マイケル
事件当時:47歳
インタビュー時:52歳

エンジニアリング•コンサルタント。既婚、3子あり(1人が死亡)。2004年に息子のルイスはガレージで勤務中に重度の熱傷を受け、3日後に死亡。支援の多くを家族と友人から受け、カウンセリングも役立った。

語りの内容

はい、2004年の2月19日でした。妻から電話があって、ルイスが職場で事故に遭ったと聞きました。それも、かなり重傷だと。そのとき私はサウサンプトンで働いていたので、車で向かいました。運転中、ラジオをつけていましたから、それで爆発事故のことを知りました。そのときは、これから自分が一体どんな状況に足を踏み入れようとしているのか、知りもしませんでした。でも、ひどく嫌な気持ちでした。というのも、妻は文字どおり家にこもりっぱなし、障害者だったからです。
妻は家から出られないので、娘が病院に向かいました。妻は、自分の妹に連絡して、病院で娘と落ち合うように伝えました。私は病院に着くと看護婦に迎えられ、病室のほうへ案内されました。看護婦は、これから目にするものを見る覚悟はできているか、と私に尋ねました。「それは、もちろん、私はただ息子に会いたいのです」と答えると、看護婦は、「あと10分か15分ほど待っていただかなければなりません。今は医師が治療をしていますので」と。それで、私は言いました。「あの、息子は生きていますか?」「はい。生きていますとも。ただ、ひどい火傷を負っています」と看護婦は答えました。15分か20分たったころか、そのくらいです。すみません、あのとき私は別室に案内され、娘と義理の妹に会っていました。私たちが座っていると、看護婦が戻ってきて、ルイスに会いに行けると言いました。病室に入ると、ルイスは眠っていました。鎮静剤を飲まされていて、全身が白い毛布のようなもので覆われ、鼻のまわりには煤がついていました。でも、顔は、顔には傷ひとつなく、火傷もまったくありませんでした。

鼻のまわりにあったのは何でした?

煤です。

ああ、煤。

爆発で発生した煤です。ガスと煙を吸い込んだせいです。でも、病院側からは、ルイスの顔を見ることしか許されませんでした。顔を見たら、ルイスはすぐに熱傷の集中治療室に移動しなければなりませんでした。それから、私たちはそのあとはルイスから引き離されたので、自宅に帰りました。
そのとき、病院から、翌日に死体から採った皮膚をくっつける手術をすると言われました。

皮膚の移植?

皮膚の移植です。焼けた組織を取り除き、そこに新しい皮膚をつけるのです。手術は5、6時間の予定でしたから、その日のうちに終わることがわかっていました。だから、翌日、電話をかけるたびにまだ手術中だと聞かされると、だんだん心配になってきました。あまりに長い時間がかかっていましたから。確か、結局10時間か11時間くらいかかったと思います。私たちが病院に戻ると、看護婦から、ルイスは若くて体力があるから、手術を2回に分けてするよりもこの機会にもっと貼り替えておこうと、続けさまに1回の手術ですませたのだ、と聞きました。それを聞いて、大きな希望がわきました。ただ、指が1本、もう使えないほどひどく火傷しているので、切断しなければならないと言われました。私たちは少し悩みました。指を失うことにルイスは耐えられるのだろうかと。それから私たちは病院をあとにして自宅に帰りました。次の日は、すべてが静まり返っていました。夜だったと思います。3日目の晩、病院から電話を受けました。夜中の3時ごろでした。ルイスの症状が悪化したのです。私たちは起きて病院に向かいました。病院に行って、待ちました。4、5時間待って、ようやくルイスと面会しました。医師が来て私たちを見ると、こう話しました。ルイスにはいくつか問題があり、内臓の機能が停止し始め、もう長くは持たないだろう、と。私たちが病室に通されてルイスに面会したちょうどそのとき、私たちが病室にいるあいだに機械が止まって、ルイスの生命兆候は完全に停止しました。医師が口を開きました。「その、我々にできることはこれ以上ありません。生命維持装置を停止する許可をいただかなければなりません」
私には決断を下すことができませんでした。だから、妻がしました。それで、医師たちは、ルイスはもうここにはいないのだと言いました。

お悔やみ申し上げます。

そのときが一番つらかった瞬間です。そのあとは、宙に迷ったような状態になります。すべてのことが、ただただ頭の中を通り過ぎていくだけになるのです。私は死亡証明書を受け取らなければいけないから、待っているように言われました。「死亡証明書のなにがそんなに重要だっていうんだ? 郵送できないのか?」そう思いましたが、当然待たなければいけません。20分くらい待って死亡証明書を受け取りました。それから、私たちは外に出て、抱き合いました。それで、家に帰りました。なんと表現すればいいのでしょう。まるで誰かが自分の内側に手をつっ込み、すべてのものをもぎ取ってしまったかのようです。空っぽで無感覚。妻を見るだけでルイスを思い出してしまうのです。

私は: です。

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