投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

乳房の痛みと乳首の痒みが乳がんの診断につながったと説明する

去年の夏、ある日曜日の夕方のことでした。私は机の上にあるペンをとろうと腕を伸ばして、右の乳房にひどい痛みを感じたのです。その前に、乳首がとてもむずがゆい感じがあったのですが、乳首のむずがゆさは、特に疑いを持ちませんでした。しかし、痛みとしこりを感じたとき、私はすぐいやな予感と不安に襲われ、どうしたらいいかわからなくなりました。病院では検査の連続でした。針による吸引では決定的な確証は得られず、翌朝もう一度吸引がなされて疑わしい所見があると出ました。それで私は一時間後に生検の予定だと言われ、ちょっとしたパニックが私の中をかけめぐるのを感じました。そのころ、私の乳房は炎症で腫れあがり、本当に赤くなっていて、とても、とても痛かったのです。生検が行われたときも、このうえなく痛かったです。マンモグラムもとても痛かったです。健全な乳房でさえうんざりするほど痛いのです。炎症をともなう病気にかかっていればなおのこと、たいへんに痛みました。生検の結果を待っている間、行き先のないピンと張ったロープの上を歩いているような気分でした。とても恐ろしかったです。それは、実際に医師と対面して悪い知らせを受けたときよりも、もっと悪い気分でした。

英国人の乳がんの語り

定期健診のマンモグラフィで乳がんが発見され、しこりの細胞診で診断が確定した

それは18ヶ月ほど前のことでした。
実際に、それは新しい世紀への本当に恐ろしい幕開けでした。というのは、1999年の12月に私はマンモグラフィの定期健診を受診したのですが、検査結果がでるのはクリスマス明けになると言われたのです。
その次に診察してくれたのはとても親切な女医さんで、細胞診検査をしましょうと言われました。
それでどうしたかというと、先生たちはその場で診断を下せるのに十分な細胞を採取できるようにと、麻酔なしで吸引をしたのです。
女医さんはマンモグラフィをシャウカステン(レントゲンフィルムを読影観察するための蛍光板)に掲げて、そこにある黒い斑点のようなものについて話してくれました。すると私たちの一人が尋ねました「それは悪性のものなのですか?」女医さんは答えました「そうです」
私は「嘘でしょう!」とか何か言いましたね(笑い)
その場には看護師さんもいました。

英国人の乳がんの語り

若い女性のしこりが悪性であることは稀だといわれたが、しこりがなくならないので病院に紹介されたと説明する

多分お風呂から出るときだったかと思うけど、何度か自分でチェックしてみたことはありました。特に定期的とか、特にまじめにとか言うわけではなかったけど。2週間毎にすれば慣れてくると言われていたのだけれど。
初めてしこりを見つけたとき、“あら、どうしよう。何でもないのよ.私はまだ若いし、大したものではないわ。”、と思ってかかりつけの診察所へ行ったんです。するとそこの女医さんに、「あなたの歳なら心配すべきことではないわ」と言われました。私はそのとき19、いえ、18歳でした。8月に19歳になる所だったはずです。
18歳が、どうして自分が乳がんだなんて想像できたでしょう。誰にもできないはずです。女医には、若い女性ホルモンの分泌の問題かもしれない、2週間後にまた来るようにと言われました。けれども2週間後に診察を受けたときにもまだしこりは消えておらず、そこで彼女は、これが普通のホルモン分泌の異常などでは無い可能性を考えて地域病院の乳房クリニックへ紹介してくれました。
私はその病院の予約をとり、医師の検査を受けました。彼もまた、“私の年齢がまだ若いし、まったく大した物ではないでしょう、小さな嚢胞で排液の必要があるかな”と言いました。彼は“乳ガンは若い人たちには出来ないからマンモグラフィーでの検査をする理由はない、と言いました。“可能な検査をしてくれないなんて不公平だ”と思いました。それで医師は“針を使った生体組織検査と超音波検査をしましょう“と約束してくれました。

英国人の乳がんの語り

妊娠中に胸にしこりを発見したと説明する

妊娠5ヶ月目くらいに、左の乳房にとても小さなしこりがあるのに気付きましたが、ガンの心配は全くしていませんでした。家族のなかに、やはり胸のしこりを経験した人がいたからです。母は、30代のはじめに痛みを伴う複数のしこりが乳房に見つかって、両側の乳房切除術を受けたのですが、姉2人も、ひとりは4歳上、もうひとりは7歳上なのですが、2人とも私と同じようなしこりがありました。私が見つけたしこりは、そのときは本当にとても小さくて、私は全然心配しなかったんです。その夜かかりつけの医者に行くと、すぐに診てくれて、しこりを調べてくれましたが、やはりそんなに心配いらないといわれました。 妊娠7ヵ月半で、そのしこりが前より大きくなってきたのでもう一度診てもらって、近くの病院の乳がん専門外来に紹介されました。針生検を受けて、結果通知のために呼ばれたとき、そのしこりが乳ガンであると告げられて非常にショックを受けました。それまでずっと、自信をもって、何の心配もいらないと思い込んでいたのです。

英国人の乳がんの語り

しこりが見つかった乳房は以前からもう一方より大きかったと説明する

私は病院へ行き、私の主治医は忙しかったのでそこにいた代診医の診察を受けました。その女医さんは私の両方の乳房をみて、触診したあとで、こう言ったのです。
「あなたの乳房は左のほうがいつも大きいのですか?左右不揃いなことをご存じでした?」
これまでの同様な診察の場面では、誰もが「左右の乳房の大きさが違うのを知っていますか」と聞いていましたし、実際に自分でもそう認めていたことでした。正直なところ私は乳房の形、サイズについて疑問に感じたことはないのです。今振りかえってみても、私の左乳房はどんどん大きくなって来ましたが、気にも留めていませんでしたから。ピルの使用とか、月経とか、そういうことが関係しているんじゃないか、考えていましたから。

英国人の乳がんの語り

これまであったしこりとは違ったしこりを見つけたが、その後それは悪性であると判明したと説明する

しこりを見つけたのは、その時だったと思います。
もっとも、以前から気になってはいたのです。胸に肥厚のようなものがあることに気付いていました。4ヵ月ほど前だったと思います。それが何なのかはわかりませんでした。そして、「来月もう一度チェックしよう」と思いました。
ショックでした。気付いた時には、以前よりずっと大きくなっていましたから。もっと早く、3~4ヵ月も前に見つけていたはずなのに、と思いました。
私の胸には以前から小さなしこりがありました。線維腺腫があったのです。けれども、今回のしこりは、それとは全く違いました。これは癌じゃないかと思いました。ショックだけれど、信じたくもないようなことです。ありとあらゆる検査を受けました。マンモグラフィー、超音波検査、穿刺吸引生検、そしてトゥルーカット針(生検を行うための二重管構造の針)による従来の生検。生検の結果、癌だとわかりました。

英国人の乳がんの語り

がんの診断のために彼女が受けた検査について話している

初めに左の胸にシコリを見つけました。これがただのシコリなのか、それとも何か私の想像しているようなものなのか、私は2週間、ためらって決めかねていました。でも、仕事の休みが1週間とれたので、お医者さんのところに行くことにしたんです。先生は病院を紹介してくれました。それから2週間以内に病院に行って、生検とスキャンをしました。
そう、針生検を、シコリのところに針を刺して組織をとって調べる検査を受けたんです。それとマンモグラフィを受けました。ちょっと心地悪いけど、それほど痛くはありませんでした。それから超音波スキャンも受けました。同じ日に、大体1時間ぐらいでこの3つの検査を受けました。

――針生検でしたね?

えぇ、針生検でした。

――それから超音波も受けましたね?

そうそう。

――そのことについてもうチョット話してもらえます?

おっぱいにほんの少しゼリーを塗って、シコリの上でカメラを動かして、内側に何があるか写真を撮ってみる、それだけのことです。

英国人の乳がんの語り

70歳で、がんになったことは悲劇ではなく、ちょっとした不都合に過ぎないと考えている理由を説明する

医師に「残念ながら、あなたはがんです」と言われたときは、「うわっ」と思いました。がんだから、というわけではありませんでした。がんより大変な病気もありますから、この世で最悪の診断結果だとは思いませんでした。パーキンソン病や、脳卒中や、多発性硬化症ではなくてよかったと思いました。70歳でがんというのは、それほどひどいことではありません。進行は遅いですし、治療も難しくはありません。がんだと告げられたときは、正直なところ「面倒なことになったな」と思いました。多少は厄介なことですから。でも、落ち込むことはありませんでした。この病気によってすぐに死ぬことはないとわかっていましたし、がんの告知が死刑宣告だとも思っていません。それは根拠のない話です。私はがんを上手く克服し、その後も元気に過ごしている人たちをたくさん知っています。

英国人の乳がんの語り

診断結果は予想していたとおりで、病気をそれほど深刻な問題とは受け止めなかった

私は驚きませんでした。外科医の先生に言ったんですよ。「きっとそう言われると思っていました。さて、これからどうしましょう?」って。その時点で私は、ガンがどれほど深刻なものなのか、実は理解していなかったんだと思います。近親者にガンを患った人もいなかったし、誰でもそうでしょ。
でも、治療を受けていくにつれ、いろいろ分かってきます。それでも、私は決して泣きませんでした。感情抜きで淡々と受け止めて、そのことを考えるようにしたの。ちょうどこんな風に考えたんです、「そう、ガンになったのよ、急いでやりましょう。これを解決して、これからの12カ月でけりをつけて、それから自分の生活に戻りましょう」という風にね。
ぐずぐずせずにやらなければ。選択の余地なんてない。起きてしまったことよ。それが何故なのかなんて誰も答えられないのだから、尋ねても仕方がない。とにかく乗り切って何とかやっていかなきゃいけないんです。

英国人の乳がんの語り

診断を受けたときにショックは感じなかったが、誰か知っている人と話したかった

家に帰ってみんなに電話したわ。話したかったの。ただみんなに知ってほしかったの。なぜだか分からないけど、「ああ、なんてかわいそうな私。」とかそういう感情は全くなかったわ。ただ、みんなに知ってほしかったの。それにその時が、周りの人たちみんなの感情と対処しなければならない時だったのよ。多分、一度みんなに言ってしまえば、現実に自分と向き合える、自分自身でガンに対処していくスタートを切れるのだと思ったからでしょう。もし、その後の6週間、周りの人たちの感情と向き合わなければならなかったとしたら、もっと大変だったでしょうね。本について言えば、乳がん病棟の女性たちが乳がん体験についての本を出版しているのよ。ある人がそのコピーを貸してくれたので、読み始めたのだけれど、全く共感できなかったの。そこに書いている女性たちは、皆こぞって「ショック」だったとか「恐怖」だったとか言っていたから。読み終わって、私って普通じゃないのかしらと思ったわ。そういった「ショック」とか「恐怖」とかいう感情はなかったの。絶望だとか打ちのめされたとか思ったことは全くないのよ。これは事実だってことは分かっていたけれど、ただ多くの人が予期するような、「ショック」や「恐怖」といった感情を抱かなかったの。