投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

しこりの大きさから、温存しても「整容性」に問題があると言われ、別の形成外科でも全部摘出して再建するほうがいいと言われた

いわゆる全部摘出するか、残す形の温存かというのが、手術には大きく違いがあるということが分かって、私の場合はどうなんだろうと思ったときに、まあ温存できなくはないけれども、「整容性」っていう言葉を先生がお使いになったんですが、どう美しく形をですね、残すことができるかどうかということはちょっと疑問だというふうなお話だったんですね。しこりが大きいということは、その回りをある程度大きく取るので、形が、まあ見た感じ、術後の形がこうまあ、ゆがむというか、いびつな形になるというか、そういう可能性が大いにあるということと。その当時、雑誌でやっぱりその術後の写真ですね、乳がんの手術の後の写真を何種類も見て、やっぱり相当その温存手術って言われながら、確かに、その、乳房は残ってはいるんだけれども、だいぶ変形していて残されているっていう写真を見て、そういう変形の形だったらば、ちょっと私は嫌だなっていう思いが募りました。
それで、いろんな本を読んで、まあ家から比較的近い都立病院の形成外科の先生にセカンドオピニオンではないですけれども、その再建についての意見を伺いに、手術までの日にちの中で予約を取って伺いました。私のその手術をする、がんの手術をするほうの市立病院の形成外科では、再建の事例が、症例があんまりなかったんですね。なので、あの、専門のところへ行くようにというお勧めだったので、調べてそちらに行ったんですけれども、やっぱり同じようなコメントでしたね、どうせなら、全摘出をして、そして、まあ胸筋、胸の筋肉は残せるだろうということで。で、全摘をして、その後、あの、乳房の再建手術をするというのがいいんじゃないかというお話でした。

乳がんの語り

セカンド・オピニオンを勧められたが、気持ちに配慮した先生の対応に信頼して、そこで手術を受けることにした

とても優しい先生で、語り口も柔らかいということもありましたが、まず、がんだということ、悪性だということ、手術が必要だということをお話になったときに、「3つの選択肢があります」とおっしゃいました。
で、まず、今、まあがんだというふうに診断を聞いて、頭が真っ白になっているかもしれないから、このまま、まずすぐ家に帰るって、それでゆっくり考えるっていう選択もあります。
で、2番目は、じゃあ、うちの病院で手術をする気で入院の予約をして帰るという選択。
3番目は、納得もできないし、いろいろこう調べたいから、セカンド・オピニオンを取るから、別の病院に行くという選択がありますというふうにおっしゃったんですね。資料は、貸し出しますって、言ってくださいました。
で、私はとても何て親切なのかしらというふうに思ったんですね。ああ、こんなに、まあまあがんだというのも、私は初めてのもちろん経験ですが、それまで、まあいろんな病院でいろんなことでお世話になったときに、なかなかそういう患者の気持ちを考えながら、治療方針をこう患者が主体的に選び取るというふうな、この幾つも、それも選択肢も示すというのはなかなかほかの病気やけがや、何かのときにはなくて、「こうします」「ああします」って、割とパンッと言われて、そのとおりにベルトコンベヤーのように流れてくということが今までは多かったので、違う、やっぱりがんって違うのかなあなどと思いながら。そして、とても、その先生を信頼する気持ちになって、「いや、お願いします」というふうに返事をして、で、入院の予約をして、その日は帰りました。

乳がんの語り

毎年、婦人科で乳がん検診(視触診)を受けていたが、自己検診でしこりを見つけた

2007年の3月の30日、私は入浴後にバスタオルで体をふいていたときに、左胸のしこりに気が付きました。努めて、以前からこう自己検診をするようにしていたんですけれども、そのときに触れた感じというのが今までに自分の感じたことのない手触り、触感というか、そういうものだったんですね。なので、これは、ちょっとまずいんじゃないかというふうに、すぐにドキッとして、迷うことなく、すぐに、毎年、がん検診は受けていたので、まあ、でも、乳腺専門ではなくて婦人科ですけれども、そこの婦人科の先生のところに翌日行きまして、診てもらったんですね。やっぱりとっても心配されまして、自分のところでは、マンモグラフィの機器がないので、すぐに設備のあるところを教えていただいて、がんの検診を主にやっているクリニックに翌日行きました。

乳がんの語り

退院と同時に脳梗塞で入院中の母親の介護、その後、交通事故で長期入院を余儀なくされた娘の看病と、自分の体に無理を強いなくてはならない日々が続いた

ただ、私はその後、母の介護に、私が退院すると同時に、母の介護に入らなきゃいけなかったんです。私が退院する2日前に、母が脳梗塞で倒れて入院し、私は退院と同時に母の介護に入るってことがあり、また母の介護を1年近く終えた後、突然、娘が交通事故に遭いまして、100日に及ぶ入院を余儀なくされました。そんなこともあり、先生が、「僕の救った命を無駄にしないでくれ」と言われたんです。そんなことを押して、自分が母を看病していますから、無理に無理をしている自分があるということが、十分、承知してるんで、その再発の不安とかは今でもぬぐえてないです。ちょっと咳が出れば「肺に転移したんじゃないか」とか、腰に…が痛ければ「骨に転移したんではないか」と、やはり乳がん患者にとって、再発っていうのはすごく頭から離れないんです。
がんっていうのは、先だって申し上げたように、がんだけではないんです。その人の背負っているもの。例えば親の介護であり、子どもの教育であり、夫婦のことであり、そういうことを背負って、みんな生きていかなきゃなんないんです。私はがんだけやってればいいっていうことはなかなか難しいんです。また、恵まれてそういう方もいらっしゃるかもしれませんが、ほとんどの方は、仕事なり、介護とか、私たちの年齢ですと介護とか、非常に重たい中で生きていかなければなりません

乳がんの語り

ホットフラッシュに備えて暑くなったらすぐ脱げる服を着たり、陰部の痛みには自転車に乗るときにナプキンを当てたりして工夫した

ホットフラッシュに関しては、脱ぎ着を簡単に。なるべくこう、暑かったときには、ホットフラッシュで暑くなっちゃったときには、1枚脱げるような感じで、工夫をする。特に、私、タートルはあまり着なくなりました。首が詰まると余計、何か苦しくなって、暑いときになると余計こう、カッとなったときに息苦しさを感じてしまうことが多かったんで、なるべく首が開いたので、そして、暑かったら、さっとカーディガンを脱ぐと。
で、寒かったらまた。ちょっとするとすぐ引くんで。カーディガンを脱ぐとか、まあ、顔だけ暑くなるんですけど、そういう形でちょっと、調節をするような形をしました。
で、陰部に関しては、自転車に乗るときには、ちょっと、こう当たらないように、こうちょっと分厚いものをちょっと、まあ、生理用の(ナプキン)で分厚いのを乗せたり、で、中にちょっと、重ねて、当たらないようにして自転車に乗ったり、したりして、こう工夫をしました。

乳がんの語り

ホルモン療法は体中に散らばった微小のがん細胞を抑えるための治療だと説明された

乳がんって、何でかなって思ったんですよ。何で、最初、この手術した後に(薬を)飲まなきゃいけないのかなって、一応、本は読んだけれど、納得がいかなかったんですね。そうしたら、乳がんっていうのは、最初にこう、取っても、微量、微小のこのがん細胞が、体のいろんなところに飛んでいる。で、たまたま読んだ本には、タンポポをふっと飛ばすと、いろんなとこへ飛んで、どこで、タンポポの花が咲くか分からない。あるいは、川の水にインクを流すと、それをバケツで拾うのは、流してこう散らばったのを拾うのは大変。拾う間にどっかいろんなとこに飛んでしまう。そういうように、がん細胞、乳がんの場合、最初から少し、こう、ほかのがんと違って、流れていってしまうことが分かった。「ですから、全身病っていうんだよ」、「そうなんですか」って。で、それを、補助するために、放射線をしたり、ホルモン療法といって、がんを抑える。「ホルモンで抑えたり、抗がん剤を使うんだよ」ってことをお話を聞きました。

乳がんの語り

エキスパンダーを入れてから1年半くらいして、アメリカからシリコンジェルを取り寄せて入れ替えをした

エキスパンダーの生理食塩水を入れてる場合は、非常にぶつかると、こう、こう弾力がないんで、パンクしちゃったりする可能性もあるそうなんですね。だから「ラッシュアワーとか、人にドンとぶつかられたりとかは気を付けてください」って言われました、退院のときに。で、飛行機とか何かでも、ちょっと、「飛行機ぐらいだったら、多少、気圧が、膨らむことはあっても破裂することはないけれど」ということでおっしゃいましたけど、ラッシュ時とか、ボールがポーンと当たったりすると、中が破裂しちゃう可能性もあるそうです。ですけれど、あの、「破裂したからって、じゃあ、先生、あの、すぐ緊急手術で何かあれなんですか」って言ったら、「いやいやいや、ただ、あの、それを、しぼんだやつを取り除くだけだよ」って言ってまして(笑)。
それで、あの、そのエキスパンダーは、ある程度おいてもいいということだったんで、えーと、1年半ぐらいおきまして、えーと、おととしの11月の末に手術をして、入れ替えをした。今度はシリコン。で、あの、シリコンでも、シリコンジェルといって、こう、ちょうどマシュマロのおっきいみたいですね。ボヨンボヨンボヨンっていう、こう動く形。おっぱいの形はしてるんだけど、その大きさのを入れるというか。そこの、液、あの、生理食塩水の入った袋を除いて、そこに入れ替えるという手術です。「手術自体はそんなに大変じゃない」って、先生、おっしゃってまして、退院、まあ、病院によっては本当にもう1日2日で退院。まあ、私の場合ちょっと、アレルギーとかもあるから、「ちょっと用心しながらいきましょう」ってことで、しました。

乳がんの語り

最初はエキスパンダーという水風船のようなものを入れて、3週間かけて少しずつ生理食塩水を注入していった。その間に反対側の乳房の吊り上げ手術も受けた

それは、えーと、エキスパンダーという、あの、(皮膚を)伸ばす手術です。そして、あの、生理食塩。あの、いわゆる体の中に、筋肉の下、胸筋の下に、水風船のようなものを入れるような感じを自分は受けました。あの、早く言うと、水風船を入れて、で、徐々に、その水風船を注射器で膨らましていく手術をする。その水風船を入れるための手術というんですか、エキスパンダーっていうのは。
そして、私の場合は、手術をして、通常は何か、少しずつ30ccぐらい、まあ入れて、皮膚をだんだんと伸ばす、みたいですけど、私の場合は結構、皮膚が残って弾力性があったんで、入院中、まあ、3週間かかったんですけれど。というのは、まあ、右側を手術したんですけれど、つり上げ、左側をつり上げ手術という形で、時間が、2~3年たってる間に、高さが違くなってしまって、残ったほうが下がってしまって、取ったほうは上がったままという状態で。で、先生は、形成、ということで、残したほうの、低いほうに合わせるってことだったんですけれど、先生に、「何も作るのに、下がったほうに合わせなくてもいいんではないか」ということでお話ししましたら、つり上げ手術ということがあるんで、つり上げ手術をして、上に上げて、で、高さをそろえるということで。

乳がんの語り

以前に婦人科の手術を受けていたので、自家組織を使うより体への負担も少ないということで人工物を入れる方法を選んだ

私の場合はエキスパンダーといって、その、人工物を入れて、まあ、さっきの話と重なりますけれど、入れる手術を、が、要するに、お腹の、お腹から持ってくる方法もあるんですね。あと背中から持ってくる。あの、筋肉を持ってきて、ここにこう、あの、血液(血管)と一緒に持ってきて、ここに収めるっていう方法があるんですけれど、私の場合、お腹は子宮筋腫と内膜(症)で取って、切られてるんで、その、お腹、手術してる人はあまり向かないという。もうかえって避けたほうがいいということで。背中から持ってくるのは、あの、保険は利くけれど、やはりちょっと、まあ、手術的にはそのエキスパンダーより、あのー、ちょっと、負担がかかるということを、お話聞いてまして、で、一番、あのー、私の場合は、一度切れてるところにこう埋め込むみたいな形が一番楽ではないかということで、体の負担がない。ただしちょっと、保険が、そういう面では、いろいろと制約があったりとかして、ちょっとまあ、あるんだけれど、そっちを考えた場合、まあ、体にもいいんではないかということで、それを選びました。で、選んだ結果は、とてもよかったです。

乳がんの語り

もともと大きかったほうの乳房が残ったので、体のバランスが崩れて姿勢が悪くなったことに加え、物事に対して卑屈になってきたので、乳房再建をしようと思った

そして、なぜ再建をしようかなと思ったのは、あの、だんだん姿勢が悪くなってきたんですね。もともと左側が大きかったんですね。で、大きかったほうが残って、小さいほうがなくなってしまったんで、体のバランスが取れなくなってる。曲がるときにコロッて変なほうに回ったり、体、姿勢もすごく悪くなったりして。
で、あと、まあ、自分ではこんなにならないと思っていたんですが、実は私、子宮がんもやっているんです。で、子宮がんのときは、よく女性のシンボルの、まあ、乳がんと子宮がんっていう形で、子宮がんのほうが何かショックがあるのかなと思ったら、乳がんのほうがショックが大きかったんですね。子宮がんっていうのは、まあ、あのー……。っていうより子宮、子宮がんで、私は子宮を取ってないんですけれど、子宮内膜症と子宮筋腫で子宮は取ったんですね。なんですけれど、やはり乳がんっていうのは、体…、いやがおうにも毎日、自分の醜い部分を、取ったという部分も見なきゃいけない。こんなに明るい私でも、物事に対して卑屈になるんですね。だんだんだんだん卑屈になってる自分が分かるんですよ。隠そう隠そうとしている自分があったんですね。夫婦も、20年も経ってて、それで心なんて変わらないって分かってても、何か、こう突っかかってったりとか。何かその辺の、自分の心の変化があったんですね。