ジョスリン
インタビュー時:65歳

会社重役、2子あり(1人が死亡)。2002年息子のエドワードがバリの爆弾テロで死亡。深いショックと悲しみを覚えたが、息子の願いはくじけずに生きてゆくことだと決意した。家族や息子の友人に支えられた。

語りの内容

ええ。あの日は、日曜日の朝で、日曜朝刊を買いに出て、サンデータイムスを手にしました。その時に、サイドラインの見出しにバリで爆破テロが起き、多数の死傷者が出たという記事を見つけたのです。
息子のエドがバリにいると解っていたので、私はひどく嫌な予感がしたのです。実際、彼が金曜日に私に電話をかけてきた時は、やっとそこから出発してラグビーのトーナメントに参加する為に仲間達とバリへ向かう事が出来ると、とても興奮して話していたのです。
バリは素敵な場所だし、楽しんで週末をそこで過ごすようにと、私は彼に伝えたのです。彼は旅行に慣れていて、旅の最後にバリに行くという急な計画を立てる不思議ではありませんでした。
だから、私は彼がバリにいると確証していたのです。私は車を運転して家に戻りました。家のドアを開けるとすぐに私の伴侶が、「香港からどなたか の電話が繋がっているわ」と受話器を私に手渡しました。
それはエドの友達でした。(ロンドンと香港の時差は8時間)香港では深夜にもかかわらず、彼は私に連絡を取ろうとしてきたのです。彼は、「沢山の人が殺害されていて、状況はとても深刻です。 香港フットボールチームは全力を尽くして彼らに何が起きているのか探していますが、今の所は何の情報も、エドの情報も把握できていないです。状況は極めて重大だと思います」といったのです。

私は: です。

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