診断時:50歳
インタビュー時:53歳(2011年10月)
妻とともに生活保護を受給。2009年自宅で転倒し後頭部を打つ。高次脳機能障害も疑われたが、最終的に若年性脳血管性認知症と診断された。血圧は元々高く、言葉が出にくい、重い物が持てないなどの症状は、降圧剤と家族や周りのサポートで回復し仕事に行けるようになった。週5日障害者就労支援施設B型でタオルをたたむ作業をしている。生活保護の状態から脱したいと思っている。

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プロフィール詳細

近畿地方在住のC.T.さん夫婦は現在無職で生活保護を受けている。3年前の秋にC.T.さんは自宅で後ろ向きに転倒し後頭部を打ったが、入院はしなかった。その後、言葉が出にくい、重いものが持てない、急げないなどの異変に気づき、大きな病院にいくつもかかった。2つの病院で高次脳機能障害と若年性脳血管性認知症と診断された。C.T.さんとしては、高次脳機能障害と言われる方がしっくりするように感じる。

C.T.さんが家にいるだけで家族とトラブルになり、妻が市のAセンターに相談に行ったが、転倒から1年以上経っておりリハビリをしてくれるところはなく、サポートセンターに通って様子をみることになった。当初センターまでの道順を単語帳に一枚一枚書いてもらい、それを捲りながら時間をかけて通っていたが、今は引っ越してからも1人で通えるほどに回復した。

母も兄も高血圧症で、自分も血圧の高さを検診で指摘されていたが、治療は受けていなかった。神経内科で出される降圧剤と整形外科で受ける足腰の牽引のおかげで随分回復してきているが、まだ脳と足腰がしっかりつながっていない感覚があり、転ぶ前から降圧剤を飲んでいたらと思う。毎日、血圧を自分で測っているが、まだ170mmHg前後でボーダーラインの130mmHgに下げるのはなかなか大変なことに思える*。

日課は、毎朝、4時頃起床して月~金曜日は近所の清掃、犬の散歩をし、コーヒーを飲んだ後に朝食、15分程度の仮眠の後に作業所に向かうこと。火曜日にはサポートセンターに通う。作業所ではタオルをたたむ作業をしている。頭の中を整理しながら話すのは困難なので、昼休みは人とかかわるぐらいなら作業を続けてもいいと思いながら過ごしている。

C.T.さんは5人兄弟の末っ子として生まれた。親孝行をしたくて、中学を出て関東の工場で職業訓練を受けながら高卒の資格を取ろうとしたが、水泳大会への出場が苦痛で、1年半足らずで会社も学校も辞めてしまった。そこを逃げ出さなければ人生も違っていたのかもしれないと悔やんでいる。今までに、喫茶店の雇われマスターや左官職人など、色々な仕事に就いたが、何が自分に向いていたのか未だにわからない。生活保護を受けている以上、国に借金を負った状態。そこから脱しないと自分の将来はないと思うが、その原因はこれまでの自分の生き方にあると思うと落ち込む。

*血圧をどこまで下げるべきか、目標値はそれぞれの患者さんの症状や病態によって異なりますので、主治医や専門医とよく相談する必要があります。

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