月別アーカイブ: 2024年3月

医療的ケア児の家族の語り

自己注射は子ども自身が注射器をもって、薬剤を注入する。決して心地よくない行為を続けさせることは親子の葛藤があった(音声のみ)

注射器の形状の物に、薬剤が封入された状態でパッケージされてる商品があって、通常、冷所保管っていうか、冷蔵庫へ調剤されたら保管してる状態な物なんですけども、それを常温に戻して刺激を少なくする。

冷たい物を入れると痛いので、常温に戻して、専用の補助具っていうのがあって、イメージで言うとインスリンの注射のペンがあるじゃないですか。
あれだと簡単にそのまま押し付ければいいじゃないですか。

でも、使ってたのは、シリンジの形をしてるので、そのままだと注射器の状態なんですね。なので、安定させるために、その補助具っていうのがあって、その中にセットするとペンタイプのインスリンのシリンジに近くなるので、それを大腿部に押し当てて、自分の速度で注入してくって感じなんです。

なので、注射の部位ってのは毎回変えなきゃいけない状態なので、(医師に)言われてるのは皮下注射なので大腿部、あと腹部なんですけど、うちなんかだと、どちらかの大腿部、左右で毎回変えての注射が多かったんです。

インスリンだと、パキッて押してしまえば、勝手に薬液が自動的に定量入る感じなんですけど、これの場合だと自分でシリンジの筒を押して押し出して、最後まで注射をしなきゃいけないという状態なので、怖いですよね、結構。
10秒ぐらいかかる感じなので、その間はその状態で保持してる。
なおかつ自分で押し出してなきゃいけない感じなので。

最近、改良されたのが出てきて、ペンタイプという、押し当ててボタンだけパツッと押せばそのまま注入されるという薬剤が、同じ物で出たらしいんですけど、うちはもう点滴に変わってしまったので、それは使うことはなかったんです。

――今、使ってらっしゃる点滴のほうっていうのはレミケード(注1)ですか。

そうです。

――自己注射をしたりケアがある中でも、ご家族の中でのレジャーや旅行、ご兄弟もいる中での楽しみみたいなものもあると思うんですけれど

日程を考えるときにそこに当たらないようにするっていう、要は週1回、2週に1遍とかで、その曜日に当たらないようにするっていう予定の立て方をするっていうことぐらいですね。
他は変わらないです。

(注1)レミケード(インフリキシマブ)は、炎症性疾患に対し、症状を改善する目的で用いられる生物学的製剤です。

医療的ケア児の家族の語り

入園当初は呼び出しも多く、すり合わせの場を設けてもらった。先生方も娘の成長に対し積極的に取り組んでくれてありがたい(テキストのみ)

――保育園からは呼び出しもなく、朝、行ったら元気に過ごせていましたか。

1年目は、妻に保育所から電話が結構かかってきて、保育所も慎重になってる部分もあるので、しようがないんですけども、この程度は大丈夫じゃないかな、ちょっと対応してもらいたいなという部分との差が出てきたりはしてました。
1年目の終わりか具体的には覚えてないですけども、一度、こちらから話し合いの場を設けてほしいと所長にお願いして、看護師さんと所長と僕らでこういうときにはこれで対応してほしいというすり合わせはやりました。
それで呼び出しの電話が減ったっていうのはあります。

娘の医療ケアの程度も少ないので、うちの場合はそれで済んだというか、それぞれの責任範囲の擦り合わせっていうんですかね、うまく事が足りたというか。

物のことに関して言えば、常時、バッグにこれは入れとくので、何かあったらって。
それまでは、その物一つがないことで、電話かかってきたりするんですよ。
妻はなかなか落ち着いて、過ごすこともできないので、少しストレスになってた部分はありましたね。それも話し合いで解決できたので。

――夏は暑いので、保育園で水遊びや水浴びをすることもあると思うんですけど、保育園とどうしたらよいかの話し合いはありましたか。

コロナで水遊びもあんまりできなかったので、それはなかったですね。
ことしから別の幼稚園に移って、そこの副園長先生がうちの主治医の外来の日に同席して、主治医の先生と意見交換があって、まさに水遊びの話も出て。

先生たちは水遊びをさせたいと。
どういったこと気を付けたらいいですかっていうお話はしてた。
本当にありがたいことに。
保育園もそうでしたけど、今年から通ってる幼稚園の先生たちも安全の範囲でなるべくいろいろさせたいっていう思いが強いので、それは、僕たち夫婦とも一致してて。

医療的ケア児の家族の語り

知り合った家族が保育園に通わせていると聞き、刺激を受けて相談したところ想定外にスムーズに事が運んだ(テキストのみ)

児童デイ(児童発達支援)でも十分、社会と接する機会があるし、いいかなと思ってたら、身近に一緒にいた家族のお父さんが保育園の話をしてたんですよね。
最初、保育園に行かせるなんて全くイメージが湧かなかったんですよね。
だけど、ものすごい働きかけてるって話を会うたびにしてて。

そこの家族の住む市町村は、よく言えば慎重だけど、少し、積極性に欠けるような感じとは聞いていたんですけど、そのお父さん、お母さんが対立ではなく、一緒につくっていきましょうって働きかけて、実際、入園できたっていうのを見てて、あっ、行けるんだって初めて自分たちも意識した。

まず妻が、市役所の人に相談するような形で行くと、その時点で市から何かできることはないかっていうような感じだったと記憶してます。
たまたま僕の知り合いが市議会議員をしてて、彼のお子さんが障害があって、福祉に力を入れてる方だったんですね。
保育園に行きたいと彼に相談したら、何かあったら、もう、すぐ協力するからって。

本当に、彼がいい意味で何かする場面もなくスムーズに行ったので、そういった市議さんが、何年にもわたって福祉に力を入れてたっていうのも背景としてあるのかなとは思いました。

議員さんにもお話ししたときに、直接、娘にも会いたいし、妻とも会って話したいってことですぐに自宅に来てくれて、その後に、保育園の担当の部署に相談したらいいと思いますよと。で、行って相談したら本当にその後は割とスムーズで。
そのときの心理士さんと、結局、後々、娘が通うことになる市の保育所の所長さんと、市の保育園課の担当の人だったかな、3名ぐらいが、割と早い段階で自宅にすぐ来てくれたんです。

そのときに、保育所の所長さんが、結構、具体的に受け入れることを想定したような質問をされてたんですね。
相談から1年もかからないで割とスムーズに決まって、あとは看護師さん探さなきゃいけないっていうことで。
これもまたご縁で、娘の訪問のPT(理学療法士)さんがいて、その方に妻が相談したら、その方のお知り合いの方が手を挙げてくださった。

――保育園に入っても母子入園とか付き添いはどうだったんでしょう?

それも結構少なかったですね。
本当に1週間ぐらいだったんじゃないかな。

――保育園に行き始めてから、お子さんの変化は感じましたか?

結構、大きい保育所だったので、上のお姉ちゃんたちもいれば下の子もいる。
一堂に会すと何十人といるので、本人にしてみたら一気に情報量が増えるというか。
他の子には事前に看護師さんや先生がこういう子が来るよというお話をしてたので、子どもたちにしてみたら、いよいよあの子が来るみたいな感じで、受け入れ態勢はばっちりだったんですけど、逆に、注目を浴びることで、割と長い間、緊張してる感じはあったんです。

ただ、2年目ぐらいになって、徐々に慣れてきて。
保育園では、話すことも難しくてなかなかできなかったんですけど、おうち帰ってきたらこんなことして楽しかったとかあんなことして楽しかったってことを話してたので、慣れるまでに1年以上はかかったけど、いろんな刺激もらってきてる。
走るとか、何かに登るとか、身体的なところだったり、大勢の中で自分がどういうふうにして振る舞うかっていうのが徐々に変わっていくのを感じました。

医療的ケア児の家族の語り

医療的ケア児を保育園で受け入れる方針をとる自治体で、問い合わせや相談、面談などで半年準備し、通わせることができた

今入っている保育園は今年の4月から入園したんですけど、その直前の3月に今住んでる地域に引っ越してきて、新たな地域で保育園に入ったんですね。
3月に引っ越すことがもう分かってたので、去年まで住んでた地域にいながら今の自治体の保育課の方に問い合わせをしたり、地域の保育園にいろいろ電話を掛けてみて、そういった子どもを受け入れた実績があるかどうかとか、そういうことをいろいろ調査をしました。

見学に行ったりした中で、自治体によって医療的ケア児を受け入れるかどうかの方針もさまざまなんですよね。
前住んでた自治体だと、医ケア児とか障害児の専門のクラスがある保育園が存在していて、そこだったらすぐに受けられます。
ただし、普通の保育園では経管栄養とかケアがあると受けられませんと言われたんです。

今住んでる地区のほうは、専門の障害児クラスみたいなのはないんですけど、普通の保育園でも積極的に医ケア児とか障害児をできるだけ受け入れるっていう方針の自治体だったので、それは、逆に言えばありがたい。

ほかの普通のお子さんと同じように受け入れてもらえるっていうのは、とてもありがたい。本人の発達の面でもすごくいいので。
ただ、その中でも受け入れられる園とそうでない園とまちまちなので、自宅から近くの通える範囲のところに、片っ端から聞いてみるっていう感じで電話をしたり、見学に行ったりしました。

今入れることになった園は、うちからもすごく近くにあって、看護師さんがもともと1人常駐している園で、医ケア児を受けていた実績があった保育園だったので、こういう状況ですけど受け入れは大丈夫ですかっていうことを聞いたときに、自治体の保育課が決めることだけども、対応はできると思いますということを言ってくださった。

そういう話をある程度、幾つかの園とした上で、保育課の方と私と娘と面談して、状況を説明してっていう形で申し込み準備を去年の秋くらいから半年前くらいから準備してたっていう感じですね。

腹膜透析をしてる子どもが、日本の国内でもそうたくさんいないので、受け入れが初めてだっていうことで、すごく不安そうでもあったんですけど。
本人と面談してもらって、透析と経管栄養はしてるけど、元気に遊んでる様子を見てもらえたので、そこでちょっと安心してもらえたのかなと思うんです。
申し込んでよいということになって、晴れて4月から通ってます。

ちなみに、今の常駐の看護師さん以外に自治体のほうで負担して、もう1人、娘を常に見てもらえるように、もう1人、非常勤の看護師さんを雇ってくださって。
看護師さん2人体制で見守って、生活できてるので、すごく安心して預けられてます。

――どれくらい行って、どれくらいの園が受け入れられるよっていうふうに言ってくれたんですか。

通える範囲っていうのもあるので、結局申込書に書いた園の数は、4つか5つぐらい書いたかな。
自治体の公立認可園は、割と区の方針としてそういうのを受け入れるっていうのが多かったので、認可園が比較的多かったかな。
公立認可園を多分3園ぐらい書いて、あとは、民営の認可園を個別に聞いて、大丈夫ですって言ってくれたところを2つ、3つぐらい書いたかな、それもっていう形だったと思います。

医療的ケア児の家族の語り

腎不全の子にとって細菌感染で透析ができないと命に関わる。清潔には気を遣う一方、将来の腎移植後の生活に向け免疫もつけてほしい

――お子さんに関しては、風邪を引いたときは、ほかのお子さんと比べてリスクというか、重症化しやすいとか、そういうことはあるんでしょうか。

腎不全が基礎疾患として存在してるので、リスクは高いと言われていて。
ちょっと熱が出たり、風邪引いたときでも、病院にかかるときは、主治医のいる病院まで来てくださいと言われていて。

負担ではあるんですけど、本来であれば、近所の小児科医で風邪薬もらいたいところなんですけど、必ずいつもの病院に行って、血液検査とか、いろんな検査をして。

発熱しても、それが風邪の発熱なのか、例えば感染症だと、細菌感染したものが、透析のカテーテルが入ってるところに入り込んだりすると、その中で、腹膜に炎症が起きたりすると、それこそ命に関わる、透析できなくなってしまって、腹膜炎が起きると、あの、大変な事態になるので、その辺は気を使わないといけないところですね。

――特に気をつけてることとか、何かされてることはあるんでしょうか。

透析の出口部はなるべく、清潔に保つ。
あと濡らさないようにする。
水遊びもほかのお子さんみたいにはできなくて、保護しなきゃいけないってことはあるんですけど、必要な保護だけして、あとは同じように過ごしてもらいたいと思ってるので。

風邪ももらってはくるけど、集団生活してれば、通常誰でも起こり得ること。
それを触れないで無菌状態にしておくより、主治医のほうからも、免疫を今のうちにつけたほうがいいと。
泥んこ遊びでも、水遊びでも、なんでもしてくださいということは言っていただいたので、そこをあんまり気にしすぎないようにしてます。

もう何年か先に、透析を離脱して、腎移植を受けて透析離脱することが次の目標になってるんですけど、その移植をしてしまうと、一生免疫抑制剤を飲んでいかなくちゃいけないので、それより前にできるだけいろんな菌に触れて、免疫をつけてもらいたいと思ってます。

医療的ケア児の家族の語り

子どもに医療的ケアが必要となり、職場と相談し在宅中心となった。現在は保育園にも通い仕事にも集中できている(音声のみ)

今、リモートワークが主体なんで、比較的、自由に仕事のペースも調整できるんですが、大体、7時半ぐらいから、始業して、夕方4時、早ければ4時とか4時半ぐらいに終わるっていう感じですね。

――お子さんが生まれてからそうだっていうよりは、コロナ禍でのリモート推奨ってことですか。

そうですね。
子ども生まれてから、普通の働き方はできないっていうところで、職場に相談したところ、非常に理解のある職場で、事実上、テレワークを認めていただいたんですね。

その時は、今ほど朝型ではないですけども、普通に始業時間9時半から5時半ぐらいまでの間で仕事をするっていう感じ。
仕事が終わんなければもう少し、残業してって感じですけども、このコロナ禍になって、妻も在宅をするようになったし、息子も保育園とか発達センターに行く機会が出てくるんで、そういうスケジュールにも合わせた形で今の時間帯での仕事になってますね。

――お子さんが、家にいる状態で仕事をするって、それって(仕事が)手につかないとかそういうことはないんですか。

今はかなり体調も落ち着いてますし、何が起こったかっていう評価も、親としてできますし、どういう対応が必要かも分かるんでそこまで心配ではないんですが、退院して家での生活が始まった時はやっぱり大変でしたね。

その当時は、僕は出勤をしたり、仕事を家でしながら、かなりの部分のケアは妻が担っていたんで、それは相当負担があったと思います。

特に妻が学位論文を書いている時に、後ろで常にモニター音が鳴ったりとか、吸引は、本当、頻回で10分に1回ぐらいの吸引が必要で、頭がおかしくなりそうだとか、(自分が家に)帰ってきたら、もう、すごい本人も大変そうな感じで、ストレスも負荷も多かったと思います。

子どもを家で見ながら仕事をするってなかなか難しいなっていうふうに思いました。
今は、保育園に預けている間とか、センターに行ってる間、デイサービスも使ってるんで、その間はすごく安心して、仕事に集中できます。

以前だとやっぱり、「体調崩しました。迎えに来てください」っていうのもあったんですけども、ここ1年ぐらいはそういう回数も減ったんで、仕事に集中できるようになりました。

――ご自身の研究者としてのキャリアを考えたときに、リモートを選択することは不利になるとか、日常、同僚や上司とコミュニケーションは取りづらくなるとか、そういうことは考えましたか。

いや、それは全然、なかったですね。
良くも悪くも個人主義というか、僕のいる職場自体もやっぱりうちの機関の中では特殊な立ち位置であり、成果を出せば、自分の仕事をしっかりすれば、いいっていうところもありましたし。
個々の専門性が高いんで、若干、ペースが落ちるにせよ、その分野はあなたしかできないよっていうところは認めてもらってたんで、在宅になるから、コミュニケーションが減ってっていうことはなかったですね。

医療的ケア児の家族の語り

夫婦で在宅勤務が中心で、朝7時半に始業し、夕方17時には終業して子どもとの時間を過ごす(テキストのみ)

在宅勤務のときは7時半に始業してカタカタ仕事をしながら子どもを見ながら過ごします。
9時前に保育園に送っていって、夕方5時にお迎えに行きます。
リハビリは水曜日と木曜日に入っていて、水曜日が5時20分から理学療法を家でやって、終わり次第、20~30分休憩して、お風呂に入って、7時からご飯。
本人は、もう疲れて、がって寝ちゃう。

――お子さんが、順調に、毎日通ってくれればいいけれど、冬場で体調が優れなかったり、寝られないってなると、両立みたいな点で苦労した時期もあるのではないですか。

今も苦労してます(笑)。
熟睡はできないんですよね。
常に睡眠不足で、仕事の集中力を保つのが、とても難しいなって思うときはあります。

あとは、夫婦でスケジューリングが合わない時あるんですよね。
「2人とも会議入っちゃったよ」とか、「2人ともオンサイトで会議って言ってるけど、どうする?」みたいな。
もう、それはどっちかが諦めます。
諦めるっていう言い方はあれですけど、そうするしかないので。

――夫婦とも職場の理解が得られてるっていうことですよね。

そうです、そうです。
ただ、すごい仕事量なんですよ。
人数が足りないんでしょうけど、「その仕事量、あと3人ぐらい要るんじゃない?」っていうぐらいのものが来たり。
だから、理解はあるんだけど、仕事としてはとてもハードだと思っています。

医療的ケア児の家族の語り

仕事のやりがいが自分を支えてくれている。夫とは育児も家事も夫婦で対等な関係だと思う(テキストのみ)

――仕事は、自分を精神的に支えるやりがいと経済的な側面と両方あると思うんですけど、ご自身の中ではどちらが強いですか。

難しい質問ですね。
どっちもなんですけれど、おそらくやりがいのほうが大きいんだと思います。
経済面でいえば、私がフルタイムで働かなくても、何とかやっていけるぐらいではあると思うんです。
だけど、歯を食いしばってでも絶対フルタイムでやっているのは、私がそこにやりがいを感じて、自分の価値はそこにあると思っているからじゃないでしょうか。

――夫婦それぞれ学会出張もあるようでが、そのための調整はどうしていますか。

分かった時点で話し合いですね。
険悪になります、いつも大体(笑)。
Googleカレンダーを開いて、「言ったよね」「言わないよね」みたいな。

優先順位をお互いにつけて、これは絶対行きたいっていうものは、行けるように調整します。
「絶対、行きたい」が重なったことが幸いないのか、夫が我慢してくれてるのか分からないですけど、その辺は調整してます。

――育児と仕事以外に、家事もあるじゃないですか。家事分担も対等だと感じますか。

イーブンです。
偏ることはままあるんですけど、本当に対等だと思います。
うちは夫が食事を作り、私が掃除と洗濯と主にやる。
お互いどっちもできるので、体調悪かったり忙しかったりするときはどっちかがやる。

――朝ご飯も晩ご飯も、基本的に家で食べる?

朝は家で簡単な、ほぼ用意しなくていいようなものにして。
夜も、大変なときは買って帰ってきちゃう。

――夫婦でそろって基本的に食べられる?

情報共有じゃないですけど、「今日、保育園で何があったらしいよ」「またこういう手続きが必要なんだけど」とか。
手続きがやたら多いので、ご飯食べた後に書類を一緒に書いたり、あしたの予定とか、日中、保育園から何かあったときの電話をどっちが受けるかみたいな最終確認とか。

――ブリーフィングですね。

そう(笑)

医療的ケア児の家族の語り

娘は成長に伴い、食事もできるようになり、スピーチカニューレで話すこともできるようになった。気管切開部も取りたいと訴える (テキストのみ)

――お子さんが退院されてから、今に至るまでの発達や、医療的ケアの内容で変わってきたことについて教えていただけますか。

言い方は変ですけど普通になっていく感じ。経管栄養がなくなり、呼吸器も外せる時間が徐々に増えてきて。
スピーチカニューレに2歳で変えたので、そこから声が圧倒的に出るようになったっていうのが、一番変わった。

――お食事は?

普通に食べるまで、結構、練習は必要で、市販の離乳食からスタートして、徐々に固形物になっていって。
月に1回、通ってる病院で、嚥下の練習を、口腔外科の先生と一緒にやってたんですけども、途中から、もういいんじゃないの?って、あとは実践していけば大丈夫だよっていうことで。

誤嚥がないっていうのが、気管切開してる子は一番大事なので、いろいろ食べるようになって、成長して、今は全然問題ないです。

――好きなメニューとかあるんですか。

何でも食べてくれるので、マグロとか刺し身も食べますし、納豆も。
それは助かってますね。
あんまり嫌いなものがないので。

――お子さんは、お話ができるようになって、自分に気管切開の器具があることや夜になったら人工呼吸器を付けることについて、自分の体について、今、どのように理解してますか。

保育園に3歳のときに通うようになって。
自分だけは呼吸器持っていって何かやるっていうので、いい意味で違いというか、相対の世界にぽーんと投げ出されたので、ちょっとずつ自分では理解していってる部分があったのかなと思うんです。

最近よく言うのは、早く(気管切開の部分を)取りたいって言うんですよね。
パパだけ何でないの?って。ずるいって(笑)。
大きくなったら取れるよという話はしてて。

だから、NICUにいたときの動画とか見せるんですよ。
こんなんして頑張ってたんだよって。
本人もよく見たがるんですよね。
そのときの自分の姿を見て何かしらやっぱり感じているのかなと思いますね。

医療的ケア児の家族の語り

妻が新型コロナウィルスに感染し、1人で娘の2週間の医療的ケアを行うことになった。周囲の友人やきょうだい児のサポートで乗り切った

――感染がご家族の中で出たっていうときに、おうちの中は隔離もなかなかできないし、感染させてはいけないし、それでも家族は一緒にいる中で、どうやって過ごされていたのか教えていただけますか。

まず妻がなったんですね。
当初は、なった場合は2週間、2週間の隔離で。
おうちで過ごすことは、あまりにも怖かった、危険が伴うっていうことで、職場も、私が濃厚接触者になったので、同じように2週間休まないといけないという状況で。

妻はすぐ実家に避難させて。
うちで急きょ私がみることになったんですね。
濃厚接触になっているので、娘の訪問看護も全て一切止まったんです。
もう全て利用できなくなった状態。

普段は、毎日入っていた訪問看護が、夕方のケアの時間もサポートしてもらいながらやっていたものが全て1人でやらないといけなくなったっていうのがすごい大きくて。
眠る時間も、もちろん削られるし、1時間ごとにケアが入ってくるんですね。

例えば、朝7時に導尿、栄養が入って、9時には血糖をチェックして、10時には栄養を入れてとか、1時間単位で何かしらの処置が入ってきて、全部、携帯のアラームで1時間ごとに設定してやるっていう繰り返しを2週間やって。

最初の2日ぐらいは、あ、これ駄目だな、つぶれるなっていう心配があって。
そうしたら、妻がいろんな人に言ってくれたり、周りの友達がたくさん差し入れ持ってくれて。
(家から)出られない。大変というのも分かってくれているので、いっぱい食べきれないぐらい持ってきてくれて、周りにすごい助けられたなっていうのは感じます。

―家族の中で濃厚接触になると他の上のお子さんたちも家にいて、自分と、下のお子さんの2人きりなら何とかなることでも、さらに上に3人っていう状況で、4人の子育てを1人でやるってすごく大変だと思うんですけど。どんな感じだったんですか、おうちの中は。

逆に、助けられましたね。
学校の送迎も濃厚接触なんでストップしていて。
で、助けてもらったのが、実は大きくて。
ケアに関しては、私しかできないですけど、例えば娘をお風呂入れて髪の毛を乾かすのはお姉ちゃんたちの仕事で、お姉ちゃんたちが髪の毛を乾かしている間に、私がさっとお風呂入るっていう連携があったり。

ご飯に関しても、周りの人がすごい助けてくれたんで、食べるものも困らなかった。
2週間は上の子たちがすごいしっかり、おうちの手伝いもしてくれたから、乗り越えたなって感じますね。