月別アーカイブ: 2021年8月

新型コロナウイルス感染症の語り

今夜がヤマと言われてもさほど苦しくなくて、人はこんなにあっさり死ぬものかと思った。ヤマを越えたときには周囲に対して「感謝しかない」という心境になった(音声のみ)

今夜 がヤマですって言われたんですね。今夜がヤマですって。 あ、本人に言うんだって(笑)。本人に言うんだなって思いました。ええ。その、そのときです、はい。あ、死ぬのかな。「寝たら死ぬ」っていう、なんか、その、遭難じゃないですけど、ええ、なんか、そういう状況なんだなと思いましたけどね。はい。本当、ええ。

楽な、楽なんですよ、うん。全然。なんかその、なんか死ぬ間際にこう、うう、死ぬとかってやるじゃないですか、よく。こう。苦しくないんですよ(笑)。死ぬ、人(が)死ぬときって怖いなって思います。ああ、こういうあっさりしたもんなんだなと。ええ。今夜ヤマですっていう。ああ、ヤマ、2回くらい言われたんです。ヤマですって。で、次の日に朝起きて、ヤマ越えましたかっつって、越えましたって言われて。ああ、そう、よかった、よかったっつって(笑)。そう、ヤマ、ヤマ越えたって。そのときですかね、死んじゃうかもって。

あとは、なんか、うん、全然死ぬ感じはしなかったですけどね、うん。もしかしたらこういう、もう、死にそうっていうのはもしかしたらものすごく、え、あの、苦しいんじゃなくて楽なのかもしれないですよね、ええ。そういうのはなんか今ちょっと思ってますね、はい。

――ヤマですっていうのは、その、(パルスオキシメーターの)数値がすごく低かったからそういう話になったってことなんですか。

そうですね。やっぱりその、恐らくその酸素濃度だと思うんですよね。で、ずっとそのセンサーを体につけてるんですけど、そのセンサー自体がもうピーピーピーピーものすごいうるさかったんですよ。で、これは、まあ、自分も、その、息子が、その、さっき発達障害だっていう話をしたんですけど、実は息子って、うんと、心臓に疾患があって、死にかけたんですよね。で、そのときも、その音って覚えていて。アラーム音と全く一緒だったっていうか、あ、これだと思って。あ、俺、あ、そうかみたいな。これ、ヤマなんだなって。確かに子どももそのときヤマです、ヤマ越えてるんですよね。はあ。親子でヤマ越えて。

やっぱりその、ヤマ越えたっていう部分もあって、まあ、うーん、なんていうんですかね、ある程度開き直ったという、なんかそんな感じはありますかね。うん。変な。多分、前の自分だと、こういう場(インタビュー)も多分やらなかったんですよね。うん。でも、なんか、やろうかなって思ったのは、なんかそういう心境の変化もあったと思うし、まあ、自分が役に立てればなっていう、なんか自分が、そうだな、まあ、なんていったらいいかな、感謝しかないっていうなんか言葉が出てきたんですね。その、会社の中でもそうなんですけど。うん。なんか感謝することを覚えたというか。

どちらかというと、その、病気になって、周りがいろいろ心配してくれてっていうようなところあって、ま、それが体感できるようになったっていうのは、よかったのかなっていう気がしますね。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

これまでにも大きな病気をして命が危ないことが結構あった。今回のことで、自分に大きな変化はなかった(音声のみ)

――あとは 、そのー、まあ、ほんとにつらい、身体的にすごくつらい、もうほんとに結構、命が危ないぐらいのところまで行ったんだと思うんですけど、そのことで何かこう、ご自身の何て言うの、人生観とかに変化とかってありましたか。

普通でそういうふうに聞かれたら、あるんですよって言うんだと思うんですけど、私、今まで、あのー、もう、命危ないっていうことが結構あったんですよ。なので、特に今回こうだからっていうのは感じないですね。あのー、…それより、それ以外のところ、それ以外のちょっと命が危なかったときのほうが、ああ、もうこのまま死んでしまうのかなーと、まあ、そのときも意識不明の状態だったんで、そこまであんまり思わなかったけど。そういうふうには、その、そのときのほうがつらかったのかなあ。…もうそのときは、亡くなる、かも、可能性があるというふうに言われてたらしいので、私はもう意識不明の状態でしたから、あのー、あまりというか、ほとんど分かりませんけど、 …もう。

――あと 、そのー、このコロナ経験をしたことによってご自身が何か得たというか、学んだとか何かありますか、そういうことは。

いや、特にないです。

――これはじゃあ、もうこの経験そのものは、んー、意味を、なんか意味があるかっていうと、特に意味なんかないよって感じですかね。

んー、今は感じません。ある…かもしれませんけど。…だから、そうですね、感じないですねえ。…ただ、まあ、亡くなるかもしれないっていうときには、もうちゃんと身辺整理しとかなきゃなっていうのは(笑)思いましたけど。

――特にその後、何かじゃあ身辺を何とかするとか、戻ってきてからしたとか、そういうことはない?

まあ、少し片付けてはいますけど、そんなんじゃ追いつかないぐらい、うちは汚いなと思って(笑)。

新型コロナウイルス感染症の語り

仕事について考え方が変わった。これまでかなり頑張って仕事をしてきたが、これからは家族や自分のことにもっと重点をおいてもいいと思うようになった

――あの ー、このコロナ体験の前と後で、何かご自身、大きく変わったことっていうか、例えば何だろう、日常生活が変わったとか、あるいは、えーと、人生が変わったとか、それぐらい大きく何か変わったみたいなことってありましたか。

まあ、はっきり言って、かなり頑張って仕事してたと思うんです。まあ、いっぱい患者さん診て、いっぱい手術して、えー、なんか、有名、有名な医者っておかしいな。いっぱい患者さんが来てくれるようになったらいいなとは、ちょっと思ってたんですけど、まあ、それやるとやっぱり自分の生活もこう、犠牲が出てきますし、えー、まあ、そこまで一生懸命仕事せずにちょっと楽しいこと、もっと自分のために、家族のために、やれることがあるんなら、そっちに重点を置いてもいいのかなとはちょっと、思ってますし、多分だいぶ大きく変わりました。だから、家族からしたら、なんでこう、なんか、家にずっといるんだろうとか、ちょっと思われてるかもしれませんね、以前と比べたら。

――おうちで過ごされる時間とかも、ご家族と過ごされる時間とか、ずっと増えた感じですか。

そうですね、ちょっと増えた気はします、はい。まあ、…うん、ちょっと増えたかな。ちょっと増えたぐらいですけどもね、まあ、自分でなんかこう、楽しいことちょっと…家族とも含めてですけどもね、あのー、時間をちょっとつくれるように、考える機会は増えたかもしれないですね。じゃあ実際できてるかっていったら、できてるかちょっと分からないです。今、あのー、外出がなかなかできなかったりもするんで、はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

コロナ感染はかなりの重みのある出来事で人生の教訓にしなければと感じたが、他の人にうつすことなく順調に回復したので、だんだん普通に戻ってしまった(テキストのみ)

――あとですねえ、今回この、コロナウイルス感染症というこの病気は、何だろう、ご自身にとって、どういう経験だったっていうか、なんか人生を変えるような経験ではなかったのか、それとも結構変わったのか、物の見方が変わるぐらいなことだったのか、どうですか。

ああ、そうっすねえ。なんか、なった瞬間とか、「うわっちゃー」と、かなりの、その、重さあったんすけど、もう幸いにもほんまに、ねえ、僕と濃厚接触者とか周り、陽性なった人いてないんで、うーん、そうですねえ。

これ、あかんところは、結構なんかうまいこと行ったら、なんかそのまますーっと行っちゃうんですよね。ほんで、今まで、こういう人生を歩んできてしまったんですけど。教訓にはせなあかんなあと常に思うんですけど、なんか、知らん間に自然に戻ってきてますよね、なる前と。

ただ、ただ、もうコロナで意識変わったの、とにかく、衛生面に関するあれはなんかすごい身に付いてきたし、まあまあ、それは日本全国的にそうじゃないですか、インフルも少ないし、ねえ。うーん。

せやから、そうっすねえ、精神的に、うーん、…うーん、なんかだんだん和らいできちゃいましたね、正直(笑)。なんか、そんときはあれやったけど、今はほんまにうまいこと行ってくれたんで。だから、普通に戻っちゃいましたね、ほぼ。

新型コロナウイルス感染症の語り

コロナ感染をきっかけに、誰も何も決められない状況でも、自分をしっかり持って、一人ひとりが考えて、行動するということが広がっていくといいと思う(テキストのみ)

――そうすると、まあ、もう少し日常生活のことも含めてなんですけど、COVIDになったことによって失われたものと、それからその、失われてしまったので、それが戻ってきてほしいと思うものと、戻ってこなくていいよって思うものとあるのかなっていう気がするんですけど、その辺り何かこう、思うとこがありましたら、お聞かせいただければ。

失ったもの。あんまり、そのー、失ったとか戻ってきてほしいとか、そういうことはあんまりないかな。うん。かえって、私としてはなんかすごくこう、うん、こういう、これからCOVID、このCOVID-19に限らず、きっとこれからも新しい感染症って言うんですかね、新興感染症は、もう次から次へと出現してくる可能性のほうが、私は高いと思っています。

それこそ新型インフルエンザが出たのが、多分10年ぐらい前だと思うんですけども、ま、大体10年スパンぐらいでこれまでも、スペイン風邪もその、インフルエンザ、一番最初のスペイン風邪のときから、ずっと、10年20年単位でどんどんどんどん新しい感染症が出てきていて。それこそその度に、まあ、たまたま日本は島国だったから、そんなにこんなパンデミックで大変なことにならずに済んでいただけで、世界、地球上ではもうそうやって起こってきているわけだから。

これからもどんどんそういうふうになっていくし、これだけIT技術が進歩したのも、なんかそういう必然性が、あったんじゃないかなっていうふうに思うぐらいなので、まあ、これからはそういうものに対応していきながら、こう、もっとこう、こう、自分自身みたいなところをもっとしっかり持っていくというか、それはでも、すごく古代からの原点回帰なのかなっていう、逆に。すごーく、それか、はるか古代の昔ってのはやっぱり、多分、個がかなりもっとしっかりしていて、だからこそ、もっと人と人とが手を取り合って、つながらなくちゃいけないっていう意識が生まれてきていたわけだから、そういうところに寄与していくんじゃないかなっていう、思っていて。

なんか最近はその個が逆に薄れて、すごく「みんなでみんなで」みたいな、そういうふうになっていたからこそ、なんかこういうふうに、全体がこういうふうになってしまったときに、誰も何も決められないでっていうふうな状況に。なんか1人1人がちゃんと自分で考えて、自分で自分の行動をこう決めていくっていう、自分で自己責任を持っていくっていうことができて、初めて人と人とってつながれると思うんだけども。そこがやっぱり今まではなかったような気がするので、これをきっかけに、そういうふうなところが広まっていくといいんじゃないかなというふうには思っています。

新型コロナウイルス感染症の語り

小さい子を抱えての自宅での隔離はしんどいけれど、良いことも悪いことも起きて、その都度学ぶことができた。そういう姿を子どもに見せることができたのは良かった

――まあ、 この経験(笑)、今回、本当に大きな事故というかね、…はなく、どなたも、皆さん元気で今戻ってらっしゃるということなんですが、この経験で、どんなことを得たっていうか、何を学んだっていうふうにご自身では思われますか。

いや、本当に結構大変な1カ月を過ごしたんですけど、まあ、人生にはいいことも悪いことも起きるんだなっていうところで、ま、いいことも悪いことも引き受けて、その都度その都度でどういうふうに、じゃあ自分はどうする、このおうちはじゃあどうするっていうのを決めてやってくしかないんだなっていうのがすごく勉強になったし、そういったことを、まあ、子どもまだ小さいですけれど、子どもにもそういうところを見せられたのかなっていうのは勉強になりました。

新型コロナウイルス感染症の語り

「ママ病気なんだよ」と説明しても子どもには分からない。「汚いから来ちゃダメ」と、子どもも自分も泣きながらの毎日が繰り返された

で、お父さんが一生懸命、説明するんですけど、分かんないですよね、感染症とか。風邪でもない。やっぱつらかったのは、「ママはね病気なんだよ、ママ病気なんだよ」ってうちの夫が説明した長男は、その、3歳になったほうが長男、「ママね、キスしていいよ」って言うんですよね。で、それは、YouTubeで、風邪を引いた赤ちゃんにママがキスを「早く良くなってね」と、抱っこするYouTubeがあって、だから「ママ、キス、ママ、キスしていいよ」だか、「キスしてあげるよ」かな。私が、風邪っていうか、病気でもキスはできるというので、そういうふうに言ったんですけど、そのキスもできないと。

トイレに行くときはパパに「トイレごめん、行くね」って言って、そうすると「ママが出るから」って言って一生懸命、夫は子どもたちを押さえて、でもそれでも、ぱーっと夫の手をすり抜けて行くと、夫がこう、首根っこじゃないですけど、こう引っ張って戻して、もうその瞬間もう、もうなんかもう、阿鼻(あび)叫喚じゃないですけどぎゃーってやっぱ、泣いて、そんなのを見ながらもう「ほんとごめんね、ほんとごめんね」って言いながら、もう、説明ができない。なんでこういうことになったのか。

夫に一番感染させてもあれだから、そのー、…スイッチとか全部拭いて、だから行って帰ってくるだけじゃなくて、行きながら自分の痕跡を消しながら、で、トイレとかして、で、また元来たところ拭きながら戻る。もう、どう見てもおかしい、子どもからしても。「ママ何してるの?」「ママね、汚いから」って言って、「ママ汚いから触っちゃいけないんだよ」とか言って。でね、ドアのこういう、分かりやすく言うんですけど、下の子が、1歳半だったんですけど、当時。私がドアを閉めるときに、私が隔離、自分で自己隔離してた部屋は鍵がかかんないから、普通にドア閉めるしかないんですけど、で、そしたらこう、手をこう入れてくるんですね。ドアノブじゃ、あの、一生懸命、手を入れたら私が閉められないと。それで、ドア閉めさせないでもう「ママ、ママ」泣きながら。

夫もね、「駄目!ママんとこ行っちゃ駄目!」みたいな、やっぱ最後すごい怒るけど、「ママんとこ行っちゃ駄目」って怒るお父さんなんかいないじゃないですか。それが、もう多分、長男はね、なんかそれもびっくりして、なんかもうおびえちゃって、なんでパパこれで怒ってんの、みたいな。でー、もう、下のほうは泣き止まないし、私も泣きそうだし、長男も理解しようとして、なんでこんなに自分の両親が怖い顔して、自分たちがママんとこに行くのを引き離そうとしてるのか、一生懸命理解しようとするんだけど、もうよく分かんないような顔で、途中から夫(が言うに)は、上の子はなんかね、…泣かなくなっちゃったんですよ、急に。で、下の子が泣いてても「んー、ママ病気なんだって」とか言って、すごい、急に途中で、なんか冷めた感じになっちゃって、だからほんと無理やり大人にさせちゃったかなっていう感じで、すーごくそれはつらくて、そんな1週間、家であって。

新型コロナウイルス感染症の語り

陽性が判明してすぐに娘たちもPCR検査を受けた。自分が陽性と聞いてもショックはなく不安はなかったが、娘たちがみんな陰性でよかったと思った(テキストのみ)

まあ、熱が出たのが土曜日だったので、土曜日の2日前、「木、金の行動はどういうふうな感じでしたか」っていうことを(保健所の人に)聞かれて、で、結局は、あの、いわゆる濃厚接触者に当たるのが、「ご家族だけでしょう」ということになりましたから、家族、まあ、私、娘と3人暮らしなんですけど、3人で、と私、入れて4人で暮らしておりますけど、娘3人が、結局は、検査の予約をそのままそこで取っていただいて、まあ、娘たちも、(自分が)陽性だっていうふうに分かって、もうすぐに、予約を取ってもらって、その日のうちに、PCR検査を受けに行って、で、翌日、まあ、全員、陰性だったんですね。幸いなことに、娘たち3人とも陰性っていう結果だったので…。

――で、その、言われたときですね。「あなた陽性ですよ」って言われたときに一番こう、感じたことというか、思ったことっていうのはどんなことがありますか。

ん―、別に、「あ、そっか」っていうか、「あ、やっぱりな」っていうそんな感じですけど、特に、なんかすごい、何て言うんですか、世間で言われてるみたいにショックでどうしようとか、こうしようとかっていうことではなく、ま、たまたま、ちょうど、その病院に行かなくちゃいけない仕事が空いている、ちょうど2週間が空いている、ちょうどそのときだったので、はい、「よかった」っていう感じです。

――その、やっぱり全然そのこと、一般の方と違って医療関係者でいらっしゃるってこともあって、知識とかがやっぱり、もともとおありだったと思うんですけれども、そういう意味では、その、自分がこれで死んじゃうかもしれないとか、そういったことは感じられなかったってことですかね。

んー、まあ、もしも、その、例えば、あの、言われているようにですね、何日かたって、急に例えば息が苦しいとか、そういう症状がある、あったら多分、少し考えたんでしょうけど。まあ、発熱してから、とりあえず土曜日、発熱して、月曜日に病院に行き、それで翌日分かり、で、結局、調整なりなんなり、ホテルに行くことに決まったのがその翌日でって、もう発症してから、そこでもう5日間ぐらいたっているわけで、その時点で、特に息苦しいとか何とかっていうことがあるわけではなかったので、ま、そんなにそこまで死んじゃうかもしれないとかっていうふうにはならなかったですし、娘たちがみんな陰性だったっていうこともあって、そこは、よかったなっていうふうに思っていたので、はい。特にそこまで、あの、死ぬかもしれないみたいなところまでは思わなかったですね。

新型コロナウイルス感染症の語り

保健所から発症して10日経ち、感染性はないから外に出て大丈夫と言われたが、それが世間には知られていないので、PCR検査で陰性を出さなければ職場復帰は難しい

えー、1月12日に保健所のほうから電話が掛かってきて、「もう発症してから10日間たったので、もう人にうつすことはありません、もう明日から、外に普通に出て大丈夫です」というようなご連絡をいただいて、それでも、やはり…えー、仕事の復帰をするのは難しいだろうなと思いました。あの、あまり10日間で人にうつすことがなくなるっていうことが世間では知られてないと思うんですが、それを言ってもなかなかこう、PCR検査で陰性を出さなければ、えー、心配される方が多いので。特にやはり、あの、私、バイオリン教えているので、その…教室の生徒さんなどにご迷惑がかからないように、えー、PCR検査を受けて陰性が出てから復帰ということに、えー、しなくてはいけないかなと思いまして、実際には19日に、えー、またPCR検査を自分で受けに行って、えー、やっとその翌日陰性が出て、社会復帰することができました。

――それで、こう、もう堂々とお仕事できるなみたいな、そんな感じだったんでしょうか。

えー、堂々というか、ま、陰性の証明をして社会復帰ができるっていう感じですね、うん。とてもうれしかったです。

――ってことは、それ(陰性証明)がない状態で、(保健所から)口頭で電話で、「あなたもう大丈夫ですよ」って言われるだけっていうのは、やっぱりすごく、あの、社会生活をしていく上ですごく不都合があるってことですかね。

そうですね。あの、特にそういう音楽教室などでは、ちょっと、PCR検査で陰性が出なくては復帰は許されないのかなというプレッシャーがありました。

――はっきりそのPCR検査受けてくださいって言われたりもされたんですか。

え、言われたりはしなくて、こちらからPCR検査を受けて陰性が出てから復帰しますっていうことを言いました。

――じゃ、なんとなくその空気を察してしまって、そういうふうに思われたということですね。

そうですね。やはり自分も自信を持って復帰できないと思いましたし、そういうこともあるので、ま、ぜひ、あの、PCR検査、あの、コロナにかかった人は、例えばその療養期間が終わって1週間とか、まあ、1カ月以内に1回だけただで受けられるっていうようなシステムを作ったほうがいいんではないかなと思います。

――あるいはもう、その、世間の人がみんなその辺のことをちゃんと理解すれば。

そうですね。

――ま、いいかもしれないですけどもね。

うーん、でも、やっぱり心配ですよね、理解していても。陰性が出たと言われたほうが安心なのかなと思います。

――それはそうですね。やっぱり、その、自分が万が一まだ、ウイルスがあったらどうしようっていうのは、確かにずっとやっぱり不安ですよね。

はい。あの、人にうつす心配ですね。今までは自分がうつる心配をしていましたけれど、人にうつしてしまう心配をずっとしていました。

新型コロナウイルス感染症の語り

その後3カ月くらい下の子は親の姿がみえないと大泣きし、上の子もチック症が出た。小児科で「不安の表れ」といわれたので、叱るのをやめ、いっぱい抱きしめてあげた

子どもの話で思い出すのは、あのー私が帰ってきたのはいいんですけど、その後やっぱり子どもの心と体、体はないですね、心ですかね。やっぱり結構な影響があったんですよね。で、やっぱりあの、ママが突然、自分たちの目の前から、消えたというか、感染症とかそのコロナってことが分からない子ども、年だったので、まあ結局、今も分かってんのか分かってないのか、分かんないんですけど。

しばらくはやっぱり特に下の子なんかは、私が一瞬でも家の中、家にいるのに、もう退院したから、なんかトイレに行ったりとか、一瞬でも、一瞬でも視界から離れると「パパどこー」みたいな、「ママいるー?」みたいな。ママがどっか行っちゃうんじゃないかみたいな感じで、発狂したような泣き方をして、あとは突然夜起きて、夜泣きとかそれまでしなかったと思うんですけど、「ママいる?」とか言って、結構、何て言うんですかね。あのー…、おびえるようになってしまいましたね。なので、それで上の子どもは、チック症っていうか、目をパチパチパチパチするような、ちょっとその、これまでなかった、ちょっと乱暴になってしまったりとか、そういう、今までとちょっとこの子変わっちゃったなっていうのがちょっとあって。で、心配になって小児科に連れてったんですよ、かかりつけに。

かかりつけの先生が、「やっぱね、それはもう不安の表れで、ママが突然こんなことになっちゃって、自分でも理解できないから、とにかく今は『ママは、ずっともういるからね、元気になったから』と、いっぱい抱きしめて、いっぱいハグしてあげて、とにかくなるべく一緒にいてあげて、もう安心するしか、安心させるしかないんだよ」って言われて。だから、その「チック症とかも多分、一時的なものと思うから、ストレスだから」と。「とにかくストレスだよ」って言われて、それで言われたとおりにもう、2カ月3カ月ぐらいかかりましたね。

それは。子どものその、ちょっと乱暴な。今も、意識的にもうなるべく一緒にいるし、あんまりもう、なんかこう、食べ散らかしたり、おもちゃ片付けないとかでも、もう全然、絶対怒るのやめようと思って、とにかくずっと一緒にいる、何かあっても。で、私もこう抱きしめてあげられることの、他愛のない、だけどすごくそれが、いかに幸せなことなのかってのをやっぱりすごく感じたので、もうすごくそれは幸せだなと思っていたので、もうずーっとギューってしてあげたいっていう感じだったので、で、そのうち、その次男の夜泣きとか、その長男のチック症っていうのはよくなりましたね。