投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

術式について女性が乳房を失うことは後から響くから慎重に考えるよう、再三医師に言われた。しかし、手術後にやっとこういうことだったんだとわかった

あの、「この病院では、全摘しないといけない人には、そういうふうに、こちらから言うけれども、こんな初期の部分で、十分に、あの、部分的に手術ができるのに、できる人にしか言わないんだから、大丈夫ですよ」って。で、「女の人が乳房を失うっていうことはね、すごいかなりあとから、響くことだっていうふうに聞いているので、慎重に選んでほしい」って、何度も何度も先生に注意されたんです。ほんとに、何度も、注意してくださったんですよ。ところが、もう思いっきりがいいというか、最初からもうずっとそう思いこんでいまして…。
後悔はしていないというものの、やっぱし…、それほど、自分が女性であるっていうことを意識したことがなかったですのに、あ、考えて考えたうえでやったのに、こういうことなのかっていう受け入れ方を、ができるのは、ずいぶんあとのほうになるまでできなかったです。失った悲しみというのでもなかったですけれども、もう、こういう体なのだっていうのは、受け入れましたけれども。あの、精神的に……、そういう姿であることに慣れるのは、やっぱり、時間かかりましたね。その、片腕がないとか足がないとかっていうような病気ってありますよね。怪我とか病気とか。それと、同じことである。ま、洋服着ているから、あのー、分からないようにね、今はいろんなこう分からないようにできるようになっていますけれども。自分が一番最初に思ったのはね、忙しいときで、遠い病院に行くのも、最初は1~2回車で連れて行ってもらったんです。でも、あんまり、その、仕事に支障をきたすといけないと思ったので、電車で通えるようって思って、電車で行くようになったんですよ。そしたら、雑踏の中歩くんでも、もう、もう、その悪いほうの胸を、こうスルメじゃないですけどスルメ状態みたいにこう意識してしまっているんですね。だから、さっさっと歩いているのにこっち側ばっかり風受けるみたいな感じで、すごく何かこっち側にない、ないっていうのが意識するわけです。「あ、受け入れられていないわ」ってそのとき思いました。「自分で受け入れることができていないからこんなに意識するんやな」って思って。で、傷口は当たると痛いっていうのもありますから、それを避けているっていうのもあるんですけれども。片一方しかないっていうのを、意識したのは、通院するときに意識しました。
だから、ちょっとくり抜いて手術するとかだったら、そういうことなかったわけですよね。そういうの、全然、手術前は考えもしなかったです。だけど、そういう姿になって、「あ、こういうことなんだって、自分の選んだのはこういうことだったんだ」っていうのは、通院するときとか、ま、病院の中で移動するときに、走ってきている人はないんですけど、すごくかばうわけですよ。で、「あ、そういうことなんやな」っていうのが、だいぶ年月経たないと。もう、最近なんかすっかりね、あの、そういう感覚は忘れてしまってますけど、こうやってお話しているとそのときの感覚はより、こう戻ってくるんですけど。そのころは、そういうことばっかりだったですね。

乳がんの語り

抗女性ホルモン薬と抗がん剤を飲んでいた。副作用のせいか霧がかかったようにぼんやりして反応が鈍くなり、医師に勧められ仕事を始めることにした

――そうすると、まあ、5年間、(抗女性)ホルモン剤(タモキシフェン)と抗がん剤の内服薬(UFT)を飲んでいたっていうことなんですね。

はい。はい。

――どんなことがおつらかったり、症状としてあったのか教えてください。

霧がかかっているような、もう、ぼんやりとしてまして。ま、そのころ、あの、目も老眼が進んでいたんだと思うんですけど。通院するのに、駅で、あの、切符の、あの、値段を見よう思っても、何かこう、一点じっと見てても、なかなか焦点が合わなくて、で、裸眼で見えるんですけども、時間がかかるんですよ、すごく、その選ぶまでがね。だから、これって、目にやられ、目に来たみたいっとかって思いまして。眼鏡を買い替えたりとか。とか、ぱって何かこう言われても、反応が鈍くなりまして。何か、「今、何、何か言った?」って、もう一回聞き返したりとか。やっぱし、ほんとに、老化っていいますかね。あの、ぼんやりとろ~んとしているような毎日だったんですよ。それで、駅前で財布落としてとか、ま、結局拾った方が届けてくださるんで、あの、難は逃れてるんですけどもね。失敗ばっかり繰り返すわけですよ。
で、家では、まだそのころ母は家事も手伝ってくれているんで、お炊事なんかもやってくれてましたので。食事したら歩く。食事したら歩くって、で、あとはもう横になる安静にしておくっていう。もう、自分のことしか考えない生活をしてたんですけど。病院に行くっていうときにそういう失敗をするんですね。お財布を落としてしまったりとか。病院に行くのに診察券が入ってなかったりとか。何か、こう、ちょっと、あの、お年寄りが、「あ、忘れたわ」っていうような、ときどき聞いていたようなことが、自分に起こってくるんですよね。で、ああ、もうこれどうなるのかなっていうような。すごく、こう…、時間がたっぷりあるのに、うっとうしいというかぼやけてました。
で、それも、まあ、お薬(のせい)もあるんだろうなと思うから、すぐには先生には相談しなかったんですよ。半年ぐらいしてから、「お薬、先生、お薬でなるんでしょうかね」って、「それもある、ありますけど」って「ま、仕事やめたっていうこともかなりあるかもしれないですから、あの、気楽に、きが…気軽にできるようなのが、もし近所にあれば、行ってみられるのも一つのあれと違いますかね」っていう、おっしゃったので、「仕事してみたい」っと思ったんですよ。それで、全然、前とは違う仕事を選んだんですけれども。
 
結果的には、勤めが始まって無理していたのかもしれませんけれども、家にいてては、あの、ぼうっとした感覚っていうのが、ずっと取れなかったんじゃないかと思います。あの、仕事が終わるとまたぼうっと霞んでくるんですけどもね。あの、行ってるときは、ぼうとしていてはいられないっていうのがありますので、何か、やっぱり、そこに張り合いを見つけていたと思いますので、仕事を持っていてよかったなと思っています。

乳がんの語り

蜂窩織炎がいつ起こるかとか考えると人と約束できない。不自由な体になったが、ストレスをためない程度に注意してやっていきたい

ですから、そういうこと(蜂窩織炎)をいつ起きるか分からないってなってくると、あんまりこう人さんとね、あの、約束事をするっていうのが、もう、長年してこなかったし、これからも、ああ、あんまりしたくないかなって。大勢だったら、1人抜けてもいいぐらいだったらいいけど、1対1だったら、ちょっと迷惑かけるかなって思うぐらい、あの、自信がないっていうか、健康で過ごせる自信が健康であったときよりかはないかなって。そういうのはちょっと不安に思うことはあります。いつ何どき、その、今まで機嫌よく笑っていたのに、急に悪寒がきて、熱が40度近くなってっていうのが、頻繁に起こってほしくはないけれども、起こりうる体になってしまっていますので、起こらないようにケアをしないといけないっていうことは、教えてはもらっていますけれども…。教えてもらっていても、まあ、そのとおり守れていないわたしは、あの、そんなことになってしまいましたから、ちょっと不便かなって。ま、不便で、不便かなあって思うけれども、ま、それぐらい自分のこと見つめる時間がなかったわたしとしたら、いいことなのかなとも、思いますけれども。
あの患者会っていうのは、その、土仕事はしたら駄目、庭仕事したら駄目とかって、文章では書かれますけれども、おおらかな会長なので、ガーデニングが好きだったら、すごい、手袋とかも厳重にいって、教えてもらって。そして「できるよ」とか。だから、何もできないとかっていうんでなくって、「気をつけながらすればできるよ」っていうようなことなので。あんまり、そのこれができないあれができないというのを思わないことにしているんです。ストレスになると思いますのでね。
だから、普段は、そういう体であることをときどき忘れる自分がいるんですけれども。でも、まあ、健康な奥さんから見たら、いつもこういう「それサポートはめてるんですか?」って聞かれるぐらい、あの、グローブとかはめていると、あ、尋ねてくださるのでね。そういう方から見ればやっぱり病気の体なんだなとは思いますけれども。普段は、なるべく、落ち込まないように、明るく過ごしていきたいって思ってます。

乳がんの語り

今年からスリーブ、グローブの購入に保険が利くようになったが、2枚で2万円ほどする。消耗品で替えも必要だからお金がかかる

最初、その…、会の会長さんからお聞きしたときは、まだ、会が(スリーブを)販売していないときだったですかね。あ、会を立ち上げる前だったぐらいだったですかね。なので、その、販売の会社を教えてもらいましたので、それが病院のすぐ近くだったんですよ。それで、病院の近くで、病院に行ったついでに買ってっていう感じだったんですけれども。で、患者会が販売もするようになったので、同じものを患者会を通じて買ってもらうようになったんです。で、この4月から保険が適応されるようになったので、あの、それは、ありがたいことだなと思ってます。
あの、自費で、ま、高価な物ですのでね、自費で買うときには2足、2つ買う、洗い替えで買いますので。それを伸びては駄目って3ヶ月とか半年に1回くるくるとか買う、買い替えるっていうのは、かなりやっぱり、あの…、病院で医療費を払うのにプラスやっぱりそういうものが要りますのでね。今まで、健康だったときから比べると、かなりのお金使っているなっていう感覚は自分にありました。
でも保険適応で、あとからお金が戻ってくるっていう制度になって、ほんとにそれはありがたいことだと思っていますが、あの、病気をしたものでないとそれができないんですよね。一次性(リンパ浮腫)の患者さんには、まだそれが適応されていないんですよね、生まれつきの方にはね。だから、それが、もっと分かってもらえないと、同じ状況が起きるのに、手術をしたから、手術をした人だけっていうのは、何かやっぱり理不尽ていうか、おかしな制度やなとは思っています。
――ちなみに、ま、値段いろいろなのかもしれませんけど、いくらぐらいするんですか。
えーと…、1万、いくらだったかな、もう買いに行くときじゃないとあれなんですけど。これ(グローブ)は、かなりお安いと思います。これも、いろいろあるらしいんですけど。まだ、つけ始めて、いろいろ試していないので、すごく高いのもあるって聞いているんですけど。これは、会から教えてもらって買っているぶんで。そんなに、これでいくらかな、2つで1万円までやと思うんです。で、スリーブが2つで2万円までだと思いますね、たぶん。

乳がんの語り

グローブをはめて行なう炊事、洗顔、トイレは不便だが、はめて圧迫しながら運動するとよいので夜間以外は常時着用している

――あの、家事、例えば、その何、包丁で何か切ったりとかそのときはどんなふうにされているんですか。

はい。あの、そのときはね、この握力が、こうしっかり、こうできないから、柔らかい物のときはしやすいですけど、硬い物のときは、これをはずして、で、ゴム手袋の薄いのとかはめて、先に、布の手袋はめてゴムの手袋をはめ、中で蒸れたらいけませんでしょう。で、ゴム手袋はめてとかってすると、何かこうお鍋とか洗っていても、あのー、こう、さわってないからよく分からないわけですよ、汚れ具合も。ときどき「素手で洗いたいわ」とか思ってはずしたりすることありますけれども。ほとんど、まあ、手袋のお世話になることになりますね。で、こんなしていたら駄目駄目と思って、またすぐに終わったらはめるんですけれども。だから、いろんな、お友達っていうか、仲間に聞くと、家事が終わってからしかはめられないとかって言う人もあるので。
最初、はめないといけないと思ったときは、もう窮屈に感じたんですよ。朝起きてすぐに、あの、グローブもはめる。そしたら、顔洗うときどうすんの?とかね。いろんなこと思ったんですけど。あの、ほんとは、朝起きてすぐにはめるのが本当でしょうけど、顔、起きてすぐ顔洗うんなら、顔すぐに洗ってから、あとからグローブはめるとか。…でいいかなとかね。何か、お手洗いに行ったら、また、グローブ新しいのに取り替えるのとか、出先だったらどうするのとかね。あの、いろんなこと先々こう考えるじゃないですか。初めてこういうのをはめると。そしたら、洗い替えが何枚いるの?とかって思ってくるので。あの、最初のころは、この今年の1月から(グローブを)はめだしたんですけれども、最初のころは、手袋、この上にはく手袋を、いっぱい用意したんですよ。で、少しドアのノブなんか持って、や、たぶん汚れているかもしれない。家のドアも汚れていますけども、表行けば余計そうですよね。そしたら、その都度、手袋をはめ替えていたんですけど、何かそれも不自然でしんどいことで、いいかーと思って。で、お手洗いとか行くときは、はずしたりするときもあれば。あと、何かそのときによっていろんなことで、替えを持っているときははずさずに入って、もう臨機応変にできるようになりましたけれども。
何かすごく利き腕、腕なのでね、あの、スリーブも最初そうだったなって、最初はスリーブはめたときに、どうすんの、こんななったらって。やっぱ、今まで便利やったことが不便なったことばっかり、数えあげた、ごめんなさい、数えあげんたんですけど。あの、グローブは、わりと立ち直りは早かったですけど。不便は不便です。
でも、圧迫していることで、圧迫しながら運動することが、一番いいっていうふうに聞いているんで。あの、1度膨らんでしまったら元に戻らない風船と一緒というふうに聞いていますので。なるべく圧迫を忘れないで。だから、スリーブは絶対に忘れたことはないので。体の調子が悪いときだけ、はずしていますけれども、寝るときと。それ以外は、いつもつけていますし。まあ、暑いときは、家の中では半袖着ていても表出るときは、上着1枚はおるっていうようにしていますので。予防になるかなとは思っていますけれども。

乳がんの語り

蜂窩織炎には、数回なった。最初わからず風邪だと思い、近所の医者で抗生物質をもらって難を逃れたこともあった

去年の12月、それまでも、小ちゃなリンパ管炎みたいなのは、小ちゃなのは、1回2回起きたことはあるんですよ。患部にちょっと蚊の咬まれたような感じとか。でも、その患部に熱を持っていたかどうかっていうのは、わたし自身よく分からなくって。ま、元気に動いて、動けたので、あの、そういうときはスリーブはつけたらいけないっていうふうに教えてもらっていたので、すぐはずして、安静にしていてっていうので…、過ごせたので、ま、こんな程度のことを、すごい怖い病気のように思っているのかなっていう錯覚があったんですけれども。去年の12月は、「あ、何かおかしい」って違和感が、腕に感じて、慌ててスリーブをはずしてみると、あの、発疹のようなのが3ヶ所ぐらいあったんですね。それで、「ひょっとしてこれかな?」って思うと、もう、1時間もしないぐらいに、熱が出てきて、で、ちょうど12月ですから、「インフルエンザとかそういうことなのかな?」と思ったんですけど、「咳も鼻も何もないし、おかしいな」って思って、先生にもらっている抗生物質をすぐに飲んで、安静にしていましたら、それ以上の高い熱は出ないで、ま、丸1日、あの、安静にしていましたけど。2日目からは、体も起こせるようになりまして、で、病院に行ったんです。それ、近所の病院に行ったんです、かかりつけの。で、「抗生物質飲んでこんなんです」って言ったら、また、抗生物質をもらって、「まあ、点滴するほどに、あの、体も弱っていないみたいなので、それで様子みますか」っていうことで、10日間ぐらい抗生物質を飲んで、難を逃れたっていうような感じなんですけども。
で、怖くなってきて、患者会で教えてもらってるリンパ浮腫を診てくださる先生のところに受診しました。そしたら、エコーとか撮ってもらって、「蜂窩織炎を起こしたんですね」っていうことだったので。うーん、あれの、まあ、あれも相当しんどかったけれども、まあ、入院しないといけないような、点滴をしてもらわないといけないようなことをいつも聞いていましたので、それよりかは、少しは、軽い目のがきたのだなって…

乳がんの語り

退院して間もなく昼寝後に腫れに気づき、翌日になると一旦引くが、1ヶ月半ほどして、左右の太さの違いを感じてきた。偶然、新聞で患者会を知り、そこでリンパ浮腫だとわかった

手術前に、乳がんの人で、術後のその腕が腫れるっていうようなことをちゃんと聞いて説明は受けていたんですけれども、まだ、退院して間がなかったんですけども、ちょうどお昼寝をしていて、ぱって起きたら何か腕がむくんでいたんですけど、「ああ、手術した側の手を下にして寝ていたのかな?」って思って、それが、すぐ、あの、リンパ浮腫っていうふうに結びつけなかったんですね。あの、説明受けて知っていたのに、知識はあったのに。で、あくる日になったらすぐ引いていって、ま、熱も持っていないし、ただ、ちょっと、むくんでいる感じなのが引いてて、それが、リンパ浮腫っていうのは、そのときは、分からなかったんです。
それから、1ヶ月半ぐらいしてから、何とはなしに右手と左手は…とは大きさ、太さが違うなっていうのは、感じてきて、で、外科で受診のときに、「先生こんなことです」っていうのを言ったんですけど、まだ、そのころリンパ浮腫っていうのあまり知られていなかったようなので、先生は、リンパ浮腫っていうのは分かっておられたみたいですけど、どうすればいいっていうのは、その先生の口からは、すぐには聞けなかったんですね。で、そのときの手当ては、あの、腕を消毒してくださったりとか、消毒液を持たして帰らせてくださったりとか、一応、外科的、外科的なことはいろいろしてくださって。
で、でも、そんなに腫れって引かないなあって思っているときに、これは、すごいラッキーだったんですけども、今、わたしが所属しているその、患者会の会長さんの新聞が掲載されて、記事が掲載されていて。で、その会長と、あの、おうちがすごく近かったっていうか、住所を見るとね。近かったので、1回電話してみようっていうことで電話しました。そしたら、「すぐ来ますか」って言われて、で、おうちに伺ったんですね。そしたら、「これはリンパ浮腫やと思います」ということで、で、あの、複合的、何かその理学的複合療法っていうんですかね、をするのが一番いいから、その圧迫することが大事だからって。で、スリーブをつけることを勧められて。で、そのことを先生に、「スリーブつけるようになってこんなになりました」って言って、先生もすごく喜んでくださって、のちのち、あの、受診したときに、同じように腫れている患者さんがいたと、いらっしゃると紹介してくださって、あの、患者会のほうに、わたしの、わたしが、まあ、一応、「患者会の先輩として」ですね、あの、「頼みます」みたいなこと先生から言われて、で、その方と一緒に患者会に行ったりとかもしたんですけれども。

乳がんの語り

しこりを見つけたとき、良性かと思っていたが、息子が男性で乳がんになった知人の話を知っていて、「ちゃんと診てもらわないと怖いよ」と真面目な顔で受診を勧めてくれた

わたしは、あの、勝手に、あの、乳がんとは、あの、ほど遠い人間というふうに、勝手に自分で決め付けていまして。あの、子どもを生んでいる人とか、あの、そういう人は、あんまりならないよみたいな俗説を、そんなもんなんなのかなって。あんまり、お友達にもそういう乳がんになった方がいらっしゃらなかったので。あの、ま、なる人はなられているんだろうけども、あんまり、自分にくるとは思っていなかったんですよね。
で、10年前のちょうど夏ごろだったですけども、非常にわたしは汗かきなので、あの、襟をくった洋服を着ていまして、で、ちょうど、お盆ころにみんなが集まってきているときに、「あら?」ってこう胸をさわるとね、しこりを感じたんですよ。でも、まだ、乳がんとは思っていなくって、あの、何か、ただのしこりで乳腺みたいな、何か良性の何かかなって思ったのですけれども。
子ども、息子ですが、たまたま、あの、お友達のお友達で、男の子なのに乳がんって言われた人がいたらしいんです。それで、男の人でもあるらしいっていうことを、本人も言いまして「ちゃんと診てもらわないと怖いよ」っていうのを息子がわたしに言いました。で、娘も主人も母も妹たちも、「まあ、病院に行けば分かるから」っていうことで、それぐらいの知識で、そんなに周りに乳がんの人がいなかったんやと思うんですね。だから、あの、「病院に行きたくない」と言っているわたしにだったら、みんな「行け、行け」って言ったと思うですけど、「いついっか婦人科で受診する日があるから、そのときついでに診てもらおうかな」っていうのを、「しこりがある」というのと一緒に言っていますので、それ以上のことは、みんな言わなかったですね。ですけど、その息子のお友達のお友達っていうのを息子が聞いてきている、たまたま聞いてきているときに、わたしが言ったもんですから、あの、すごい真面目な顔で言いました。はい。でも、本気にしていなかったです、わたしが。(笑)自分のことは、あの、たまたま、「あれ、これをしこりというのかな?」ぐらいの程度だったです、はい。だから、そんなに、どきどきもひやひやもそのときはしていなかったんです。だから、受診するまではね、ひょっとしたら言われるかもしれないっていうのは、全くゼロではなかったですけれども。「どうしょう、どうしょう、怖いわ」とかそういうのは一切なかったです。

乳がんの語り

乳がんがわかったのは妊娠8ヶ月のときで、37週まで待って帝王切開で出産後、同日、乳房切除術を受けた。その後、抗がん剤治療を受けた

病気を見つけたのは、12年前の7月になります。妊娠8ヶ月まで会社に勤めてまして、妊娠8ヶ月になったんで会社を辞めて、実家のほうで子どもを産もうと思ってましたので、実家のほうの産婦人科もある総合病院に通院していました。で、実家に行ったときに自分でしこりを見つけたんです。それで、見つけて、もう翌日がそのおなか(の子)が8ヶ月の定期検診でしたから、そのときに、産婦人科の先生に診ていただいて、検査をして乳がんだということが分かりました。
で、治療が始まったんですが、おなかの子がもう8ヶ月でしたので、おなかの子が37週になって、「赤ちゃんが大きくなるまで待ちましょう」ということで、37週のときに、帝王切開と、それから右乳房の切除を同時に行いました。全身麻酔で、ですね、最初に帝王切開で赤ちゃんを取り出して、まあ無事に元気な男の子、生まれまして、で、その直後に、待機してた外科の先生が今度右乳房の切除の手術をしました。
で、手術をしたのが12年前の8月になります。で、12年前の8月に手術終わりまして、それから帝王切開も同時にしてましたので、胸とおなかの傷が多少癒えるまでということで少し時間をおきまして、で、傷が少し治ってから、今度抗がん剤のほうの治療に入りました。
で、抗がん剤の治療は、シスプラチンという白金系の抗がん剤を3クールやりました。副作用としては、吐き気がひどかったですね。吐き気以外は脱毛がありました。脱毛は激しくって、こう束になってゴソッと抜ける感じだったんで、やっぱ精神的にもショックは大きかったですね。
で、ですが、最初のうちの、入院が最初の1ヶ月は帝王切開の入院だったものですから、産婦人科病棟で入院してたんですね。で、そこの個室におりまして、ほかのお母さんたちが授乳の時間になるとおっぱいをあげるんですね。なんですけど、私はもういろんな手術後の点滴ですとか、薬ですとかが入ってしまっているので、母乳があげられなかったんですね。で、授乳の時間はだから粉ミルクを、帝王切開で産んだ次男にあげるんですけれども、よそのお母さんがおっぱいあげているのを見ては、「ああ、私もおっぱいをあげたかったなあ」とか思いましたね。

乳がんの語り

娘を出産し、乗り越えてきたものの分もプラスされ感動した。これから結婚や妊娠を望む人たちにも味わってほしいので、諦めないでと伝えたい

出産は難産だったので。で、子どもももう巨大児で、もう4,000(g)超えている巨大児だったので(笑)、本当にちょっと大変だったんですね。で、まあ妊娠したことは嬉しかったけれど、こんなにもつらいものなのかっていう、だけど、つらかったんですけれど、なんか自分はもっとつらいことをしてきたから、まあこれぐらい嬉しいつらさじゃないかなんて思いながら、そういう面でも、なんかもっと、こう抗がん剤のときとか、やっぱりその告知のときだったりとか、つらい思いをしてきているから、もうこんなのでつらいと思ってちゃ駄目だっていうのもあって、もうそういうことも乗り越えられたんですけれど、女の子って分かった時点で、真っ先に、こう乳がんのことがやっぱり頭に浮かんで、私が遺伝性ではないと思うので、まあ遺伝するかどうか分からないけれど、でも、やっぱり女の子だから、私と同じように乳がんになる可能性は、もしかしたら全くお母さんがそういうことがない人に比べたら可能性としてはあるのかなぁなんてちょっと思いながら、そういうことはありました。うん。
で、母乳もやっぱり最初は、ちょっと出たので、その手術をして、ちょっと形はまあ変わっているけれど、なんか母乳も出るんだっていう嬉しさはありましたね。で、それを飲んでくれないので、ちょっと悔しかったんですけど(笑)、せっかく出ているのに。
でも、やっぱり普通に、私も、この乳がんとか全く経験してない人と同じように普通に妊娠して、出産もして、こう子どもを育てることができたっていう喜びは、まあ皆さん、こう出産したら喜びはあるでしょうけど、なんかそれにこうプラスして、自分が乗り越えてきたものがあるんだっていうので、もう本当に嬉しかったですね、それは。
やっぱりだから、それも、今、その治療して、これから、まあ結婚だったり、妊娠を希望している人にもやっぱりこういう気持ちを、もう本当に今つらく頑張っているから、こういう嬉しさとか本当に経験してほしいなっていうのは、思いました。やっぱりあきらめちゃっているっていう人も多いので、「もう私は結婚できない」とか、「もう妊娠できないんじゃないか」とか、やっぱりそういうことを一番に思うと思うんですね、20代で(乳がんに)なった方とかは。うん。
だから、いろいろ今、本当に医療のね、そういう進歩してきているので、私のときとは、もう今とはまた全然違うと思うので、いろいろそういう選択肢なんかも増えているだろうし、うん、そういうところでなんか悲観的になったり、絶望的になったりしないでほしいなっていうのは本当に思います。うん。