インタビュー内容テキスト

2006年5月24日水曜日の午後2時45分頃でした、息子が自動車事故にあったという知らせを警察からもらったのです。警察は、私の職場へ立ち寄って車で一緒に病院に連れて行ってくれたのです。道が混んでいたので、病院についたのは、4時45分から5時頃でした。待合室でしばらく待つように言われ、待っていると、やがて医師が出てきて会いました。その時点で、息子は亡くなったと分かったのです。ひどいショックでした。

もちろん、そうでしょうね。

心が受け付けなくて、何が起きたのか理解できませんでした。

誰がそのことを説明してくれたのですか?お医者さんですか?

病院の研修医でした。ベストを尽くしたのだけれど、蘇生できなかったと言ってました。心残りは、その日の朝、彼は大学にでかけたのですが、彼は既に法律でファースト・クラスの優等学位を取得し、もうすぐ修士課程を修了するところでした。ハーバード大学での職を待っていたところだったのです。彼は全ての時間を自宅で勉学に費やす若者でした。彼にとっては、母親が最高の友人でした。彼は社交的なことや会合は得意なほうではありませんでしたが、その日は、朝刊を読んだ後、ロンドンで何人かの友人に会い、映画をみて、それから食事をするという約束をしていました。外出して街で夜を過ごすなんてことは、ここ5~6年で初めてのことでしたから、母親には「10時から10 時半頃の帰宅でも構わないよね。駅で拾ってくれる?」と尋ね、母親もそれに同意していました。
それは、ごく普通の日で、いつもと同じでした。私は駅で妻のサージットとアンドリューを降ろし、そこで見送って、それから職場に行ったのです。そして、なぜか分からないけど、その日は気分がすぐれませんでした。それが予感だったのか、それともただの気分だったのかわかりませんが、不快感を覚えていました。妻もその日は、保健省の会議に出ていたのですが、会議に集中できず、気分が悪く、お腹の痛みや足のしびれを感じ、説明のつかないむかつきを覚えていました。話があちこち行ってまとまらないで、済みません。

構いませんよ。

私は病院にいました。警察が、私をそこに連れて行ってくれたのです。私の親友も一緒でしたが、そこでアンドリューがでてくるのを暫く待つようにいわれました。初めに見たものは、命絶えて横たわっている私の息子でした。

お一人でですか?

そのときは一人でした。私の妻は後に来るはずでしたから。私の友達で、一緒に働いて医師らが途中で車に乗っけて病院へ連れてきてくれることになっていたのです。

しばらくは息子さんのご遺体と一緒にいることができたのですか?

ええ、しばらくは一緒に居ることが許されました。息子は打撲と傷だらけの死骸になって霊安室に横たわっていました。あんなに陽気で楽しかった若者が、冗談好きで、ひとと話すのが大好きだった子が。

車に撥ねられてですか?

はねられたのです、彼らの住居から4軒くらい先のバス停ではねられたんです。午後の2時45分頃でした、はねた車に乗っていたその3人の若者は、無免許で保険もかけておらず、何もない人たちでしたが、彼らの言によれば、速度は落としたものの、時速30マイルくらいでやってきてアンドリューをはね、ひっくり返って上下逆さまに着地したのです。ひどい事故にもかかわらず、彼ら自身が死ななかったことは驚きです。彼らは運が良かったのです。運転者以外は車から這い出して自由に歩いて行き、運転者は病院に運ばれたけど、足の骨折だけだったそうです。もちろん、病院は彼を治療し、私たちには充分の配慮をしてくれましたけど、大きな喪失感を感じました。

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