インタビュー時:66歳(2019年11月)
診断時:66歳 
診断名:先天性大動脈弁閉鎖不全症、心不全
首都圏在住の女性。看護師。

咳込んで眠れない夜が続き、階段を上っただけで息切れするようになり、循環器科を受診。
大動脈弁閉鎖不全で心不全を起こしているとわかり、生体弁への置換術を受けた。
心臓手術ということで一度は死を覚悟し、術前に家族や職場の人に今後のことを頼んだ。
術後ICUの経験はとにかく苦しいものだった。
患者の経験から医療者の対応や看護についていろいろと気づかされ、今後に活かしていきたいと思った。

プロフィール詳細

首都圏に1人暮らし。2019年の夏、咳込んで眠れず苦しい夜があった。それまで健康体だったので、風邪でもひいたかなと思って様子を見ていた。しかし、今度は座位にならないと眠れないほど苦しくて、これはおかしいと思って内科に行ったところ、循環器科に行くように勧められた。仕事を休みたくなかったので、その後も仕事に出たが、階段を上がっただけでハアハアと息が切れ、動悸がして、その日は早退して病院に行った。レントゲンと心電図を取り、突然死してもおかしくない状態と言われて、即入院となった。荷物を取りに帰ることも許されず、そのまま入院するように言われた。心臓カテーテル検査で造影し、大動脈弁閉鎖不全であることがわかり、数日後に手術が決まった。

いろいろな検査をしながら、術前の肺の訓練をして手術日を待ったが、毎日のように救急車が来て、入院患者には高齢者が多く、認知症の患者さんもいて、夜は眠れなかった。入院して1週間ほど過ごしているうちに、自分が心臓病患者であるという実感が湧いてきた。思い起こすと、1年ほど前からゴミ捨て場に行くまでの80mが息切れしたり、風邪っぽい苦しさを経験したりしていたが、やり過ごして仕事を続けていた。

心臓の手術であること、成功率は100%ではないことなどから、手術を前に、一度は死を覚悟した。「僕に任せてください」と言う医師に信頼はしていたが、目覚めなかったときのことを考えて、妹や職場の人たち、事務長さんにこれからのことを頼んでいた。術後、気が付いたときには、ああ生かされたんだなーと思った。

手術後、気づいてからICUでの記憶は苦しいものだった。気管内チューブを挿管されて、抑制されていて、痰を出したいと伝えたいのだけど、伝えられず、背中が暑くて汗が出て、息ができず、とにかく苦しかった。看護師たちの話は聞こえてくるのに、声が出ないので、助けてとも言えず、死んでた方がましだと思うほどだった。自分は看護師だが、患者さんの苦しみを思い知った気がした。今でもそのとき話していた内容を覚えている。患者経験は、同じ看護師として医療者としてどうあるべきかいろいろと考えさせられた。

3日ほどして、ICUから一般病棟に移り、ほっとした。胸には手術による25cmほどの傷ができていた。看護師たちは傷がよくなっていていると言ってくれていたが、退院後も中々傷を見ることができなかった。お風呂に入っても骨に響くように痛くてせっけんで傷を洗うこともできなかった。患者さんは実際こういう風に痛いのだと体験してみて改めて傷の痛みが分かった気がした。その他にも、入院中に患者として経験したさまざまな出来事に気づかされることが多く、今後の看護に活かしたいと思っている。

入院してから約1カ月後無事に退院した。自分の場合、本当は三尖弁である大動脈弁が先天的に二尖弁だったそうで、加齢とともに動脈硬化が進み、二尖弁に負担がかかり閉鎖不全を起こしたということだった。自分の場合、動物の弁を用いた生体弁へ置換する手術だったので、10~15年ほどで再手術が必要となる予定だ。それほど長生きしたいとも思わないが、主治医はその頃には治療法もよくなっているだろうから心配いらないと言っていた。退院後は自宅療養し、3カ月後には普通の日常生活に戻った。

私は: です。

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