インタビュー時:46歳(2022年1月)
診断時:35歳(心不全)
診断名:糖尿病、慢性心不全、脳梗塞、慢性腎不全
首都圏に両親と3人暮らし。会社員。
30歳で糖尿病と診断されたが症状が軽く治療を受けずにいた。35歳のとき、高血糖による昏睡を起こし、インスリンを開始。その時慢性心不全と診断された。その少し前から坂を上るときにだるさ・息切れを感じていた。
37歳で脳梗塞を起こしたが後遺症はなく、40歳で慢性腎不全と診断されるまで、ずっと治療のコンプライアンスが悪い状態で、人工血液透析を始めて、やっと病気に向き合うようになれた。
プロフィール詳細
現在は首都圏に両親と3人暮らし。人工血液透析を開始するのと同時に、障害認定1級をとり、障害者枠で会社員として働いている。それまでは、自営業で人材紹介や社団法人の事務局の仕事をしており、振り返ってみると、かなり不規則な生活で暴飲暴食だったと思う。
23歳の頃に痛風でかかっていた病院で血糖値が高いことを指摘されたが、とくに症状がなく放置。30歳で多血症となり、同時に糖尿病と診断された。その時もとくに日常生活で支障がなく、症状も軽かったため、指導されても右から左へと聞き流して、定期的な診察を受けたり、治療を受けたりせずにいた。
35歳のとき、自宅で昏睡状態となったが、幸い目が覚めて歩けたので、自分で家の近くの病院に行ったところ、血糖値が700mg/dlもあり、高血糖による昏睡を起こしていたことがわかった。同時に慢性心不全となっていることもわかった。考えてみると、少し前から、坂を上るときに途中で電池が切れるような感覚のだるさ・息切れを感じていた。
心不全は人が死ぬ病気という知識くらいしかなく、まさか自分がなるとは思ってなかったので、非常にショックを受けた。また、病院に病状やカテーテル検査の説明を聞きにきている親の姿を見ているのがつらかった。自分に対して何も言わなかったが、親としてはショックだったと思う。心配して実家に戻ってはどうかと親の方から声をかけてくれた。心不全となるまでは1人暮らしをしていたが、それ以降は実家に住んでいる。
その後、心不全には内服薬、糖尿病にはインスリンが開始されたが、仕事がうまくいかず経済的に困窮していた時期で、インスリン代金を含む医療費の支払いがきつくて、勝手にインスリンの量を少な目に打ったり、診察の間隔を空けたりしていた。ストレスも多くて、生活もかなり乱れていた。37歳で脳梗塞を起こしたが、血栓を溶かす治療で麻痺などの後遺症を残すことなく回復した。糖尿病でインスリンを開始したとき、心不全や脳梗塞となったときなど、その時々には、「これはやばいぞ」という気持ちになるのだが、のど元過ぎればという感じで、症状が改善すると、また治療や生活がおろそかになっていた。
40歳で慢性腎不全となり、半年後に人工血液透析を開始し、5年が経過した。透析を始めるにあたり、それまで病気について調べることはほとんどなかったが、今回は避けられない治療であり、続けていかなくてはならないものだと感じたせいか、インターネットで情報を探した。そして、患者のブログやSNSなどから参考となる情報を見つけ、患者コミュニティに参加するようになった。患者会はネガティブなイメージだったが、そのコミュニティに参加する人たちは、病気で打ちひしがれている人々ではなく、透析治療を受けながらもいきいきと暮らす人たちで、こんな風に生きられるのだと励まされた。
45歳のとき(2021年4月)に透析中に経験したことのない、心臓をえぐられるような胸と背中の痛みがあった。これまでも3-4回カテーテル検査を受けており、冠動脈の一部が詰まりかけており、ステントを入れて拡張することを試みたが、かなり血管が屈曲して難しく、次に詰まったら開胸してバイパス手術を行うと医師から言われていた。そのため、開胸手術を覚悟したが、カテーテル検査を行ったところ、それほど狭窄がひどくなかったので、手術は見合わせることになり、ほっとした。しかし、いつ血管が詰まって心筋梗塞を起こすかわからないという爆弾を抱えているので、不安はある。不整脈があり、時々動悸がするが、ただの動悸と見過ごせず、何か起きるのでは?とドキッとする。
これから先のことは不安だが、遠い先のことを考えるというより、日々のこと、ここ何週間のことを考えるようにしている。今の会社は、透析後、障害枠で入社した会社だが、普通なら自分には入れないような会社で、透析治療と両立できており、安定した収入もあり、仕事にやりがいを感じている。透析のある週3日は在宅勤務だが、2日は会社に出勤する。こうして社会とのつながりがあることを嬉しく思っている。
23歳の頃に痛風でかかっていた病院で血糖値が高いことを指摘されたが、とくに症状がなく放置。30歳で多血症となり、同時に糖尿病と診断された。その時もとくに日常生活で支障がなく、症状も軽かったため、指導されても右から左へと聞き流して、定期的な診察を受けたり、治療を受けたりせずにいた。
35歳のとき、自宅で昏睡状態となったが、幸い目が覚めて歩けたので、自分で家の近くの病院に行ったところ、血糖値が700mg/dlもあり、高血糖による昏睡を起こしていたことがわかった。同時に慢性心不全となっていることもわかった。考えてみると、少し前から、坂を上るときに途中で電池が切れるような感覚のだるさ・息切れを感じていた。
心不全は人が死ぬ病気という知識くらいしかなく、まさか自分がなるとは思ってなかったので、非常にショックを受けた。また、病院に病状やカテーテル検査の説明を聞きにきている親の姿を見ているのがつらかった。自分に対して何も言わなかったが、親としてはショックだったと思う。心配して実家に戻ってはどうかと親の方から声をかけてくれた。心不全となるまでは1人暮らしをしていたが、それ以降は実家に住んでいる。
その後、心不全には内服薬、糖尿病にはインスリンが開始されたが、仕事がうまくいかず経済的に困窮していた時期で、インスリン代金を含む医療費の支払いがきつくて、勝手にインスリンの量を少な目に打ったり、診察の間隔を空けたりしていた。ストレスも多くて、生活もかなり乱れていた。37歳で脳梗塞を起こしたが、血栓を溶かす治療で麻痺などの後遺症を残すことなく回復した。糖尿病でインスリンを開始したとき、心不全や脳梗塞となったときなど、その時々には、「これはやばいぞ」という気持ちになるのだが、のど元過ぎればという感じで、症状が改善すると、また治療や生活がおろそかになっていた。
40歳で慢性腎不全となり、半年後に人工血液透析を開始し、5年が経過した。透析を始めるにあたり、それまで病気について調べることはほとんどなかったが、今回は避けられない治療であり、続けていかなくてはならないものだと感じたせいか、インターネットで情報を探した。そして、患者のブログやSNSなどから参考となる情報を見つけ、患者コミュニティに参加するようになった。患者会はネガティブなイメージだったが、そのコミュニティに参加する人たちは、病気で打ちひしがれている人々ではなく、透析治療を受けながらもいきいきと暮らす人たちで、こんな風に生きられるのだと励まされた。
45歳のとき(2021年4月)に透析中に経験したことのない、心臓をえぐられるような胸と背中の痛みがあった。これまでも3-4回カテーテル検査を受けており、冠動脈の一部が詰まりかけており、ステントを入れて拡張することを試みたが、かなり血管が屈曲して難しく、次に詰まったら開胸してバイパス手術を行うと医師から言われていた。そのため、開胸手術を覚悟したが、カテーテル検査を行ったところ、それほど狭窄がひどくなかったので、手術は見合わせることになり、ほっとした。しかし、いつ血管が詰まって心筋梗塞を起こすかわからないという爆弾を抱えているので、不安はある。不整脈があり、時々動悸がするが、ただの動悸と見過ごせず、何か起きるのでは?とドキッとする。
これから先のことは不安だが、遠い先のことを考えるというより、日々のこと、ここ何週間のことを考えるようにしている。今の会社は、透析後、障害枠で入社した会社だが、普通なら自分には入れないような会社で、透析治療と両立できており、安定した収入もあり、仕事にやりがいを感じている。透析のある週3日は在宅勤務だが、2日は会社に出勤する。こうして社会とのつながりがあることを嬉しく思っている。

