投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

検査の段階で、検査技師や医師の様子が違ったので、自分で「がんだ、きっと初期ではない」と思ってしまった。検査結果は夫と聞いたが、無言の帰り道だった

 エコーをしたときの技師の顔色がすごく変わって、びっくりして、何だ何だということで、医師が呼ばれて、これ、お乳(が張っているの)じゃなくて腫瘍性のもので、脇の下も診たら、もう先生は、言葉少ないんです。言葉少なになって、「これはおかしい」と言って。で、先生に問いただしても、「うん、ちょっと良くないかもしれない」。で、「複雑だから、ちょっと今は言えない。結果を待とう」ということで、そのときに「えー!」っていう。いや、がんがここに、しこりが、リンパ節に飛ぶっていうのは知ってたんですけれども、もしこのグリグリが乳腺炎によるものではなくて、がんによるものだとしたら、これ、ものすごくもう進行している。てことは、もし、がんだとしたら、既に初期ではない。ということは、助からないというふうに、自分の中でピッピッピッ…って何でしょうかね、飛んでしまって。
まあ「乳がんでも早く見つければ取ってしまえば治るし…」っていう、こう何て言いますかね、慰め、もう私には通用しないと。すでにここに飛んできて数ヶ月も放置しているから、もし、悪い細胞が出たら、もうアウト。「治療して治そう」っていう段階ではないっていうふうに、もう思ってしまって。そうですね、細胞診してから、結果が出るまでの1週間は、もうちょっと地獄というか、そういう自分で病気を調べる勇気も持てないし、とにかく「嘘でしょう?」というのと、「怖い」っていう1週間を過ごしまして。
それでも、何でしょうね、ママ友達との約束もあったし、子育ては待ったなしだし。まあ、ちょっと思い出したくないんです。今、そうですね、4年ぶりに思い出したんですけども。すごい辛い時期で。で、家族にも、ちょっとそうかもしれないということで。いろいろ、もしそうだったら、病院どうしようかと、ちょっと手配もいろいろ考えてもらって。
で、その結果が出るときには、主人も付いてもらって、行きました。で、細胞診1、2、3、4…あるんですけど、クラス4。まあ1、2だったら、がんじゃない。で、3、4は危ない。まあ3はちょっと微妙だけど、4、5はまず悪いだろうと。で、「4」って言われたんですね。ある程度覚悟してたんですけども、言葉も出なくって。ちょうどその日も、雨が降ってて、そうですね。病院から帰るまでの10分ぐらい傘を差しながら主人と、もう話ができない。何の言葉も発せられないっていう。で、こんなときに、まあ主人に助けてほしかったんですけど、「何かしゃべってよ」って言っても、もう自分と同じぐらいに主人も動揺して何を言っていいか分からない。放心状態で。まあ頼りにならないなと思ったんですけれども。

乳がんの語り

術前に受けた他臓器への転移があるかどうか調べる検査が恐怖だった

肝臓とか、肺とか、骨、全身に転移していないかっていう検査があるんですけれども、これが私にとっては一番恐怖でした。要は、「どっかに飛んでたら、もう終わりだ」と思っていたんで。で、幸い、飛んでなかったんですね。そのときの検査っていうのは、今までもう何十回検査した中で一番恐怖でしたね。エコーする先生をもうじぃーっと見つめたり、骨の検査してる間ももう固まっちゃって、結果が出る日はもう恐怖で震えて…という、これほど、検査の結果を恐怖を持って迎えるというのがなかった。で、幸いどこにも転移がなくて。

乳がんの語り

授乳中のしこりで乳腺炎と区別がつきにくく、おかしいと思いながら時間が経ってしまった

出産して1カ月ぐらいのときに、ひどい乳腺炎になりまして、そのとき、今思えばもう脇の下にしこりがあったんですね。でも、もうおっぱいもガビガビだし、あちこちにしこりがあるし。ただ、ここに、昔の良性で取った後の、そのしこり後の組織のところがやっぱり硬くちょっと大きく腫れている。だけれども、ほかにもいっぱいしこりがあるし、もうそれを気にしてる状況じゃなかった、そのときは。
で、ただ、他のところはマッサージで、乳腺炎のしこりは治まるけれども、ここだけはどうしても残ったっていうのは気にはなっていました。で、そうですね。出産して1カ月ぐらいのときに、ここの脇の下のしこりには気付きました。ただ、それは乳腺炎の影響であるとか、助産師の方にも相談したんですけれども、副乳という、ああ、こういうとこに副乳があるんだということで、ただし、そのしこりはドクターにも看護師の方にも誰も触ってもらってなくって、訴えたんだけども触ってもらわなかった。それはその乳腺炎の中の話で片付けられてしまったっていうのは、今、思えばすごく後悔。そのときに、医師に触ってもらって、触診して診てもらえればおかしいと思って、すぐに精密検査っていうふうになったはずだろうと思います。

乳がんの語り

近親者にも、近所の人たちにも病気のことは言っていなかったので、グラウンドゴルフも都合が悪いと休んでばかりはいられず、術後2週間で復帰した(音声のみ)

私は、グラウンドゴルフをやってるんですが、「そういうのも別に全然平気だよ」っていうことで。ただ、近親者に内緒にしてたと同じように、ご近所も、お友達も全く内緒にしてましたんで、お誘いがかかって、断るのが断りにくいことがあったんですが、まあ、いろんな理由を付けて、「今日はちょっと都合悪い」とかでお断りしたこともありましたけども、もう手術後2週間目ぐらいから、もう、ゴルフも参加して、走ってやってましたね。で、走るときは、ちょっと、胸に手を置いて、「ちょっとね、肩こりでね」とか言いながら、手で押さえながら、タッタッタッタッ走ってました(笑)。
そんなんで、全く、友人たちも。ウィッグを付けてることに関しては、「おしゃれね。似合ってるね」とか「え、それ、かつら?」とかって言われながらも、何かいまだにかつらしてるんですよね、私は(笑)。もうそれが似合ってるって言われてるんで。これも実はかつらなんですよ。もう術後3年たってますけど、かつらなんです(笑)。そんなんで、もうこれがもう似合ってるいうこと言われたもんで、うれしくて、2個目なんですけども、もうこれが気に入っちゃって、何だか治療中のまんまのヘアスタイルで現在もいるんですけども、まあそんな笑うような話なんですけどもね。

乳がんの語り

息子たちがショックを受けると思い、病気のことは言わず、夫と2人で闘病することにした。抗がん剤治療中に息子が里帰りしたときも明るく振る舞い、気付かれなかった(音声のみ)

私は告知を受けた段階で、主人と二人で取り決めをしたことがあるんです。乳がんになったものの、私、息子が二人いるんですけども、関東のほうに、離れた所に所帯を持ってまして、年に2回ぐらいしかこの田舎には帰ってこないんで、私が乳がんになったって言ったら、すごいショックを受けると思ったんですね。それで、私でも、乳がんに対する知識は、ほとんど皆無といっていいほどないものですから、「がん」っていうとやっぱり「死」、もう駄目なんだっていうふうなことも感じてましたんで。息子たちにそういうこと言うことによって、息子たちがどんなに心配するだろうと思ったもんですから、主人と、息子たちには話さないでおこうと。私は多分、死なないと思ったんですね。先生のご説明や先生のお話を聞いたときに、この先生、信頼できそうだとやっぱ思ったものですから。でも、人間は、一度は死にますよね。100%死亡率ですよね(笑)。ですけども、そんなにこの手術で死ぬことはないとは思ったんですね。だから、息子たちには言わないでおこうと。
8月でしたので、息子たちが東京からお盆に帰ってくることになったんですね。「帰ってこなければいいのにな…」(笑)と正直思ったんですね。この毛のない頭と、慣れないウィッグをしている私の姿を見て、まあ多少、副作用もありましたので、吐いたりもしてたんで、多少、体調の悪い日もあったりして。抗がん剤治療して2~3日すると体調がちょっとしんどくなったりしてたんですね。で、それもまあ、慣れてくるとサイクルが分かるもんですから、日常生活にはさほど支障はなかったんですけど。でも、息子たちや孫が帰ってきたときに、ばあちゃんがしんどそうにしてたらちょっと困るなって思って、帰る日がちょうど抗がん剤の治療日と重ならなければいいなぁと祈るような気持ちで計算をしておりましたら、ちょうど外れてたので、ほっといたしましてね。
 で、帰ってきたときにはウィッグを付けて。息子が言いました。「どうしたの、母さん、その頭は」「ええじゃろ? だんだん毛が薄うなってなあ」ということでね、大笑いしながら。孫がそのかつらを取ったり付けたりして遊んでいましたけれども、まあ、とにかく知れなくって、息子たちはお盆に帰省をして、また東京に戻っていきました。

乳がんの語り

傷についてはタブーのような気がして話題にしないが、抗がん剤で髪が抜けたときのことや闘病の様子を詠んだ短歌で、夫の自分への思いを知ることができた(音声のみ)

主人は「見たい」とも言いませんし、私も「見て」とも言いませんし、何となくどちらも遠慮してるんですかね。手術して2年半、告知をされて3年、いまだに、ないですね。見せもしませんし、見たいとも言いませんし、「見て」って言うのも…。私は満足しててもね、夫がどう思うのかなと思ったりするんで、何となくタブーかなっていうふうな感じですかね。はい。
実は、夫は、短歌を作ったりするんですね。で、妻が乳がんになってっていうことで、短歌を作って、たくさん作ってくれてるんですね。あるとき、ぱっと見せられて、夫の思いがこうだったんだっていうのが分かっちゃって、じーんと来ましたね。先ほども申しましたように、毛が抜けたときのことだとか、私が病気で闘ってる様子だとかを歌にして、パソコンに入れてるんですね。だから、それを見たときに、言葉とか態度にそんなにしょっちゅうね、出すわけではないけども、やっぱり思っててくれたんだなと。逆に、病気になってからのほうが、ある意味では優しくなって、信頼関係もより増してるんじゃないかなというふうに思いますね。
そういうふうに思いますと、私が乳がんになったことは、すごいプラスのことが多いじゃないですか。ね、そう思って…ありがたいなと思ってますし、まあ、なるものはしょうがないんですけども、私自身、大事にね、自分を大切に生きていきたいなと。そして、二人の関係もね、大事にしていきたいなと、そんなふうに思ってます。

乳がんの語り

抗がん剤をして3週間目ではらはらと脱毛が始まった。夫が「あんたはまた生えるじゃん」と和ませてくれ、泣いたり笑ったりしながら過ごした(音声のみ)

脱毛のほうは、初回の点滴をして、3週間目ぐらいから始まりました。まあ話には聞いておりましたけど、それは壮絶たるもので、女性として、やっぱり髪の毛が抜けるっていうのは、こういうことなのかと思ったのが。短くカットしておけばよかったんですけどね。私、ちょっとセミロングだったんですね。で、最近は、みんなに、「切っといたほうがいいよ」っていうふうにも、ほかの方にはアドバイス差し上げてるんですけどもね。私の場合は、そういうのを聞いてなかったもんで。抜けるときにシャンプーしますよね。そうするともう、濡れた髪が団子状になっちゃって大変なんですね。もちろん、洗面器に抜けるのはわっと抜けるんですけど、あと、抜けた髪がセミロングの長さだから、濡れたまま絡まっちゃって、団子になっちゃって、シャンプー終わった後、ブラシも、荒いくしも通らないんですね、濡れてて。
それで、主人に言って笑ったんですけど。「ちょっとこれ、とかして」って言ったんですね。「もう抜けるかもしれないけど、もう何とかやって」って言ったら、主人が「そんなかわいそうなこと、ようせんわ」って言ったんですね(笑)。で、ちょっと主人もはげてるんで、「お父さんと一緒になるね」って笑ったんですけども。でも、主人が言いました。「でも、あんたはまた生えるじゃん」って言ったんですね(笑)。
「そうかもね」とか言って、まあ、泣いたり笑ったりしながら、脱毛の体験をしましたけど。とにかく朝起きたら、枕カバーにいっぱい抜け毛が落ちてるし、私の動く所はあらゆる所にはらはらと、その中途半端な髪の毛が、20センチぐらいのセミロングの髪の毛があっちにもこっちにもあるんですね。もう掃除機をしょっちゅうしないといけないし、手でこう頭をすくと、その指の間に全部こう抜けてくる。この体験は、ちょっと経験のない方に語っても説明が難しいぐらいの体験でしたね。

乳がんの語り

抗がん剤の副作用でだるくて家事が進まないことがストレスだったが、ある時考え方を変えて、できないことは甘えてしまおうと思ったら、気が楽になった(音声のみ)

やはり主婦ですのでね、やっぱり家事はするものだというのが、概念としてずっとあるじゃないですか。私も、主婦歴長いですし、家事は、自分がするものだと思って長年やってきて、62歳までやってきてね、突然、何かね、副作用でね、何かだらだらしてるとね、何かなまけてるようでね。家のお掃除も、何か普通だったら隅々までできるのに、体がしんどいがために、何かもうやりたくないし、台所もぐちゃぐちゃだけど、もうそんなんする気力もないし、食欲もあんまりないから、ご飯作るのも何か嫌で、億劫でっていうのはあるんですよね。だけど、それが逆に、ストレスになることってあるんですよ。だから、ほかの方もそうだったと思うんですけど、私もそれがストレスだったんですね。
 でもね、ある日ね、考え方変えました。ああ、私、病気なんだし、もうできないことはできないし、掃除ね、ごみたまってても死にゃしないしね、もうそれであきらめようと思って。で、食生活もね、やっぱりちょっと、こうバリエーション変えたほうがやっぱり食べる気にもなるんで。で、お酢のものとか割と食べやすいんで、「じゃあ、今日、あのー、回転寿司に行こう」とか、ちょっとこう変えて、気分変えてしたら、ちょっと食べれたりとか、ああ、これだったら食べれるなと思って食べたりとか、そういうふうなことしたりとかして、まじめな主婦業をちょっとさぼることに、抵抗感じないように。もう私は、もう今、治療中で頑張ってんだから、もうそっちはちょっと二の次でということで。
 主人と別に相談したわけでも、話したわけでもないんですけども、まあ、主人にも、「今日はもう出来合いを買ってきて」って言ったら買ってきますし、そういうことでね、甘えちゃいましたね。で、そしたら、肩の荷がすっと下りちゃって、ああ、もうこれでいいんだと思って。またできるようになったらね。できなかった部分をまた頑張ればいいんだしと思って…。

乳がんの語り

抗がん剤の副作用で雪焼けをしたように皮膚が赤黒くなってしまったので、ファンデーションの色を濃い目に変えた(音声のみ)

副作用でね、やっぱり皮膚がやられちゃうんで、爪の色がもちろんちょっとこう、色が付いたりするんですけども、顔がね、何ていったらいいんだろう。雪焼けをしたような状況になるんですね。メークしてるとそんな分からないんですけど、素顔になると、本当に、雪焼けをしたように、ちょっと何ていうんだろうね。赤黒いいうかな。ちょっとそんなような状況にもなりますね。だから、抗がん剤の治療中のメークっていうのもね、やっぱり女性ですからね、やっぱり気になるところですよね。ちょっと、ファンデーションの色をちょっと濃いものに変えたりとかね。

乳がんの語り

術前抗がん剤の治療中、しこりが熱くなるような反応を感じることがあった。「小さくなーれ」としこりに話しかけていた(音声のみ)

治療中にね、やはり抗がん剤を受けると、がんがあるところが反応してくれるんです。何ていったらいいのかな。熱くなったりね。感覚が分かるんです、がんのところが。何だか感じるものがあるんです。
で、時々、何でもない日もあるんです、そういうふうなこと。「あら、今日は抗がん剤はお休みかな」なんて思ったりもするんですね。で、熱くなったりすると、「あ、抗がん剤が効いてるな…」と思ったりね。実際、そうかどうかは分かりませんよ。でも、寝ててもちくちくちくっとしたりね、熱くなったりするんですね。
で、他のお友達もそう言ってましたけど、「もうすっごい熱いんじゃけど、どうなっとるんじゃろうか」とか言うんですね。「それは効いてるんじゃないの」とか言うんですけど、それは正しいかどうかは分かりませんけどね。私自身も本当に、「ああ、何か…」って反応があるんですね。そういうちくちくちくとか、熱くなったりとか、火照るようなね。感じるんですよ。「効いて小さくなーれ、小さくなーれ」とね、お願いをするようなこともありますよ。はい。で、「今日は、あら、どうしたの。今日はお休みなの?」って言ったりね(笑)。静かで何とも感じないときもあるんですね。「あら、今日、どうしたの。今日は抗がん剤どうなってるのかな?」と思ったりね。「あら、もう(抗がん剤の効果が)なくなったのかしら」と思ったりね。勝手に思ったりしてね(笑)。胸に触って、語りかけたりしてね。そんな日々が懐かしいですね。もう3年も経ってますけども。はい。そんな状況でした。