応援メッセージ(落合恵子さん)

もしよかったら、少しだけ窓を開けてみませんか

2008年、夏。およそ7年間、自宅で介護をした母を見送った。

いまもって、心にできた喪失と悲しみの深い空洞は埋まらない。

愛するひとを見送ったものは誰でも、この空洞を抱えて生きていくのだろう。

それは、愛の証でもあるのだから、といまは思えるようにはなった。時々の号泣もまた、いまのわたしには慰めになってくれている。五十冊以上もある、介護日誌とともに。母の状態が安定しているときは、日誌のわたしの文字もまた「安定」している。そうでないときは、乱れている。それらも、母の微笑と共に、確実に母と共にあった日々のかけがえのない記録である。

それでも、あの介護の日々を思い出すと、息苦しくなるわたしがいる。

いま目の前にいる母の状態に対応することだけが、わたしの日常のほとんどすべてだった。

そんなわたしを疲れさせ、落ちこませ、苦しめたのは、介護そのものではなかった。睡眠不足も肉体的疲労も、なんとかできた。

むしろ、医療をはじめ、介護にまつわる人間関係、いや、関係性の希薄さこそが、わたしを時に絶望させた。

7年の間に何度か繰り返された、総合病院への緊急入院。

医師も看護師さんもあまりにも忙しく、病状の変化や退院してからの次のステップについて詳しいアドバイスや説明が聞きたくとも………。いつ、どこで、その機会をとらえるかに、心砕くしかなかった。それだけでくたくただった。

すべてが「はじめて」の前で、立ち竦むしかなかったわたしを支えてくれたのは、同じような日々の中にいる知り合いや未知のひとからのメールやファックスだった。

胃ろうについて思い悩む日々。同様の施術を受けたかたがたのご家族からの、詳しいアドバイス。それは、取り寄せた何冊もの専門書よりも、わたしの決断に力を贈ってくれた。便秘について尋ねれば、メールを通して少なからぬかたから、具体的な体験が送られてきた。ご自分自身、介護で時間的余裕のない日々の中にいながら送られてくる、当事者の言葉ほど、わたしを支えてくれたものはない。

あの当事者同士のサポートがなければ、わたしは精神的なバランスを崩していたかもしれない。

母を見送った後、そういったネットワークの必要性を痛感し、折に触れて書いてきた。
なんでもいい。ひとに語り、ひとの語りに耳傾けることで、変わる景色も空気も、確実にあるとわたしは信じている。

落合恵子(作家)