インタビュー時:50歳(2017年2月)
疼痛期間:20年 
診断名:右脳被殻出血、右顎関節症。

甲信越地方在住の女性。一人暮らし。45歳の時に脳出血により、左半身不全麻痺になり、現在も左半身全体に強い痛みとしびれがある。強い痛み止めを飲んでいるため、足の指の骨折にも気がつかないほどである。さらに20年来の顎関節痛があり、口腔外科も受診している。現在は、頓服の痛み止めを使い、訪問看護などのサポートを受けて日常生活はなんとか自立できている。就労支援の一環で、革で小物を作る作業をしており、好きなことに集中していると一時でも痛みから気をそらすことができる。

プロフィール詳細

20年来続く右顎関節症の痛みと、45歳の時に右脳被殻出血により、左半身不全麻痺になり、その後から現在まで左半身全体に強い痛みとしびれが出て、現在もその状況は変化なく続いている。特に痛む所は、左手全体と首回りであり、しびれは1、2年の間で踵まで広がり、ビリビリ、ジンジンしている。

白鳥さん(実名)は20代から44歳までは東京に住んでおり、パソコンを使った編集デザインの仕事に携わっていた。30歳ごろ虫歯をきっかけに顎に負担がかかるようになり、その後顎関節症と診断され、マウスピースを装着し治療を受けていた。しかし、痛み止めや湿布薬を使っても、吐き気を催すぐらい肩こりがひどく、うまくコントロールできなかった。気持ちが落ち込んで、20代後半からは、心療内科の治療も受けたが、余計に自分の気持ちを閉じ込めてしまうこともあった。一時は心療内科で処方されていた10数種の飲み薬を使っていたが、手術をする必要がある病気にかかり、それを機に全て中止となった。現在は寝る前に頓服の痛み止めと、睡眠薬、精神安定剤を飲んで眠ることができている。

甲信越地方に帰郷した1年後に、右脳被殻出血により、左半身不全麻痺になり、その後から今日まで左半身全体に強い痛みとしびれが残っている。現在は、顎関節症の痛みより、左半身全体の痛みの方が強く感じている。

訪問看護やホームヘルパー、訪問リハビリ、訪問マッサージ制度を利用しながら、公営のシルバー・障害者向け住宅で一人暮らしをしている。

左半身が動かなくなったことは、「動かないんだと、するっと受け入れた」が、その後のリハビリを受けられる期間が過ぎたときに、望みが絶たれ、痛みも残った。入院中のリハビリの先生がとても良い関わりをしてくれたので、裏切ることはできないという一念で、痛くても頑張って生活する気持ちになった。しかし、退院後は訪問リハビリの理学療法士など医療関係者から、なかなか治る見込みがない痛みに対して、「限界を感じている。やれることはやった」と言われたことがあり、見放されたように感じショックを受けたこともあった。

現在は、運動主体のディケアサービスを自分で探し、体を動かすことができることに喜びを感じている。また、外出が少なく家族や近隣との交流が少ない自分にとって、新たに契約した週2回の訪問で指圧やマッサージをする先生が来てくれることは、自分の体をよくわかってくれて、体を動かす良い機会となること以上に、定期的に訪問してくれる人がいるという存在そのものが自分の希望になっている。

就労支援の一環で、近所で野生の鹿の獣害駆除で出た革を使った小物を作る作業に従事している。鹿の貴重な命を橋渡しできる小物作りの作業を通して、鹿の命と対話し、小物を使う人が喜んでくれることを思い浮かべていると、作業に集中して気が紛れて一瞬でも痛むことから意識が外れることがある。自分が好きと思える事に向き合っているそのことで、痛みから離れられる事を実感している。
 
現在は脳出血の後遺症のためリハビリ治療を受けており、痛みもあることから就業しておらず、収入源がないため、経済的には困窮している。福祉制度など担当医師から詳しく教えてもらい、医療費が1割負担になったことや、福祉医療資金の貸付制度を利用しているが、以前は、制度を知らずに3割の医療費を支払っていた。地方に住んで、さらに障害を持つと情報に触れる機会が少なくなり、近所の中核病院までの距離も遠くなり、自分に必要な病院を選んだり、医療制度に繋がったりするのが都市部と比べ難しいと思っている。

私は: です。

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