理事長あいさつ

新理事長あいさつ

理事長 中山健夫

2006年のDIPEx-JAPAN設立準備委員会、2009年のNPO法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」の発足から長くディペックスの活動にご尽力されたこられた別府宏圀先生から2024年8月に理事長を引き継ぎました。

私は生まれも育ちも東京・新宿で、祖父と父は内科・小児科の(「町医者」という言葉通りの)開業医でした。今では当たり前の「駅近のビルの一室にあるクリニック」ではなく、(家族の生活の場でもある)自宅に患者さんが来られて診察をする「地域医療」の場でした。
祖父は私が生まれて間もなく他界したので直接の記憶はありませんが、父が白衣を着て仕事と家庭を行き来していた姿はよく覚えています。家族のすぐ隣の部屋には待合室、診察室、小さな薬局があり、父は原付きオートバイ(スーパーカブ)で往診に出かけ、毎日7時過ぎには白衣を脱いで家族と夕食を始めました。
2階にいた私は、夜中に受診した小さな子供の泣き声で目を覚まして、どうなっているのかなとこちらも子供心に心配を募らせ、しばらくして泣き声が止んで大人の穏やかな話し声が聞こえてくると(多分、父がご両親に「大丈夫だよ」と話をしていたのだと思います)、安心してまた眠りについたことが幾度もありました。

私は自然に医学の道に進み、(決して容易ではなかったですが)1987年に東京医科歯科大学を卒業して医師になりました。飯田橋の東京厚生年金病院(現在のJCHO東京新宿メディカルセンター)での臨床研修で経験したことは、多くのこと(多分すべて)が今でも鮮明に心に刻み込まれています。
1989年にご縁があって大学に戻り、人間を対象とする医学研究として疫学を学び始めました。間もなく「エビデンスに基づく医療(evidence-based medicine: EBM)」が1991年に生まれ、その後世界的な潮流を形成していきます。 私自身、その中で人間を対象とするエビデンスをつくる疫学研究から、2000年に京都大学に新設された公衆衛生大学院に異動すると共に、エビデンスをまとめて臨床家のより良い意思決定を支える基盤となる診療ガイドラインの課題に取り組むことになりました。
2004年・2005年に厚生労働省の研究班で米国のAHRQ(Agency for Healthcare Research and Quality)、英国のNICE(当時はNational Institute for Clinical Excellence)など関連組織を視察した時、「エビデンスに基づく」だけでなく、「患者参加」という考え方を大切にしていることが強く印象に残りました。

その訪英の際に偶然(もしかしたら必然だったかもしれません)出会ったのがナラティブのデータベース、DIPExでした。その時、研究班に同行してオックスフォード大学を訪問されたのが現理事・事務局長の佐藤(佐久間)りかさんで、別つながりでDIPExに注目されていた別府宏圀先生、北澤京子さん(現在ともに理事)と「日本でも患者さんのナラティブを大切にする取り組みを始めよう」と気持ちが一致して、初めに述べたDIPEx-Japanの誕生につながりました。

DIPEx-Japanは、病いと共に生きている当事者の方々、その支援に力を尽くされている方々、医学・看護学・社会学などの研究者が集まり、苦難を経験しながら共創的な活動(co-create)を進め、社会から応援をいただいてきました。誕生から約20年、DIPEx-Japanの今までを振り返り、今いるところを確かめ、これからどこを目指していくのか、改めて皆さんと考えていきたいと願っております。それではどうぞよろしくお願い申し上げます。

特定非営利活動法人 健康と病いの語りディペックス・ジャパン
理事長 中山健夫
(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野教授/同附属病院倫理支援部 部長)
2024年9月

初代理事長あいさつ

初代理事長 別府宏圀

「病いの経験の研究には何か根本的なものがあり、それが我々一人ひとりに、人間のありかたについて、患うことや死をも含めて、普遍的な何かを教えてくれる」

これは医療人類学の草分けとも言われるアーサー・クラインマンが、「病いの語り」(誠信書房/江口重幸他訳)という本の中で述べた言葉です。

患者の語る言葉に耳を傾けることの大切さを知らない医師はいないと思いますが、それは飽くまでも病気(Disease)を中心にした理解に過ぎませんでした。
病むこと(Illness)が、その患者にもたらす生活の変化、社会的・経済的変化、家族や友人との関係、不安・怒り・悲しみ・喜び・諦め・勇気・知恵、その全てを知ることで、はじめて病気と患者の全貌が見えてくるのです。

インフォームド・コンセントや患者の自己決定権、患者中心の医療という言葉が広く社会的に浸透したけれど、医療は一向に変わらないという批判が絶えないのは、このあたりに問題があるからかもしれません。
分かりやすい言葉で、患者の視点に立った説明をすると言いながら、実は自分たちの論理、自分たちの意向を伝えることだけに急で、相手の言葉から何かを学び取ろうとする姿勢が今の医療には欠けているのではないでしょうか。

患者とその家族は、日々の生活の中で、病気とつきあって行くさまざまな知恵や方策を自然と身につけてゆきます。彼等の言葉は、医師や看護師たちが考えた理論だけでは到底解決できない難問にもみごとな答えを与えてくれます。

病気はとかくネガティブに捉えられがちですが、病いを得たことで生きていることの意味をより深く理解する場合があり、そうした人たちの言葉が、同じ病いを体験している他の人々に、さらにはまた、健康な日々を無意識に過ごしている私たちにも力を与えるのです。

病い体験の語りをネット上に公開するディペックス(DIPEx:Database of Individual Patient Experiences)の活動がイギリスで始まったのが2001年、日本でもこれにならって患者の語りを収集しようと、私たちが最初の会合をもったのが2006年のことでした。

そして今、ディペックスの活動は、イギリス、日本だけでなく、ドイツ、スペイン、オーストラリア、韓国など10カ国以上の国々に広がっています。医師・看護師・薬剤師を育てる教育の現場でも、病いを語る人々の映像は広く使われるようになりました。

「患者にしか語れない言葉」の不思議な魅力に惹かれて、毎年私たちは少しずつ成長を重ねてきましたが、数ある病気の中で、手をつけたのはまだそのほんの一部にすぎません。やらなければならないことは沢山あるのですが、人手も財源も不足しています。

どうぞ私たちに力を貸して下さい。

患者さんや医療・福祉関係者だけでなく、社会学・心理学・IT・マスメディア・経営・マーケティングの知識や技術、あるいは生活者としての豊かな感性と行動力が求められています。あなたの参加が、いま病いと向き合っている多くの人々に希望と勇気を与えるのです。

特定非営利活動法人 健康と病いの語りディペックス・ジャパン
理事長 別府宏圀
2015年2月