診断時:70歳
インタビュー時:72歳(2009年2月)

診断を受けたときには、近畿地方在住で、妻と2人暮らし。2006年秋、健診でPSAが5.6と出たので、近隣の公立病院で精密検査を受け、がんと診断された。この病院では手術を勧められたが、小線源療法を希望して受診した大学病院では、様子を見るよう勧められた。迷ったが、大学病院の医師に信頼を感じて、待機療法を選択。現在は1ヵ月半に1回通院しながら経過を見ている。子どもたちが孫とともに近くに住んでいる。

プロフィール詳細

R.Gさんは、現役時代は建築関係の仕事に携わり、定年後は小さな仕事をしながら、ゴルフなどのスポーツで汗を流したりして「老けないように」と、張りのある毎日を過ごしていた。

2006年秋、市民健診でPSAが5.6と出た。その後、分厚い封筒が届き「がんの疑い」とあったが、間違いだろうと思った。念のためにと、軽い気持ちで公立総合病院の泌尿器科へ行き、精密検査を受けた。がんと言われた時には「嘘だ」と思った。帰り道、妻が心配するだろうなと考えつつも「誤診だ、どこか大きい病院で調べてもらおう」と思っていた。

再び病院を訪れると、担当医から「早く手術を」と勧められた。一度家族で相談したいと話したが「こちらも都合がある」「すっぱり切られた方がこの先楽ですよ」と説得され、一応3週間後の手術予約を取ることになった。まあ3週間あるし、その間に考えたらいいやと思った。

子どもたちは心配して、インターネットであちこちの病院を調べてくれた。しかし遠方の病院までわざわざ行く気にはなれなかった。数日後、近隣大学病院の医師が執筆した、前立腺がん治療のコラムを家族が見つけてくれた。小線源療法に関する地方紙の記事で、この治療はここでは受けられないと公立病院の担当医が話していたことを思い出し、この大学病院に行ってみることにした。

大学病院の担当医は「まず検査資料を見て考えましょう」と言った。検査を一通り終えた後、担当医は「慌てることはない」「がんではあるが、70歳を超えられて、ここまでこられているのだから、良い意味で医師である私と友達になって、ケースバイケースでいきませんか」と待機療法を勧めた。「友達になって」という言葉がとてもうれしかった。安心を与えてくれる言葉かけだったし、説明も分かりやすいと感じた。

ちょうど同じ時期に、味覚に異常を感じ、公立病院であちこちの科を回ったが原因が分からず、「関係ないと思うけど一応」と受診した脳外科で腫瘍が発見され、前立腺がんと同じように「今切った方がいい」と手術を勧められていた。2つの手術を受ける場合、1ヵ月おきに手術だと言われていた。大学病院で泌尿器科の担当医に相談してみると、院内の脳外科を紹介してくれた。そこでは前立腺がんと同じように、様子を見てはどうかと待機療法を勧められた。

迷ったが、手術のリスクや市民病院のやり方に不安を感じていたこと、また大学病院の医師の信頼できる態度を見て、前立腺がんも脳腫瘍も大学病院での待機療法を選ぶことにした。現在は1ヵ月半に1回の通院で経過を見ている。以前と変わりなく食事やスポーツ、旅行を妻とともに楽しみ、今では手帳で確認しなければ通院日を忘れてしまうほどである。目標を立て、日々を前向きに楽しく過ごそうと、がんであることを「意識的」に意識しないようにしている。

私は: です。

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