理事長あいさつ

理事長 別府宏圀

「病いの経験の研究には何か根本的なものがあり、それが我々一人ひとりに、人間のありかたについて、患うことや死をも含めて、普遍的な何かを教えてくれる」

これは医療人類学の草分けとも言われるアーサー・クラインマンが、「病いの語り」(誠信書房/江口重幸他訳)という本の中で述べた言葉です。

患者の語る言葉に耳を傾けることの大切さを知らない医師はいないと思いますが、それは飽くまでも病気(Disease)を中心にした理解に過ぎませんでした。
病むこと(Illness)が、その患者にもたらす生活の変化、社会的・経済的変化、家族や友人との関係、不安・怒り・悲しみ・喜び・諦め・勇気・知恵、その全てを知ることで、はじめて病気と患者の全貌が見えてくるのです。

インフォームド・コンセントや患者の自己決定権、患者中心の医療という言葉が広く社会的に浸透したけれど、医療は一向に変わらないという批判が絶えないのは、このあたりに問題があるからかもしれません。
分かりやすい言葉で、患者の視点に立った説明をすると言いながら、実は自分たちの論理、自分たちの意向を伝えることだけに急で、相手の言葉から何かを学び取ろうとする姿勢が今の医療には欠けているのではないでしょうか。

患者とその家族は、日々の生活の中で、病気とつきあって行くさまざまな知恵や方策を自然と身につけてゆきます。彼等の言葉は、医師や看護師たちが考えた理論だけでは到底解決できない難問にもみごとな答えを与えてくれます。

病気はとかくネガティブに捉えられがちですが、病いを得たことで生きていることの意味をより深く理解する場合があり、そうした人たちの言葉が、同じ病いを体験している他の人々に、さらにはまた、健康な日々を無意識に過ごしている私たちにも力を与えるのです。

病い体験の語りをネット上に公開するディペックス(DIPEx:Database of Individual Patient Experiences)の活動がイギリスで始まったのが2001年、日本でもこれにならって患者の語りを収集しようと、私たちが最初の会合をもったのが2006年のことでした。

そして今、ディペックスの活動は、イギリス、日本だけでなく、ドイツ、スペイン、オーストラリア、韓国など10カ国以上の国々に広がっています。医師・看護師・薬剤師を育てる教育の現場でも、病いを語る人々の映像は広く使われるようになりました。

「患者にしか語れない言葉」の不思議な魅力に惹かれて、毎年私たちは少しずつ成長を重ねてきましたが、数ある病気の中で、手をつけたのはまだそのほんの一部にすぎません。やらなければならないことは沢山あるのですが、人手も財源も不足しています。

どうぞ私たちに力を貸して下さい。

患者さんや医療・福祉関係者だけでなく、社会学・心理学・IT・マスメディア・経営・マーケティングの知識や技術、あるいは生活者としての豊かな感性と行動力が求められています。あなたの参加が、いま病いと向き合っている多くの人々に希望と勇気を与えるのです。

特定非営利活動法人 健康と病いの語りディペックス・ジャパン
理事長 別府宏圀
2015年2月