インタビュー時:81歳(2020年2月)
診断時:31歳
診断名:僧帽弁狭窄症、細菌性心内膜炎、脳梗塞、心不全
首都圏に夫と2人暮らし。
50年前、長男を妊娠中に心雑音を指摘された。無事出産したものの、分娩中、息苦しくて横になることもできず、肺のレントゲンは真っ白だった。僧帽弁狭窄症とわかり、1カ月入院した。
50歳頃に弁の修復術、70歳頃に人工弁置換術とペースメーカ植え込みをした。
80歳となり、心不全の症状で入院を2回経験。
現在は夫が家事を担い、訪問診療、訪問看護、通所リハビリを利用し、在宅療養している。
プロフィール詳細
首都圏在住。長女と長男は近くに住んでおり、今は夫と二人暮らし。50年前、長男を妊娠中に心雑音を指摘され、総合病院を紹介された。特に何もせず、分娩となったが、ぜーぜーと息苦しくて分娩台に横になることもできず、ピンクの泡の痰が出た。小さ目だったが、何とか無事長男を出産した。しかし、自分は面会謝絶の重症で、レントゲンを取ると肺は真っ白で産褥期の肺水腫と言われた。検査をしたら僧帽弁狭窄症であることがわかった。このとき死を意識したことで、夫や子どもたちを一層いとおしく感じた。1カ月ほど入院し、退院。その後は心機能の低下に合わせて、子どもと一緒に坂道を登ったり、走ったりすることはせずに暮らしていた。子どもには夫から病気のことをかみ砕いて説明していたので、理解していたと思う。
50歳頃、そろそろ弁を修復する手術をした方がよいと勧められ、縮まっている自分の弁に切れ目を入れたり縫ったりして手術を受けた。手術後は、とても元気になり、近所の生協でパートをするなど楽しく過ごしていた。パート中に脳梗塞を起こしたことがあったが、パート仲間の機転の利いた行動で、すぐに病院に搬送され、治療を受けたため、麻痺などの後遺症は残らなかった。
しばらく元気に過ごしていたが、風邪を引いたり、感染性心内膜炎を起こしたりする度にがくっがくっと悪くなっていったように思う。医師からは風邪に気をつけるよう再三言われていた。徐々に階段を上がるときの息切れが強くなり、70歳頃に人工弁に交換する2回目の手術を受けた。手術後ICUで徐脈となり、ペースメーカを入れるかどうかが検討された。夫はこのまま退院するのは不安だと言い、ペースメーカ植え込みを行ってから退院となった。
心臓病の患者会には、活動の内容や会員同士の交流が楽しいよと声をかけてもらって入った。最初は何をするかわからないし、自分は何もできないと思い、入るのが嫌だったが、勉強会や旅行に参加し楽しく過ごすことができた。体調的にもう参加することは難しいが、結果的に会に参加できてよかったと思っている。
80歳を過ぎて、息切れとむくみがひどくなり、2週間ほど入院した。その間に筋力が落ちて歩けなくなってしまい、その後、2度リハビリのための入院をした。最近も心不全の症状が出て入院した。今は酸素吸入をしながら、週2回訪問看護、月2回訪問診療、週1回通所リハビリを利用し、在宅で療養している。朝から血圧や体重測定をし、骨粗しょう症の注射をし、糖尿病も患っているので、一日三回血糖測定をしている。食事をして薬を飲み終わるまで、一仕事だが、自分のお勤めだと思っている。
昔は食欲があり、美味しいものを食べるためなら少しの無理はできたが、最近は食が進まない。水分摂取は1日800ccまでで、50ccと100ccの小さなカップや500ccのペットボトルを使ってその日に飲んだ量を把握している。体調は午前と午後で異なり、天気によっても左右される。天気のいい日は割合調子がいい。体調が悪かったり疲れたりするとすぐに睡眠をとるようにしている。1日が終わると仏様に、「今日も無事終わりました。ありがとうございました」と手を合わせている。
高齢の夫は、頚椎症で首の痛みを抱えながらも、食事の準備などの家事を担ってくれている。料理を全くしたことがなかった夫が本を買って減塩6gを考えて作ってくれており、感謝してもしきれない。長い闘病生活の支えとなったのは、何より夫の存在である。また、何かあればすぐに駆け付けてくれる子どもたちもいる。息子の誕生日を家族みんなで祝うことを楽しみにしている。「命ある限り生きがいをもとめて」をモットーに、大変な病気だが、マイナスに捉えないで、プラスの面に目を向けて、残りの人生を生きていきたいと思っている。
50歳頃、そろそろ弁を修復する手術をした方がよいと勧められ、縮まっている自分の弁に切れ目を入れたり縫ったりして手術を受けた。手術後は、とても元気になり、近所の生協でパートをするなど楽しく過ごしていた。パート中に脳梗塞を起こしたことがあったが、パート仲間の機転の利いた行動で、すぐに病院に搬送され、治療を受けたため、麻痺などの後遺症は残らなかった。
しばらく元気に過ごしていたが、風邪を引いたり、感染性心内膜炎を起こしたりする度にがくっがくっと悪くなっていったように思う。医師からは風邪に気をつけるよう再三言われていた。徐々に階段を上がるときの息切れが強くなり、70歳頃に人工弁に交換する2回目の手術を受けた。手術後ICUで徐脈となり、ペースメーカを入れるかどうかが検討された。夫はこのまま退院するのは不安だと言い、ペースメーカ植え込みを行ってから退院となった。
心臓病の患者会には、活動の内容や会員同士の交流が楽しいよと声をかけてもらって入った。最初は何をするかわからないし、自分は何もできないと思い、入るのが嫌だったが、勉強会や旅行に参加し楽しく過ごすことができた。体調的にもう参加することは難しいが、結果的に会に参加できてよかったと思っている。
80歳を過ぎて、息切れとむくみがひどくなり、2週間ほど入院した。その間に筋力が落ちて歩けなくなってしまい、その後、2度リハビリのための入院をした。最近も心不全の症状が出て入院した。今は酸素吸入をしながら、週2回訪問看護、月2回訪問診療、週1回通所リハビリを利用し、在宅で療養している。朝から血圧や体重測定をし、骨粗しょう症の注射をし、糖尿病も患っているので、一日三回血糖測定をしている。食事をして薬を飲み終わるまで、一仕事だが、自分のお勤めだと思っている。
昔は食欲があり、美味しいものを食べるためなら少しの無理はできたが、最近は食が進まない。水分摂取は1日800ccまでで、50ccと100ccの小さなカップや500ccのペットボトルを使ってその日に飲んだ量を把握している。体調は午前と午後で異なり、天気によっても左右される。天気のいい日は割合調子がいい。体調が悪かったり疲れたりするとすぐに睡眠をとるようにしている。1日が終わると仏様に、「今日も無事終わりました。ありがとうございました」と手を合わせている。
高齢の夫は、頚椎症で首の痛みを抱えながらも、食事の準備などの家事を担ってくれている。料理を全くしたことがなかった夫が本を買って減塩6gを考えて作ってくれており、感謝してもしきれない。長い闘病生活の支えとなったのは、何より夫の存在である。また、何かあればすぐに駆け付けてくれる子どもたちもいる。息子の誕生日を家族みんなで祝うことを楽しみにしている。「命ある限り生きがいをもとめて」をモットーに、大変な病気だが、マイナスに捉えないで、プラスの面に目を向けて、残りの人生を生きていきたいと思っている。

