診断時:27歳
インタビュー時:50歳(2017年12月)

関西地方在住の男性。母親と二人暮らし。平成6年ころ下痢が続いて痔ろうと診断され手術をした。しかしその直後から下痢が続き食欲がなくなって75キロあった体重が40キロまで減ってしまい、大きな総合病院を受診してクローン病だと診断された。その後狭窄や瘻孔(ろうこう)があって2回手術をし、2回目でストーマを造ったが、1年半後に閉じた。その後もう一度手術したが、最近はレミケードが効いて寛解を保っている。発症した時勤めていた会社は病気を理由に解雇されたが、その後理解ある会社に就職して、現在もその会社で勤めている。

プロフィール詳細

 27歳のころに痔ろうの手術をしたが、退院直前になって激しい腹痛が起き、バリウムを飲んで調べたが原因がわからずいったん退院した。しかし、その後も下痢が続き食欲がまったくなく、あまりに衰弱してしまったので、父親が救急車を呼んで、入院することになった。だが、その病院でも診断がつかず、都心の大きな病院を紹介してもらって転院し、そこでやっとクローン病の診断がついた。その時には75キロあった体重が、40キロになってしまっていた。

 すぐに絶食としてIVH(中心静脈栄養)(*1)とステロイド(*2)治療が始まり、ステロイドの副作用もあったが、なんとか寛解状態になり3~4か月ほどで退院した。しかし1週間くらいでまた出血したので再度入院し、そのまま2年間入院した。その後も約1年おきに入退院を繰り返している。その頃患者会のメンバーに有名な外科医を紹介してもらい、紹介状もなしに飛び込んでいったが、親切に診てくれた。結局その病院に転院してしばらくして狭窄で手術をしたが、直後に瘻孔(*3)が見つかり、すぐに緊急手術をして、臨時のストーマを造った。1年半後にストーマを閉鎖する手術をして無事戻ったが、また瘻孔が見つかり4回目の手術をした。その時は狭窄部分も切除したが、術後もなかなか食事が通らず2か月近くイレウスチューブ(*4)を鼻から入れて苦しい思いをした。その後は順調に回復して、7年前くらいにレミケード(*5)を使い始めてからは寛解状態が続いている。

 発病をきっかけに15年勤めていた会社から退職勧告されて、その会社を辞め、しばらくアルバイトなどしていたが、たまたま寛解状態の時に面接を受けた会社で正社員として採用され、その会社の社長が病気に理解のある人で、現在もその会社で働いている。

 病気になるまでは仕事ばかりをしていて趣味もなかったが、むしろ病気をしてからは、治療や手術は大変だったけれど、同病の人との関わりができたり、音楽が好きでライブに行ったり、旅行に行ったりと、活発に動くようになった。

同じクローン病といっても症状や状況は色々違うと思う。患者会や同病の人に話を聞いたり、自分から病院や医師の情報を集めて、少しでも良い状態に持っていけるように努力することが必要だと思う。

*1 IVH:高カロリーの栄養輸液を体内の中心に近い太い静脈から継続的に入れる方法
*2 ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている。副作用も多いため、IBDでは一般的には寛解導入に使われるが寛解維持には使わない。
*3 瘻孔:腸管と腸管あるいは腸管と皮膚などに孔(あな)があいて、トンネル状につながった状態
*4 イレウスチューブ:イレウス(腸閉塞)等に対して、腸管内の圧力を下げるために鼻から通して腸管内に留置する管のこと
*5 レミケード:(一般名インフリキシマブ)生物学的製剤(抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)

私は: です。

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