応援メッセージ(金澤一郎さん)

「知らないことから来る不安」を解消するために

私が医学部を卒業した昭和42年当時は、「病気になったらお医者さんにすべて任せておけば良い」という風潮であったと思います。医療訴訟などはめったになく、あっても多くは医療側の勝訴に終わるという時代でした。ですから、札幌医大で昭和43年の夏、突然心臓移植が行われて一時は成功したように見えた時、一般市民だけでなくマスコミも「賞賛の声」を挙げました。けれども、移植を受けた宮崎君が亡くなって我に帰ると、「溺れた心臓提供者は本当に死んでいたのか」、「宮崎君は本当に心臓移植を受ける必要があったのか」など、よく考えれば当然の疑問に気付くのでした。日本においては、これが「医療に対する不信」が本格的に芽生えた初めての出来事であったと思います。

以来40年余り、日本の医療も大きく変わりました。医療は高度化し、脳死者からの心臓移植も許される時代になりました。もう一つ大きく変わったことは、心臓移植事件をきっかけとして「患者さんが医療を自分の問題として考えるようになった」事です。勿論今でも「先生にお任せします」という患者さんもおられますが、自分の受けるべき医療の内容を知っておきたいと考える人が圧倒的に増えてきました。医師がこの変化をキチンと受け止める必要があるのですが、「空気を読めないお医者さん」がまだ少なからずいることが、色々と問題を生んでいるのではないかと思います。大変残念なことです。

「患者さんが医療に参加するべき」とよく言われます。しかし、よく考えると実際には非常に難しいことでもあります。最近、3種類の抗癌剤の中からどれを選択するかを明日中に回答せよ、と担当医に言われて困り果てた癌患者さんから相談を受けたことがあります。専門的知識がなくては選びようがなく、医者の責任回避ではないかと疑りたくなります。患者が医療に参加した形だけを作ってもしょうがないのではないかと思います。

医療への参加の「形」と言えば、患者さん同士が体験を通して医療情報を共有するのもその一つであって、患者さん達が勉強するのに医療側が全面的に協力するというのが大変望ましい「形」のように思います。そういう意味で、「患者の会」などで、お互いに病気のことを話し合うのは大変良いことであると思います。実は、私はここ何年か「全国脊髄小脳変性症友の会」の依頼で、患者さんやそのご家族からの電話での相談をお引き受けしています。この相談を通じて感じていることは、「主治医の先生に聞けばよいことなのに、どうして電話相談してくるのだろう」とか「主治医が本来説明しているはずのことなのに、どうして患者さんや家族は知らないというのだろう」といった素朴な疑問でした。勿論、通常の外来で「複雑な病態や治療法などについて丁寧な説明」を一人ひとりに対して行っていたら時間がかかり過ぎることは明らかでしょう。でも患者さんの側から考えれば、「知らないことから来る不安」は計り知れないものがあって、電話相談でもして見よう、という気になのも頷けます。

脊髄小脳変性症の方々には偶々私がやっていますが、いかなる病気についてでも電話で疑問をぶつけることができるとは限りません。だからこそ、「知らないことから来る不安」を少しでも解消するために、患者さん同士が自らの経験を語り、その情報を多くの人たちと共有する、という「ディペックス」の活動は貴重です。ある一人の患者さんの経験は他の多くの患者さんに当てはまることもありますが、その患者さんに特有であって他の患者さんには全く当てはまらないこともあります。ですから、患者さんからの情報とはそういうものであるという相互に理解した上でやり取りする必要があるでしょう。それでも、自分が不安に思っていたことのほんの一部でも解消されるならば、大いに意義があるでしょう。患者さんの体験に基づいた「語り」は、その人にしか行い得ない、この世に二つとない貴重なドラマであると言えます。大切にしましょう。

金澤一郎(日本学術会議会長)

金澤一郎先生は2016年1月20日、すい臓がんのためお亡くなりになりました。これまでのディペックス・ジャパンへのお力添えに深く感謝しつつ、ご冥福をお祈りいたします。