投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

治療中、夫は長期海外出張中だった。たまに電話しても、気持ちがすれ違って悔しい思いもしたが、心配されすぎるより、かえってよかったのだと思う

――ご主人さまは、何かおっしゃってました? その、まあ病気になられ、なられたときにもう海外に?

えーと、なったときは、まだ(日本に)いたんですね。で、手術のときも、ちょうどまあ長くそういう事情があったので休みをもらえたので、ずっとこっちの実家のほうに来てくれて、もう毎日病院にも来てくれてたんですけれど、その手術が終わって4月からいなくなって、うん。

――その間、まああの、ずっと付いていられるときもあれば、半年の間、お一人にね、なってしまって。そのご主人に何かお気持ちの面で、あの、振り返ってみられてでもおっしゃったりしてました?

あのー、主人は海外に行って(笑)、あの…ちょっと私の病気のこと忘れているんじゃないのっていう、まあ私もその連絡を取ったときにすごく元気…だったりっていうのもあるし、多分主人も私が実家にいたので安心してたんだと思うんですけれど、たまに電話がつながって電話したときも、次の日、私が、「抗がん剤なんだよ」って言って、本当、私としては「頑張ってね」とか、なん、なんかそういう言葉を掛けてほしいんですけれど、「明日はどこどこに行くんだ」とか、こう休みで(笑)。なんかそういう話ばっかりされて、「じゃあね!」みたいな、そういう、「あー、あの、すみません。明日から抗がん剤なんですけど」って悔しくて泣いたりもしたんですけれど。でも、逆に、なんか主人もこう普通に、今までと変わらず接してくれたので、私としてはよかったんですね。それで、「ちょっと心配だから、その海外に行くのもやめる」とか…が、なんか向こうからも、「もう、心配だけど、ど、どうなの、どうなの?」みたいに、こういろいろ聞かれるよりは、なんかそういうほうが、逆によかったです。

乳がんの語り

髪の毛が抜けたときはショックで、肥満も加わり、周囲の目が気になった。抜けた後はすっきりして、夏は涼しく、家族の前では普通に坊主姿で楽だった

だんだんこう髪の毛も抜けてきたときに、やっぱりもう本当にショックで、もうお風呂で毎日こう抜けていく髪を見ながら、やっぱり泣いていたんですけれど、もうある程度抜けちゃうと…もう、いいやっていう感じで美容院に行ってもう全部、もうすっぱりきれいにしてもらって、もうその中途半端なのがすごく、なんか余計に嫌で、もうだったら早く失くしてしまえという感じで全部やってもらって。で、もうウィッグも用意していたので、ウィッグもちょっと切ってもらって自分の好きなようにやってもらって、ウィッグ生活を始めたんですけれど、真夏だったので、暑くて、もう変なところから汗、普通の本当の髪の毛だったらかかないだろうなっていう場所から汗がなんかこの辺からなんか不自然な汗が流れてきたりとか(笑)。
で、やっぱり風の強い日には、気になって、飛んでかないかなって気になったりだとか、そんな人の、人は大して見てないんだけれど、こう人の目が気になって、「あら、あの人かつらだわ」みたいに思われてないかとか。やっぱりこの実家、地元なので、知っている人も多いし。私も、実家にいたとき仕事していたのも、地元だったので、その職場で知っている人とも何回かこう顔を合わせることもあったので、「なんか髪の毛、変」ってこう思われるんじゃないかとか、そういうのがあってだんだん外に出るのがちょっと嫌になってきて。で、まあ引きこもりではないですけれど、家にちょっとこもってしまったりっていうのもあって。でも、脱毛したことは、なんかもうなくなっちゃったらなくなっちゃったで、すごくすっきりして。で、しかも真夏でその坊主頭がすごく気持ちが良くて、何て男の人はうらやましい髪形をしているんだろうと思って、思いながら。
で、その家族も、その脱毛したときに、まあやっぱり心配して気になってはいたんでしょうけど、私が坊主頭でうろうろしていても、もう自然に本当に振る舞ってくれて。その乳がん、まあ全体なんですけれど、なんかこう病人っぽく接するんじゃなくて、本当に普通に、接してくれたので、もうそれが私にとっては逆に楽で、もう普通に坊主頭でうろうろしていようが、もう病人だからって、ずっと寝て、寝たきりじゃなくって、普通に掃除も洗濯とかも手伝ったりとか、ご飯の用意もしてたので、それ、そういうのがあったので、まあ抗がん剤で、いろいろ副作用でつらいことはあったけれど、まあ乗り切れたのはもうそういうのが、あったかなっていうのはあります。

乳がんの語り

浮腫のケアは一生続くと言われてショックだったが、やれるときにやればいいと思えるようになったら気持ちが軽くなった

あのー、まあ、そのリンパ浮腫っていう病名自体、あのー、初めは知らなくって、まあ、手術の後にむくみますよっていうことしか言われてなかったので、それがリンパ浮腫であるかどうかというのも、まず、まあ分からない状態でした。で、えー、その主治医に、リンパ浮腫かもしれないっていうふうに、えー、言われたときは、もう、お薬とか何か手術とかで治るもんだって自分でこう、勝手、もう思っていたんですよね。ところが、その、ご紹介いただいた患者さんに聞いてみたら、一生治らないですよ、ただ、上手に付き合っていくしかないですよ。で、ケアは一生続きますよっていうようなことを言われて、すっごくショックだったんですよね。で、えーっ、こんなのが一生続くのーって、本当にその、これからやっていかなきゃいけない、自分がケアしていかなきゃいけない、注意していかなきゃいけないっていうことに対して、すごく不安にはなりました。
いろんな患者さんとか、あの、お話を聞かせていただく、お話をさせていただくような機会があって、で、そういったところで「みんな毎日やってるの?」とか、まあいろいろあるんですけれども、そういったところでやっぱり、自分が仕事で疲れているようなときにはドレナージはできない。だけど、やんなきゃいけないって言われたのに、ってこうなってしまうと、すごくこう心が重くなって、その、義務感だけがこう頭に残っちゃって、やらなかったことに対して、すごく、こう、何ていうんでしょうね、えー、不安になるっていうんですか、やらなかったから、1日やらなかったから、すぐに、むくんでしまうとかっていうことではないんですけど、その積み重ね、やらなかったことを積み重ねていくとそういう状態になるっていうようなこと。だから、できるときにセルフケアをしていく、えー、弾性着衣を着けていくというのは、まあ、慣れてくれば日常化になってきますし、できないときには無理してやらなくても、まあ、明日時間を作ってやればいいとか、帰ってから、じゃ、ゆっくり、お風呂に上がった後にゆっくりやるとか、そういったような時間を自分でこう上手に、時間を見つけられるようになってきたんで、うん、そういった面では、はじめ言われたばっかりのころの気持ちとは違ってきてますね。

乳がんの語り

近くにリンパ浮腫の専門家がいなかったので、患者会でリンパドレナージや弾性着衣などのセルフケアについて学んだ 

近くに、あのー、そういった病院がないということを言われて、で、すごくショックは受けたんですけど、ほかの患者さんでいないですかっていうことを先生にお尋ねしましたら、先生のほうで、患者さんを知っているっていうことだったので、じゃ、ぜひその患者さんをご紹介ください、ということでお願いしました。
で、その患者さんから、今のリンパ浮腫患者グループをご紹介いただいて、そこに連絡をしたら、もう講習会が、今月早速あるということだったので、すぐに、東京のほうに講習会を受けに行きまして、リンパ浮腫のケアの仕方を学んできたという状態です。

――具体的に、そのケアの仕方ということについて、どんなふうなことを今なさっているのか、教えていただけますか。

今は、「リンパドレナージ」と言ってまして、マッサージなんですけども、これは、皮膚の下にあるリンパ液を、郭清したリンパ節じゃなく、別な生きている部分の、体の中に何個かあるんですけれども、そちらのほうにそのリンパ液を持っていって、そのむくむのを防止するっていうそのドレナージ、リンパドレナージをやっているのと、あとは、日中ですね、生活する上で、むくまないようにということで、弾性着衣としてスリーブ、弾性スリーブと、ミトンを装着してます。あとは、むくみがひどいようなときには、夜、あの、バンテージというのをやるんですけど、やはりこれも、弾性包帯ですね、弾性包帯で、その、夜寝ている間に、むくみを防止するっていうような、ものをやっています。

乳がんの語り

術後1年ぐらいしたときにピリピリとした痛みと指先のむくみを感じて医師に伝えたら、リンパ浮腫かもしれないと言われた

手術後1年ぐらいしたときに、えー、右手のほうに、何ていったらいいでしょうね、あのー、痛み、ピリピリとした痛みが走ったんです。それで、主治医の先生に、「痛みが走るんです」っていうふうに言ったら、「うーん、肋間神経痛みたいなもんかな」っていうふうにはじめ言われたんですけど、どうも自分ではそうじゃないような気がして、で、また、次回の、あの、定期検診に行ったときに先生にお話ししたら、もしかしたらリンパ浮腫かもしれないっていうようなことを言われたんですよね。で、リンパ浮腫って、手術の説明のときにも、もしかしたら、あの、リンパ節を郭清しているのでむくむかもしれないっていうふうに言われてたんですけど、むくむっていうのはもうはれ上がるっていう状態だと思っていたので、こんな痛みとか、その、ピリピリ感とか、何かあるっていうふうな感じは分からなかったんですね。なので、もしかしたらリンパ浮腫かもしれないというふうに言われたときには、「あらっ、どうしましょう」って本当に思いました。で、先生に、「どうしたらいいんですか」って言ったら、先生も、「そういったことは専門外なので分からないし、リンパ浮腫を治す病院もこの近くにはないよ」っていうことを言われたので、すごくこうショックだったのを覚えてます。

――そのときにはもう腫れが来てたんですか?

自分としては、あの、少しむくむ感じ。まあ、指先のほうなんですけど、少しこうむくむ感じはありましたね。

乳がんの語り

他の患者たちがリンパ節郭清を受けなかったので、自分も大丈夫だろうと思っていたのに、センチネル生検で転移が見つかってリンパ節郭清となったのはショックだった

手術する前は、センチネルリンパ節生検というのがありまして、そこに、がんが入っていたら、リンパ節をすべて郭清(かくせい)しますよ、ということを言われてたんですが、先輩患者さんたちは、みんな郭清をしなかったので、自分も絶対に大丈夫だと思っていたんです。ところが、手術をしてみたら、どうも入っていたということで、あの、手術が終わってから、リンパ節郭清しましたよ、ということを言われて、すごくショックだったですね。

乳がんの語り

術後病理検査の結果が出るまでは退院しても心配で何も手につかないと思ったので、そのまま残って、2ヶ月近く入院した

その結果が出るまでにも何かすごく、その、病理のほうが大変混み合っていた状態で、えー、まあ、2週間くらいですかね、ずーっとその結果待ちだったんです。で、その間、退院してもいいよというふうに言われたんですけど、結局退院していっても心配で、結局何も手につかないというふうに思ったので、私は、その、病院に残ってほかの患者さんたちといろんな情報を集めたりするほうがいいっていうふうに思ったので、病院に残ることにしました。

――どのくらい入院されてたんですか?

えーっと、1月に入院して、退院したのは、えー、2月の末でしたから、本当に丸々2ヶ月近く入院してました。

乳がんの語り

子どもが小学生だったので、おっぱいがあった方がいいと思って温存にした

医師の説明では、「乳房温存が可能です」ということだったので、もちろん、躊躇なく、温存にしてもらいました。というのは、子どもがね、まだ、小学生だったんです。で、やっぱり、小学生だと、お母さんの体というか、まだおっぱいがあったほうがいいっていうような考えだったんです。なので、温存手術でお願いをしました。

乳がんの語り

乳腺症だろうと思っていたが、医師の様子でがんだとわかってしまった。一人だったので、看護師に家族を呼ぶか聞かれたが、何とか自力で帰った

告知されたときなんですけれど、半年前に受けたときに、乳腺症だっていうふうに言われてたので、結果は当然乳腺症だと言われると思って、本当に高をくくってたんですね。ところが、お医者さんが、診断結果を言う前に、まず、首をカクンって落としちゃったんです。で、あーっ、もしかしたらっていうのがあって、で、それでもう言われる前に、「あっ、がんなんですね」って言ったときには、「そうです」っていうことで、そのときに初めて告知を受けました。
 で、周りに看護婦さんとかがいまして、「今日は一人で帰れますか。車で来ましたか」っていうようなことで、一人で、告知を受けた後のショックとかっていうのを考えてくださって、「家族の方を呼びますか」とか言われたんですけど、いきなり家族も言われても困ると思ったので、まあ、とりあえず一人で休めば帰れますっていうことで、一人で自力で帰りました。

乳がんの語り

たくさんの友達に連絡して情報を得られたのはよかったが、「がん=死」のイメージが強く、幽霊を見るように見られたり、話してない人に伝わっていて複雑な思いをした

いいこともたくさんあったし、実際、その情報をたくさんみんなくれたので、体験していない友達も一生懸命自分たちのルートでいろんなこと調べてくれて。また、電話なりメールなりで、こういう病院があるんだってよとか、こういう治療があるんだっていうの、みんなほんと教えてくれたので、そういう意味では、すごくありがたかったことのほうが大きかったんですけど。ただ、すごく時間が経ってみたら、この人には言っていないのに、みんな、わたしが乳がんだっていうことを知っているっていうのはあったり(笑)。だから、やっぱり、みんな心配して言ったことなんでしょうけど、同級生とかが、「乳がんだったんだってね」っていうの話してない子たちが知ってるっていうのは、話したなあ、あの人たち…っていうのは(笑)、やっぱりあって。それは、まあ、ちょっと複雑ですよね。話していない相手が知っているのは、うーんって少し考えたところであったんですけど。まあ、でも、トータルすると、いいことのほうが多かったかなと思いますけど、はい。

――話してない方から、「乳がんだったんだって」って聞かれたりとかっていうことは、だいぶ経ったからあったんですか?

そうですね。退院してから、もう治療が終わったころ、出会ったの、ふと街中で会ったりして、「大変だったんだってねえ」とか言われたりっていうのはあって。何で知っているんだろうと思いながらも、「うーん」って言って。でも、やっぱりこう誰にでも、全部を話したわけではなかったので、「まあ、大丈夫だよ」っていう程度で済ませたりとかはしていましたね。
でも、時間が経って会うと、面白いもので、ほんとにみんな幽霊見るような顔で見たりするんですよ。だから、これって若い人たちのたぶん思い込み、自分もそうだったんですけど、がんイコール死んでしまうとか。がんイコール寝たきりになるとか、何かたぶんそういうイメージが強いのかなと思って。だから、20代で、ま、がんをして、周りもみんな20代じゃないですか、同級生とか。そしたら、出会うと、びっくりされるんですよ。「元気、ほんとに元気そうだね」って、ほんとに驚かれるので、ああ、よっぽどがんというイメージがそういうマイナスなイメージ大きいんだろうなっていうのは、すごく感じますね。