投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

化学療法中の味覚の変化について話している

最悪だったのは、誰もが指摘する病院食のまずさで、ほんとうに恐ろしくまずいですが、化学療法に入ると美味しかろうがまずかろうがなにも食べる気になれなくなることです。
そのせいで私の食生活は全く下降一途になりました。
それから、医師達が警告してくれたように、食べ物を食べるときに口の中に鉄のような味がし始めました。それはどうしても消えませんでした。まるでステンレスのスプーンをなめているような味がしました。口の中はいつでも乾いていて、飲み物を飲もうと思っても味やにおいのせいで気分が悪くなってしまうのです。
吐き気止めの薬は効いたのですが、それもにおいをかぐとダメでした。それに加えて、病院食は金属で出来たトレーで運ばれてくるので、それが私の気分をいっそう悪くさせた上に、食べ物の蓋をあけるとにおいが一斉に放たれるのです。しばらくしてからやっと食べられたのは柑橘系の果物だけでした。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の体重増加と疲労感について話している

その間は何も食べたくはないと思ったけど、とてもお腹が空いるとわかったの。この吐き気と闘っていることと関係があるかどうかはわからないけれど、いつもお腹がすいていた。そして、吐き気止めのためのステロイドで、体重が増えて、自分が嫌になったわ。それから、だんだん憂鬱になって、ふけていって、太っていった。ただただ横になっていたいだけ。たぶん、化学療法がすすむにつれて、疲れがつのっていったからでしょう。文字通り、ほとんど何も出来なかった。ちょっと郵便局に行って戻るだけでも、疲れて横にならないといられなかったわ。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の吐き気について説明している

でも、化学療法を受けていたときはいつも気分が悪くなって、今でもあの治療のことを考えるだけで気分が悪くなるの、今でもよ。化学療法を受けていたときは、部屋に入っただけで、吐きそうになってました。そして、ほんとに、あの看護師さんは優秀だったわ――点滴注射を入れ始めるとすぐに(吐物を受けるための)膿盆を私の脇にもってきてくれるの。私が気分が悪くなりそうになると、いつでも分かっていたわ。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の疲労感について話している

 でも私はいったんこの状況、つまり、自分はこれからしばらくの間病気になるんだということを受け入れたんだと思います。それでもう他のことをやろうとかあれこれ考えようとするのをやめて、ただ病気と向き合うことにしました。それで、もう本当に、本当に最悪な時期があって、とても気分が悪く、疲れ果てて、また普通の状態に戻るなんて考えられませんでした。朝ベッドから跳ね起きて、丸一日を過ごすことができるようになるなんて、とても想像もできませんでした。
 買い物に行くとか、友達の家に寄るとか、一日に一つのことをやったら、もうそれでおしまいという感じでした。それでその後は、早い時間にベッドに入らなくてはならなかったし、そういった一つか二つのことをやるために午前中いっぱいは眠らなくてはなりませんでした。私がいつも走り回っているような人間だったことが信じられなかったし、自分は年を取った誰かに体を乗っ取られようとしているんじゃないかとか何とかさえ感じたんです。「いったい私の体に何が起こっているの?」って思いました。

英国人の乳がんの語り

うまく化学療法に対処することができた

全体としては、治療はうまくいったと思います。1999年の12月に手術を受け、2000年の1月5日に化学療法をスタートしました。あまりつらい思いもせず、うまく乗り切ることができました。吐くこともありませんでしたし、髪の毛も抜けませんでしたから。
気をつけていたことはあります。化学療法は、たいてい朝の9時から午後3時か4時までかかり、ほぼ一日中病院で過ごすことになります。ですから、治療から戻ったら家で体によい栄養価の高いものを食べるよう心がけていました。1日に3食きちんと食べました。こわれた細胞がきちんと修復されるように、と考えていたのです。それで化学療法をうまく乗り切ることが出来ました。

英国人の乳がんの語り

数週間にわたって継続的に行われた化学療法の経験を説明している

私はその日、不安でたまりませんでした。どのような治療なのかわからなかったからです。痛みがあるのか、気分が悪くなったりするのか、どんな反応を示すのか、とにかくわからなかったのです。とても精神的に辛い時期でした。ヒックマン・カテーテルや薬剤パックやポンプを見ると常に思い出すからです。鏡をみればなおさらでした。それで、最初はしばらく低用量を続けました。逃げられないという気がしました。いつもすぐそばにあるのですから。ポンプからはどうやっても逃げられません。シャワーを浴びる時も、ラップで包んでそばに置かなければなりませんでした。夜、ベッドに入っても枕の下に入れておかなければなりませんでしたし、時々忘れてしまいベッドから起き上がった時に「うわっ、まだ繋がれているんだったわ」と思いました。慣れるまでが相当辛かったのですが、実際なんとか慣れた後は大丈夫でした。

英国人の乳がんの語り

患者支援の充実した病院環境について述べている

私は初めて宣告を受けたあの日、仰天しすくんでしまいました。これからどうなるのか分からなかったから。きっとあなた方も実際経験してみないと分からないと思います。医療チームは素晴らしかったわ。彼らは私に出来そうなことを沢山説明し、冷却キャップのようなものをくれてそれが脱毛に役立つかをみてくれました。
ということで私は治療を受けました。妹が一緒についてきてくれました。治療処置が始まりました。とても親密な雰囲気で看護師達は素晴らしかった。私は終わりまで笑顔でとおすよう決心していました。クロスワードを持ち込みました。自分と同じ病状の人も沢山いることが分かりました。私よりずっと重い人も、軽い人も大勢いました。私たちはそれをプラスの経験に変えたのです。

英国人の乳がんの語り

化学療法を受けた経験について話している

化学療法が行われた診察室は、すてきなカーテンや家具が置かれていて、病院らしい冷たい印象を与えないよう、まるで誰かの家の居間にいるかのようにくつろげるように、快適に過ごせるように工夫されていました。いずれにしろ、最初の治療の時はあまり気持ちのいいものではありませんでした。手の甲に針を刺し、それを生理食塩水の点滴に繋ぐんですが、そこから出ているチューブの15センチくらい下に小さな接合部があって、そこから5種類の異なる薬を注入するんです。5本の大きなシリンジ(注射器)が載せられたトレイが私の横に運ばれてくると、私は座ってただ片方の腕を伸ばし、それを見ないように反対の方向を向いていました。3つが化学療法の薬で、2つが吐き気止めの薬だということでした。化学療法で気分の悪くなる人が多いからです。でも私は運がよく、吐き気は起こりませんでした。治療の間中ずっと、気分が悪くなることはありませんでした。吐き気止めの錠剤も処方されていて、最初はきちんと飲んでいたのですが、吐き気の副作用はまったくなかったので2回か3回目の治療の後で飲むのを止めました。

英国人の乳がんの語り

放射線療法後の抑うつ感について説明している

3週間位たった頃から、気分が落ち込み始めて、本当にうつ状態になったから、私は娘たちに聞いたの。「放射線治療ってうつ状態を引き起こすものなの?」。すると子どもたちが「一部の患者さんはそうなるみたいよ。カウンセラーに連絡してあげようか?」と言ってくれたので、「お願い」と言いました。それで、前に診てもらった(がん支援団体の)マクミラン財団の看護婦さんにもう一度会うことにしたの。
それで昨年の夏、ほんの短い間だけ抗うつ剤を使ってみたんだけど、もっと気分が悪くなったから捨ててしまったの。あんな薬は使わない方がましだわ。私のかかりつけの先生は「ああ、がん患者はみんな」ってずいぶん十把一絡げな言い方をするものだと思うけど-「がん患者は誰でもうつになるものですよ」って言ってたわ。たぶんそうなのでしょうね。
昨年の夏は、5月、6月を過ぎた頃、とてもうつっぽい状態だった。そういえばこんなことがあったわ。みんなで1週間ほど[○○]に行ったのだけれど、[○○]のホテルのバルコニーに座って、「どう生きてゆけばよいのか分からない」って言いながら泣いてたの。なぜ「何とかしなくちゃいけない」って思ったのかわからないけれど、そのときはそう思ってたのね。

英国人の乳がんの語り

放射線療法後の乳房の痛みにどのように対応したか、またそのためにどんなクリームを使ったか、話している

治療後は乳房が真っ赤になりました。入浴のとき胸までつかったり 石けんをつけたりすることは禁じられていますから、ただ水をかけるだけです。
六週間ほどはバスタブの中で少々不便な思いをしましたね。私は入浴の方が好きです、シャワーはただ濡れるだけだから。
入浴しているとき私は局所クリーム、医師に勧められた特殊なクリーム、を使いました。また、治療効果があるとか研究されているアロエの一種も使いました。乳房全体は真っ赤になり、でも、乳首は黒ずんでいって まるで竈で焼かれたようになったけど、最終的には皮膚表面は完全に剥けて下から新しい皮膚が出来てきました。まるで焼かれたみたいで、ちょっと驚いたけど。
でもいつもヒリヒリ痛んだわけでないのよ。不思議だけど、しょっちゅう痛んでいるわけではなかった。