投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

出産と産後の乳がん手術に関する選択肢をどのように説明されたか話している

――治療の選択肢としてどんなことを検討し、話し合ったでしょうか?

私の場合、妊娠していたために、(状態や予後に関して)非常に予想がつきにくくなっていました。そのため、医師たちは、できるだけ早く子供を産む手助けをしたいので入院してほしいといいました。それからもう一度、出産も含めた全ての手技を説明してもらいました。分娩を誘発するつもりだが、まだ妊娠初期なのでおそらく帝王切開をしなくてはならないだろうということ。そのあとで、出産後の体力回復の期間をとって、それから乳房を手術しようということ。7月14日、私は腫瘍摘出手術を受けました。私と夫はもう一度手術についてオープンに話し合って、もし乳房切除術か、あるいは両側切除が必要であれば、お願いしますと医師たちに言いました。やはり、これからの人生では、息子の将来のために健康でいてやることがいちばん大切だからと思ってそう言ったんです。

英国人の乳がんの語り

複数の手術方法と化学療法の選択肢について語っている

医師は、私にいくつかの可能な選択肢があることを、次のように説明してくれました。
「ガンがどこにあるかによって、局所を広範囲に切除したり、場合によってはもっと沢山の組織を除去することがあること、そしてミニ・フラップ手術と呼ばれる、一種の形成的な手術、つまり、肩の筋肉の一部をもってきて除去した部位に埋め込む手術を行うこと、あるいは、乳房全体を切除しなければならない場合もあるということです。さあ、この3つの選択肢の中からどれを選ぶかは貴方です」と言うのです。
私は彼に向かって、「じゃあ、私が生き残れる可能性が一番大きいのはどれ何ですか?」と言いました。すると彼は「生き残る可能性が最大になる選択肢が一つだったら、それをお伝えするのですが、この3つの選択肢はすべて等しいチャンスがあるのです。」
私はしばらくそこで考えました。「これはちょっとホブソンの選択(=えり好みの出来ない選択)みたいね。私としてはガンを全て取り除きたいだけなんだけど」
そう言って、私は医師に第2番目の手術を選ぶことを伝えました。

――それはある種の乳房再建的な手術といった選択ですか?

ええ。そうです。
それから医師は、化学療法にはいくつかの異なるタイプがあり、3種の薬を使う方法が今は標準だけれど、4種の薬を使う新しい方法も新しい標準治療になりつつあるのだと、説明してくれました。それからまた、タクト(Tact)と呼ばれるアメリカの薬があって、これはまだ試験中みたいなのだけど、この中でどれを望むかって言うの。またまた選択ね。そう、臨床実験なのよ。私はどちらかというと4種類の薬を使う方法にしたいと思った。だって、これはアメリカの薬で、二次性の乳がんがある人のための薬だっていうから。

英国人の乳がんの語り

なぜ手術に関する決定を外科医にゆだねたか説明している

 不思議だと思ったのは、どれだけ転移しているかそういったことは分からないので、医師達にも手術してみないと正確な状況がわからないということでした。
 それで、「じゃあ手術しましょう」と言っても、どの程度切除しなければならないのかが分からなかったのです。
 医師は尋ねました。「どうですか、乳房インプラントをご希望されますか?」でも、どう考えていいのか私には分からなかったんです。
 「私はインプラントなんて欲しくない。身体に何か別のものを入れるなんて嫌だし」私はそう考えました。でも自分がこれからがんのことをどの程度公表していくか分からなかったし、後からどんなことに気づくのか、それさえ分からないなんて落ち着かない気分でした。
 それでも私はこう言いました。「じゃあ、先生が決めて下さい。やらなくちゃいけないことがはっきりしているなら、他の事じゃなくてそれをやって下さい」と。
 医師も、どれほど深刻な状態なのかは、そうなってみないと分かるはずもなかったでしょうし、自分がちょっと、未知の領域に踏み込もうとしているような気持ちでした。
 そうですね、私は治療法について自分自身では何も決定しなかったんですよ。ただ治療法について知らなかったというのもあるし、知りたくもなかったんでしょう、きっと。
 つまり、知ろうとすればできたでしょうが、確かに私は今までにないような状態になっていて、別のやり方を考え始めることさえなかった。
 私は考えるにあたって安全性を求めました。「医師なら何が最善かは分かっている」って。だから手術について質問さえしませんでした。

英国人の乳がんの語り

乳房切除術と部分切除術のうちのどちらかを選択するとき、どのように決めたか話している

金曜日に専門医が会いに来て言ったのですが、「病院にもう一度入院して、再手術を受けることもできる」というのです。「もう一度切開して、しこりがあった場所の組織をもっと取り除いて、腋の下を切開してみよう」というのです。いわゆる‘広範囲局所切開’というものですね。
彼女は全部説明してくれました。「リンパ腺の一部を切除してみて、万が一がんが再発し、広がっていた場合は、治療方法は化学療法と放射線療法となり、タモキシフェンの投与を多分5年か10年は受けることになる」というのです。あるいはまた「乳房切除術を選ぶこともできる。乳房切除術のほうは、一旦それを受けてしまえば、それ以上の治療は何も必要ないだろう」ということでした。
私はこう思いました。「乳房切除術、確かに思い切った方法だわ。この小さな小さなしこりのために胸を取り去ってしまうなんて」って。しこりの大きさはエンドウ豆一個分に過ぎませんでした。大きくなりつつはありましたけど、まだ大きくありませんでした。乳房切除術は少し大げさだと思いましたね。
専門医のアドバイスは、「再入院して組織をもっと切除し、広範囲局所切開を行う」というものでした。私はそれをやってみると答えました。ドイツにいる娘にも意見を聞きました。娘は言いました、「そうよママ、そっちにすれば。乳房切除術はちょっと大げさだと思う」って。
それで私は広範囲局所切開を受けてみることにしました。

英国人の乳がんの語り

乳がんに関する知識は恐怖感を軽減できる

ええ,それはとても感情的に疲れ果て,そしてとても恐ろしい経験でした.でも,これらの悲しい気持ちや恐怖は,乳がんに関する様々な知識を得ることで軽減させることができました.あなた自身が病気に対する知識や自信を構築することで,直面している状況に立ち向かうことができます。そしてその知識は恐れやストレスを取り除いてくれます。積極的に回復に向けて行動していると、その行動自体が問題を解決してくれるからです。しかし,それは簡単なことではなく,一時的にですが、恐れやストレスに負けてしまいそうなこともあります。私の祖母がよく言っていたのは,苦しいときに忘れてはいけないこと、それは苦しみからは必ず解放されるということでした。

英国人の乳がんの語り

(インド出身の女性)子どもが通訳したり、情報について説明したりしてくれた

――入院前に、バンジャビ語で書かれた資料を受け取りましたか?

いいえ、何も頂きませんでした。緊急事態でしたので、頂いても何も読む時間はありませんでした。それに私の育った1944年頃の状況というと、例えば私が14歳だった1946年には学校などありませんでした。見たこともありませんでした。パンジャビ語は分かりますが、上手く読むことは出来ません。自宅で少しは学びましたが、今ではもうすっかり忘れてしまいました。病院では、教養のある私の子供たちが全てを説明してくれました。このような状況でした。

英国人の乳がんの語り

乳がんの医療的な側面よりも情緒的な面についての情報が欲しかったと話している

 私は特に乳房専門看護師から知りたい情報をすべて得ていたと思います。彼女は、私の場合についてこれからどんなことが起こるか、そしてどうなっていくかを説明してくれました。それに、私は2、3の資料を読みましたし。
 今なら、もし乳がんに関することを目にしたら、どんなものでも取り上げて読むでしょう。ガン一般に関することであっても読むと思います。でも当時は、欲しかったのはそういったことじゃなかった。
 ただの情報じゃなくて、何と言えばよいのか、もっと情緒的な側面に関することだったのではないかと。私はガンの事実に関することよりむしろ、情緒的なことに対してエネルギーを注いでいたんです。
 私が求めていたのは…この病気に罹ってしかも回復した人たちとの会話でした。私はこの別の側面が知りたかった。いわゆる「治療経過中」のことについては少しも知りたいと思わなかったんです。

英国人の乳がんの語り

これから自分が受ける治療を左右する可能性のある検査方法(センチネルリンパ節生検)についてどのように知ったかが述べられている

「Can Help」という組織で,ホームページもあります.
乳房に発生したがん細胞が,腋窩リンパ節(センチネルリンパ節)に転移しているか否かを調べるための方法として「センチネルリンパ節生体組織検査(生検)」についての重要な情報を入手したので,今回はそのことについて話をしたいと思います.センチネルリンパ節生検は,放射性元素を含む色素を腫瘍の周囲又は乳輪部に注入し、アイソトープを使って追跡します。この検査はまったく痛みを感じません。色素が流れ始め、リンパ節に辿り着きます。最初に辿り着いたリンパ節がセンチネルリンパ節と呼ばれています。
そして次の日、ガイガー・カウンタ(簡単な構造をもち広く使われている携帯用放射線検出器)を使用し外科手術を受けました.手術では,直ぐにリンパ節に達し,リンパ節細胞の細胞検査をその場で行います。そのとき,リンパ節に転移が認められなければ,他のリンパ節への転移も否定することができるのです.そして,無意味な大手術を避けることができます.
私はこの手術が臨床試験の一部であったことから、できる限りリンパ節は摘出したくないという強い意思を伝えました。担当医は私がこの手術についてよく説明を受けていたということを踏まえて、私の意思を受け入れてくれました。
担当医が最初に提案してくる手術法をそのまま受け入れる必要はありません。もしかしたらパニックに陥って受ける必要のない大手術を受けてしまうことだってありうるからです。

英国人の乳がんの語り

当初はインターネットに情報を求めたが、自分は稀ながんの型であったため、後には自らウェブサイトを立ち上げた

乳房を切除した後、私は「炎症性乳がん」のすべてについて知る必要があると感じました。乳房の切除前になぜ化学療法を行わなくてはならなかったのか、とか、それで、なぜ周囲が大騒ぎになったのか、など、すべてについてです。それで、私はインターネットで調べ始めたり、IBCサポートというサポートグループに入会したりしました。私は、炎症性乳がんについて出来る限りのことを勉強しました。どうして起こるのか、有糸分裂や減数分裂とは何なのか、どんな症状なのか、それとどう立ち向えばよいのか、その予後や組織像はどうなのか、すべてについて勉強したのです。すごくたくさんの事を学びました。時間をついやしすぎたかもしれませんが、ともかく知る必要があったのです。知ることは力になりますし、自分の身に起こっていることを知る必要があったのです。それは間違いではなかったし、今振り返っても正しい行動だったと思います。私はまた、自分でウェブサイトを立ち上げて、そこに炎症性乳がんの人たちや、炎症性乳がんではないけど乳房に痛みがあるすべての人々にとって、助けになるような情報を沢山盛り込んだサイトを作ったのです。ホームページではライブチャットができます。フォーラムにメッセージを投稿できます。回復して快適に暮らしている人の写真を見ることもできます。すごく簡単にたくさんの情報が手に入るのです。

英国人の乳がんの語り

最初、できる限り多くの情報をかき集めていたが、後になると自分に必要な部分だけを読むようになった

手術直後は、乳がんに関するあらゆる情報を入手しようと思いました。いろいろな雑誌や情報を切り抜き、いろいろな人の話を聞き、ボランティアに参加し、利用できるすべての情報を収集しました。
でも、次第に・・・、というよりは間もなくですね、情報収集はやめようと決心したんです。生半可な知識はかえって危険だという理由からです。おかしな言い方ですが、知識は少なければ少ないほど良いと感じるようになったのです。私が今持っている情報や経験についてほかの人たちに伝えることで十分だと思うのです。
情報過多ということもあると感じるのです。特に、ほかの女性と話すときに、充分な知識もないまま、何かをしゃべってしまって、それで何か被害を与えるということもありうると思ったのです。だから、私は過剰な情報収集をやめました。私はどこで必要な情報を入手できるかを知っていますが、あまりそれらにとらわれないように心がけています。