投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

テスは、自分がBRCA1とBRCA2遺伝子を持っているかどうかを明らかにするために検査を受けた。結果を得るまでにかなりの時間がかかったが、その情報は役に立った。

私はすでにがんになってしまったので、遺伝子の検査や検査結果に関してはあまり懸念していませんでした。どちらかというと私の妹にとって有益なもので、妹がわたしの検査結果を待っている間は、とても辛かったと思います。検査結果によっては、妹と私の子供達に、どのような影響をあたえるのかわからなかったからです。

しかし、それでも全ての情報は役立つものだと思います。私のこころの一部分は検査を望まなかったけれど、それでもよく考えると全ての情報は役に立つものだと思います。そして、私の検査結果によって、たとえば、私の妹も検査を受け、その結果によって、今後、彼女にどのような選択肢があるのかはっきりすると思うので、様々な情報は価値のあるものだと思います。それらは、決して良い経験ではないけれど。

テストを受ける事について考えている全ての女性たちのために何かアドバイスはありますか。どのようなことをするのでしょうか?

簡単な血液検査です。しかし、検査結果が出るまで、何ヶ月も何年もかかるかもしれないので、結果が出るまでにどれだけの時間がかかるのか心の準備をしていたほうが良いと思います。
もしかしたら、いつも時間がかかるとは限らないのかもしれないけれど、結果がでるまでにどのくらいの時間がかかるのか調べておいたほうが、そしてその結果が及ぼす影響をも考えておいたほうが良いかもしれません。
普通の血液検査ならば比較的すぐに結果がでて、その結果に基づいて決断を下すことができるけれど、この血液検査は、結果までに時間がかかり、そして、その結果もとても曖昧なものであると思います。

遺伝子の検査を始めてから、実際にその結果を知るまで、どのくらいの期間を要しましたか。

BRCA1の検査から全ての結果が分かるまでに、1年以上かかりました。私は検査を受けてから数カ月以内にBRCA1があるという結果を知りました。それから、BRCA2があることを知るまでに約1年かかりました。はっきりとは覚えていないけれど、確かに、遺伝子の検査結果がでるまでに、1年以上かかりました。

英国人の乳がんの語り

ジリアンは同じ箇所が再び癌になるとは全く考えていなかった。今回、彼女は非浸潤性乳管がん(DISC)を患った。

初めての癌の時、彼らが癌を治して、自分が健康になって、前に進めるって心底思いました。もちろんいつか他の場所に続発性癌ができるかもしれないっていつも実感していました。でもそれは、私が心配していたことではなかったですね。私は文字通り続発性癌を患ったことになります。

二回目の癌を私が取り返したとき、前回と同じ場所だったので、困惑しました。同じ場所に癌を取り返すなんて全く夢にも思っていませんでした。なので、困惑したけれど、でもそれは違う癌であるという事実しかありませんでした。全く同じ場所に違うタイプの癌ができたのだっていう事実さえ理解できない感じでした。

そしてそのことは、どこか他の場所にも癌が突然現れるのではないかと私に思わせるようになりました。その考えは、私が心配していることではないけれど、実際決して離れることはありませんでした。ただ時折、私は「ああ。」と思いますね。特にそんなに長い間、癌からある種開放された人々の物語を読むと、癌が戻ってくることを打ちのめします。

英国人の乳がんの語り

ジリアンは、経過観察のための定期診断時に実施したマンモグラフィにより非浸潤性乳管がんと診断された。

2007年5月、半年に一回の定期健診のため、外科医を受診しに病院を訪れました。腫瘍チームを受診した次の受診日には外科チームを受診していました。今回は外科医を受診し、他の女性に見せるために写真を撮ってもいいかと聞かれました。乳腺腫瘤摘出術を受けても、なんら大きな変化はありません。外科医の仕事は素晴らしいものでした。ほんの小さな線があるくらいで、くぼみなんてないと言ってもいいくらいだと思います。

ですので、私は「いいですよ。」と言いました。その後、外科医は「ああ、受けたことがあるんですか…?最後にマンモグラフィを受けたのはいつですか?」と言いました。私は、「1年以上前です。」と言いました。そして、彼は言いました、「では、あなたがここにいる間」、というのは、極めて長い旅(待ち時間)ですので、彼は、「私はあなたに紙片(カード)を差し上げます。(検査室に)行ってそれをやり遂げてください。」と言いました。

それで私は夫と一緒に移動して、少しの間(検査室の)まわりに座りました。その後、私は(検査室の)中へ入りました。検査スタッフは、片方ずつマンモグラフィの撮影をし、その後彼女はそこへ私を座らせたまま出て行きました。私は時間が長すぎると思わなかったですが、彼女が戻って来て「もう一つ別の撮影を行いたい。」と言いました。なので、もう一つ別の撮影を行い、そして再び私は少しの間座らされていました。その後、彼女は医師を連れてきました。そして、私は「これはあまり良くなさそう。」だと思いました。彼女が「服を着てください。」と言いました。私は主人のもとへ行きました。なぜなら、この時までに彼は再び、(そんな彼のために神の恩恵を祈ります・・・)、偏執症患者みたいに(病的なほど疑り深く)なっていったのです。彼らは私達を中に呼び入れ、私がDCIS(非浸潤性乳管がん)と呼ばれるものにかかっていると考えていると言いました。それは腫瘍ではないけれど、ほとんど前癌期のようなものでした。

私はあぜんとしました。まさかそうなるとは思っていませんでした。最初の治療の後、私はただ、それが終わった、あるいはそういうふうに見えていたと、本当に極めて肯定的に感じていました。私は明らかに余裕を持っていました。そして、再び癌になることはないと思わなかったとは決して言いませんでしたが、以前癌になった場所にまた癌ができるとは全く予想していませんでした。

それで再び、2、3日のうちにだったと思いますが、生検のため病院に行きました。その後、私たちは呼び戻され、私は、そう、間違いなくDCISであると告げられました。そして、前回の癌がつい2年前の事という理由で、医師らは乳腺切除と化学療法を推奨しました。彼らは最初極めて正直だったので、私は彼らを信頼したんだと思います。「化学療法は必要ないのではないですか。」と聞くと、「今回は確実に化学療法が必要です。」というので、私は受けることにしました。

乳腺切除術と乳房再建を同時に受けました。

英国人の乳がんの語り

イングリッドは乳がん検診を先延ばしにしたため、検診の再予約を取るのが難しい状況だった。しかし、しこりを見つけた時、すぐにかかりつけ医に診てもらい、専門医を紹介され迅速な対応を受けた。

それは文字通り降ってわいたような出来事でした。その年の前年、[検査ユニットでの]定期的なレントゲン撮影の案内が届いていましたが、仕事の都合で検査を受けることができませんでした。再予約は途方もなく複雑でした。私は検査を受けることが出来なかったと連絡しましたが、再予約はとてもとても難しかったのです。再予約は私からしなければならないもので、結局私は再予約をしなかったのです。
いずれにせよ、私は普通の生活を続けていました。そして、前にも話したように、休暇から戻り、その日、ロンドンに行く前に、医師との予約があったので、朝、シャワーを浴びている時でした。胸を洗おうと手を胸に置いた時、何かを感じたのです。「ちょっと待って。普通じゃないわ。」と思いました。それから気になりだしたのです。旅行中のことを思い返すと、それは驚きでした。だって、一日に2回か3回シャワーを浴び、プールの後には必ず体を乾かしていたのに、その時は全くしこりに気付かなかったのですから。しこりの大きさから考えると、結局のところ、その日の朝にはじめて気付いたというのは本当に驚きでした。

ロンドンに行く前に、私はかかりつけ医に電話をしました。彼らはとても迅速に対応してくれました。その日の午前中にロンドンでの診察を受け、午後にはかかりつけ医に診てもらえました。それは、とても印象深く嬉しいことでした。そして、医師の表情から、病状が深刻であることが分かりました。医師は私が医療保険に加入しているかどうかを尋ねました。私は答えました。「出来る限りの最良で迅速な治療を受けたい。」と。医師はすぐに、専門医を紹介してくれました。その週の土曜日、いえ、月曜日だったかしら、それとも火曜日?月曜日。そう、月曜日だったわ。私は月曜日にかかりつけ医に診てもらい、土曜日の朝には専門医の診察を受け、そしてその翌週の月曜日には手術を受けたのです。とても速い展開でした。

英国人の乳がんの語り

ベリテはずっと体調不良だった。他には何の症状もなかったが、自分はがんだと〝感じた〟。彼女の家庭医は、専門医のところに行って検査を受けるよう彼女に言った。その結果、彼女は乳がんと診断された。

私はずっと、少し体調が悪かったのですが、ある朝目覚め、ふと思ったのです。「何が問題なのか分かったわ。私は、がんになったのよ」と。そこで、どこで診てもらうかという選択に迫られました。国民保健サービスの担当医に診てもらおうかしら。でも、その担当医に会うには、少なくとも2週間は待たなければならないとわかっていました。それとも、お金を払って、かかりつけ開業医に診てもらおうかしら。そこの秘書なら、私にこう言うでしょう。「まあ、かわいそうに。すぐに来てください」と。

それで、かかりつけ開業医に診てもらったところ、医師は「何も見つからない」と言うのです。彼はとても徹底した検査をしてくれましたが、こう言いました。「私はいつも女性患者を信頼している。彼女たちは自分の体のどこが悪いのかを知っているからね。そこで、お願いしたいのだが、マンモグラフィを受けてきてもらえませんか」。私は、それをすてきな言い方だと思いました。それで、全く心配しませんでした。

私は自分ががんだと分かっていました。それで、マンモグラフィ検査を受けに行き、それから戻ってきて、組織検査やら何やらの検査をしました。そして最後に、結果を聞きに行きました。私はすぐに、自分ががんだと分かりました。なぜなら、「あちらでお待ち下さい」とは言われないで、「コリンズ様、○○看護師があなたのお世話をします」と言われたからです。だから、すぐに、自分ががんになったと分かったのです。診察室に入って、医師から検査結果を聞きました。医師はとても驚いていたと思います。なぜなら、彼はティッシュの箱を準備して座っていたのですが、私がまったく泣き崩れなかったからです。そして、私は彼に言いました。「いつ手術を受けましょうか」と。

あなたには疲労感はありました。でも、何かの症状、たとえば、乳がんか何かだと感じたことはありましたか?

いいえ、何も症状はありませんでした。自分で胸を触って確かめてみましたが、何も感じませんでした。それと、全身の皮膚をくまなく調べて、自分が皮膚がんかどうかも確かめました。でも、頭のどこかで何かが「あなたはがんになっている」と言っていました。マンモグラフィの結果が戻ってきた時、それは小さな、とても小さながんでした。放射線技師は、これを見つけるのは相当難しかっただろうと言いました。もしも私ががんだと言い張らなかったなら、医師たちはこれを見過ごすことすらあったかもしれない。だが、がんは大きくなっていっただろう、と。

英国人の乳がんの語り

彼女はがんを患っているかどうかはっきりとしていなかった時、とても辛くて孤独な時間を過ごした。検査の結果、しこりはがんの疑いがあり、同時期に妊娠している事も判明した。

休暇中はとても素晴らしくかけがえのない日々だったけれど、その一方で死や末期や病気の事が常に気がかりとなっており、そのことが私を今までに経験したことのない完全に異なる状況に置き、それはとても孤独で、なんとなく不思議な休暇になってしまいました。

なぜならすべての起こりうる結果について、自分自身にいくらか問いかけなければならなかったからです。私はこの時期の本当に苦しい思いはまさに不確かさであったと思います。旅行先からイギリスに戻り、病院へ行き、実際に、がんであると明らかになった時、私は、気分が楽になったように感じました。そのとき、自分に何が起こっていて、なにをすべきかを理解し、そして、この先、どのようにしていくか考えることができました。

休暇中は家族皆で素晴らしい時間を過ごし、家族として今まで過ごした中で最も貴重な時であると感じていたけれど、その2週間は曖昧、不確定な思いが、私を孤独にしていたと思います。

それは、本当にとても孤独な場所にいるように感じました。私は、このような暗い気持ちを抱えていたために、あらゆる人々から全く切り離されているかのように感じました。私は、自分の夫がとても良い人で、愛情にあふれている人であることをよく理解しているけれど、その状況は、本当に他のだれとも共有できることが出来ませんでした。
実際に癌と診断された時、私は、ある意味すでに予測していたと思います。医師の診察を受けるとき、私の夫は、仕事で不在だったので、私の母が、病院まで付き添ってくれました。

医者は、私の母の癌を以前診断した外科医でした。だから、医者が最初に「以前に同じようなシチュエーションがありましたね、、、」と言った時点で、私は泣き出してしまいました。たとえ、予測していたことだとしても、だれかがはっきりと言ってくれるまで、自分ががんであることを実感できないものであると思います。そして、事実が分かり、それから気持ちが幾分楽になりました。

しかし、その時点から事の重大さ、家族や周りへの影響などを考え、次の数日間、気持ちの整理をするのにとても苦労しました。みんなが電話で連絡をしようとしてくれたけれど、私は皆に話す心の準備もできておらず、とにかく、ただ一杯一杯でした。

とにかく、一杯一杯だったなか、夫は仕事で不在で、2人の子供の面倒も見なければならず、そのうえ、生理も少し遅れていました。それはただ休暇中に旅行へ行っていたし、様々なことにストレスを感じている事が関係しているのではないかと思っていたけれど、治療に影響を及ぼすかもしれないことが示唆されたので、妊娠反応テストをしなければなりませんでした。そして妊娠していることが判明。その日は、針生検をし、がんと診断された日でもありました。

それは、本当にとても大変で、私は、今までの人生で、これほど多くの情報やその情報が及ぼす影響に対処したことがなかったです。明らかに私よりもずっと若い人々ががんを患っていることも知っているけれども、私はその時、まだ33歳でしかありませんでした。、ある意味では癌になる可能性のある年齢ではあったと思うけれども、私は、もう少し年をとってからこのような出来事が起こるのではないかと思っていたました。外科医が診断を下したとき、私はまだ若く、そして私の子供達はまだ赤ちゃんでしかないのに、と思いました。

英国人の乳がんの語り

ジャネットは常に乳がんにかかるのを恐れていた。彼女の娘がしこりに触れ、かかりつけ医に診てもらうようにアドバイスをした。

乳がんは、私の人生を通して恐れていたものです。それは私の背後にぼんやりとのしかかる何かのようで、もし乳がんになったら治療はしたくないと思っていました。手術はしたくありませんでした。ただがんに屈服し、死ぬだけだろうと思っていました。それが時々私の心をよぎる思いでした。そして突然、しこりが見つかったのです。しこりは私が想像していたものとは違っていました。平たくかたく、とても大きなものでした。それはたぶん胸の中の筋肉なのだろうと自分に思い込ませようとしていました。誰がそんなことわかるでしょうか。私はそれだけを考えていました。大丈夫、たぶんしこりは数日で消えてしまうだろう、と思いました。ジムで汗を流せば消えてなくなってしまうだろうと。

休暇中もしこりは消えることがありませんでした。休暇から戻り、私は娘を訪ねました。娘は地域医なのです。そして娘に言いました。「しこりを感じるの。ちょっと心配なんだけど。」すると娘は、「私に診てほしいの?」と尋ねました。私はそれがどんな結果になるか、娘にどのような影響を与えるかを考えもせずに、「お願い。」と頼みました。娘は私を診てくれました。彼女は落ち着いて言いました。「そうね。できるだけ早く自分のかかりつけ医のところに行って検査を受けた方がいいよ。」 それだけでした。それ以上娘は何も言いませんでした。

私は家に戻りました。その時、私たちは私の義理の娘の家にいたのですが、娘と娘の夫が家を去った時のことを知りません。娘は道の向こうで突然泣き崩れました。私のしこりがとても大きいことを医師として認め、数か月のうちに母親を失うかもしれないということが怖かったからです。母親が自分の結婚式に出席できないのではないかということも。それで娘はひどくうろたえたのです。私はこのことを知りませんでした。
私はかかりつけ医のところに行き、翌日の診察の予約をとりました。医師は私を診察して言いました。「そうですね。しこりがあります。」そして続けました。「たぶん癌でしょう。悪性だと思います。」と。
私は専門医のところに出かけました。専門医は、「悪性の可能性が高いです。しこりがとても大きいので、乳房切除手術、化学療法、放射線治療が必要となるでしょう。」と言いました。

私は本当にぞっとしました。とてもショックでした。乳房の切除手術を受けるなんてことは理解できませんでした。それが虚栄心からかどうか分かりません。でも、そんなことは考えられなかったのです。それで私は言いました。「セカンドオピニオンを取りたいのですが。」 医師は、他の外科医に連絡を取ってくれました。私はその外科医と形成外科医のところへ行き、診てもらいました。彼らは、「乳房切除手術、化学療法、放射線治療ですね。」と言いました。

英国人の乳がんの語り

がんの骨転移の発見に繋がった症状について話している

そして突然なんですが、体中に痛みを感じるようになったんです。本当に奇妙で、両肩から腕にかけてと、脚も痛くて、なんだかおかしな具合でした。でも、1ヵ月くらいしたらなんとなく落着いてきて、両脚の付け根だけに痛みが残ったんです。それで、骨シンチ(註:微量の放射性物質を使って骨病変を探し出す方法)と、胸部X線と、肝臓の超音波検査を一日で受けました。他にも検査を受けて、1ヵ月後の予約で腫瘍科を受診した時には、結果が出ていました。そこで言われたのは、骨にがんがあり、下部脊椎と、骨盤と両脚の上部に見られるということでした。とてもショックだったと思うんですけど、(そのときは)それをどう思ったのか、よくわかりません。多分、大したことに思わなかったのかもしれません。本当に、これから自分がどうなっていくということなのか、まったくわからなかったのです。でも、次第にそのことを、つまりがんが骨に転移したっていうことを、もっと考えるようになって、会話の中にもそれが治らないものだということが出てくるようになりました。考えてみたら当たり前ですよね、胸のしこりを切り取るようには、骨からしこりを切り取ることはできないのですから。でも、今はがんが広がらないように抑える薬を使っていて、確かに効いているという実感がありますね。

英国人の乳がんの語り

術後の検診で、がんではなかった反対側の乳房に前がん病変が見つかった

そして秋になって、初めてマンモグラフィを受けたの。丁度クリスマス前。そしたら、異常細胞と石灰化が見つかったわ。医者は生検を受けなければと言ったの。私はひどく落ち込んでしまった。
 前から、三週間半の休暇を取る予定だったので、その前に受けることにしたの。それで、12月22日に生検を受けて、とても痛かったわ、前にはそれほどでもなかったのに、どうしてでしょうね。休暇を終えて戻ってくると、もう一方のほうに前ガン状態の病変があると言われたの。とても小さいものだけど。
私は、打ちのめされたわ。今まで受けてきた抗ガン剤治療やタモキシフェンが信じられなくなったの。別のガンがそれをすり抜けてあらわれるなんて。まるで、最後のよりどころをなくしたみたいに感じたわ。医者に説明を求めると、こう言うの。「非常に成長のおそいガンで、今は前ガン状態にあって、転移によるものではなく原発性のガンです。体の中を伝わってきたものじゃないということです。もう一方の乳房に自然発生した別のガンで、ごく初期の小さなものです。(あなたは以前に浸潤性の乳がんになったわけだけれど)、もしそのような既往がなかったとしたら、今回のがんは摘出手術もしなかったでしょうし、もちろん放射線治療もきっと行っていなかったでしょうね。自然治癒したかもしれません。」

英国人の乳がんの語り

乳首が陥没していることで病気の存在に気づいたと説明する

最初に疑いを持ったのは、乳房にしこりがあると気付いてからですが、私はいつも生理の時には乳房にしこりがありました。だから最初の月は全く気にしませんでした。「あれ、きっと気のせいね」くらいに。そして翌月の半ばを過ぎた頃に、「うーん、まだしこりが残っているわ」と思いましたが、「多分また生理がくるのね」と、また気にしませんでした。ある朝、シャワーを浴びていた時に、乳首が少しだけ陥没していることに気付きました。日頃、乳癌なら小さな豆粒大のしこりを感じるはず、と言われてきたので自分のは絶対に違うと思いました。でも、乳首の形が少しでも変わった時はすぐに調べてもらったほうがいい、とも聞いていました。