投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

放射線療法を受けた後は、思っていた以上に強い疲労感があった

1月から放射線治療を開始し、25回照射を行いました。
それは今まで経験したことのないほど衝撃的なものでした。治療はたいしたことはないんです。その辺りに沢山小さな点のような入れ墨をしました。そこにレーザーを並べるためなのですが、治療後の疲労感は凄まじいものでした。最初の3週間ほどは大変でフルタイムで仕事もしていましたから、通勤前に病院に寄って治療を受けていました。そして、時々考えます。「どうやって乗り越えたのだろう?」と。でも私には強い決意があっただけです。でも(放射線治療の)終りごろの4週目にX線技師たちが、「休暇を取らないのですか?そうした方がいいですよ。」と言いました。結局私はその言葉に押され、数週間の休暇を取りました。でも、信じられなかったのは、何もせずただ横になっているだけなのに、治療後の倦怠感がひどいのです。本当にびっくりでした。回復するのにしばらくかかりました。

英国人の乳がんの語り

自分の感情に自分で向き合いたかったので、待合室では他の患者と話さなかった

診療はとてももたもたしていて、長時間待たされたけれど、それは受け入れるしかなかったわ。でも中には待たされずにすぐ入って、すぐに出てこられる日もあったの。私はほかの患者さんたちとの会話には入りたくない、と思ってたの。私は自分のことで精一杯だったから、他の人の話なんか聞きたくなかった。
中には、待合室中に自分の話を聞かせたがる患者さんもいて、それは私にはきつかった。だから私はいつも(部屋を)出てコーヒーを飲んで、自販機コーナーに感謝してたわ。

英国人の乳がんの語り

放射線療法の副作用はあったが、診療科の雰囲気については心温まる思い出がある

――あなたは、放射線療法を受けて最後の方に何かひりひりする感じがあったことを話されましたね? あと、倦怠感も。ほかに副作用は?

放射線によるものでですか?

――はい。

いや、思い返してみても、特にないですね。ええ、実際、良かったんですよ。なぜって、放射線治療は毎日行われたので、多少の束縛にはなりましたけど、でもそのおかげで、私を家の外へ出すきっかけにもなったわけです。それは本当に私にとってよかったことなのです。いろいろな人と出会い、治療が終わったときはなんだか寂しい気がしました。がん治療センターに、乳がん経験者の女性が働いていて、彼女はかぎ編みでマットをつくっていました。布地を押し分けてそこにウールを通してつくるというものです。彼女はこの大きなウールのベッドカバーを創っていました。で、私は治療センターに言って順番待ちをしている間いつも、座ってこのマットを彼女と一緒に創っていました。それはとても、とても励みになりました。そこのスタッフや、技師さんたちはとてもいい人でした。

英国人の乳がんの語り

術中放射線療法の経験について話している

私は,自分で調べた資料でいっぱいになったブリーフケースを担ぎ時間通り○○教授のもとに行くと,彼は放射線療法に関する新たな手技について話し始めました.
術後における放射線治療の6週間とういうのは,トラウマ的で苦痛であり,大変な期間ですが、この治療の代わりとして術中に使用する新しい方法を開発したと先生から説明を受けました。手術は、しこりを取り除いた後、再発を防ぐために腫瘍部分の周囲をさらに広範囲に切除します。その広範囲に切除した部分にゴルフボール大の詰め物を入れます。その後、執刀医や看護婦は手術室を後にし、誰もいなくなったところでスクリーンのようなものが現れました。
私は麻酔のため何も憶えていませんが、センチネルリンパ節生検を受け、その後手術中に放射線療法が行われました。これは私の個人的な意見ですが、わざわざ術後に放射線療法を行う必要性はなく,意識のない手術中に放射線療法ができるのであれば,それに越したことはないと考えます。
現在では,強度の高い放射線治療が術中に行われているようですが、私の場合は強度が低かったので、術後も数週間にわたり放射線治療を受けました。
当時はこれが唯一の治療法でした。

英国人の乳がんの語り

放射線療法を行っていたときの気持ちについて話している

放射線治療を受けました。化学療法より辛かったです。毎日、月曜から金曜まで毎日、「放射線治療」と書かれたドアをくぐらなければならないという現実がきつかったのだと思います。本当にたくさんの方々と同席しなければなりませんでした。いらっしゃる方は様々で、とても具合悪そうに見える方もいらっしゃれば、元気そうに見える方もいらっしゃいました。お話をしたがっている方々はたくさんいらっしゃいました。そこではカウセリングは受けられなかったので、皆、話がしたかったのです。悩みを抱えていらっしゃるかたはそれほど多かったのです。
放射線治療では毎日、衣服を脱がなければなりません。1週間もすれば慣れるのでしょうが、私はなかなか慣れませんでした。私には、それが毎日診断結果と向き合っている感じだったのだと思います。それまで向き合ってなかったんだと思います。治療は気を使っていただき、思いやりを感じるものでした。治療を受けない乳房はいつも隠してくれました。

英国人の乳がんの語り

放射線療法を受けている間に感じた孤独感について話している

 でも放射線治療を受ける時は、この恐ろしい機械みたいなものに入らないといけません。
 私はその中に横たわって、そうですね、ちょっとはだけた状態になるんですが、それで全員が部屋を出て行き、自分だけが残されるんです。体を行ったり来たりするレーザーがあるだけの、真っ暗なところに。
 ええ、ものすごく変な気分になるから本当にぞっとしますよ。だって傍には誰もいないんですよ。横に座って「大丈夫ですよ」って言ってくれるような人もいないんですから。
 いつも違和感がありました。皆はどこにいるんだって。こんな風に思いました。「皆がどうして部屋から出ていくのかは分かってるわ。だけど他のみんなは部屋の外に出て、閉まったドアの向こう側にいないといけないようなことなんだったら、私だけここに居てこのレーザーを体に受けないといけないなんて、どうしたって私にとって『いいこと』だなんて思えないんだけど」って。
 それに、私の身体のあちこちを引っ張ったり押したりで、まるで自分が一切れの肉になったような気分になるんです。治療のためとは分かっているけど、あの人達もひょっとしたらこれを一日中やっていて、イライラしているのかもしれない。でもやっぱり一切れの肉になったような気分になるんです。それに…そうですね、たぶん彼らが何もしゃべらないからかもしれません。化学療法の看護師みたいに、話しかけてきたりしないからでしょう。それが私にはあまりに人間味がないように感じられたんです。あんまりサポートされていないように感じてしまったのは、多分この時だけじゃないかと思いますね。

英国人の乳がんの語り

自分は治療中もずっと働くことができた

クリスマスが近づいていたので、放射線治療はクリスマス休暇が終わってから始めることになりました。それも私には何の問題もありませんでした。副作用はなかったですし。実際、私は毎日、最後の時間に予約して、仕事に行き、午後半ばくらいで退社して病院に行き、放射線治療を受けて帰宅していました。ですが、何の副作用も感じませんでした。病院は効率がよく、それほど長く待つこともありませんでした。先ほど言いましたとおり、私は最後の予約だったんですが、最後でも予約時間がずれ込むことはほとんどなくて、自分で運転して行き来するのも問題はありませんでした。本当にうまくやれていました。
放射線治療は約16回受けたと思います、週に3回という治療スケジュールで。そして最後に、「ブースター照射」っていうのを1回受けました。

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放射線療法を受けた経験について説明している

放射線治療を受ける経過は、実際はとても短いんです。最初はちょっと窮屈な格好で動かないで少し冷たくて居心地の悪い治療台に横になります.私の場合は結構素敵な木製パネルの壁で囲まれた部屋で 温かみのある感じの診療室でした。
寝台にはまっすぐに寝かせられて測定されているのは奇妙ですね。まるで解剖台に載せられたような気分でした.でも中々経験できないことではありますね。
放射線治療器にかかる前に予定照射点にマークを付けられます。計測で照射点が決まった後でX線室屋で確認されます。また計測してからフェルトペンなどで標を書きます。そうやって全身を全身を診断されるのはなんだか興味深いし、ちっとも痛くありません。快適な感じではないけど。
数分間ちょっと窮屈な格好でじっと横になっている間装置が一回転して測定します。最初の治療では、測定するのに十分くらいかかって、それからいろいろ整えて、その後の治療処置は大変素早く終わりました。部屋が暗くなると赤い光線や照らされるマークがよく見えます。
私は快適でないことはなかったけど もし少し落ち込んでいる状態なら 部屋にいる人たちが一斉に外に出て行って光が点滅すると、ひとりぼっちだと感じてしまうと思う。
これが多分、誰か一緒にいてくれたらいいなと私が思った理由ね。でも、こんな状況でみんなが欲することや、取る行動は、それぞれに違うわね。

英国人の乳がんの語り

放射線療法を受けた理由について説明している

 でも放射線治療を受ける時は、この恐ろしい機械みたいなものに入らないといけません。
 私はその中に横たわって、そうですね、ちょっとはだけた状態になるんですが、それで全員が部屋を出て行き、自分だけが残されるんです。体を行ったり来たりするレーザーがあるだけの、真っ暗なところに。
 ええ、ものすごく変な気分になるから本当にぞっとしますよ。だって傍には誰もいないんですよ。横に座って「大丈夫ですよ」って言ってくれるような人もいないんですから。
 いつも違和感がありました。皆はどこにいるんだって。こんな風に思いました。「皆がどうして部屋から出ていくのかは分かってるわ。だけど他のみんなは部屋の外に出て、閉まったドアの向こう側にいないといけないようなことなんだったら、私だけここに居てこのレーザーを体に受けないといけないなんて、どうしたって私にとって『いいこと』だなんて思えないんだけど」って。
 それに、私の身体のあちこちを引っ張ったり押したりで、まるで自分が一切れの肉になったような気分になるんです。治療のためとは分かっているけど、あの人達もひょっとしたらこれを一日中やっていて、イライラしているのかもしれない。でもやっぱり一切れの肉になったような気分になるんです。それに…そうですね、たぶん彼らが何もしゃべらないからかもしれません。化学療法の看護師みたいに、話しかけてきたりしないからでしょう。それが私にはあまりに人間味がないように感じられたんです。あんまりサポートされていないように感じてしまったのは、多分この時だけじゃないかと思いますね。

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タモキシフェンからアリミデックス(一般名アナストロゾール)へ変更したことについて説明している

当時“wonder drug(特効薬)”と呼ばれていたタモキシフェンの服用が中止になり、アリミデックスに変わりました。

――タモキシフェンはいつから始めたのですか?

手術の後、すぐからです。

――タモキシフェンで何か副作用があったのですか?

自分の知る限りでは、ありませんでした。でも、薬の作用なのか、背がとても高くなったような感じがすることがあります。身長が2m以上にもなったような感覚で、地面がとても遠くにあるように感じられるんです。そして階段を下りるとき、「んん、何だか長いなあ」と思ったりするんですよ。でもこれは、単に現在服用している薬の組み合わせのせいではないかと思います。

――めまいのような感じですか?

いいえ、そうではなくて、ただ背が高くなった感じがして、それだけなんですよ。本当に不思議な気分ですけれどね。

――アリミデックスに変わったのはいつですか?

以前、放射線療法を受ける必要があると言われました。薬が変わったのはその時だったと思います。

――何か違いに気付きましたか?

いいえ何も。タモキシフェンで副作用がありませんでしたから。

――では、アリミデックスではどうですか?

アリミデックスでも副作用はありません。