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診断時:56歳
インタビュー時:59歳(2008年5月)

近畿地方で設計事務所を運営。2004年秋、頻尿のため地元の病院を受診。PSA値147、グリーソン・スコアは9(5+4)、病期はDに近いCと診断される。セカンドオピニオンを聞きに行った病院で、5年生存率は2割と聞きショックを受ける。インターネットで、IMRT(強度変調放射線治療)をやっている病院を見つけて、治療を受けた。ホルモン療法は放射線照射前のみ。術後3年余り経過してPSA値は安定している。

語りの内容

―― その、奥様に、あの、がんかもしれないというようなことは、その、えっと、先生のところに一緒に行かれたときに奥様はそれを最初に知られたわけですか、それともその前にご自身が。

えー、前に知りましたですね。私が、その、PSA147いうのを聞いて帰って、それで自分でその147をざっと調べたら、これはもう、その、白か黒かといえば黒に間違いないな、もうこれははっきりしてましたんでね。黒というか、まあ、もう普通に考えれば末期じゃないかというような気もしたぐらいですから、えー、まあ、その時点で自分では分かってました。で、それでですね、その日に、147だと聞いて帰ってきた日に、私の場合は、次、針生検受けてくださいと。で、それの入院の日取りの予約までとって帰ってきてたんです。病院のパンフレットや何かも全部もらってきてたんですよね。それをひょっとテーブルの横っちょに置いたままにしとったんですよ。それをうちの家内が先に見つけましたね。この入院、何?というような話で、まあ、それだけ聞かれたら、あの、言わんわけにいかんようになって、これこれだと、まあ、多分がんだろういうのは言いましたね。ただ、まあ、そのときには、私自身は、ネットでずっと見ながら、これ、多分がんだろうというよりは、もっと、もっとひどいんじゃないかという気は自分では十分あったんですけど、家内には、がんかもしれんから検査になったというような言い方しかしなかったですね。転移しているからもしれんとか、そこまではとてもじゃないが、そんなことは言えない。じっと我慢してたいうことですかね。

―― 奥さまはどういうふうに受け止められましたか。

うーん、どうだったですかな。いやー、まあ、私は普段からあんまり、その、こまめに嫁さんにサービスしてるほうじゃないから(笑)、そんなこと少々言うたぐらいじゃ笑い飛ばされて終わりか、ねえ、そんなぐらいだろうと思うてたんですけど、まあ、意外にちょっと半泣きになったというか、ああ、やっぱりこういう話では泣くんや思って、妙に感心しましたですね。

私は: です。

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