診断時:76歳
インタビュー時:78歳(2008年10月)

首都圏在住。前立腺炎で受診した総合病院で、念のため受けた血液検査でがんの疑いが浮上。生検を受けてグリーソン・スコア6の高分化前立腺がんと診断され、ホルモン療法を勧められたが、小線源療法を受けたいと、2006年9月大学病院に転院。そこではグリーソン・スコアが7と判定されたため、外部照射(22回)を併用して45本のシード線源を埋め込む治療を受けた。術後1年9ヵ月でPSA0.27と順調に経過している。

語りの内容

で、まあ、ここで初めて、がんっていうのが、ま、この生検によって、決定されたわけなんですけれども。ま、ほんとにそのときには、あのー、いや、これで、ほんとに、自分の人生も終わりに近づいたな、というような、まあ、気持ちだったです。
それで、ただ、まあ、平均寿命が、まで、ま、大体、平均寿命に近いところまで、まあ、生きてきたんで、まあ、これだけ生きれば仕方がないかというような思いもあったりしてですね。で、ただ、まあ、やはり、頭ん中で一番浮かんだのは、がんっていうのは死ぬ、がんっていうのは、あの、非常に苦しむというようなことを聞いていますんでね。で、その、死ぬる、がんで死ぬだけは嫌だと思ったんで。ま、何とか、その楽にね、死にを迎えることができないか。もう、早くもそこで、そういう気持ちが、まず、頭の中に、あのー、最初に浮かびました。
で、ま、とにかく、がんっていうのは、そのものがよく分からなかったんですね。こりゃ、何としてもがんを、まず、分からなくちゃいけないと思いましてですね。それで、まあ、図書館へ行って、あのー、がんに関係する本を全部借りてきたんですけど。ちょうど、5冊ぐらいありましてね、それ、全部読みました。で、また、インターネットも、あのー、見ましてですね。まあ、いろんな、あの、いろんな知識を、ま、ある程度知ることができたんですけども。……それで、その中で、まあ、特に、あの、どんな検査やるのかとか、あるいは、検査のやり方ですとか、それから、その検査は痛くねえかとか。あるいは、手術、手術は痛くないとか。手順とか。ま、そういうものを、まず、どんなことをやるんだろうって、ま、知りたいなということで。それで、その、いろんな本からそういうことは知ることができたわけです。それから、その本の中では、早期発見すればですね、で、治療すれば、がんは死なないということが、この、いろんな本の中から知ることができまして。えー、ま、そこで、がん、そんなに恐れることないなというふうなことでね、ま、えー、初めてそこで安心したわけなんですけど。まあ、これで、がんと向き合って、とにかく、家で、家で闘おうという、ま、気持ちになったわけですね。

私は: です。

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