インタビュー時:60歳(2020年8月)
診断時:58歳
診断名:IgG4関連心疾患、発作性心房細動、洞不全症候群、ラクナ梗塞
甲信越地方に妻と2人暮らし。循環器内科医師。
耳鳴りと手のしびれから頭部MRIを撮ってラクナ梗塞が見つかる。その後、右心房に腫瘍が見つかり、開心術で切除したところIgG4関連の炎症性の偽腫瘍であった。
創の回復を待ってステロイド治療を開始。心房細動に対してカテーテルアブレーションと洞不全症候群に対してペースメーカ植え込みを行った。
一時は死を覚悟し、いろいろな気づきを得た。今はセカンドチャンスを生きている思いだ。
プロフィール詳細
甲信越地方に妻と2人暮らし。息子も娘も結婚して別に住んでいる。循環器内科医師であり、病院の管理職も務める。耳鳴りと手のしびれから頭部MRIを撮ったところラクナ梗塞が見つかり、検査と治療のため入院。入院中に心房細動が起きていることがわかり、心房細動が止まるときに12秒の心停止をしていることもわかった。さまざまな原因を考え、全身CTを撮ってみると、右心房に松ぼっくりほどの腫瘍ができていた。壁にべったりと張り付いていて洞結節という脈拍を作る場所まで及んでおり、不整脈の原因となっていた。
血栓ができるのを予防して脳梗塞を予防する薬を飲んでいたが、新たな脳梗塞が見つかり、腫瘍の種類が何であるかわからないまま、開心術により腫瘍を切除することになった。結局、腫瘍はIgG4関連の炎症性の偽腫瘍で、取り切れない一部残して切除した。その後、手術創の治癒を待って2カ月後からステロイド治療を開始。心房細動に対してはカテーテルアブレーション*¹を受けた。現在は少しずつステロイドを減量して、これまでの日常生活を取り戻しつつある。
手術にいたる2週間ほどの間に次々と予想しなかった望まない方向へとことが進み、受け入れるプロセスでさまざまなことを考え、家族のきずなを再確認し、患者さんの気持ちがわかる経験をした。開心術を受けるにあたり、一時は死を突きつけられた思いで自分が意思表示できなくなったときの治療のことを家族に書き残した。書き始めると、今後のことばかりでなく、自然にこれまでの人生を振り返り、妻や子ども、両親、親戚・友人への感謝の思いを記していた。書き終えると目の前の霧が晴れて、迷いや不安が消えて、手術当日は非常に穏やかな気持ちで迎えることができた。同じような状況で迷いや不安の中にいる人たちに対して、自分の気持ちを人に語ること、書くことを勧めたい。思いが届けば、周りも応援してくれる。自分も前に進む勇気が出て、道が開けると思う。語ることにはそんな効果があると思う。
家族に対しては、患者でありつつも医師として、状況がわかったらその都度説明をしていた。妻は伴走者として先のわからない経過を一緒に心配してくれたし、息子夫婦、娘夫婦も折に触れて面会に来てくれて、家族全員でサポートしてくれた。家族の絆が深まったと感じる。ただ80歳を超える両親に話すのが一番つらかった。心配かけて申し訳ないという気持ちだった。
病気になり、なぜ自分が?ということはあまり考えなかった。医師として科学ではどうにもならないことを経験してきたし、家の宗教が浄土真宗で、科学以外のものによって、人の定めが変わるということがあるだろうと思っていた。自分にとって、病気になったことは大きな意味がある。自分の殻を破ることは勇気の要ることだが、一度、死ぬ覚悟をしたことで、何も遠慮せずに、これからは自分が正しいと思うこと、必要だと思うことは、恐れずに実行に移せばいいと思えるようになった。自分が生きていた証として何をこの世に残すかを問われていると感じている。
患者となって、持続点滴の不自由さ、合併症が起きてしまった時の気持ち、朝晩の医師の回診の有難さなど実感した。また、循環器内科医として患者さんに「視力が悪ければメガネ」というようにペースメーカ植え込みを勧めてきたが、そんなに簡単なものではなかったと感じた。ケアや処置のとき、その都度医師や看護師が声かけしてくれることでこれから何が行われるかわかり、痛くないか、辛くないかと聞いてくれると安心感を得られた。患者の経験は医師としての姿勢・対応を振り返ることになった。
職場には、病状について説明し、入院中は休職という形をとった。病院の管理的立場であったが、休職中は代行の医師や職員たちが対応してくれて、支障なく業務が行われた。入院中にもメールで相談を受けることがあったが、煩わしさよりも連絡をもらって様子がわかり、自分にとってはよかった。
血栓ができるのを予防して脳梗塞を予防する薬を飲んでいたが、新たな脳梗塞が見つかり、腫瘍の種類が何であるかわからないまま、開心術により腫瘍を切除することになった。結局、腫瘍はIgG4関連の炎症性の偽腫瘍で、取り切れない一部残して切除した。その後、手術創の治癒を待って2カ月後からステロイド治療を開始。心房細動に対してはカテーテルアブレーション*¹を受けた。現在は少しずつステロイドを減量して、これまでの日常生活を取り戻しつつある。
手術にいたる2週間ほどの間に次々と予想しなかった望まない方向へとことが進み、受け入れるプロセスでさまざまなことを考え、家族のきずなを再確認し、患者さんの気持ちがわかる経験をした。開心術を受けるにあたり、一時は死を突きつけられた思いで自分が意思表示できなくなったときの治療のことを家族に書き残した。書き始めると、今後のことばかりでなく、自然にこれまでの人生を振り返り、妻や子ども、両親、親戚・友人への感謝の思いを記していた。書き終えると目の前の霧が晴れて、迷いや不安が消えて、手術当日は非常に穏やかな気持ちで迎えることができた。同じような状況で迷いや不安の中にいる人たちに対して、自分の気持ちを人に語ること、書くことを勧めたい。思いが届けば、周りも応援してくれる。自分も前に進む勇気が出て、道が開けると思う。語ることにはそんな効果があると思う。
家族に対しては、患者でありつつも医師として、状況がわかったらその都度説明をしていた。妻は伴走者として先のわからない経過を一緒に心配してくれたし、息子夫婦、娘夫婦も折に触れて面会に来てくれて、家族全員でサポートしてくれた。家族の絆が深まったと感じる。ただ80歳を超える両親に話すのが一番つらかった。心配かけて申し訳ないという気持ちだった。
病気になり、なぜ自分が?ということはあまり考えなかった。医師として科学ではどうにもならないことを経験してきたし、家の宗教が浄土真宗で、科学以外のものによって、人の定めが変わるということがあるだろうと思っていた。自分にとって、病気になったことは大きな意味がある。自分の殻を破ることは勇気の要ることだが、一度、死ぬ覚悟をしたことで、何も遠慮せずに、これからは自分が正しいと思うこと、必要だと思うことは、恐れずに実行に移せばいいと思えるようになった。自分が生きていた証として何をこの世に残すかを問われていると感じている。
患者となって、持続点滴の不自由さ、合併症が起きてしまった時の気持ち、朝晩の医師の回診の有難さなど実感した。また、循環器内科医として患者さんに「視力が悪ければメガネ」というようにペースメーカ植え込みを勧めてきたが、そんなに簡単なものではなかったと感じた。ケアや処置のとき、その都度医師や看護師が声かけしてくれることでこれから何が行われるかわかり、痛くないか、辛くないかと聞いてくれると安心感を得られた。患者の経験は医師としての姿勢・対応を振り返ることになった。
職場には、病状について説明し、入院中は休職という形をとった。病院の管理的立場であったが、休職中は代行の医師や職員たちが対応してくれて、支障なく業務が行われた。入院中にもメールで相談を受けることがあったが、煩わしさよりも連絡をもらって様子がわかり、自分にとってはよかった。
*¹カテーテルアブレーション:経皮的カテーテル心筋焼灼術のこと。手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、心臓の筋肉の中にある異常な電気回路を焼灼または冷凍凝固して、不整脈を抑える治療。

