投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

ホルモン療法で骨量が減ってきて、骨粗鬆(しょう)症までは行っていないということだったが、薬を飲むことになった

ちょうど今年で2年、1月で2年目だったんですね。それで、一応、またマンモ撮って、エコー撮って、骨量を測ったんですね。そのときに新しい先生が「副作用で、骨量が減るっていうことがあるから、それで骨量をちょっと測りましょう」って言って、骨量を測ったんですね。その結果が、やっぱり骨量が減ってる。「やっぱり骨粗鬆症の治療をしないといけない範囲に入ってる」って言うんですね。で、「このまま同じ薬を飲むのか。違う薬に変えるのか。やっぱりそれは、整形外科のほうの先生に、その骨量の状態を診てもらって、それから決めましょう」っていうことで。で、整形外科のほうに行きまして。そしたら、「確かに骨量は減ってるんですけれども、薬を飲む前に骨量を測ってないですから、はっきりその薬がその影響出てるのか。まあ、年齢的に減るっていうこともありますしね。そこのことははっきり言えないから、取りあえず、骨の状態をレントゲン撮りましょう」ということで、レントゲン撮ってみたら、まあ、骨自体が骨粗鬆症になっているわけではないみたいなんですね。で、だから、「取りあえず、まあ骨量が少ないのは確かで、骨粗鬆症になったら、本当にね、骨が骨粗鬆症になったら困るから、薬を飲みましょうか」ということで。で、まあ、「今度、来月、乳がんのほうの先生と、その薬のことは相談してください」って。で、整形外科の先生としてはね、「今すぐその薬を変えるっていうことはしなくてもいいんじゃないですか」って。「取りあえず、その骨粗鬆症の薬を飲んで、何ヶ月か後に骨量を測ってみて、それで判断したらいいん違いますか」っていう感じで今いるんですけれども。

乳がんの語り

前立腺がんで亡くなった父が放射線治療で苦しんだのを見ていたので、大変だろうと思っていたが、副作用もなく、30回休まずに受けることができた

私はその放射線の治療っていうことに対して、すごくちょっとトラウマがありまして。父が、前立腺がんで亡くなってるんですね。で、そのときに、ものすごく苦しんだんですね、放射線の治療に。で、本当に、ご飯が食べられなくて、毎日毎日、吐き気がして、そこで体力、すっごくなくしたんですね。でも、そのときは、もう20…30年近く前ですから、本人にがんということは言わないというか、お医者さんもおっしゃ、言わなかったですし、まあ、私たちもそれは当然だろうという形で、父にはちゃんと言わなかったですね。ですから、その治療ですごく父が苦しんだと思うんですけれども、やっぱり父が亡くなってから「言ってあげればよかった」っていう気持ちがすごくあったんですけれどもね。
で、放射線、あんな苦しい思いするのかなっていう感じでいたんですけれども、まあ、先生が、うーん、先生に私はちょっと父のことね、言って、「すごい大変ですよね?」っていう感じで言ったら、「いや、そんなことないですよ」って言ったんで。「まあ、でも受けなきゃしょうがないんだったら受けよう」と思って、それで、まあ、放射線の治療、1日も休まないで30回。1ヶ月半かけて無事に終わったんですけれども。まあ、本当に、何の副作用もなかったですね。吐き気とかも全然ありませんでしたし、まあ、ちょうど冬でしたから、インフルエンザが流行ってるので、とにかくお医者さんから「人混みには出ないでくださいね」って言われてたんですね。「風邪を引いたりして熱が出たりすると、それはできなくなりますから。で、なるべくこれは続けてやらないと意味がない」って言われて。
それでも病院とね、家と往復だけで毎日毎日ね、行ってると、もう本当に息苦しくなってくるんですよね。だからもう、息抜きしながらね。ちょっと楽しみながら(笑)。帰り、展覧会に行ったりとか、そんなうろうろしながら、帰って…やったんですけれども。

乳がんの語り

髪の毛が抜けて外に出るのがおっくうになっていたので、高いけどかつらを買ったら気持ちが楽になり外出できるようになった

やっぱり女の人は、髪の毛がなくなるっていうことは、想像以上にやっぱりショックでしたね。だから、すごく、まあ、高いですよね、かつら。お値段言って何ですけれども、20万でちょこっとおつりが来た程度だったんですね。でも、やっぱり、それを被って、気持ちがね、やっぱりすごく楽になったんですよ。うん。
だから、ほかの人にかつらを被ってるっていうことはばれてもいいんですけど、被ってないときに人に見られるのが嫌っていう気持ちがすごくあって。出るのもおっくうになってたし、気持ち的にね、外へ出たときも、何かすごく、見られてるわけじゃないのにね、見られてるような気持ちになってしまうんですね。だから、「ああ、それだったら、もう」と思って、かつら買った。お友達にも勧められたんですよ。「今、いいかつらがあるから、かつら買ったら?」って。「あ、そうよね」って。それで決心が付いて、かつらを一人で買いに行ったんですけどね。それで本当に、楽になりました。
だから、やっぱり、日々のことですのでね、うん。やっぱり短い期間でも、それを何か、気持ち的にね、いつも、頭の毛、気にしながらね、生活するよりは、やっぱりずっとよかったなと。買ってよかったなと思いました。はい。

乳がんの語り

抗がん剤治療中に娘が出産し、孫の面倒に追われ、病気にばかり気持ちが行かなくてよかった。吐き気などの副作用も軽く、無事に治療を終えられた

思ったより、抗がん剤の治療も、吐き気とかそういうのも、副作用がほとんどなかったんですね。1回だけちょっと、吐き気とめまいがしたんですけど、その1回だけで、後はもう順調にね、進んだんですけれども。
で、結局、最後の5クール目ぐらいのときに、娘が出産っていうことがありましたので。だから、出産の1ヶ月前から上の子がいますから、うちに帰ってきてて。で、もうとにかく、にぎやかにバタバタと抗がん剤の治療しながら、過ごせましたので。だから、大変とか、しんどいとか、その病気のほうばっかに気持ちが行かなかったっていうのもよかったんじゃないかなっていう気はするんですね、ほかのことで。「あ、明日はそうそう、抗がん剤の治療に行かなきゃ」みたいな感じでね(笑)。だから、1週間に1回、点滴して、それで後は薬っていう感じですか。2週続けて点滴に通ってという形だったんですね。で、娘が出産しまして、それからまだ抗がん剤の治療、続けてましたから。で、娘の家に私が行きまして、それで、治療も最後までしたんですけれども。
まあ、最後のほう、ちょっと、肝臓の数値がよくなかったんですけれども、でも、その後、それ以外は、白血球もちゃんと元通りに戻って治療も続けられましたから。まあ順調に治療は続けられたんですけども。

乳がんの語り

がんを取ったところに血液か何かを入れてあるので、その部分を触ると硬いが、ポコッとへこんでいる感じはないので、温泉にも普通に行っている

えっと、あの、取ったところですね、ポコッとへこまないように、先生がちゃんと中に何かを入れてくださってるんですね。血液っていったような気がするんですけど。何か、だから、今も触ったら硬いんですよ、その切った下は。だから、ポコッとへっこんでないんですね。だから、一応、平面というか、ちょっとはやっぱり、あの、崩れてますけれども、そんなに、あのー、えくぼになってポコッとへっこんでいるという感じはないんです。
だから、私は、温泉にも行ってますし。あの、まあ、大腸がんで手術した後も、温泉にも普通に行ってますし。だから、それは全然、外見的には、はい、大丈夫というか、そんなに、あの、本当、醜い感じにはなってないんですよね。

乳がんの語り

抗がん剤はしたくないと思ったが、家族はやるだけのことをやってほしいと言ったので、あとで後悔してほしくなくて受けることにした

私の中では「そんなに、抗がん剤の治療って必要なのかな?」っていう思いがすごくありまして、「それはどうしても受けないといけないんですか?」っていうふうに聞いたんですね。そしたら、先生は、まずやっぱりその「データが…」っていうのをバババっていろいろ言って、「5年生存率がね、何%で、10年生存率が何%」っていうのをすごくおっしゃって。で、やっぱり、「がんはやっぱりその大きさじゃない」っていうふうに、それは大腸がんのときも言われたんですけども、「大きさじゃありません」っていうことを言われたんですけど。まあ、私の場合は、やっぱりがんの性質がやっぱりよろしくないということで、「やっぱり抗がん剤はしたほうがいいでしょう」っていうことだったんですね。
で、最初、私は、「したくない」っていうふうに言ったんです。そしたら、お医者さんが「じゃあ、まあ、とにかくご家族と相談してきてください」って言われて。それで、家族に言いましたら、主人と娘はやっぱり「やるだけのことはやってほしい」って言うんですね。で、それはやっぱり、「やらなかって再発したときにね、『あんときやらなかったから』っていう気持ちが残る」って言うんですね。まあ、考えたらそうですね。私は先に、死ぬわけですから、私自身は自分で納得して死ねますけれども、残された家族は、やっぱり思い、引きずりますよね。私が父に、「(がんだったと)言ってあげられなくてごめんなさい」っていう気持ちをやっぱりずっと引きずったような気持ちをね、やっぱり家族に持ってほしくなかったっていうのがありまして。で、「じゃあ、もう頑張る」っていう感じで、抗がん剤の治療を受けることにしたんです。

乳がんの語り

細胞診ではグレーだったが、組織診をしてはっきりがんと診断がついた

そのエコーを撮ったもうその日に細胞診を、3本ほど、注射器みたいなので、「3個採った」って言ってました。それで、「1週間後に結果が出ると思うから、聞きに来てください」っていう形で、1週間後に行きました。で、そのときはグレーだったんですね。「はっきりがんとは言えない」って、どっちとも、っていうか、そういう感じだったんですね。で、だから、今度は組織を採ったら、もうはっきり分かるでしょう」っていうことで、で、組織を採りまして。また、注射みたいな、ピストルみたいなのでバチャンっていう感じで、それも、「3個採った」っておっしゃってましたか。それで、また1週間後に行きまして。ですから、「しこりがある」って言われてから2週間後ですね。はっきりがんってわかったんですね。

乳がんの語り

友人たちがとてもいたわって力になろうとしてくれるのはありがたいが、そんなに心配しないで、と思ってしまうこともある(テキストのみ)

もともといた友達も、支えではあるんですけれども、私、見栄っぱりなんで、心配かけたくないもんだから、いいときしか話さないんで。一番揺れてるときに、言わなくても分かってくれる人ってやっぱりありがたいですよね。
だから、そういうのは、皆さん、昔の友達も思いやりがあって優しいし、分かってくださるけど、その人たちが私をいたわってくださって、力になってくださってることっていうのは、何だろうな? すごいありがとうって思ってるんだけど、でも、「そんなに心配しないで」って思っちゃうんですよね。で、そういう人たちが、例えば家族にそういう場面があって、改めてそういうことをお迎えしたときに、私のことを浮かべたって言ってくださって、いろんな話がそこからは広がっていったりっていう切り口もあるし。だから、仲はいいんだけれども、またちょっと共有しているものが違うので。

――相手がかけてくれる言葉と、自分のかけてもらいたいと思ってる言葉に、少し距離がありますか?

言葉をかけてもらいたいとは思っていないんですけど、逆に「あんまり心配しないで」っていうか、「そこ、気にしなくていいよ」って思うんですよ。「私を見て、そこ(病気)のところをまだ気にしなくていいよ。そういうところじゃないところを共有しましょ」って。で、何か、いたわってくださるんだけど、別にいたわっていただくような、体がどうこうではなかったのでっていうのと、物理的に離れてる友達が多かったのと、まあ、お酒を飲んだりすることの友達が多かったので、あんまり、そういうような、深刻な話とかを、もともとしないので。それはそれで。ただ、いつでも皆さん、やっぱり駆けつけてくださったし、それはもう、本当にどこのどんな人でも、みんな飛んできて、お見舞い来てくれたり、声掛けてくれたりあって。早く戻りたいなっていうのはありましたけど。

乳がんの語り

実家の母親が、1人で療養している自分を心配して高い漢方薬を送ってくれた。母親自身が不安で誰かに話を聞いてもらいたかったのではないかと母親の心配を思った

最初は多分すごく驚いて、オロオロしたかったんでしょうけど、私、時間あるときっとおろついちゃうなと思って、あれやこれや、相談というよりは「もう決めたから」っていうふうに言って、治療がある程度終わってから、何か「ご飯食べられなかった」みたいなのをぼそっと言ってたんですけど。ちょっとかわいそうだなと思ったんですけど、まあ、そっちをいたわってる暇がこちらになかったので。でも、一つ、そのときに、例えば「私が乳がんになりました」って、母親が非常にそれを心配だったんだけれども、まあ、私にどうこうっていうことも言えないですよね。「大丈夫? 頑張りなさい」ぐらいしかきっと言えないと思うし、私が離れて住んでるし。で、彼女、うちの母自身が、それを多分、自分自身の娘がそうなったことに対しての不安っていうのを、言いに行くところがなかったみたいで、漢方薬屋さんに行ったらしいんですよ。で、非常に親切だったと。で、「『これが効くのよ』って言われて買ってきたの」って、1袋3万円ぐらいするよく分からないキノコの粉を10万円分売りつけられてきたときには、何か「何を買ったの?」っていう思いと、「ちょっと買って来ちゃったもんはしょうがないんだけど、何で買ってきちゃったの?」っていうのを聞いたら、「すごい丁寧に話を聞いてくれて、いろいろ教えてくれたの」って。その内容・精度の問題じゃなかったんですね。きっと、彼女はそういう自分自身が、娘が病気になったことに対しての精神的な不安とかを、何か誰かに言いたかったんだけど、自分自身が病気じゃないから病院にかかるわけにもいかないし、患者のケアはできても患者の家族のケアっていうの、今、ないですよね。どこにも。制度的にもないし、行く先も、例えば、心療内科とかをパッと行ければいいんだけど、そういう年代でもないし、そういう土地柄でもないし。だから、そういうところに行って「話を聞いてくれたから」って、10万円もするもの買ってきちゃって、「待って」って思って、それはちょっとびっくりしたんですけども、かわいそうだったなって。
 だから、できるだけその後は、自分自身も落ち着いたので、話をするようにはしたんですけど。「意外に落とし穴だった、そこ」と思って。後からすごく反省しました。相談って、私自身の相談じゃなくって、もっとコミュニケーションを取って、「私が安心だから、あなたも安心」っていうふうに親に納得させてあげればよかったと。

乳がんの語り

パートナーに乳がんであること、手術痕のこと、すべて事実を伝えたが、それは気にしないと言われて、怖がっていた自分にはじめて自信ができた

自分が思い描く女性としての姿ではないっていう事実がそこにありますよね。で、難しいっていうか、もう全然、本当に、露天風呂一つ、もう入ることが、自信なくなっちゃうんですよね。だって、異様のものですものね。きれいに、再建も本当に失敗して、随分ちょっといびつな感じになってしまっているんですよ。いっそなければすっきりしたのにとも思うし、もう一つは、ポート(*)が入っているから。最初のうちは片方だけタオルで隠したりとかしてたんだけど、ポート入っちゃったらもう両方隠すわけにもいかないし。どんどん太っちゃって、本当に何か自分に自信がなくなっていく。同性に、もうお風呂場で見られることすら嫌だし、多分、家族とお風呂入ることすら嫌だ。で、それは、本当に、今までともう丸っきり変わっちゃったことだったんだけども。で、それを、まあ、今、付き合ってるパートナーに、病気のこと、言葉では知ってるけれども、まあ、「付き合って」って言われても、「私はそう、こうこうだよ」って言って。「それは僕は気にしません」っていうことを言っていただいて。で、実際、まあ、どう思ってんのか分からないですけどね。初めてそこでちょっと自信ができたかなって。自信っていうんじゃないんですけど。
ただ、まあ、私自身としては納得しているわけではないので、その再建失敗していることに関しては、この後、本体の病状が落ち着き次第、もう少し何とかしようとは思っているんですけれども。
だから、自分自身で怖がっているっていうのは、あくまでも自分がその姿が、望ましくないのでということで、それ、人から見た目とはまた違うんだなっていうのは、そこで一つ思ったことでしたけどね。一歩踏み出せば、意外にそうでもないのかなあとか思います。相手次第ですけど、やはり。

*中心静脈ポートのこと。ポートは皮膚の下に埋め込まれるので、その部分の皮膚が多少盛り上がって見える。