インタビュー時年齢:69歳(2015年5月)
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の補助療法の治験(第3相・プラセボ対照試験)に参加したが、再発して中止。

九州地方在住。2007年にびまん性大細胞型B細胞リンパ腫と診断され、抗がん剤治療を受けて一旦寛解状態になった。その後の補助療法を検討する中で主治医から医薬品の治験を紹介されて参加したが、試験期間中に再発し中止。再発時には「プラセボだったか」ととも考えたが、後悔は全く無かった。今後もできることがあれば最大限協力したいと思っている。

プロフィール詳細

佐藤さん(仮名)は2007年頃、ウォーキング中に息苦しさを感じるようになり、その後、どんどん歩けなくなってしまった。その年の人間ドックで、CRP値が高いため精密検査となり、かかりつけの病院に入院した。循環器が悪いのではということで、市民病院に転院してさらに循環器を中心とした検査を行ったが異常が見つからず、血液を調べるために同病院の血液内科に移った。すぐに骨髄穿刺で血液の状態を調べ「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であるとの診断を受けた。ちょうど定年で仕事も終わったので入院で抗がん剤治療を行い、寛解状態となった。今後の治療法を主治医と相談する中で2つの方法を提示された。一つは、通院を継続して経過観察、もう一つは大学病院で受けることが出来る治験であった。病院の事務職として勤務した経験から、治験についてはある程度知っており、自分としてはぜひ協力したかったが、周囲への影響も考え、いったん持ち帰って検討した。家族や知人に相談したところ、反対の声はなくむしろそれは受けるべきだという声が多く、参加することにした。

担当は血液科の准教授で、「治験スタッフ」として薬剤師1名と看護師1名がついた。検査の時は必ず治験スタッフのどちらかがついていたが、説明は主に准教授から受けたように思う。その施設でこの治験に参加する第1号で、全国でも対象者は40名弱だと聞いたが不安には思わず、その中に選ばれて嬉しいと思った。最初は2泊3日の入院で極端な副作用が出ないことを確認した上で、退院後は毎日薬を服用し、1ヶ月ごと、のちに3ヶ月ごとに経過観察のために通院した。通院のたびに薬をまとめてたくさんもらってきたが、特にその管理で困ることもなく、むしろ、治験の際にそれまで飲んでいたいろいろな薬を整理するため、担当医が処方を見直してくれたことが嬉しかった。

治験中もウォーキングを続けており、また息苦しさを感じるようになってきたところ、担当医から再発と診断されて入院することとなり、治験はそこで終了となった。再発の入院中も、治験スタッフがよく顔を出してくれて非常に勇気づけられた。再発した際にも治験に参加したことへの後悔などはなく、今後、どう治療してもらえるかということの方が気になった。そして「これはプラセボだったんだろうな」と自分では思ったが、最初から説明されていたことだし後悔はなかった。

再発後は自家末梢血幹細胞移植を受け、退院して丸5年になり、再発の心配はしていないと主治医に言われている。その後、治験自体の結果がどうなったのかが気になったので主治医に聞いてみたところ「(あの治験で)何もいいことはありませんでした」との答えで、開発は中止になったと知った。説明文書には「希望する場合には結果をお知らせすることもできます」とあったが、病院から何も言われないので、治験スタッフに相談したところ、医師に聞いてみるよう言われ、自分から尋ねてみた。治験に対して唯一残念だったのは、治験に関する結果を十分に教えてもらえなかったことだった。

昔から病気を多くしていたこともあり、医療に関わっていきたいという思いも持っているので、今後も貢献できることがあれば最大限協力したいと思う。

私は: です。

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