『認知症の語り』出版記念トークイベント 「当事者の目線から認知症について語ろう」講演録

2016年6月25日(八重洲ブックセンター8階ギャラリーにて)

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登壇者:樋口直美さん(レビー 小体型認知症当事者)、青津彰さん(若年性認知症の人の家族介護者)、長沼由 紀子さん(認知症高齢者の家族介護者)、本田美和子さん(国立病院機構東京医療センター)、イヴ・ジネストさん(ジネスト・マレスコッティ研究所)、竹内登美子さん(富山大学大学院医学 薬学研究部)、後藤惠子さん(東京理科大学薬学部)

竹内 みなさま、こんにちは。今日は、このような会に参加していただきまして、本当にありがとうございます。私のほうから登壇者の皆さまをご紹介させていただきます。そしてこの順番にいろんな想いを語っていただきますけれども、自己紹介は各自していただきますので、今は簡単なご紹介だけさせていただきます。坐ったままで失礼いたします。

まず私は富山大学で老年看護学を専門としております竹内登美子と申します。このプロジェクトの研究代表でございます。私の隣にいらっしゃるのが、樋口直美さんです。若年性レビー小体型認知症のご本人の方*です。(拍手)*3年前に告げられた診断名。ご本人が後述されているように現在は「認知症」の状態ではない。

そのお隣にいらっしゃるのが青津彰さんで、若年認知症の奥様を介護なさったご家族の方です。(拍手)先ほどのビデオの「帰ってくるものは帰ってくる。そうじゃないものは、それでしょうがない」とおっしゃられた方のご主人様でございます。そのお隣が長沼由紀子さんです。長沼さんは、高齢の認知症のお母様、高齢認知症者を介護なさったご家族、実の娘さんでいらっしゃいます。(拍手)次が後藤惠子さん、私たちの研究プロジェクトの中で、認知症ご本人のインタビューをずっと続けてくださったメインリサーチャーでございます。(拍手)

そしてみなさん今日は、本田美和子先生とフランスからイヴ・ジネストさんがこられています。チラシの中では、本田美和子先生のお名前があったと思うのですが、まさかユマニチュードを考案されたイヴ・ジネストさんがご一緒だとは思われなかったのではないでしょうか。みなさま、とてもラッキーだと思います。本田先生とイヴ・ジネストさんです。(拍手)

それでは認知症のご本人あるいは介護者の方たちには、インタビューを受けられてからかなり経っているので、その時の状況とか、それから少し経った今、どんな想いでいらっしゃるのかということをお話いただきまして、私や後藤さんからは、このプロジェクトの主旨のようなことを話させていただきます。本田先生とイヴ・ジネストさんは、外部から私たちのこういった活動をどんなふうに思ってくださっているかというお話が聞けることと思います。

160625talk_fig02私はまずこの研究プロジェクトのリーダーとしてこのプロジェクトを立ち上げた主旨、ご購入いただいた書籍の第2部に詳しく書かせていただいてますけれども、最初に思いましたのは、2009年の時です。2009年、まだ今よりも認知症のことがそうそう広まっていなくて、認知症になってしまったら何もわからない人なんだというふうに見られている現状があって、そういった現状は困ったものだと思っていまして。まず、その認知症の偏見、一般の人たちにとっての偏見をなくすためには、どうしたらいいかしらということとか、あるいは、私も両親が認知症。母はアルツハイマー、父は脳血管性認知症だったので、いったい何を考えているのだろうか、どんな想いで暮らしているのだろうか。そして、また介護者となった私が、他の介護者はどんな想いで、日々暮らしていらっしゃるのだろうかということをいつも考えておりました。なので書店に行きましたら、そういった関係の本をやっぱり探してしまう訳ですね。だけども、あまり沢山そういった本がなかったので、そういった認知症の方をケアする人が、時間がない中で、いろんなところに出向いて、いろんな情報を探したりとか、いろんな方とお話する時間がないだろうから、インターネットで在宅にいながら、そういったピアカウンセリングっていいますか、当事者の方たちの声が聴けるものがあったらいいなって思ったのが第1点です。

そして2点目が先ほど言いましたように、一般の方々に認知症ってこういう事なんだ、病気は病気だけれども、そういう病気を持ちながら、普通の生活をしていて、そして認知症を持ちながら天寿を全うするって、まぁ、そういったようなことをわかってもらえたらいいなっていう思いがありました。あと私は大学で看護学科の学生を教育しておりますので、その学生さんたちに正しい認知症の知識、そして何よりもその認知症になられた方々の想いとか、介護者になられた方たちの想いとか現実生活がどうなのかということを知ってもらう。ケアを提供する時には、そういったことを知ることから始まるというふうに思っていましたので、そういった事に役立てたいなというふうに思っておりました。

幸いにも文部科学省から研究助成金を頂けましたので、この研究をスタートすることが出来たんですけれども、富山大学の倫理委員会、今は研究をする時には、倫理審査を通さなければいけないので、そこに提出した時に、最初の困難が待ち受けておりました。それはどういうことかというと「家族の方にインタビューするのはいいですよ。でも、認知症ご本人の方にインタビューするのは、どういう事でしょう」というふうに審査員から質問があったんですね。その審査員の方々がおっしゃるには「特に認知症ご本人の方が顔を出して語るということは害が大きいのではないか。例えば、お薬を売り込まれるとか、あるいは宝の壷を売りつけられるとか、そんなことになったらどうするのか」というような意見があって、一度差し戻しになりました。そこでも、あぁ、やっぱり医学部の倫理審査委員会なんだけれども、こうなんだなぁというふうに思ったんですね。でもまあ、ご本人だけでなく、ご家族の承諾も得るとか、あと、すごく重症な方にはインタビューしないとか、いろんなことを説明して、ようやく2009年からスタートしたわけです。まぁ、そういったいきさつがちょっとあったんですけれど認知症ご本人の語りをお隣の樋口さんがとても想いを本当に表現なさっていらっしゃいますので、ちょと、そのインタビューの当時の心境とか、今の心境とかお話くださいませ。

樋口 みなさん、こんにちは。樋口と申します。非常にまじめな方ばっかり集まっていらっしゃる感じで、ちょっと緊張しちゃいます(笑)。私は、ディペックスは、出来る前から新聞などで読んで知っていまして、これは、素晴らしい、応援したいなと思ってたんです。でも、サイトを見るタイミングが悪かったのか、自分がインタビューされる人間に該当していなかったものですから、すごく残念だなぁと思っていました。それから何度かサイトを見ているうちに、ある時「若年性レビー小体型認知症の女性」と書いてあって「やったー!」と思って、すぐ応募しました。約2年前の事です。

私は、レビー小体型認知症という診断を3年前に受けて、去年の夏に、本を出させていただきました。アルツハイマー病とはだいぶ症状が違いまして、記憶障害もありませんし、思考力の低下も、今のところは、ないです。ただ全然違う症状、例えば時間の感覚が全然ないとか、匂いが分からないとか、最近だと地図を見ても全然わからないときがあるとかですね。いろいろ他にも困ったことはあるんですけれども、まぁ、なんとかなっているという。今、スマホがありますから、どこでも行けちゃうんです。自分のいる場所が、丸く点くので地図のどっちがどっちかわからなくても、とにかく動いてみるんですね。10mか15mか。そうすると丸が動くので、あっ、反対だとか、あっ右だとかいう感じで、その動きをみながら辿り着くという感じで。ですから障害はありますが、生活は、自立しています。私自身が講演をさせていただく時に、「認知症というのは、医学的に状態を表す言葉なので、私の診断名は、レビー小体型認知症ですが、私は認知症の状態ではありません。認知症の状態というのは、自立した生活ができなくなった状態を指すので、私は認知症ではありません」というふうに言っているんですけれども。

160625talk_fig03話を戻しまして、ディペックスに協力しよう、体験を話そうと思ったのは、もう2年以上前になりまして、今よりも悪い状態でした。その時、私6時間ぐらい、話したんですね。延々と、もうこれ以上、話すことは、一言もありませんっていうくらいに話しつづけまして、それをそちらにいる後藤さんが非常に優しいお顔で、うんうんって聴いてくださって。みなさん、自分の経験を6時間も聴いてもらうって、たぶん一生に一度もないと思うんですけれども、私はそういうふうに聴いていただいて、それはすごく何かカウンセリング効果みたいなものがありますよね。聴いてもらったって言うだけで、だいぶ救われる感じがありました。特に私、幻視とか幻聴とかがありまして、幻視とか幻聴というのは、普通の人に話すと、だいたい飛び上がって驚くので、なかなか友達にも話さないんですね。そんなことを含めて6時間聴いてもらったのは、本当にすごく救われた感じがありました。あと、その頃は、自分がいつどうなるかっていうのが予測がつかなかったんですね。医学的には「急激に進行して、すぐ寝たきりになって死にます。8年で死にます」*というふうに書かれているので、そうなのかなぁと思っていて。なので、自分に来年があるのかなぁとか、再来年があるのかなぁっていうのは、まぁ、たぶんないだろうなぁって、その頃は真剣に思っていました。なので、まぁ話せるうちに自分の経験を話せた。それを苦しんでいる人たちが見て役に立てるって思ったら、それは本当に、嬉しかったですね。ものすごく嬉しかったです。あぁ、これでいつ悪くなってもいいと思いましたね。明日死んでもいいみたいな感じに、とても嬉しかったです。*進行の早さには大きな個人差があり、進行が止まっている症例も報告されている。

最近、ずっと見てなかったんですけれども、これに出るということで久しぶりに自分の映像を見てみたんですね。で、ちょっとびっくりしまして、「これが私か?!」みたいな。遠い過去の事でもありますし、あと自分では、その時、感情のスイッチを、オフにしてクールに冷静に淡々と話してるつもりだったんですね。自分の記憶では。でも見てみると別に泣いたりはしていないんですけれども、やっぱりすごく感情がガーッと出てますよね。ゲゲゲッと思ったんですけれども、でもそれはそれで、そういう気持ちの人が見たら、いいのかなっていうふうに思いました。今は同じことを話しても、ああいうふうには話せないなってすごく思って、やっぱり本当に苦しんでいる時に話したから、あぁなったんだなって。今は、あれはとても再現できないなって思いまして、そういう意味では貴重な記録なんだなと思いました。

今どうしてるかも話せって言われていたんですけれども、今はのんびり暮らしております。「毎週、講演会やってるんでしょ」とか言われるんですが、とんでもないです。私、そんなに元気じゃありませんので、体調の変動もありますし、そんなに講演会とかお受けしてなくて、のんびりやってます。ちょうど何か新しいことやりたいなぁと思ってまして、4月のシンポジウムの時に熊谷晋一郎*1さんと、先生と言わなくちゃいけないですね。「晋さん」と呼ばせて頂いているんですが、出会いまして何かちょっと一緒にできたらいいですねみたいな話をして、そのプロジェクトが、プロジェクトになるかどうかもまだ判らない段階なんですけども、始まっています。私とても飽きっぽくて同じことを繰り返すのがとても苦手なので、何か新しいことを、今までになかったようなことをやりたいなというふうに思ってます。以上です。ありがとうございました。
*1東京大学先端科学技術研究センター准教授。小児科医。脳性まひの当事者で、アスペルガー症候群の当事者である綾屋沙月とともに、発達障害や依存症の「当事者研究」を行っている。

160625talk_fig04青津 こんにちは。青津と言います。よろしくお願いします。さっきのビデオが、2010年の頃で、まだ女房が56歳、57歳の頃なんですが、まだ、その頃はガイドへルパーさんとプールに行ったりとかスポーツクラブに行ったりとか映画観に行ったりとか、まぁそういうことを、まだやってる頃です。その頃で要介護2から3の頃だと思います。もうあの頃も、だいぶ自分の表現したい言葉をなかなかみつからない状態が続いてたんですけれども、それから、今は6年、7年経って、今、車椅子になっています。大腿骨の骨折、右足の大腿骨頸部骨折。今、人工骨が入って車椅子になりました。まぁ元気で、今日は、ショートに行ってもらっています。ショートステイとデイサービスを2つ使いながら、在宅ですごしています。まぁ、独語というのが結構多いですけれども、コミュニケーションは、出来る時と出来ない時が、出来ないほうが多くなりましたけれども。結構まだ元気で自分の口で食べられています。

それで、最初は2002年に、一応病院に通い始めたんですけれども。最初は市内の大学病院、それからそこでわからなくて転院して、今は3つ目の病院で若年性の専門病院に通っています。そこに通い始めて、もう12年経ちました。それで、その2010年頃、ちょっと前くらいまでは、まだ、その1~2年ぐらい前までは、まだ自分で一人で買い物も行けた頃だったんですけれど、その2008年頃から、道に迷い始めて、結構他人の家に入ってピンポン押しながらキーを開けるとか、そういう事が始まったのが2008年頃で、その頃に私も東京で事務所をやっていたのですが、その頃に仕事を辞めて、家に戻った状態です、その頃から。

もう15年くらい経つので、もう結構様々な事、ケアで失敗はしているんですけれども、いちばん最初の失敗というのが、診断を受ける頃から介護保険を使うまでの空白時間が私のケア、いちばん大きな失敗なんですけれども3年くらいが。あの診断を受ける頃から、介護保険の最初の認定を受けるまでに3年くらい空白があったんですけれども、その時のケアが全く出来ていなくて、もう病気を主体にしたことしか考えていなかったんですね。そこに本人が何をしたいのか、何を望んでいるのか全然、その時は思いが至らなくて、そこが私のいちばん大きな失敗で、それを今もずーっといつも反省している段階です。その頃に、もうちょっと本人の想いをちゃんと聞いておけば、もう少し、もうちょっと違う、進行の仕方もあったのか、もっと緩やかだったのではないかという思いを持っています。

ここ3年半前にデイサービスを、若年の介護者と集まって、若年向けのデイサービスをやっています。私が今、管理者をやっています。5人規模なんですけれども、まぁ週3日ぐらいの営業で、5人規模なので3年半やって経営は、黒字になったことは1回もないのですが、まぁとりあえず、続けてやっています。それとあとは地元で若年の家族会を、3年いやもっと前か4年程前から始めました。そこに集まってくる人も、若年でデイを使っている人もいるんですけれども、なかなか難しいところがあって、3年前からいろんなプランを考えながらやっているんですが、だんだん難しくなっていくときに、本人の苛立ちとか悔しさとか、そこに常に表現されてくるんですね。そこをどうやって介護者じゃなくて、仕事としてケア出来ていくのか、やっぱり常に難しさを感じながら、今、管理者をやっています。そんなところでよろしいでしょうか。(拍手)

長沼 長沼と申します。こんにちは。私は、高齢者の認知症を介護しているということで、ここに座らせていただいているのですが、みなさんの方がとてもケアに対して、手厚くやっていらっしゃるのかと思うのですけれども、私は、日中は、勤務をしておりますので、今日もそうですけれども、母は今、デイサービスに頼っている状況でございます。今回は、今の現状をお話くださいと言うことで、話をさせていただきます。今から、そうですね6年前、出来ればその時に戻りたいなというという気持ちが非常に強いです。その当時はまだ言い争いをする元気があった母がいます。

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今の状況はと言いますと、ほとんど寝たきりに日中を寝た状況で過ごしておりまして、認知症の悪化で、寝ている時間が長いのか、それとも、膀胱がんを併発しておりますので、そのがんの影響で寝ているのかわかりませんが、つい最近、1週間前くらいから、単語も発することも出来ないような状況になっているんですが、病院に入らず在宅で介護を続けている状況です。認知症がどのように進んでいるのかというのを、私は確認したいという思いもありまして、火曜日、たまたま先週の火曜日ちょっと口を開けてだらーんという状況になっていたので、普段と違うなというのがわかったので、病院に行ってCTを撮りました。CTを撮ってみるとやはりかなり脳の委縮は進んでいるという状況で、今後、どのように進むという説明はないのですが、脳の委縮があるという事と残念なことに膀胱がんの方も進んでいますという状況です。

膀胱がんも今の状況で手術をするという事はせずに、そのまま温存して経過をみるという状況になっています。普通の認知症の悪化とはちょっとちがう状況ではございます。

その中で本人は、そういう状況なんですけれども、私がどのように変わってきたというところなんですが。当初6年前はですね、何に対しても不満を感じていました。母の認知症が進むこと、例えば何か今までできたことが出来なくなって、買い物もレタスばっかりを買ってくるとか、靴下も私と母の物を間違えてしまうということに対して「お母さん、何やってんの!」と、いつも怒っている感じで、じゃあ、運動不足になるから「一緒に歩きに行くよ」と言うと「今日は、もういいわ」「いや、何言ってるんだ!」なんていうかたちで、いつも教育的な立場であったりとか、強制であったりとかということで、認知症を何とか食い止めようと、認知症は絶対治るんだっていう強い意志を持って臨んでいた時代でした。そうすると、その当時まだ6年前ですから、今ほど認知症も世の中に、浸透しているというか情報もない時代でして、何で医者から、もっとどういうふうにしたら良くなるよというような処方をもらえないのだろうかとか、薬もなんでもっと早く開発が進まないのかとか、あとは介護スタッフをもっと何かいい手法があって、今のように、ユマニチュードのようなものがなんで世の中にないのだろうかとか非常に強い不満ばかり持っていて、眉間にしわばっかりを寄せていた時代でした。

そういう中で認知症は、介護者が怒ることなどが、一番悪いということを本とか、インターネットとかで情報は持っているんですが、なかなか自分を変えることが出来ない。自分が変えられない。まぁ実の母ですから、そこに対して優しくなかなかなれない自分がいました。ただ反対、それがダメだっていうこともよくわかっていました。そういう中で、そのカウンセリングの勉強をしに行って、いかに自分を変えるかっていう努力もしたのですが、まぁ、優しい気持ちになれる時となれない時と。例えばオムツを替える時とかも、そうなのですが、当初は、母も元気でしたので「何、やってんの!」って蹴ったりとかする訳ですよね。そうすると、どうしても私も朝の忙しい出勤前にやりますから「忙しい時にやってるんだから、ちょっとじっとしていてよ」みたいな形になってですね。そこでもう、けんかが始まるわけですね。まぁ、今そう想えば、その当時は、懐かしいなと、そういう元気が欲しいなっていうふうに思うんですけれども、当初はそのいらだちですね…だったんですが、今は言葉も発せない状態ですね。「はーい、お母さん、オムツ替えますよー。足あげてね。」って、そういう優しい言葉をかけられるようになったっていうのが、非常に変わった。母も悪化してそして、私も変われたかなぁっていうふうに思います。

で、変わった分岐点が何だったんだろうっていうふうに思うんですけれども、これはやはり時間の経過と母の病状の悪化というのもあるんですけれども、ある時ですね、母が私の知らない時にメモを残してました。そのメモの内容がですね、「なんだか頭がぼーっとしてます。今何を考えているかわかりません。でも、ゆきちゃん、もうちょっと我慢して待っててね」という感じでメモが残っていたんです。私は、それを知らなかったんですけれども、もうあのメモを見つけた時に本当に、「もうほんとにごめんなさい。お母さんごめんね」っていう気持ちになりまして。で、今でもそれが分岐点といえば分岐点なのかもしれないんですけれども、辛くなったりとか介護に疲れた時とか、何かを怒りたくなった時は、そのメモを今は写真立てに入れて、大事に見て「あっ、ごめんなさい。お母さんも頑張ってたんだよね」っていうふうに思えるようにしています。でまぁ、徐々にそういう形で、ですね。焦らずに自分が変わらなきゃと思うのではなく、自然に介護として温かい目で見られる時がくるのかなぁというふうに思っています。なので、あの認知症を介護されている方がいらっしゃると思うのですけれども、本人は、絶対に介護している人に悪い気持ちは持っていないと思うので、その辺りを心の中に秘めながら介護できたらと思います。これからもう短い人生だとは思うんですけれども、母と今は一緒に寝れます。朝「行ってくるね」とお母さんにキスをしながら出てくることも出来ます。そんないい関係になっています。今後もそういう母に寄り添いながらですね、まぁ頑張って介護を続けたいと思っています。以上です。(拍手)

後藤 聴き入ってしまいました。私は、若年性認知症のリサーチャーとして、2010年6月から若年性認知症の方10名、家族介護者の方14名。そして高齢の認知症の方、お二人、そのご家族をお一人。お一人は長沼さんですけれども、お話を伺ってきました。みなさんのお話を伺って認知症が、怖いとか辛いとか、そんなふうに思ったことは一度もありませんでした。あぁ本当にいいお話を聴かせていただいて有難かったなというか、何か本当に、そういうふうな思いがいつもしていました。特に、若年性のご本人は、ご自身が曖昧になっていても、残された能力を生かして、何とか自分の出来る範囲で、人の役に立ちたいという思いがすごく強い方が多くて、そのお話を聴くたびにすごく勇気づけられ、何か清々しい思いがしました。

そして、今回の書籍の帯に、上野秀樹先生が「認知症ってこうなんだ!」と書かれていましたけれども、私としては「こうなんだ」というよりは、「認知症の人は、そう思っているんだ!」という気づきが、たくさんありました。インタビューを開始して最初の頃、脳神経外科医だった方が、ご自分が若年性認知症になって、「もう認知症になったら何も出来ない」と思って、それを受け入れるのに7年もかかったというお話や、そのインタビューから4年経って、ご高齢の認知症の方にもお話を伺うようになり、「自分も逆の立場なら、認知症だと思って見ると、普段、普通にやっていることでも、「何かあの人おかしいことをやっているんじゃないの」というように見てしまうと思う。だからできるだけ自分が認知症だということは人に言言いたくないと、答えられました。やはり本人のなかにも認知症という言葉に対する根強い偏見というものがあることを感じました。その方は、「年寄りだからしょうがない」などという言葉をよく聞いたものだが、昔の人には気の毒なことをやっていたんじゃないかと思う。と、話されていたのが、すごく印象的でした。

「認知症本人と家族介護者の語り」の意義でもあるのですが、当事者が自分の体験を通して、認知症をこう感じているとか、こうであるということを、きちんと伝えてくれることが、偏見をなくすという意味で一番重要ではないかと思います。この語りを多くの人に見ていただきたいと思いますが、どうしてもサイトを見られない人がいますよね。そういう方に対して、看護協会で、書籍にしていただいたことで、また多くの方に見ていただける機会を得たことは本当に嬉しいことだと思います。

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今はまだ公開されていないのですけれども、レビー小体型認知症と診断された方で、MCI(軽度認知障害)の人たちをサポートしている方のお話を伺いました。オレンジカフェでその方たちを支援するということは「あなたにとってはどのような意味があるとお考えですか」と、最後に伺いましたら、「それは、何よりも私がここに生きていていいということが感じられる瞬間である。最初は、人のために誰かのためになればと始めたことだけれども、一番自分のためになっている」とおっしゃったんですね。今後は、そうやって語ることのできる人が、同じ認知症の人のサポートをして、そして自分も元気になるというような、そんなよい循環を生み出す仕組みづくりにこのサイトを役立てることができないかなと、個人的には考えています。

最後になりますが、私、大学の薬学部で教員をしております。さきほど、樋口さんが6時間インタビューを受けたと話されていましたが、その中で、薬学部に属している人間としては、もう、本当に胸をえぐられるというか、胸に突き刺さるようなお話がありました。それは、「レビー小体型認知症の場合、まだよく知られておらず誤診が多く、正しい診断を受けたとしても、処方薬のために、どんどん悪くなっていく人もいると。家族は家族で、その状況を見て認知症が悪化してこんなになってしまったと思っており、この状況が10年経った今も変わっておらず、誰も正しく伝えてくれない」という話で、その「誰も」という中に、はたして薬剤師は入っているのか、そこまでの存在でもないんじゃないかというふうに、すごく、こう胸に突き刺さるような想いがして、薬剤師がやるべきことってまだまだあるなと。「薬剤性せん妄」と言いまして、実際、認知症でなくても認知症と、飲んでいる薬のせいで、間違われてしまう状態があります。そういう事に対しても、薬剤師はどれだけ、認識を持って関わっているのかとすごく考えさせられました。樋口さんの話を伺った者として、きちんと伝えていく使命であるなと思っています。

樋口さんに、今年の始め東京都薬剤師会で認知症対応力の向上を目指した講座のスクーリングで、ご自身の体験と薬剤師への期待についてお話をいただきました。講演後のアンケートを見ますと、ところ狭しと「今日のお話、感激しました。私のやることが見えてきました。」とか「頑張ってください。私も頑張ります」というようななことが、何枚にも書かれていました。薬剤師は頼りなくみえるかもしれませんが、まじめな人種だから、頼ってくれたら頼ってくれただけ、それに応える人間だと思いますので、ぜひ、皆さんも薬剤師に頼って欲しいなと思っています。ありがとうございました。

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本田 皆様、こんにちは。東京医療センターの本田と申します。今日は、さくまさんからお招き頂いて、樋口さんにも久しぶりにお目にかかり、とても楽しい時間を過ごしております。本当にいいお話を伺い、ディペックスというのは、すばらしい試みであると改めて感じ入りました。私はさくまさんが「ディペックスっていうのが、イギリスにあって、それをやろうと思ってるんですよ」とおっしゃっていた頃にご一緒する機会があったのですが、それからさくまさんが活動継続なさって、このようなすばらしいアーカイブができあがっていることを、その端緒からさくまさんを存じ上げている者として感服しています。

ご自分が病気であること、もしくはご自分が何か困っていることを誰かに話すことは、大きな勇気が必要です。そのような方々へプロジェクトの価値を説明し、ご参加をお誘いになる先生方もまた、大変なお仕事だったと思います。多分最初は、ものすごく警戒されたのではないかと思います。それをうまくまとめて、そしてみんながこのように深く共感して、先ほどのお話のように、いきなりみなさまがハンカチに手を伸ばして目頭をおさえるようなお話を、たくさん集めて下さったこの活動に、本当に敬意を表し素晴らしいものが日本にも生まれて良かったなと思います。

私は、たまたまフランスのユマニチュードというケアを日本に紹介する窓口みたいなことになってしまっているので、今日、お声が掛かったんだと思いますが、「あなたのことを大事に思っている」ということをケア通じて伝えるに当たって、これはケアをする人から相手への一方向性のものではなく、ケアを受ける相手から私達に届けられる贈り物がある、ということを最近は深く感じています。

本日は、ユマニチュードの創始者であるジネスト先生がフランスから来日中で、本日ご同行いただいています。ジネスト先生もこのプロジェクトに大変興味を寄せていらっしゃいます。少しお話をしていただこうと思います。

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ジネスト 素晴らしい着想の下に作られたご本を出版になられたこと、本当にすばらしいですね。みなさまがお話しになっていらしたことを、今伺っておりましたが、この本に登場なさる方々は、「病気の人」ではなく、「人間」であるということをまず申し上げたいと思います。かつて長い間、医師も薬剤師も失敗を重ねてまいりました。家族もです。なぜならば、ご家族は医師に「お願いですから薬を処方して下さい」と頼んでいました。でも、今、私たちは、薬がそれほど役に立つものではないということもわかっています。

今、私たちの社会に多くの認知の機能が落ちている方がいらっしゃるということは、とても幸運であると私は考えます。認知症は多くの場合、とってもまずいことだとか、困ったことだというふうに捉えられていますが、私はそれは間違いだと思います。私の母は、3年前にアルツハイマー病で亡くなりました。私の父は、昨年、パーキンソン病で亡くなりました。私は、この病気がどういうもかを家族としても知っております。そのご病気をお持ちの方が、私たちにとって素晴らしい教師であるかということも知っています。そしてそれは、家族にとってだけでなく、社会にとっても素晴らしい先生であります。先ほどのお母様からたくさんのことを学ばれた、というお話を伺いました。これまでに経験がなかった、愛情を表現する新しい方法を学ばれたかも知れませんし、そして、何よりお母様との関係をもう1度取り戻された。これは、贈り物なんです。

2つお伝えしたい短い話があります。フランスでのことです。一人のご家族が私に話しにきてくださいました。「私の夫はアルツハイマー病です。とっても攻撃的。家中に失禁して、とっても大変な状況でした。でも、私が病気についての捉え方を変えたことで、夫も変わりました」。そして夫は、これまで1度も私に言ってくれなかった「お前のことが大好きだよ」ということをずっと言ってくれるようになった、とおっしゃるのです。

もうひとつ、これは別の方なんですけど、看護師さんが、非常に攻撃的とみんなに目されている患者さんのケア、清拭を行って…体をきれいにしていました。その人は、自分で言葉を発することはなくて、ただうめいたり、ひっかいたり、つねったり、蹴ったりするような人でした。看護師たちは、「こんなひどい人なので私たちはこの人に良いケアを提供するなんてできないんです」と言っていました。でも私は、その患者さんに私が持っている技術を使ったケアを行いますと、患者さんは、非常に穏やかにリラックスしてケアを受け入れてくださいました。顔には微笑みさえ浮かんでいました。それを見ていた看護師は、涙を浮かべました。そしてその看護師さんが、その患者さんに「今まで私がやってきたこと、本当にごめんなさい」と謝りました。その泣いている涙を今度は、その攻撃的と目されていた患者さんが、指を伸ばして涙を拭き取ってくれて「泣かないで」と言ってくれたんです。なので、看護師さんは、もっと泣きました。これは患者さんから頂いた贈り物なんですね。その贈り物のやりとりの中で私たちは、より人間らしさを深めていくことができると思います。

もう1つ最後に申し上げたいことがあります。認知症の方々というのは、私たちに実にたくさんの自由をくれています。例えば日本の人は、互いに触りませんよね。それから非常に近くによって匂いをかいだり、頬にキスしたりということはないです。でも、日本で認知症のたくさんの方々に私はケアをしてきましたが、いつもケアが終わると男性も女性も私の顔をとって頬にキスをしてくれるのです。本田先生が証人です。人間というのは、愛や優しさを表現したり受け取ったりするように生まれついているのに、後天的に身につけた文化がそれを阻害するようになります。認知機能が低下すると後天的に身につけた文化は失なわれ、生まれたときに身につけていた愛や優しさが残ります。そして、それを私たちに示してくれます。私たちは彼らの優しさからそれを学ぶことができるのです。

竹内 ありがとうございました。とても心にしみるお言葉でしたし、いくつかの発見もありましたが、あまり簡単な言葉では表現できないので。ありがとうございました。予定では、私たち登壇者から登壇者への質問等やっていくという段取りなんですけれども。10分くらい大丈夫ですか? では、みなさま、お互いに何か聞いてみたいことなどございませんでしたか? ではどうぞ。

後藤 ディペックスのインタビューは、いっときで、そこから遡って前のことを伺うんですね。本日は、機会を得て「その後どうされていましたか」ということをお話いただけました。たとえば一人の方のお話を、期間をおいて続けて伺うとか、そういうふうな試みについては、どのように思われますでしょうか? 3人の方に伺ってみたいと思います。

樋口 今どうしているかということですか?

青津 もう一度聞くということ?

後藤 同じことを伺うのではなく、今は、その時お話いただいたところで時間が止まってしまっていますが、変化を教えていただくというか…

樋口 うーん、そうですね。多分、見る方は、この人がどうなっていくのかなっていうことに興味があるんだろうなって思います。この元気そうな人が、2年後3年後にどうなっているのかなぁって思うんだろうと思うんですけど。本人にしてみると、進行していてもインタビューを受けて、それを公開したいっていう方ともう嫌だっていう方と多分分かれるんじゃないかと思いますね。

青津 本人の意思は、ちょっと今、確認はなかなか難しいですけれども、経過をネットで載せることの意義が、どういう意味が、どうなのかっていうところが、どうなんでしょう? 載せることには、全然抵抗はないんですけど、6、7年前と今、6、7年後と、経過を載せることには、全然問題ないんですけども。今、何かその意味が、ちょっとよくわからない。

長沼 私の、介護側の立場からすると、私は、大いにありだと思っていて、認知症で過去こうだったから、段々こうなるよっていうのも見る機会は、なかなかなくて、母が今こういう状態だから今後こういうふうになっていくんだろう、1年後こんなふうに、2年後こうなるんだっていうのが、私の勉強不足もあるんですけど、なかなか情報として見ることができない。そういう家族の介護の方たちが、今後どういうふうにケアをしていけば、どういうふうになっていくかという不安を解消するのであれば、私は、大いにありだと。ただ、私の場合は、母の場合は、がんということもあるので、そこがどう関係するかは、まだちょっとわかりかねますけれども。できればそういう不安を抱えている方の協力っていうのができればと思います。

青津 今、若年のデイサービスとか若年の家族会とか催してやってるんですけど、ご本人同士、若年性認知症のご本人同士の会話っていうのが、あるんですけど、会話とか、慰め合いとか、励まし合いとか、結構あるんですよね。結構進んでいても。ただ、もっと進んだ方を見た時のご本人っていうのは、結構辛いものがあるんですよね。それはやっぱり実際、デイとか家族会で、自分が将来こうなっていくんだろうということで、結構重いショックを受ける方もいます。それをどうフォローしていくのか、なかなかそれって難しい問題で。必ずそういう人がそうなっていくわけではないんですけど、個人差ももちろんあるから。でもご本人にとって結構重度化された方を見るのは、いろんな意味で結構自分の中でショックを受けています。実際。その後のフォローがなかなか難しい。じゃあ、どういうふうになっていくのかと質問された時に、なかなか正直に答えるのが、ちょっと難しいときがある。

ジネスト 例えば、私の個人的な考えなんですけど、私の父母についてでしたら、最期の時まで私はイエスと言いたいと思います。これは、倫理的な問題としてやらない方がいいんじゃないかという意見があるのを存じておりますが、人の尊厳というのは、人生の最期まで存在するものであると私は考えます。私の価値と認知症の最期の状態にある人との人間の価値というのは、まったく等価です。例えば私の父の最期はだいぶ困難な状況にありましたが、それでも私は、父には尊厳があって、それを隠すべきではないというふうに思っています。これは他の人に対する助けにもなるものではないかと考えます。現実を語ることについてみんなが躊躇するというのは、違うのではないかと思います。

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竹内 ありがとうございました。確かに青津さんがおっしゃっていたことは、私もよく聞いておりまして、患者会で、1つは、患者さんはご本人が集まられた時は、お家にいらっしゃる時よりも会話が弾むっていう現実があるっていうことと、それから先ほどもジネストさんがおっしゃってくださったことに関わるんですけども、今、楽しくやっているのだから、この先どうなるかっていうマイナスのイメージを入れてくれるなと。マイナスのイメージが入るととても介護が辛いという声もあります。その時、ジネストさんが、今の私とそのターミナルになっているお父様とそれは同じ尊厳だというふうにおっしゃっておられて、私も本当にそうだなぁというふうに思うんですけど、いろんな方がいらっしゃるので、そういった状況をお伝えした時に、その方達にお伝えした後にどういうふうにフォローしていくかということがとても大事で、これは、樋口さんが語っていらっしゃる言葉の1つなんですけど、「病気になっても大丈夫ですよ。個人差があるのですよ」って、とにかく小さな希望、いろいろなマイナスのイメージが入ってきたときに、「それは個人差があるし、一人ではないから、大丈夫ですよ」っていう、その「一人ではないから大丈夫、個人差があるから大丈夫、そういった小さな言葉に1つの希望を見出す」とおっしゃっているんですけれども、そういったフォローとともに現実を伝えていくということが大事なんじゃないかというふうに思っていますが、樋口さん、何か追加ありませんか?

樋口 そうですねぇ。医師というか、本やネットには、「アルツハイマー病はこういうふうに進行します」って、まあ、あんまりうれしくないことが書いてあるわけですよね。私は、アルツハイマー病ではないんですけど、 診断された方は、みんなそれを見てものすごいショックを受けて、一旦うつ病みたいになってしまうんですね。そのうつ病状態から1年で抜けた方、5年かかる方、7年かかる方、いらっしゃって、その間、もっと違う過ごし方をしてたら、診断から10年後は、全然違っていたと思うんです。私は、そのことが、ちょっと耐えられないなと思っていまして。「あなたは必ずこうなりますよ」「10年経ったら死にますよ」とか、そういうことを言うべきではないと思うんですね。そんなこと神様にしかわからないじゃないですか。実際、今、佐藤(雅彦)さんは、10年経ってもお元気ですし、鳥取の藤田和子さんも丸9年経っているのに、普通にフェイスブックで対話できるっていうふうに、今までの教科書にはない方がどんどん出ていらして、それは、すごく希望になるんじゃないかなって、私は思ってるんですけど。

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私、よく佐藤さんとお話しするんですけども、ちょっとずれるかも知れないんですが、私とか佐藤さんとか丹野(智文)さんとか、認知症のイメージを変えたいと思ってやっているわけじゃないですか。それでも進行はしていくんですね。私も進行している部分はあって、例えば幻視とかは、1年以上消えてたんですけれども、最近またちょこちょこ見るんです。で、そういう時に、それをすっと言えない。せっかく「消えました!」って言って、みんな、「ああ、良かったですね!」って喜んでいるのに、「また出ました」って、ちょっと言い難い。佐藤さんも「私は、色々できるんです」って仰っているのに、やっぱり佐藤さんも進行している部分は感じていらして、まぁ、その時の調子によってできたり、できなかったり波があるわけですが、それを言い難いって佐藤さんがおっしゃったんですね。これ、内緒かな?(笑)確かにそうなんです。進行したって言ったら、自分が言うことを信用してくれるのかなとか。社会的な信用度が落ちちゃうじゃないですか。せっかく自分が一生懸命やってきたことが、「いや、実はこれができなくなって」って言うことで崩れちゃうのかなぁって、そんな心配もあったりですね。

それから、いろんな活動をされてる方が、きっちりお話しすると、私なんかいつもそうなんですが、「お前なんか認知症じゃない」「誤診じゃないか」とか、必ず言われるんですね。佐藤さんも言われるし、今、活動されている方、多分、ほぼ全員言われてるんですよね。「嘘っぱち」「詐欺だ」みたいに。そういうことでも私たちは結構苦しめられていて、それで自分の病気を証明するためにあっちこっちで検査をしたり、するわけですよ。なんで患者がそんなことをしなきゃいけないのか、そんなこと主治医に言って、主治医がやればいいじゃないですか。なんで私たちが責められて、私たちが自分でそれを証明しなければいけないのかという問題もありまして。本当にヘンテコリンな問題がいろいろあります。すみません。なんか話がずれてしまいまして。

竹内 佐藤さんとおっしゃるのは、若年性認知症の、アルツハイマー病の方なんですね。そういう本人の大変さ、今、またそうだなぁって気づかせて頂きました。ではそろそろ登壇者間はこのくらいで、フロアーからの質問は…。

さくま では、バトンタッチして…。今日は私たちの活動を前から応援してくださっている方が何名かお見えになっていて、お話を伺いたいと思っていてお願いしています。六車さん、よろしいでしょうか?『驚きの介護民俗学』っていう本を書かれていて、ご存知の方も、たくさんいらっしゃると思いますが、民俗学的な視点を持ちつつも、介護のお仕事をされている方です。認知症の方でこの人はもうお話ができないだろうと思われている方たちから、今はもうなくなってしまった昔の職業のこととか、廃線になった鉄道のこととかいろんなお話を聞き取りされて、素晴らしい民俗学的研究になっています。前にも、私たちがシンポジウムを行った時にお越しいただいたことがありまして、今日もお越しいただいきましたので、コメントをいただければと思います。よろしくお願いします。

六車 六車と申します。今日は樋口さんにぜひ、お会いしたいと思って参りました。さくまさん、声をかけていただいてありがとうございました。今日の話を聞いて、皆さんの言葉がズッシリと響いてくるんですが、今の樋口さんの、「進行していることを言いにくい」という言葉も、聞かなければわからないと思って、そういうふうに私たちは認識していなかったところがあります。

さくまさんに最初に声をかけていただいたのが3年前くらいですかね、東大のシンポジウムで、映像を公開された直後くらいだったと思いますが、その時、私は活動自体にはとても共感を覚えたんですけど、一方で、私たちが今、関わっている認知症の方は高齢者の方がほとんどなものですから、こういったことは若年性の方だからできるんだっていう思いがどこかにあったと思うんですね。

私は今、さくまさんがお話してくださったように、「介護民俗学」っていって、利用者さんに聞き書きをする、色んな思い出や記憶についてお話を聞いて、それを形にしていくことで、ケアを変えていこうという活動をしているんですけど、私自身がやってきたことを振り返ったんですね。それは過去の語りというか、どういう経験をされてきたのかという語りについては、一生懸命聞いてきたんですけど、じゃあ実際、今、どうしたいのか?どう思っているのか?ということについては、実はあまり聞いてこなかったなという思いを最近持つようになりました。

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それをはっきりと思い始めたのが、樋口さんであるとか、佐藤さんであるとか、藤田さんとかといった認知症の当事者の方が名乗りでて、発言をし始めたり、認知症ワーキンググループができて活動をし始めたり、スコットランドのジェームス・マキロップさんが来日されたりとか、そういう活動がこの2年くらい、いろいろなところでみられるようになったことが大きかったと思います。そうしているうちに、社会全体の認知症に対する認識がずいぶん変わってきたと思うんですけど、私もマキロップさんが講演されたシンポジウムに聴衆として参加させていただいたり、あるいはNHKの認知症キャンペーンの番組を拝見させていただいたりして、私自身の中でも、「何か別のアプローチもあるんじゃないか」というふうに思いだして、聞き書きとともに、普段の会話でも、利用者さんは今どうしたいのか?ということを、かなり、意識的に聞くようになっていきました。それから、私はデイサービスすまいるほーむというところの管理者をしているんですけど、そこをどういうふうに作っていこうかということも、利用者さんたちと一緒に考えていく、そういう関係が作れるようになったんですね。だから、ディペックスや樋口さん達の試みというのは本当に、私自身も影響を受けているし、社会に対しても影響を及ぼしていると思って、素晴らしい活動だなっていうふうに思っています。

樋口さんのご本を何回か読ませていただて思ったんですけど、先ほど、熊谷(晋一郎)さんのお話が出てきましたけど、私、樋口さんの本は、まさに、当事者研究だなって思ったんですね。要するに当事者研究というのは、自分の病いであるとか、自分の状況について、自分自身が研究する。研究するってことによって、自分自身や自分の病、置かれた状況に対して客観的になれるということだと思うんですけど、樋口さんは、まさに、それを日記の中でされているんだなって。それは、すごく、面白いと思えたんです。

もしかしたら、そこにこそ可能性があるのかなって思って。要するに、記述したり、語ったりすることによって、その状況とか、病気を、自分から少し離して見てみるというような行為につながるわけですから、これから、認知症の方も樋口さんのように、自分自身の病や置かれた状況について、語ったり、記述したりすることがもっとできていくと、認知症の方の当事者研究が始まっていくし、それによって新しい展開が見えてくるんじゃないか、というふうに思いました。

もう一つ、この本は、すごく分厚いですよね。すると、なんとなく読者としてはとっつきにくいところもあるかもしれない。でも、各項目に、語りの象徴的な部分が抽出されて大きな字で印字されているページがあるじゃないですか。介護川柳からアイディアをもらったという最初の説明を聞いて、「あっ、なるほど意味があったんだな」って納得したんですけど、ご本人の凝縮されたという言葉は、訴えかけるものがすごく強いと思うんですね。だから、たとえば、この凝縮された部分だけを抽出してブックレットにしてみるとか、私たちがすまいるほーむで試みているようなカルタにしてみて、みんなで遊んでみるとか。そうするともっと多くの方が気軽に、楽しく、構えずに関わっていけるような気がするんですね。そこから、更に興味をもって、この本や映像にたどり着いてもいいと思いますし。せっかくの語りですから、いろんな形で多くの方の目に触れる仕組みを作っていったらどうかと思いました。

あと、もう一つ、欲張りを言えば、私、樋口さんの6時間の語りを聞いてみたいと思ったんですね。今映像で拝見できるのって、ひとつひとつが短いじゃないですか。こま切れっていうか。たぶん、みなさん、長くお話をされていると思うんですけど、それをテーマで切っていますよね。でも語りっていうのは物語なので、文脈もあるし、最初から最後まで聞いてやっと意味が分かってくるようなこともあると思うんですよね。だから、それをネット上でもいいですし、あるいは、ドキュメンタリー映画みたいなものでいいので、じっくりと聞けるような、そういうこともしていただけると、語り手の紡ぎだす物語に共感する人たちが増えてくるんじゃないかなって思うんですよね。

いろいろな期待を込めて、これからも応援しておりますので、頑張ってください。

さくま あと、もうおひと方、この本の中にいくつかコラムがありまして、医師の方とか、ケアマネージャーをなさっている方にも、コラムを書いていただいたんですが、社会学者の立場から書いていただいた、井口先生がお見えになっているので、是非、一言、コメントをいただければと思います。二つのコラムがあって、288ページと423ページに載っています。

井口 こんにちは、井口高志と申します。今回この本には、「「家族介護者になる」という経験について」と「「症状」探しという症状」という二つのコラムを書かせていただきました。個人的な話をすると、ちょうど、5月に私の祖母が、最後、ちょっと認知症なのかなって状態になって亡くなりました。その前後で、実家に帰ったりしておりまして、祖母が、今一体何を考えているんだろうか?とか、そういうことを何とか聞こうとしたりしていて、その中で色々複雑な気持ちを抱いたりしていました。それで、ちょうどその時期に重なるような頃に、この本が出来上がってきて…実際にコラムを書いたのは、もうちょっと前のことでしたけど、それでこの本の出版には個人的に感慨深いものがあります。

たぶん認知症に限らず、人の想いとか、何かを知る時には、言葉で語られることによって知ることもあれば、表情だとか、その時の言い淀みだとか、言葉ほど意味は明確にはわからないんだけど、なんかこんなことを考えてるんじゃないかということが感じ取れる瞬間があるんじゃないかと思っています。そういうことを踏まえた時に、さっき、映像なんかも見させていただいて、今回のこの本の形式があらためてすごく面白いなって思いました。認知症の方の語りは、本などの形で、だんだん社会に出てきていると思うんですけど、それらは基本的には物語やストーリーとして理解されるものになっていると思います。また、自分の仕事の一部も、本や論文を書くことなんですが、本や論文の形式って、どうしても、ストーリーをひとつ作るというか、ストーリーの形で色んなことを伝える、つまり、流れを理解してもらうことを意図したものだと思います。それに対して、今回の本は、例えば、QRコードですぐにウェブサイトの映像に飛べることで、実際に人が語る際の言い淀みの部分であるとか、表情とか、ストーリーを作る際には背景に隠れてしまう、言葉や文字情報以外の部分から伝わってくるものを見られるようになっている。その辺がすごく面白いなって思いました。

あと、二つ目として。私自身は自分の研究で、昔、介護者家族会に行って、介護経験がそこでどんなふうに語られているのかを調査していたことがあったんですけど、分かったことは、家族会の意味っていうのは情報を得ることだけじゃないな、ということでした。例えば、認知症の人の介護で「こういう風にした方がいいよ」って困っている介護者に対してベテランの介護者が言ったって、すぐに言われたように出来る訳じゃありません。むしろ、家族会では、そんな風に直接的に何かをアドバイスするというよりも、それぞれが何となくつぶやいたり、他の人の話や涙などに触れたり、雑談的な会話をしている中で、だんだんと何かが伝わっていくというようなことが重要そうだなと感じました。そんな風に、家族会で見たような介護経験者たちのやり取りで生まれていることが、実際に人と会う形じゃなくて、本やインターネットというメディアを介して実現していくかもしれない試みの第一歩として、この本はすごく面白い試みなんじゃないかなって、思っています。

最後に、三つ目です。今日のトークショーも含め、樋口さんをはじめ認知症と呼ばれる方たちが、色んな形で語るようになってきている。そこで個人的にすごく関心をもっているのが、当事者が語るようになってきた先に何が生まれていくんだろうということです。その中でまず関心があるのが、当事者の人たちが一体どういうことを経験していくんだろうかということです。さっきの樋口さんのお話でハッと思ったのは、「進行していることを語るのは、まずいんじゃないかって思ってしまう」とおっしゃっていたところです。語りがだんだん聞かれるようになってくると、「世間の人たちが聞きたい語り、望まれる語り」というのが生まれてくる。その時に、今度は、周りからの期待があるために、語れることと語れないことが新たに生まれて来たりすることがあるんだなということを感じたんです。

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当事者が語るようになってきた先に何が生まれていくのかという問いは、私自身も考えたい課題ですが、これからひょっとしたら、ディペックスの活動でも課題になってくる問いなのかもしれないとも思います。例えば、今回の本では、上野秀樹先生が、帯に「認知症って本当はこうなんだ」という文を書いてくださっていると思います。これはこの本が、認知症の人の様々な姿を見せてくれているということだと思います。しかし、これから認知症の人の様々な姿が常識になっていくと、今まで誤解されていた認知症像に対して本当はこうだったんだという像をカウンターとして世の中の人に示すこと自体に、ひょっとしたら意味がなくなってくるかも知れません。そうなってくると、DIPEXのような認知症の人の語りを集める試みも使命を終えるのかな、それとも新たな違った課題が出てくるのかな、とか、そんなことをちょっと考えました。もちろん、まだまだ認知症の人たちの声は伝えられていく必要はあり、その役割は必要とされているとは思いますが。

さくま ありがとうございました。本来は17時半までの予定で、すでに5分過ぎているんですが、この会場はまだ少し使わせていただけるということなので、これを機会に是非、どうしても質問をしたいという方がいらっしゃいましたら、会場の方からでも、是非、どうぞ挙手をしていただければ、二人くらいいけるかなという感じなんですけど、いかがでしょうか? 逆にプレッシャーになっちゃって言えないかな? どうでしょうか?こんな機会、ないですよ、こんな方たちがいっぱい揃う機会はなかなか、ないと思いますが。よろしいですか?

先ほどジネストさんが愛の話をされていたので、私たちのwebサイトの中で一つ、すごく心に残っている語りをご紹介します。この本でも「認知症本人の家族への思い」という、そういう章があります。その章の中で、ピック病の方の奥様が、ご主人の話をしています。それで、「夫は以前は愛という言葉は言わなかったが、今、何かにつけて愛してるよという」んだと。307ページですが、ちょっとだけ読ませていただきます。「夫は病気になる前、理屈っぽかったり、筋を通さないと気がすまなかったり、情よりも知のような人だった。けれども今は、しょっちゅう何かにつけ愛しているよという」というんですね。この方、お風呂に入らない――2年くらい、入らないんですけど「私が無理やり捕まえてシャワーをお風呂場でワーッとかけてると、わーって抵抗しながら、『ママ、愛しているよ』と。最近、大暴れで封じるために、ふっと『私を愛してる?』と言うと『愛してる』っていうの、びしょ濡れのままで。じゃ、いいわってという感じで」って。そういう一節がこの本の中にあります。本当にそんな瞬間に夫婦の愛が改めて確認されているというか、表現が出てきているということで、私はこの語りがとても好きなんです。なので、皆さんにも読んでいただけたらなというふうに思います。他に本当によろしいですか?どなたかいらっしゃいませんか?

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会場から 訪問看護をやっている看護師なんですけど、認知症の方に、患者さんだけでなくて、ご家族とお話しすることもけっこうあって、すごく、先ほど、ご家族の方からあったように、やりあっちゃう、喧嘩しちゃうという状況の方が結構いらっしゃって、そういう方に、見様見真似でユマニチュードとかをやってみるとぜんぜん違うので、「こういうふうにしたらいいですよ」みたいに言いたいけれど、どうしようかと。すごく葛藤があるんですけど、ご家族からしたら、一番、やりあっちゃう気分の時に、看護師から言われるのって、どうなんでしょう?

長沼 一番最初に、私が母親とやりあっている時に言われたのを今でも、鮮明に覚えていて「今は、長沼さん、そういう時期よね」と。母と私の関係をみて、経験があるので、「そういう時期だから、頑張ってね」ってという形ではあったんですけど。喧嘩をしている時に、「こういうふうにやってくれればいいんじゃない?」っていうアドバイスは非常に有難いと思います。私が6年前に、それを聞いてたら、「そんなことできないわよ!」っていう気持ちと、「こういうふうな接し方をしてみればいいんだ」というのは、フィフティーフィフティーくらいであるって、それだけ心に余裕を持てないっていう時期だったと思うんですけど、それを他人に言われて、「何言ってるのよ、知らないくせに!」っていうふうに思う反面、ちょっとだけ、自分が努力して変わってみようかなっていう思いもあるので、ぜひ、言っていただいたほうがいいのではないかと私は思います。

青津 私も、それでいいと思うのですが、ずっと15年介護をしていて、波がありますね、自分の中で。常に、葛藤、自分の葛藤があるんですね。だから、女房のやってることが全て頭にくるんですね、そういうときがある。腹がたって、腹がたってしょうがないんですよ。だから、そういう時期を通り越してっていうのがあるんですけど、でも今でもやっぱり葛藤はあります。腹たつこともいっぱいあるんです。「こんなの嫌だな」っていうのがあります。でもね、その一番、大きな葛藤の時期と今を比べると、さっき言ったように、女房に対して、愛情表現ができるようになったんです。可愛いとか、綺麗とか、美人だとか。そういうことをいうと、女房はニコッとするんですよね。それ、ついつい本音でなくてもいいと思うんです(笑)。バーで飲んでてお姉ちゃんにいうような言葉を女房に、ここ何年か言うようになって、それでけっこう円満になっているんです。本人はそれを本当と思っているか分からないんですけど。でも表情は変わってきています。そういうのがあります。

本田 ご家族がとてもお困りの時に、「いいことがあるんですよ」とお伝えしたいことは専門職としてありますよね。私どもが最近行なったものですと、NHKの朝の情報番組で、「あさイチ」という番組で、お母様の介護にものすごく困っていらっしゃる方のところに、私どもがお伺いいたしました。ご家族向けに、介護でよくある困った状況について解決できるかも知れないという提案をするDVDがあるのですが、それをお持ちして、30分から40分くらい介護をしていらっしゃるお嬢さまにお話ししました。ここで重要なのは、私どもがいるときのお母さまの反応ではなく、私どもがお暇した後のお母さまとご家族の状況です。NHKが丁寧にフォローアップしてくださって、一週間後、一ヶ月後のご家族のご様子が紹介されました。お嬢さまはお母さまのことをたくさん褒めることができるようになって、例えば「膝が可愛い」とおっしゃる。見えているところが、みんな素敵に思えるという感じで、しかも、辛かった介護が、「これだったら私、大丈夫だと思う」と言ってくださっていました。このように、専門職として何らかの手がかりを、ご家族にお渡しするというのは、私たちの職務であるというふうに思います。

さくま 有難うございました。いかがでしょうか? あとお一人だけ…。

会場から ライターの寺田と申します。介護、看護、医療などケア全般に興味があり、雑誌や単行本などでそういうテーマを扱う仕事をしています。今日ここに伺ったのは仕事上の関心もありますが、仕事とは別に、私自身がかつてある「心の疾患」を抱えた当事者であり、今は幸いにも卒業しましたが、過去15年間、自助グループに通った経験を持つ者としての関心からです。自分が当事者として――さきほど当事者研究とおっしゃいましたが――自分を対象化する、その姿を自らの研究対象として考えることの、あるいは同じような問題を抱えた当事者同士が経験を分かち合うことの大切さを、自分のこととして理解しています。もちろん専門家には専門家にしかできない領域がありますが、当事者同士の経験の分かち合いから得られる知見は、専門家にはできない領域です。そして、それは当事者が少しでも楽に生きる助けとして不可欠なものだと思っています。

その上で、みなさまに「自分の経験を他者と分かち合う」意味についてお聞きします。たとえば樋口さんのように本をお書きになると、自分で自分の経験を深く研究できます。本にされないまでも、自助グループなど当事者同士で語り合う場に参加して困難や苦労に向き合う力や知恵を得る、自分の経験がだれかの役に立つ実感を得ることで自身も励まされる……などについては私自身も経験があり、その大切さをよく理解できます。伺いたいのは、このように広く当事者でない方も集まられる場で、病気というセンシティブな経験を語られることの、ご自身にとっての意味、とりわけポジティブな意味がどこにあるか、ということです。つまり公開の場では当事者以外の人からの無理解や誤解を受けて、傷つくリスクもないとはいえないと考えるからです

ご家族も「病気を抱えた人の家族である」という意味の当事者であるわけで、樋口さん、ご家族それぞれに、リスクを意識されてなお、このような公開の場でご経験を話される良い面をお伺いしたいと思います。

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樋口 けっこう難しいなと思いますけど。というのは、もちろん良い面は、理解を深めこと。「認知症ってこうだと思っていたのに、樋口さんの話を聞いたら、ぜんぜん違うんですね、目が覚めました」っていう方は、いらっしゃって、それはうれしいですよね。でも、難しいなって思うのは、私、本人なんで、本人目線で言うわけですよ。「本人の立場になって、考えてください、幻視は本当に見えてるんだから、ありありと本物と区別がつかないくらい鮮明に見えているんだから、“そんなものないでしょ!何言ってるの!”って言わないでください」っていうと、「私が悪かったんですか?!」みたいな、そういう方も絶対いらっしゃるんですね。「私が悪かったんですか!じゃあ母がああなったのは私が ギャーギャー、毎日、言ったからですか」っていう方もいらっしゃるし、必ず、傷つく方はいらっしゃる。

例えばレビーが、記憶障害がない方がいるというと、アルツハイマーの方は、傷つく。何を言っても、必ず、誰かを傷つけるなっていうのは、話すたびに感じて、けっこう辛いんですけど。もちろん批判も誤解もされますし。いい面は、皆さん、想像ができると思うんですけど、悪い面もけっこうあって、私自身、講演会はあまりやりたくないなって最近は思います。

会場から 聴衆にとってではなく、樋口さんにとって…。

樋口 私にとって? ですから、ポジティブに捉えていただければ、私も本望なので、たいへん有難いです。ネガティブには受け止めてほしくないです。どなたにも傷ついてほしくないなって思っています。

青津 一時、初期の頃、結構講演をしに行ったりとか、あとテレビ出演を結構したんですけど、あと本人同士のトークセッションも、ある方が司会をして出たりとか、昔はあるんですけど。二つの側面を常に持っていますね。女房が何かにでて、ボランティア活動も長くやっていて、紙芝居を。いろんな施設にいってやってたんですけど、女房が、ボランティア活動を。認知症になってから、けっこうな練習を毎日、やって、それで認知症の病院の講演とか、デイケアサービスとかにいって講演、けっこうやってたんですよ、紙芝居を。その時、常に二面性があって、認知症に逆に誤解を生む場合もあるし、偏見を逆に生んでしまう場合もあるし。また変に同情されて精神的に害して帰ってきたこともあるし、さまざまな。それを全部背負いこんで、女房が一人で、というのはしんどかったかなというのがある。ただ、それは4?5年、続けてたんですけど、途中からだんだん難しくなって今はやってないんですけど、そういうのがあります。だから、今、樋口さんが言ったような面も、確かにあるし、本人同士のトークセッションも、いい面と悪い面と両方ですかね。難しいところがありますよね。ですから、それをどうやって、主催者側がうまく演出してくれるか、演出もだけど進行をしてくれるかによっても変わってくるし、また会場から質問も、時々、すごい質問がくる場合もある、本人に対して。それも結構、ありました。それはなかなか難しいと思います。

長沼 すみません。質問は、「今、こう語ることにとって、自分がどうであるか」っていうことでよろしい? 私は、この話しを後藤さんからいただいていた時に、気軽に引き受けてしまったんですけど、そこで、今の母親の現状と変わった自分というのを、見直す、すごくいいチャンスだったというふうに思っていまして。なので、与えられたチャンスというふうに今、考えていて、で、そうなることで、自分が母親に対してこういうふうな接し方をしてくるという、本当に、再認識できたということでは、非常にプラスでした。今後、それがどういうふうに、活用できるかっていうのは、今は、考えていませんけど、自分が考えたことを、皆さんに対しては、こういう人間もいるんだと、こういう形で変わることができたということを知っていただくことが、いいのかなと、少しでもお役にたてればなという思いです。

さくま ありがとうございました。もっともっと伺いたいところですが、あまりにも短い時間に盛りだくさんな内容を詰め込んでしまったので、残念なんですけれども、今日はこの辺でおひらきにさせていただきたいと思います。皆さん、どうもありがとうございました。(拍手)

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