応援メッセージ(養老孟司さん)

病気のことは、患者がいちばん知っている

患者さんの語りを記録する。それをインターネットで見聞きできるようにする。その大切さとは、「現場の大切さ」に近づこうとする試みだと思います。どうしてそういうことが必要なのか、それはだれでもわかると思います。自分にとってなにか新しいことをしようとする。そのときに、経験者に聞きに行くのは、だれでもすることです。病気だって同じです。

病気のことは、医師がいちばんよく知っているはずだ。そういう思い込みがないでしょうか。でもその病気が自分にとってどんな「感じ」のものか、それは患者さんがいちばんよく知っているはずなのです。医師はふつうは健康で、その病気になったことがないからです。医師のほとんどにとって、病気とは「外から見た」状態、悪くいえば他人事なのです。
著名な医師が入院して、はじめて病院で患者がどう扱われているか、それを思い知るというアメリカ映画がありました。他人の立場に立つというのは、いうのは簡単ですが、実際にはむずかしい。まして難病のような立場にある人を「理解する」なんてことは、現代のように忙しい時代には、ほとんど不可能ではないでしょうか。

現代の医療では、病気という状態が、病気という定義のもとで、ある「決まった」状態にされてしまいます。そこからは、さまざまな個人の具体的な問題や、それぞれの人が感じている感覚的なことがらが、落っこちてしまう傾向があります。病気の問題は病気だけではない。その人の人生です。そもそも人生は、他人では代わりができません。

そういう状況では、医師の説明にしても、患者さんの知りたいことに届くとは限りません。だから患者さんたちのいうことを記録して、それを集積する。それを見て考えるというのは、医師にとっても患者さんにとっても、考えてみれば当然のことなのです。

この運動はイギリスで始まったということですが、イギリスの経験主義というのは面白くて、おかげで人類はさまざまな恩恵に浴しています。でもその活動が地味だから、ありがたさがあんがいわからない。アメリカ式にノーベル賞を輩出し、ドーンとお金でも儲けるなら、だれでもいいなあと思います。でもイギリス風の地味な活動があるから、そういう派手な世界が保つともいえるのです。

DDTによる環境破壊が問題になったとき、イギリスでカモメの卵の殻の厚さを毎年測っていたデータが参考になりました。卵の殻が薄くなってきたことがわかったからです。エイズが流行し始めたとき、イギリスではいつから流行が始まったかを、かなりきちんと確定できました。病院が患者さんの血の一部を保存するということをしていたからです。日本はそういう点では、なんとも中途半端です。こういう地味な活動に理解があっていい国なのに、と思います。日本の歴史は長いんですからね。あとから考えて、「あれをやっておいたから助かった」ということが、歴史を知ることの大切な一部なのです。それを長いこと、忘れてませんか。

日本の女性の平均寿命を延ばしたのは、東京市長だった後藤新平が、水道水の塩素消毒を始めてからです。ということを、日本の女性はまず知らないでしょうね。それまでは男性の寿命のほうが長かったのです。しかもその意味で後藤新平を評価することは、医学の世界では、まずなかったといっていいでしょうね。

「患者の語り」を記録しておく。そういうことを「していなかった」ほうが変だと いう時代が来るでしょう。そう私は思います。本当は「医師の語り」だって、その意味では必要なんですけどね。血友病エイズに関する「医師の語り」を記録する仕事にも、私は関わってきました。もうじきそのまとめが出ます。時間がかかって、報いが少ない。でも人生の一部を割いて、それぞれの人がそういう仕事をすることで、社会は本当の意味で「進歩する」のではないでしょうか。

養老孟司(解剖学者)