い段階で取ってたら、もしかしたらあと1軒あと1軒とかってなってたかもしれないですね。

乳がんの語り

診断当初は心の余裕がなかったが、術後の病理検査についてセカンド・オピニオンを得られたので、納得して前に進めた

「セカンド・オピニオンも取りませんか?」っていうことで、最初の病院の先生も言ってくださったんですけど、なんか心に余裕がなかったっていうか、その頃は。「そんなにそんなことが大事なのか、そんなにいろいろ治療があるのか、この人が言ってくれるのがベストなんじゃない、ベストを言ってくれているんだろうし」っていうのがすごくあったんですね。自分にも余裕がなかったし、そのやっぱり子どももまた預けなきゃいけないとかいうのもあったりして、まあ(セカンド・オピニオンを)取っとけば良かったかなって、今になって思わなくはないですけど、でももうその先生を信頼し始めてたので。
で、実は(治療が始まってから)途中で(セカンド・オピニオンを)取ったんですね、1回。病理検査が出て、抗がん剤が終わって、放射線の間のときに、東京まで病理検査の、採った組織のセカンド・オピニオンっていうのがあって、それをしに行きました。それを自分の主治医に言ったときに、「そんなことまでせんでも」みたいな感じで、先生には言われたんですけど、東京の友だちにも会いに行きたかったし、うん。日帰りで朝行って、ちょっとお友だちと会って、そこの病院に行って、まあ病理検査のもう一度検体を預けてたので、それを見てもらって、そこではやっぱりもう「今の先生の治療がベストでしょう」というお返事をいただいて、自分なりにも納得できた返事だったので、それでまた新たな治療には進めれてよかったんですけど。

乳がんの語り

まさか私が、授乳期でおっぱいが詰まっているだけと思っていたのに、がんだと言われ、他人事に思えた。そして、涙があふれて止まらなかった

検査をしてるときは「おっぱいが詰まっているだけ…」(笑)って思っていたんですね。ずっと心のなかで「いやいや、これは絶対おっぱいが詰まっているだけ」っていうのが、何の根拠もないんですけど、ずっとあって、「まさか、私が」っていうのがすごくあったんですよね。で、でも先生が、だんだんだんだん、「いやー、これ、こういう結果が出るのはやばいよ」みたいな感じで、先生はもうだいたい踏んでたんだと思うんですけど、私の中ではもうずっと「またまた、先生」って気持ちがあって、だから最後の告知のときも、子どもを連れて、話すだけだからと思って、赤ちゃん抱っこして、先生に1人で聞きに行って。「いやー、あなたはやっぱがんだったよ」って言われて、「えっ?」って感じだったんですよね。なんかもうすごい他人事みたいな感じで、もう抱っこしながら「あらー、どうしよう」っていうのがすごくあって。で、先生が「もう1回見せて」って。「ちょっと温存できるかどうか見るから、ちょっと寝て」って言われて、看護師に赤ちゃん抱っこしてもらって、赤ちゃんあやしてもらいながら、おっぱい見せてるときにもう涙が止まらなくなって、「えーなんで?私はこれからどうなるんだろう、子どもこんなに小さいのに」って思って。で、もうそれからもうちょっとあんまり記憶がないような感じで。
とりあえず説明を受けて帰ってき、帰り、子どもを車に乗せて、チャイルドシートに乗せて運転して、で、道の途中に停めて主人に電話してるときに、また涙が止まらなくなって。すごいその、心の準備がなかったからかもしれないですけど、すごいなんかショックでしたねえ。うーん、なんか主人にはやっぱり助けてもらわないといけないから、すぐに「助けて」って感じで言えたんだけど、一番辛かったのはやっぱり両親に言うのが一番やっぱり辛かったですね。私、兄弟もいないし、すごいなんかこう心配をかけて(笑)、それまでも来てたので、やっぱりすごく両親に言うのがすごく辛かったですね。で、主人の両親に言うのももちろん辛かったし。うーん、ですね。

乳がんの語り

授乳中のマンモグラフィは、痛くて母乳が台に落ちてつらかった

で、診断をしてもらうのにも、なかなかやっぱり授乳中だったので、マンモグラフィを撮るときがすごい辛くて、痛いし、もうおっぱいがこうぼとぼと落ちてくるんですよ、挟むと。それが恥ずかしいのと、もうなんか悲しいのとで、なんかそのときの気持ちがすごく辛かったですね。で、どちらの病院か忘れたんですけど、「大丈夫ですよ」ってすごく声をかけてくださる技師さんが、「気にしないでください」って言ってくださる技師さんも…女性の方もいらっしゃったし、もうすごい機械的にゴシゴシっとか掃除される方もいて、なんかそれもなんかすごく辛くて、だからちょっとね、声をかけてもらったほうがすごいちょっと安心感があったんですけど。

乳がんの語り

マンモグラフィ検査を受けていたが、検診では発見されなかった

――前に検診とかそういうのはされてたんですか?

してました。実は昔の会社の先輩が乳がんになられて、もう10何年も昔の知り合いの方なんですけど、昔の手術なので結構大きな手術だったんですよね。もう乳房も全部落としてもうごっそり取るような手術で、それを見せてくださって、「こんなになるよ」って、「気を付けてね」っていうことで、その方が伝えてくださったので、私は結構若い頃からやってたんですね。30過ぎぐらいから、マンモグラフィが導入されたころからやってて、だからなんで?っていう気持ちもすごくあったりもするんですよね。乳がんってすごい長い期間で大きくなる。で、私はそのリスクファクターっていうか、その、なりにくい人だと思ってたんですよ。出産、子どもも3人いるし、別に、生理も早く来てたわけでもないし、太ってるわけでもないし、いろんなその書いてあることからすると私は全然当てはまらない。周りにもそんなに乳がんの人もいないし、と思ってたんで、すごくなんで?って気持ちはあるんですけど。もしかしたらあったのかもしれないですけど、わからなかったんでしょうね。

――そうすると検診は年に1回ぐらいずつはされていたってことですか?

してましたね。1年に1回ぐらいは。(時期が)開いても2年に1回はしてましたね。この出産前にも。でも医学は完全ではないっていうのを、自分が病気になってわかったし、治してくれるのはお医者さんでもないし。なんか、なんで?って気持ちもあるんだけど、人を恨んだり憎んだりはしたくないし。(検診を)受けていても絶対ではないんだなっていうのをすごく思います。でも受けないよりはいいですよね(笑)、受けてない方には。でも自分が一番自分の変化に気をつけないといけないんだなっていう気はすごくします。

乳がんの語り

母子2人暮らしだが、20代の息子は男なので、乳がんになった気持ちをわかってもらうのは難しく、心細かった(音声のみ)

 まあ家族は息子しかいないので、息子には、「がんかもしれない。ほとんどがんだよ」っていうので、病院に行く前に言ってたんですけど。息子なので、どうしてもやっぱり分かって…分かってないっていうことはないんでしょうけど、「大丈夫だよ」っていう、もう軽い感じだったので。そうですね。場所もどうしても胸なので、女性にとったら、気になるところではあるけれど、息子にとったら母親なのでね、その女性の胸に対しての、こう感情とかは分からないでしょうし。周りに乳がんの人も知り合いにいなかったので、そうですね、何か…1人になっちゃったって感じでしたね。

乳がんの語り

派遣先から辞めないでほしいと言われ、手術を1ヶ月半延ばして仕事の段取りをしたにもかかわらず、復帰するとき降格を持ち出されて結局辞めることになった(音声のみ)

仕事場の人がちょうど辞めたときだったので、新しい人を育ててからじゃないと私は休めないっていう状態だったので、もうそっちを先に優先して、手術は1ヶ月半ぐらい延ばしたんですね。で、すぐ取れますよみたいな感じで、まあ1ヶ月半ぐらい延ばしたからといって、リスクはそんなに変わりはないということだったので。で、延ばしたんですが、まあ仕事場は派遣でもあるし、契約もまだあるので。でも、自分でも初めての経験なので、仕事できるかどうかっていうのは分からないので「辞めさせてください」とお話をしたんですけど、あのう、上司の部長の方が「戻ってきてくれ」と、「いつまでも待っている」って言ってくださって、それはすごい嬉しかったんですね。嬉しかったんですけれど、まあ結局は退院して戻るっていう話をしたときに、あの、降格させ…させられて、それで結局仕事は、私は辞めたんですけれど。
仕事に復帰をしたいと思ったので、待っててくださるということだったので、「復帰をするために抗がん剤とかを使うと、いろんな副作用とかが出て、仕事に行けない可能性もあるから、なるべくそういうのは避けて」、みたいな形で、「放射線も毎日5日間を5週間連続行かなければいけないので、ちょっと無理なのかなあ」、あるいは、仕事の、会社の近くの病院だったので、「休憩時間をそこ(放射線治療)に使わせてもらおうか」みたいな話をしていて。そこまで、考えていたんだけど、企業側は何も考えてくれなくて。結局、私を要らないような形で、復帰をするときに言われたりとかしたので。だったら初めから、辞めさせてくれていれば、もっとちゃんと治療はできたのかなとか思ったりもしますね。仕事があるので、手術も1ヶ月半延ばしたっていうのが、それが原因かどうかは分からないんですけれど、リンパまで転移していたので。うーん。何かバカだったかな…とか思いますね。